第77話 令和元年7月22日(月)「キャシー」日々木陽稲
午前中は合宿に向かう純ちゃんを東京まで送った。
わたしのお母さんが車を出してくれて、一緒に乗っていった。
可恋も来る予定だったが、キャシーの相手をすることになり、キャンセルになった。
残念だけど、仕方がない。
午後、可恋とキャシーが迎えに来た。
可恋は昨日から迷惑そうな表情を隠さない。
よほど苦手なタイプなのだろう。
一方のキャシーは本当に楽しそうだ。
Tシャツの上に着たアーミー柄のベストが良く似合っている。
ショートパンツからスラリと伸びた長い足も魅力的だ。
可恋もモデルっぽいが、キャシーはすぐに世界の舞台に立てそうな体型だ。
『純はいないのか?』
『彼女は東京で水泳のトレーニングをしてる。一週間帰ってこない』
ふたりの会話を聞いて、『可恋、英語上手くなってるね』とわたしが言うと、『昨夜母からコツを教えてもらった』と英語で答えた後、「一夜漬けだけどね」と日本語で言って苦笑した。
キャシーはわたしをジッと見て、『お前も忍者なのか?』と聞いてくる。
わたしは目を丸くして驚いた。
可恋は肩をすくめて、「相手にしなくていいよ」と言う。
『わたしはファッションデザイナーになるのよ』
そう宣言すると、キャシーもファッションに興味があるのか、いろいろと話し出した。
質問の時は少し加減してくれているのか聞き取れるけど、こうして自分の思いや考えを述べる時は容赦なく早口だ。
知らない単語が数多く混じるので、完全に理解することは諦めている。
可恋はキャシーの面倒を見ているから、言い聞かせる必要があって苦労しているが、わたしはとりあえずコミュニケーションが取れれば十分という付き合い方なので気軽に楽しんでいる。
『街を案内して』
インドア派でさっさと自宅に帰りたい可恋にキャシーが言った。
可恋はうんざりした顔で、ひとりで見て回ってと答える。
『ヒーナ、案内して』
『可恋が良いって言ったらね』
『可恋はお前の何だ?』
『親友で、パートナーで、……とにかく、わたしは可恋と一緒がいいの』
意思をはっきり示すと、キャシーはそれ以上無理強いはしない。
『少しだけよ』とヤレヤレという風に可恋が妥協する。
キャシーは叫びながら喜んでいる。
こういう素直な感情表現は好きだ。
『どこに行きたいの?』と可恋が尋ねると、『エキサイティングな場所』とよく分からない返答をした。
『駅前を一回りしてから、うちに行こう』と可恋は気苦労が絶えない表情で話した。
キャシーはぱっと見は大人の女性だ。
身長は180 cmを越え、胸もそれなりにあり、腰のくびれはかなりのものだ。
しかし、彼女にとって目新しいものを見つけてはしゃぐ姿はとても子どもっぽい。
そのギャップが彼女の魅力だが、巻き込まれる周囲は大変だ。
さすがに外国人が珍しいということはないが、彼女の振る舞いにギョッとする人は少なくない。
街中で急に走り出したり、踊り出したり、飛び跳ねたりと見ていて飽きない。
「キャシーのやることをいちいち気にしていたらもたないよ」
「分かってる。分かってるんだけどね……」
可恋は頼まれたからと言うけど、かなり面倒見がいいから気を使いすぎている。
キャシーは他人に迷惑を掛けるようなことはしないので、そこまで心配しなくてもと思ってしまう。
散歩が終わり、可恋のマンションに到着する。
可恋が一息つく間もなく、キャシーはゲームがしたいと言い出した。
『ニンテンドーの国なのに、なんでゲーム機を持ってないの!』
『スマートフォンで遊べばいいじゃない』
『ひとりでプレイしても楽しくないでしょ』
このやり取りは可恋の負け。
でも、無いものは仕方がない。
『映画を見ない?』とわたしが提案する。
キャシーが食いついてきたので、ブルーレイディスクを可恋の部屋から取って来た。
これらは可恋に見せようとわたしが家から持ち込んでいたものだ。
バトルものが見たいとキャシーは言うが、そういう作品は持ってない。
恋愛ものが多いが、キャシーは好きじゃないと言う。
結局、魔法学校を舞台にしたファンジーシリーズの映画を見ることにした。
『映画が好きなら、Netflixに加入しようか?』と可恋が言うと、『サキコが加入したから必要ない』とキャシーは答えた。
キャシー対策として考えることは一緒のようだ。
可恋はやることがあると言ってダイニングで電話を掛けたり、作業をしたりしている。
わたしとキャシーはリビングのソファに座って映画鑑賞だ。
キャシーは映画を見ながらよく喋る。
わたしにもよく話し掛けて来た。
ひとりでじっくりと観るのもいいけど、こうしてワイワイと話ながら観るのも楽しくていい。
キャシーにとってゲームも映画も一緒に楽しむためのツールなんだと理解した。
映画が終わって、三人で夕食の買い出しに行く。
キャシーをわたしの家に連れて行って一緒に食べてもいいよと言ったら、可恋は通訳ができるようになってからねと断った。
うちの家族はみな片言の英語くらいしか話せない。
キャシーは相手を気遣って話してくれないから、相手をするのは大変だろう。
可恋任せにするのではなく、わたしももっと意思疎通をしっかりできるようにならないと。
『キャシーは何を食べたい?』
「Kobe beef!」
スーパーマーケットで可恋が尋ねるとキャシーは昨日と同じ答えをした。
『神戸牛の入ったコロッケを売っているから、それでいいわね』
『コロッケ?』
『食べたら分かるよ』
昨日は歓迎会としてかなり豪華な献立だった。
今日は普段通りだが、キャシーの分があるので買う量は倍近い。
「和食は食べられないんじゃ?」と可恋に言うと、「お腹が空いてたら食べるでしょ」と投げやり気味な返答が来た。
『英語で話して!』
『ごめん』
キャシーが怒るので、わたしはすぐに謝る。
可恋は『キャシーが日本語を話せるように学べばいい』と素っ気ない対応を見せた。
今日は純ちゃんがいないので、キャシーは隙を突いては気になったお菓子をこっそりと可恋の持つ買い物籠へ入れる。
わたしひとりでは止められないので、子どもだなあと思って見ているだけだ。
最初は大目に見ていた可恋も、買い物籠から溢れそうになると、『多すぎ。半分返して来なさい!』とまるで母親のように怒っていた。
わたしは『また買ってもらおうね』とキャシーを慰めつつ、お菓子を戻すのを手伝った。
わたしがキャシーの相手をしている間に可恋が夕食を作る。
わたしも料理の手伝いがしたいけど、これも可恋のためだ。
いつもより時間が掛かったなと思っていたら、キャシーの分は洋風にアレンジされていた。
そんな可恋の手間を気にすることなく、キャシーはわたしたちの料理を食べたがった。
仕方なく少しずつあげると、それを食べては感想を言う。
言葉は十分に分からなくても、表情や仕草で美味しかったかどうかはよく分かる。
お味噌汁には大げさに不満を言ったのに、大豆の煮物は美味しそうに食べていた。
食べ終わると、可恋がわたしとキャシーを送ってくれる。
キャシーに振り回されて可恋は疲れた顔をしていた。
あたりをキョロキョロ見ているキャシーの目を盗んで可恋に話し掛ける。
「疲れているよね。泊まろうか?」
可恋はわたしを癒し効果抜群の精神安定剤だと言うので、提案してみた。
「ありがたいけど、ひぃなが泊まるとキャシーも泊まるって言い出すと思う」
「あー」
絶対に言うだろう。
「でも、無理はしないでね」とわたしがいたわると可恋は頷いた。
「早く旅行に行きたいって思ったのは初めてだよ」
可恋が苦笑した。
明後日からうちの家族と可恋の家族合同で一泊の旅行をする。
横浜中華街での食事会でうちが支払ったことへのお返しにあたる。
当分の間、毎日キャシーの相手をしなければならない可恋にとっては貴重な時間になりそうだ。
わたしは特に苦痛は感じないけど、可恋は精神的に疲れていそうだし。
「楽しみだね」とわたしが微笑むと、キャシーが大声でわたしたちを呼んだ。
『もう夜だから、大きな声を出さないで』と可恋がたしなめる。
キャシーはさしていたビニール傘を振り回してはしゃいでいる。
『傘で遊ばない。雨に濡れて風邪引くよ』
可恋の注意をどこ吹く風といった顔で聞き流すキャシーにわたしは話し掛ける。
『キャシーは兄弟はいるの?』
『姉がいる』
『わたしと一緒だ。どんなお姉ちゃん?』
『真面目な人』
『そっか。仲良いの?』
『普通かな』
その後もキャシーが何か言ったものの、わたしには聞き取れなかった。
家族と離れて日本に来ているのだから、寂しいのかな。
すぐに、うちに着く。
『ひぃな、おやすみ』
『おやすみ、ヒーナ』
『おやすみ、可恋、キャシー』
別れる時キャシーはハグしてくれる。
『可恋はハグしないの?』
『日本ではそういう風習がないから』
キャシーの質問に可恋が答えた。
『可恋は身体に触れられるのがあまり好きじゃないの』とわたしが付け加える。
「そういうところはあるね」と少し驚いたように可恋が言った。
可恋は他人に自分から触れる分にはそこまで抵抗がないみたいだけど、他人から触れられることには相当拒否感があるみたいだ。
ほとんど無意識のように避けるシーンを何度も見た。
キャシーは『さすが忍者』となぜか納得していた。
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木陽稲・・・中学2年生。将来の夢のために英語とフランス語は話せるようになりたい。
日野可恋・・・中学2年生。インターネットでトレーニング理論の情報を集めるために英語の習得は必須だと思ってる。
キャシー・フランクリン・・・14歳。英語さえ話せれば世界中どこでも困らないと信じている。
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