第58話 令和元年7月3日(水)「策士」日々木陽稲
学校の周囲には人だかりができている。
多くは報道陣だろう。
通学路や正門前には先生方が立ち、今日は父兄が付き添いをする姿も見える。
校内は普段より騒がしく感じた。
自分の通う学校が全国ニュースになった興奮なのか、それを話さずにいられないみたいにまくし立てるような声が耳に入ってくる。
「可恋、おはよう」
「おはよう、ひぃな」
他のクラスよりは落ち着いた感じの教室内は、女子の数がまばらに見えた。
「松田さんや千草さんに迎えに行ってもらってるから」
松田さんのグループがいないと、クラスの真ん中にぽっかりと穴が開いたように思える。
男子はほぼみんな登校している感じだったけど、口数は少なく、チラチラとこちらに向く視線を感じた。
男子に対しては最近可恋がボスとして君臨してるから……。
ホームルームが始まる直前に渡瀬さんと三島さんが登校してきた。
周囲を松田さんや千草さんが囲んでいる。
警戒するメンバーたちの真ん中で、渡瀬さんと三島さんが普段通りの表情なのが印象的だった。
短いホームルームを終え、講堂に向かう。
全校集会が行われる。
ふたりが一緒だから心配だった。
無遠慮にうちのクラスに向けられた視線を数多く感じる。
ヒソヒソと探るような声。
笠井さんは「何か言う奴がいたら容赦しないから」と怒っていた。
動揺しないように呼びかけられた後、報道陣への対応やSNSへの注意点が先生方から伝えられた。
しかし、「静かに」という教師による叱責の声があってもざわつきは収まらなかった。
講堂の中で2年1組の生徒は敵の真っ只中にいるような気分を味わっていた。
教室に戻る道すがら、男子の何人かが可恋や私に憤懣を訴えてきた。
渡瀬さんたちを責める声ではなくてホッとする。
やりきれなさを感じるのはわたしも同じだ。
可恋は「あとでちゃんと説明するから」とニコリと微笑んでみせた。
教室では小野田先生が全校集会での話を再確認した。
その後、可恋が教壇に立ち、いつものように堂々とみんなに話し掛ける。
「今回の事件で被害に遭った生徒は、谷先生によって容疑者の男性に引き合わされました」
なぜか渡瀬さんの椅子に笠井さんも座り、手で渡瀬さんの口を封じている。
「相手は大人の男性です。被害者は信頼する教師に裏切られ、予期せぬ暴力によって抵抗できませんでした」
それって……聞いていた話と違う。
渡瀬さんは売春をするように言われて従ったと話していた。
でも、今の話だと売春を知らなかったように聞こえる。
「みんな憶測で話します。被害者にも悪いところがあったんじゃないかと」
可恋は悲しげな顔でみんなに訴えた。
「知らないから憶測で話してしまいます。詳しいことを聞かされていないのだから当然です。こんな状況が残念です」
可恋が視線を落とす。
売春に関してはほとんどの生徒やその保護者は昨日初めて知った。
谷先生の斡旋があったとは公表されているが、それ以上の細かな話は報道されていない。
「繰り返しになりますが、報道、メディアには決して話さないでください。SNSでも。被害者を知らない人に言ったところで、一部だけを切り取られてしまうだけですから」
可恋が席に戻る。
その時、ノートの切れ端を渡された。
『今の話を家族や他のクラスの友だちに広めて(ひぃなから発信したようにお願い)』と書かれてあった。
2時間目から通常授業ということで、休み時間のうちに可恋の要望を伝えようと何人かと話していたら、「ひぃな、ちょっと来て」と可恋に呼ばれた。
2年の他のクラスに連れて行かれて、そこで可恋はひとりの生徒を呼び出してもらった。
現れたのは合唱部の部員で、キャンプの前によく話を聞いていた女子だった。
「合唱部にお願いがあるの」
「何?」と不審そうに可恋とわたしを見る。
可恋は簡潔にさっきの話をして、「この話を否定しないで欲しいのよ」と伝えた。
相手は複雑そうな顔をしている。
「ひぃなもお願いして」と可恋がわたしの耳元で囁いた。
わたしは相手の手を握り、上目遣いで「お願い」と切望した。
「まあ、いいけど」と頬を朱に染めて答えてくれる。
「他の合唱部の子にも頼めるかな?」と可恋が耳打ちした言葉を伝える。
さすがに顔をしかめて困っている。
「君にも、合唱部にも、必ず埋め合わせはするから」と可恋が言ったので、わたしも「するから」と言葉を合わせると、「分かったわよ」と相手が折れた。
「ありがとう! 嬉しい!」
手を握ったまま喜ぶと照れたように微笑んでくれた。
教室に戻る時に「あれで良かったの?」と可恋に聞くと「100点満点」と褒めてくれた。
放課後は保護者説明会が行われることになった。
3年生の三者面談や1、2年生の家庭訪問も振り替えできない家庭はそのまま行われるそうなので、教師は大忙しだそうだ。
うちからはお父さんが説明会に出席すると言っていた。
「うちも来るよ。学校側のサポートとしてだけど」と可恋は言っていた。
その時間、わたしは可恋のマンションにいた。
「わざわざ来てくれてありがとう」
「礼に及ばず」
わたしと可恋の前に座っているのは小鳩ちゃん。
今日は生徒会室が使えないという話だったので、ここでの密談となる。
このダイニングリビングに初めて入った人はみんな驚きの表情を見せるのに、小鳩ちゃんは表情を変えなかった。
目がほんのわずかキョドっていたけど、そこは見逃してあげる。
「御用件は?」
「用件はふたつ」と可恋が指を二本立てる。
「ひとつ目。小鳩さんに任せるって言ってた有志による合唱の件なんだけど、リーダーを渡瀬さんと三島さんに任せることにした。合唱の能力は問題ないと思う。集団をまとめる力はないから、そこを生徒会や文化祭実行委員会で補ってあげて」
「この時宜にですか?」と険しい顔で小鳩ちゃんが聞いた。
「彼女たちを被害者だと強調するプロパガンダを流す。そして、辛い目に遭ったけど、仲間に支えられて、大好きな合唱を成功させるというストーリーを作る」
「でも、被害者って嘘が混じってるよね?」とわたしは可恋に訊いた。
「裁判が始まらないと細かな情報は出て来ない。その頃には興味も薄れているでしょ」
「秘匿すれば注目はされないものの醜聞は消去できません。印象操作による上書きを目論むのですね」
小鳩ちゃんの言葉に「人聞き悪いわね」と可恋が笑う。
「友だちを助けるためよ」と可恋は作り笑顔で語った。
「その件に関しては了解しました。援護は委託してくださって結構です」
小鳩ちゃんが胸を張って請け負った。
「ふたつ目。生徒会でスマホやSNSに対する生徒への教育を実施して欲しい。丁度いいタイミングでしょ? 1学期のうちに全校生徒を集めて行うくらいのスピード感が必要」
「火急ですね」
「2学期のうちにこれを発展させて、スマホの持ち込みに関する生徒、学校、PTAの協議会を作りたい。月1くらいの頻度で開いて、議論を長引かせて欲しい」
小鳩ちゃんもわたしも黙って可恋の話を聞く。
「スマホの持ち込みに関しては基本的に校長が決めることになってるの。知っての通り遅くとも今年度いっぱいで現校長が退任する。次の校長がどんな人になるか分からないけど、協議中という形を作っておきたい。それを強引にひっくり返すような人だとこちらにも考えがあるから」
そう語る可恋は悪い顔になっていた。
「生徒会の自主性を目指すのなら、この協議は試金石になるでしょう?」
「然り」
「この件は私はサポートしない。場合によっては敵に回る可能性もあるから」
わたしは「えー」と驚きの声を上げたが、小鳩ちゃんは「問題ありません」と挑むような顔で答えた。
わたしと同じように小柄だけど、堂々としていて格好いい。
なんだか可恋が悪役っぽくなっているから、つい小鳩ちゃんを応援したくなる。
「頑張ってね、小鳩ちゃん」
小鳩ちゃんが帰った後、「ひぃなは私を褒めてくれない」と可恋が拗ねた。
「頑張ってるよ」「凄いよ」「格好いいよ」「大好きだよ」と何度も言いながら頭を撫でてあげてようやく機嫌を直してくれた。
これはふたりだけの秘密だよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます