令和元年8月
第87話 令和元年8月1日(木)「キャシーのいる日常」日々木陽稲
「昨日の検査どうだった? 疲れてない?」
「キャシーの相手をずっとするよりは検査の方がマシなんじゃないかって思うようになったよ」
「あはは……」
あたしは力なく笑った。
昨日、可恋は大学病院で定例の検査があり、わたしが札幌から帰ってきてから会うことができなかった。
今日の午前中もキャシーの稽古に付き合っていたので、ようやくいま日曜日以来の再会を果たした。
「今日、泊まっていい?」
わたしの家に可恋とキャシーが迎えに来てくれた。
キャシーは来るなりトイレに駆け込んだので、久しぶりにふたりでゆっくり話すことができた。
キャシーのことだから気を使ったなんてことは1ミリも考えられないけど。
「……いいよ」
可恋が答えるのに間があったのは、わたしが泊まるとキャシーも泊まると言い出すからだろう。
それでも可恋がいいと言ってくれて、わたしはホッとした。
「準備してくるね」
実は準備はすでにできている。
自分の部屋に荷物を入れた鞄を取りに行くだけだ。
1学期の終業式直後の土日は可恋の家に泊まったものの、次の土日はファッションショーの見学があって、わたしは付き添いに来てくれたお父さんと一緒に帰宅した。
とても久しぶりのお泊まりに浮き浮きして荷物を持って戻ると、キャシーも玄関に戻っていた。
相変わらず底抜けに明るい。
感情豊かで自己主張も激しいが、彼女の楽しさやワクワク感がこっちまで伝わって来るので、一緒にいるとわたしまで気分が高揚する。
でも、彼女がいると、可恋とコソコソ話すことになってしまう。
可恋を取られてしまうと思うほどの不安はないけど、不満がないと言えば嘘になるだろう。
『可恋は酷いんだ。空手のルールだったのについレスリングのタックルをしてしまったら、ワタシのみぞおちに容赦なく膝を入れてきたんだ』
キャシーが身振り手振りを交えながら、わたしがいなかった間の出来事を語ってくれる。
三人並んで歩く真ん中で、わたしは日傘を差しながら彼女の言葉に耳を傾けた。
『それってキャシーが悪いんじゃないの?』
『そうだよ。だけど、可恋は右手しか使っちゃダメってルールだったんだ。膝蹴りなんて反則だよね』
わたしが可恋を見上げると、可恋は肩をすくめた。
キャシーは『海に行こうぜ』と言い出し、可恋に『海はダメ』と拒否される。
次は『川に行こうぜ』と言い、『川もダメ』と可恋が答えた。
『どこならいいんだよ?』と問うキャシーに、『ひぃなも私も今日は疲れているので、遊びには行けない。行きたいならひとりで行って』と可恋はキッパリと言い切った。
『また今度行こうね』とわたしが慰めると、『今度っていつ?』とキャシーに聞かれる。
言い淀んでいると、『明日?』とキャシーが言う。
『明日はお姉ちゃんの勉強会に顔を出すって言ったじゃない』とわたしは答えた。
なぜかお姉ちゃんから勉強会に来て欲しいと頼まれている。
わたしだけでなく可恋も一緒で、キャシーも連れて来て欲しいようだ。
『明後日は?』と聞くキャシーに、『土日は武道館で空手大会の手伝いがあるって言ったでしょ。ひとりで留守番する?』と可恋が言った。
東京で子どもの全国大会が開かれ、そのスタッフとして可恋や道場の人たちが何人か参加するという話だ。
道場の師範代である三谷先生のお願いだそうで、裏方ならと可恋は承諾した。
先生も行くので、キャシーを残して行く訳にもいかず、わたしも一緒に行ってキャシーの相手をするように可恋から頼まれている。
うだるような暑さの中、ようやく可恋のマンションに到着した。
キャシーも『日本の夏の暑さはクレイジーだ』と怒っている。
同感だけど、そんなに怒ったら余計に暑そうだ。
可恋の家はスマホからの遠隔操作で冷房が稼働していて、ひんやりして心地いい。
文明の利器万歳と言うしかない。
わたしと可恋は熱い紅茶を、キャシーはコカコーラを飲んで一息つく。
可恋はブルーレイディスクを持って来た。
キャシーとレンタルショップに行き、借りてきたそうだ。
麓さんも一緒だったそうで、意外と盛り上がったらしい。
ディスクはすべてハリウッドのアクション映画だった。
わたしが普段見ないジャンルということもあり、キャシーに選んでもらう。
わたしがキャシーと映画を観ている間、可恋はクラスメイトその他に連絡を入れていた。
文化祭の進捗など確認したいことは山ほどあるのに、キャシーがいるとできないと嘆いていた。
わたしも可恋と一緒に映画を観たい気持ちはあるが、ここは彼女の助けになることを優先する。
アクション映画なら字幕無しでほぼ理解できるようになった。
キャシーに鍛えられたお蔭だろう。
彼女が話し掛けるせいで、字幕に集中できないという理由もある。
映画を観ながら、キャシーの言葉を頭に入れ、適宜返事をする。
すべて英語なので、いちいち日本語に訳していては追いつかない。
特にキャシーは待ってくれないし。
『ワタシと可恋なら、こんな奴ら一瞬で倒せるわ』
『凄いね!』
『あっ! バカ、そっちは危険だぞ!』
『あー、ヤバそう。……危ない!』
こんな会話なので、とりあえず浮かんだ単語を出しておけば良いかって感じ。
間違っていても相手はキャシーだから気にしなくて済む。
たまに聞き返されることもあるけど、それよりも時々飛んで来る可恋のツッコミの方が怖い。
離れて作業しているのに、「そこはこう言った方がいい」と指摘される。
特にキャシーの影響でスラングを使うと、「女の子は使わない方がいい言葉だから」と注意を受ける。
キャシーと会話ができているといっても、中学の英語に毛が生えた程度だ。
お姉ちゃんは英語を教えて欲しいみたいなことを言ってたけど、わたしには荷が重いと思う。
可恋からはもっと正しい英語を身に付けた方が将来のためになると言われている。
その勉強のために参考にする動画がずらっと並んだリストをもらった。
可恋の英語の上達速度にわたしがついていけないと嘆くと、語学は絶対にわたしの方が上達すると言われた。
「いまは私の集中力の高さで先行してるけど、私の英語はとりあえず一通り話せればOKって感じなのよ。ひぃなの場合、それを使ってどんどんコミュニケーションを取っていくから語学の適性は高いし、複数の言語を高い次元で扱えるようになると思う。勉強を怠らなければだけどね」
わたしは目の前の可恋から離されないようにする。
そうすれば、いつか結果が出るかもしれない。
少し涼しくなってから夕食の買い出しに出掛ける。
いつものスーパーマーケットで食材を買い込む。
店を出る時に可恋がキャシーに聞いた。
『今日、ひぃなが家に泊まるけど、キャシーはどうする?」
『ワタシも泊まる!』とキャシーは即答した。
『それなら、着替えなどを取って来て。あと、師範代の許可もね』
『分かった!』とキャシーは嬉しそうに駆け出していった。
可恋はひとつ息を吐くと、両手に持ったふたつの袋のうちのひとつをわたしに手渡した。
それは見た目よりも軽くてわたしでも楽々持てた。
可恋は空いた手で、わたしの手を取る。
驚いて可恋を見ると、済ました顔で前を向いていた。
わたしは可恋の手をギュッと握って夕暮れの道を歩いた。
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木陽稲・・・中学2年生。映画を選ぶ基準は衣装なので、渋めの歴史映画も好き。
日野可恋・・・中学2年生。好きな小説の映画化で何度も裏切られたので、原作ものはあまり見る気がしない。
キャシー・フランクリン・・・14歳。アクション映画をワイワイ騒ぎながら観るのが最高!
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