第78話 令和元年7月23日(火)「忍者」キャシー

『やっぱり日本には忍者がいたよ!』


 そう伝えると、アメリカの友だちはみな『凄い!』と喜んでくれる。

 日本に来ることが決まって、真っ先に頭に浮かんだのは忍者のことだった。

 でも、パパにそう言うと、あれはフィクションで現実にはいないと言われた。

 仕方なく、日本の格闘技である空手を習いたいと言って先に来日したが、まさか本物の忍者に会えるとは思ってもみなかった。


 カレンは私よりもずっと小柄で、全然強そうに見えない。

 それなのに、戦うと私の攻撃はすべて躱される。

 ワタシがもっと強くなれば、きっと忍法を使ってくるに違いない。


 朝も更衣室で不意打ちを仕掛けたら、逆にお尻を思い切り蹴られた。

 カレンは怒って、『ケガをするから、道場の中以外で攻撃してこないで』と言った。

 しかし、道場では不慣れな空手のルールで戦わなければならない。


『ワタシはどうすればカレンに勝てる?』


『正しいトレーニングを続けることね。そのベースの上にキャシーの強みをビルドアップしていけばいい』


『ワタシの強みはフィジカルね』


 カレンが頷く。


『キャシーはいまはフィジカルに頼り過ぎているからベースが必要ね。それが身に付けば、キャシーは様々な格闘技を経験した方がいいと思う』


『どうして?』


『たいていの格闘技は普通のフィジカルを持つ人間が戦うことを想定しているの。キャシーの能力なら想定を越えた戦い方が可能だから、様々な格闘技の中から自分に合ったものを組み上げていくのも面白いかもしれない』


『ワタシが新しい格闘技を作るってこと?』


『うん。ただ、後継者みたいなものは作れないと思うけど』


『とてもエキサイティングね!』


 ワタシはワクワクした。

 こんなに楽しい提案をしてもらったのは初めてだ。


『でも、いままでの練習じゃまったく足りてないから』


『鍛えているわよ』


『フィジカルは鍛えているけど、格闘技の技術がまったくないわ』


『レスリングじゃ学校でチャンピオンだったよ』


『フィジカルのお蔭ね』


 ムッとしてわたしは強いとアピールするが、カレンは耳を貸さない。


『空手でなくてもいいけど、そのフィジカルを活かすために格闘技をしっかりと極めないといけない』


『どうすれば極められる?』


『正しく練習する』


『シュギョーで一気に強くなることはできないの? 忍者なら知ってるでしょ?』


『チートしたって本物の強さは身に付かないわよ』


『チートはしない! シュギョーはチートじゃないだろ?』


『似たようなものよ』


 カレンは怒っているようだ。


『トレーニングを効率良く行おうとするのは良いけど、ショートカットはないと私は思ってるから』


『じゃあ、どんなトレーニングが効率的なのよ?』


『一般的な考え方じゃないかもしれないけど、空手ならキャシーが嫌いな形の稽古だね』


 今度はワタシが怒る番だ。

 組み手は寸止めでも対戦形式だから面白い。

 形はまるでダンスのように感じていた。


『嫌がらせ?』


『まさか。日本の練習の中には過去からやって来たというだけで続いているものもあるけど、ちゃんと理由が存在しているものもあるの。形の稽古は実戦を想定したイメージトレーニングだから、キャシーには必要だと思う』


『実戦ではダメなのか?』


『実戦は目の前の相手だけを見て戦う。形は様々な状況を想像しながら戦う。どんな強さを求めるのかにも依るけど、少なくとも私の強さは形をベースにしているわ』


 カレンが話す英語のすべてを理解できた訳ではないが、その言葉を信じることにした。

 何と言っても彼女の強さは本物なのだから。


『分かった。真剣にやってみる』


 空手の形は数多くある。

 そのひとつひとつ時間を掛けてカレンは教えてくれる。

 他の練習生に頼んで、実際に人を置いてイメージを具体化してもらい、それに対処する動きを微細な角度まで指摘された。

 ワタシが他の動きを提案するとカレンはキチンと答えてくれる。


『蹴りの途中で軌道を変えれば相手を驚かせることはできるけど、キャシーなら正しく蹴ればガードの上からでもダメージを与えられるのだからそちらを狙った方がいい』


 レスリングでは正しいタックルを散々練習させられたが、それを思い出す。


『タックルだって、距離があるとカウンターを狙われるので、短距離でいかにパワーのあるタックルをするか考えた方がいいんじゃないかな』


 形の動きの中にタックルを採り入れてみると、カレンは笑って『私の前ではいいけど、他の人の前でやると怒られるから気を付けてね』と注意された。


 休憩を挟みながら続けた稽古は、身体よりも頭の方がはるかに疲れた。

 カレンにそう告げると『当たり前じゃない』と当然の顔で言う。


『ワタシは少しは強くなったか?』


『今日一日分は強くなったと思うわ』


『これを毎日続けるのか?』


『そうね、何年かすれば強くなるわよ』


 ワタシが「Oh, my God!」と嘆くと、『ここにいる間は基本を身に付けるために長時間の練習が必要だけど、それ以降は短時間の練習を継続する方が大事だわ』とカレンが説明した。




『サキコはホームステイを迎えることが多いのなら、椅子に座って食事をできる部屋を作るべきだ』


 ワタシは遅めの昼食を摂りながらカレンに言った。


『本人に言って』


『言った。日本文化に慣れるためだと説明された』


『いまは日本人の多くが椅子に座って食事を摂っているわ』


『そうカレンが言ってたとあとで抗議する』


 タタミに座って食べることに慣れていないので、いつもカレンの家に行っている。

 本当に改善して欲しいものだ。


『明日と明後日は私は練習に参加しない。ひぃなと旅行なの』


『何だって!』


 ふたりがいないと退屈するじゃないか。


『旅行なら、ワタシもついて行く』


『ダメ。家族旅行だから日本語が話せないキャシーは連れて行けない』


『ワタシをひとりにするのか?』


『二日間だけだから我慢して。代わりに、今日は行きたいところを案内するわ』


 二日間はサキコが相手をしてくれると言われて、ワタシはカレンの言葉を受け入れた。


 ワタシたちはヒーナを迎えに行き、ショッピングモールへ向かうことにした。

 日差しが出てねっとりとした暑さが不快だ。

 バスの中やショッピングモールは冷房が効いて快適だったが、ヒーナはこれから更に暑くなると予言した。


『レディースだとキャシーに合うサイズはないよね』


『メンズでもほとんどないんじゃないかな』


 ヒーナとカレンの会話を聞き流しながら、やけに明るいショッピングモールの中を見て回る。

 アメリカから持って来た分では下着が足りなくなったと言うと、真っ先にランジェリーショップに向かった。

 下着ならサイズの問題はほとんどなく、手持ちのお小遣いをはたいて何着か購入した。

 他に漢字の柄が入ったシャツを買おうとしたら、ふたりに止められ、ヒーナが勧めてくれたものを買った。


『サイズの合う服は横浜か東京でないとダメね。通販でもいいけど』


『一緒に買いに行った方が楽しいじゃない』


 カレンに反論するとヒーナも賛同してくれた。


『ヒーナならついて来てくれるよね』


『みんなで行こうね』


『そういえば、ふたりの友だちを紹介してよ。アメリカにいる友だちで良ければワタシも紹介するから』


 ワタシがそう言うと、ふたりは顔を見合わせた。


『英語を話せる子がいない』


『カレンもヒーナもすぐに話せるようになったじゃない。勉強してるんでしょ?』


 カレンに反論するが、彼女は何か呟いて、ヒーナに日本語で宥められている。


『英語は私たちを基準にしない方がいい。友だちはそのうち紹介はするよ』


『楽しみにしているよ』とワタシは機嫌良く話した。


 ショッピングモールで晩ご飯を食べて帰ることになった。


『何を食べたい?』と聞かれたので、店内をうろついた時に見つけたハンバーガーショップを提案した。


 連れて行かれたのは、とんかつショップだった。

 とんかつは思いのほか美味かった。

 カレンがサイドメニューをいくつか頼んでくれたので量は十分あった。

 それでもハンバーガーを食べ損なったことに未練を残していると、ヒーナが店に連れて行ってくれた。


『ふたりは食べないの?』


『わたしたちはお腹いっぱいだよ』とヒーナが答える。


『そんなにハンバーガーが好きなら、今度作ってあげるよ』とカレンが言ってくれた。


 嬉しさのあまり、カレンに抱き付こうとしたら、サッと避けられる。


『やっぱり忍者ね』とワタシは納得した。




††††† 登場人物紹介 †††††


キャシー・フランクリン・・・14歳。忍者は某コミック/アニメで知った。


日野可恋・・・中学2年生。「英語を話すために睡眠時間削って勉強してるのよ。そんな簡単に話せるようになるわけないでしょ!」とのこと。


日々木陽稲・・・中学2年生。「落ち着いて、可恋。神様が英語を勉強する機会を与えてくださったと感謝するしかないと思うの」とさすが女神様。


三谷早紀子・・・空手道場の師範代。ホームステイ先が快適すぎると外出して交流しなくなるからという建前。

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