第57話 令和元年7月2日(火)「風雲急を告げる」日野可恋

 朝、一報が入った。

 文部科学省のエリート官僚が逮捕されたと。

 容疑は児童買春。

 同時に、売春の斡旋をしたことで谷先生が売春防止法違反で逮捕された。


 クラスメイトは変わらぬ日常を過ごしている。

 休み時間にこっそりとニュースサイトを確認するが、まだ大きなニュースにはなっていない。

 警察による記者会見が午後に行われる。

 これは生徒が下校した時間を見計らってのものだろう。


 今週は三者面談や家庭訪問があり、生徒の下校時間が早い。

 ホームルームで先生からひとりで外をうろつかないように注意があったが、帰り際に女子は全員ひとりで外出しないようにと私も伝えた。


「渡瀬さんと三島さんは特にね。松田さん、千草さん、よく言い聞かせておいて」と睨むように言う。


「あと、親や友だち含めて誰かに何かを聞かれても、絶対に個人名を出さないように。いい? 絶対よ」


 神奈川県警の続木さんから買春側の逮捕が近いと教えてもらっていた。

 最初の予定では夏休みに入ってからだったが、相手が国家公務員ということで逮捕が早まった。

 そして、この情報は母からも聞いていた。


「売買春が合法の国は少なくない。日本も事実上黙認されていると言える。その是非は簡単に論じられない。しかし、未成年相手は話が違う。先進国を中心に年々厳しい見方をされるようになっている。一方、日本はJKビジネスのように線引きが甘いところがある。他国の言い分がすべて正しいという訳じゃないけど、日本は社会全体で子どもを守るという意識が欠けているのも事実だから」


 厳しい表情で私に語った母は、「現役の女性教師が自分の教え子を斡旋し、買春したのが文科省のエリートなんだから、本当に頭を抱えるわ」とこめかみを押さえていた。


 女性による売春斡旋自体は珍しくないそうだが、今回の事件は学問的視点で注目しているらしい。

 そうでなくても娘の通う学校で起きた事件なので協力は惜しまないと言ってくれた。


 帰宅してすぐに着替えて買い物に行く。

 学校の前に報道陣が集まるとしたら、このマンションの前になりそうだ。

 多めに食料を買い込み、マンションに戻る。

 ニュースサイトを見ると、学校名が出ていた。


 補導のこともあり、ある程度事情を知る生徒なら谷先生とふたりの結び付きは容易に想像できるだろう。

 とりあえずクラスの男女数人に、個人名を出さないことと憶測でものを言わないことを徹底するよう他の子に連絡してもらう。

 渡瀬さんと三島さんに当事者意識があまりなく、あっけらかんとしているのは心配だが、深刻に落ち込んでいるよりはマシか。


 小野田先生から中学校での記者会見と、続いて市教委の記者会見が行われると連絡が入った。

 その時間まで私ができることはもうない。

 アラームをセットして、本を読み始めた。


 アラームの音と共にテレビをつける。

 夕方の全国ネットのテレビのニュースで我が校の正門前が映し出されている。

 位置的にマンションの入り口から撮影されていると思う。

 すぐに記者会見の現場に映像が切り替わる。

 校長先生、教頭先生が並んで立っている。

 その奥にひとりの女性がいる。

 恐らく弁護士だろう。


 記者会見の冒頭、三人が深々とお辞儀をした。

 フラッシュがたかれる中、ようやく頭を上げた三人。

 その真ん中にいる校長先生が口を開いた。


「このたびは私の管理監督が行き届かず、生徒に多大な苦痛を与えたことを深く深くお詫びします。また、他の生徒たち、保護者の方々、地域の皆様、卒業生、社会全般にわたってご迷惑とご心配をお掛けしましたことを謝罪します。私の力が及ばず大変申し訳ございませんでした」


 校長先生が今度はひとりで頭を下げた。

 再びシャッター音が鳴り響き、フラッシュが光る。

 頭を上げた校長先生は決意を込めた表情だった。


「ひとつだけ、この映像をご覧の皆様にお伝えしたいことがあります。それはこの事件に関わったとされる生徒のことです。どうか皆様には将来のあるこの生徒を守っていただきたい。生徒に落ち度があったかどうか糾弾するのではなく、今後正しい道を歩めるように支えてください。生徒がどんな人物なのか詮索するのではなく、他の子どもたちと共に前に進んでいけるように見守ってください。どうかよろしくお願いします」


 先の2回のお辞儀よりも更に深く、更に思いのこもったお辞儀だと私は思った。

 続いて、弁護士らしい女性がマイクを持つ。


「弁護士の神田です。今回中学校および市教委から法律面での支援の依頼がございました。特にいま校長より話がありました生徒の保護という観点からお伝えすることがございます。今回特にインターネット上での被害者生徒名の書き込みが人権上多大な侵害を生じさせる恐れが強く、そうした意図の投稿があった場合即座に法的手段を取らせていただくことになります。対象が未成年であることを鑑み……」


 ここで、ひぃなから電話。


「見てる?」と不安そうな声が聞こえる。


「うん」


「どうなるのかな、これから」


 私は肩の力を抜いて、いつもの口調で答える。


「ネット上に名前が出なかったら大丈夫」


 あえて言い切った。


「そうなの?」


「うちのクラスの女子は事情をすべて知っていても問題なかったじゃない」


「そうだけど……」


「もちろん心の中では色々と思うことはあるかもしれない。でも、私やひぃな、松田さんや千草さんが手を取り合えば守ってあげられる」


「うん」


「学校の中ならこちらが集団であれば面と向かって言ってくる人はほとんどいない。陰口は言われるだろうけど、それくらいで済む」


 問題は外、特にインターネット上に名前が出た場合だ。

 それは渡瀬さんの名前だけではない。

 気付いてる子は少なそうだが、そこで挙げられた名前が一人歩きする可能性が高い。

 リスクは在校生の女子すべてにある。

 違うと言っても証明することは難しい。

 渡瀬さん本人が名乗り出ない限りは。


 それを説明するとひぃなは驚いていた。


「そうなったら、どうするの?」


「法的措置を取ると繰り返し伝えて脅してるから大丈夫だと思いたいね。一応、手は用意してるけど、効果が確実かどうか分からないし、負の影響も少なからずあるから、使いたくはないの」


「聞いてもいい?」


「生徒名が出たら、似たような文面の投稿をあちこちにばらまく。生徒名を変えてね」


「えー」


「名前はダミーや卒業生なども混ぜていろいろ、タイムスタンプも誤魔化せるって話だから……。木を隠すなら森の中作戦ね」


「それって大丈夫なの?」


「さあ? やってみないと分からない。しかも、マンパワーが必要だから母の伝手で今日明日限定でやることになってるの。昼過ぎくらいからネット上での監視は始まってるのよ」


「さっき法的に対応するとか言ってたけど?」


「ちゃんと連携してるよ。3年生の文化祭での協力をだしに使って色々とね。あの弁護士さんも母の紹介かもね」


「最近こっそり動いていたのはこれ?」


「そうだね。逮捕が早まりそうって聞いたから」


「わたしにできることはある?」


「いくつか、ある。必要になったら頼むよ。それまではおとなしくしてて」


 私が「ひぃなは目立つからね」と笑いながら言うと「分かったよ」と少しむくれた声が返ってきた。


 寝る間際に小野田先生から電話が掛かってきた。

 職員会議が長引いているそうだ。

 明日臨時休校にするかどうかで揉めているらしい。


「生徒がヒマだと余計な事をするので、学校はあった方がいいですよ」と伝えておいた。

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