第83.4話 令和元年7月28日(日)「昨日のこと3」千草春菜
昨日の見学で、ファッションショーよりも印象深かったのはキャシーの存在だった。
並外れた巨体の黒人女性。
日野さんによると、私たちと同じ14歳で、来日1週間だという。
「日本語を話せないから、構わなくていいよ」と日野さんはみんなに言った。
私は子どもの頃に英会話教室に通っていた。
外国人の先生から直接指導を受けた。
英語は得意科目だし、私の通う塾はヒアリングなどにも力を入れている。
彼女が話し掛けてきた時、私は勇気を出して英語で答えた。
「Hello, I'm Haruna Chigusa. Nice to meet you.」
返って来たのは高速で発せられる英語らしき言葉の羅列だった。
英会話の先生や塾のヒアリングが聞き取りやすいように言ってくれていることはもちろん知っていたが、ネイティブの英語がこんなにも違うのかと驚き、唖然とした。
そんな私に構わず、キャシーは話し続ける。
私は日野さんに目で助けを求め、ようやく解放された。
キャシーを相手にする日野さんの英語もよく聞き取れなかった。
キャシーに負けず劣らず早口に聞こえる。
日本語と違い抑揚が大きいため、とても感情的で、まるで言い争っているかのようだ。
そこに日々木さんが英語で割って入る。
日々木さんの英語は私にも聞き取れた。
単語も決して難しくはない。
驚くのはとてもスラスラと言葉が出て来ることだった。
ふたりの会話をしっかり聞き取って、すぐに言葉を紡いでいるように見えた。
キャシーはクラスメイト全員に加え、引率の人たちにまで声を掛けていた。
そして、誰とも会話が成立しないと分かって日野さんたちの元に戻って行った。
あの英語で会話できる中学生がそうそういると思えないが、日野さんと日々木さんはできているのだから私は焦りのようなものを感じてしまった。
「日々木さんは英語分かるの?」
キャシーが日野さんと話し込んでいるタイミングで日々木さんに話し掛けた。
「だいたい、だけどね」と少し苦笑しながら答えてくれた。
「どうやったら、あれが分かるようになるの?」
「やっぱり慣れかなあ。キャシーはずっと喋ってるから聞いているとだんだんと分かるようになったよ」
「どれくらいかかったの?」
「キャシーってボディランゲージも表情も豊かだから、なんとなく言いたいことは割とすぐに分かるようになったんだけどね。聞き取れるようになったのは半日とか一日とかかなあ」
何でもないことのように話す日々木さんを、つい宇宙人でも見る目で見てしまった。
「最初のうちは可恋よりわたしの方が意思疎通できていたんだけど、あっという間に逆転されちゃったの。だから、聞くなら可恋の方がいいんじゃないかな」
私は日々木さんの助言に従い、日野さんに話を聞いた。
「ヒアリングはあれだけ話し掛けられれば嫌でも身に付くよ。キャシーはスラングが多くて大変だったけど、語彙が豊富って訳じゃないから覚えればなんとかなるし。むしろ、キャシーの英語はかなり乱雑だから、ちゃんと正しい英語を身に付けるように母からアドバイスしてもらって、動画サイト見て勉強してる」
「そんなにすぐ身に付くものなの?」
「睡眠時間削って勉強してるけど、そんなに簡単じゃないよ。キャシーは頭の悪い中学生レベルの会話しかしないから、その分野の言葉を優先して覚えて対処してるだけ」
苦労話を淡々と何でもないことのように日野さんも話す。
「当たり前だけど、熱意を持って継続して勉強すれば身に付くし、サボればできないだけ。語学に限った話じゃないよ」
日野さんの言葉は理解はできる。
理解はできるけど、それが簡単ではないことも分かる。
意欲は長続きしないものだし、他の誘惑に負けて三日坊主で終わることなどざらにある。
日野さんは「キャシーに押しかけられて仕方なくだよ」と嘆いてみせるが、そこで逃げずに自分のプラスに持って行くところが彼女の優れたところなんじゃないかと思う。
それは日々木さんも同様だろう。
私なら、避けられないかと何日もあたふたして、最後の最後に仕方ないと諦めてから問題に向き合うと思う。
それでも問題に向き合ったことを褒めてもらったりするが、自分ではそこは欠点のように感じている。
文化祭のことにしたって、詳しい経緯は知らないけど、私なら文化祭が迫ってから慌てて準備を始めていただろう。
どうせ決断しなければならないのなら、早く決断した方が良いに決まっているのにそれができない。
キャシーはもうしばらく日野さんのところにいるそうだ。
家に帰ったら英会話の勉強を始めよう。
せめて少しは話ができるようになりたい。
そんな決意の火が消えないうちに、私は少しの時間だけど寝る前に英会話の動画を見た。
これで何かがすぐに変わる訳じゃないけど、変えようとしなければ変わらないんだ。
††††† 登場人物紹介 †††††
千草春菜・・・中学2年生。学年でもトップクラスの成績を誇る。
日野可恋・・・中学2年生。成績優秀だがテスト勉強はほとんどしないタイプ。
日々木陽稲・・・中学2年生。試験でのケアレスミスが減ってきたと喜んでいる。
キャシー・フランクリン・・・14歳。『試験なんてクソッ食らえ!』
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