第32話 令和元年6月7日(金)「教師」小野田真由美
全校集会が終わった。
補導の内容よりも、スマホの管理など今後校則の適用を厳しくしていくという発表に生徒たちはざわついていた。
昨日の緊急の職員会議では事件の報告と補導された生徒への対応、合唱部や音楽の授業に関する話だけで手一杯で、他の生徒たちやその保護者への対応すらまだ十分に話し合われていない。
盗撮までしか想定していなかった私たちの予想が甘かったと反省する暇は今はない。
教室でのホームルーム。
2年生は予定していた授業を取りやめた。
来週に予定している緊急の保護者会のプリントを配り、速やかに下校して家でおとなしく勉強しているようにと伝える。
男子は授業がなくなったことを喜ぶ顔が多く、おとなしく勉強するような子はほとんどいないだろう。
女子の半数近くに、この後学校内で警察による事情聴取があると伝える。
すでに日野さんから聞いていたようで動揺は見られない。
日野さん、渡瀬さん、三島さんの3つの座席が空いた教室を見つめ、私は10日ほど前のことを思い出した。
「盗撮、ですか?」
なるべく驚きを隠して日野さんに尋ねた。
「実際に撮影された画像を見たわけではないので、可能性に過ぎませんが」
何かと物騒なこの時代、この中学校では今の校長が着任して以来、保護者から申請のあった生徒のスマホの所持を認めるようになった。
校内での使用は禁止されているが、そのルールが徹底されているとは言い難い。
登校時に教師が預かり、下校時に返すというルールも提案されたが、教師の負担が増えることを理由に田村先生を中心とする教師たちに反対された。
「それにしても女子がですか」
スマホの持ち込みの申請は男子だと相当の理由がないと認められない。
男子のスマホの使用や無断持ち込みには教師も目を光らせがちだが、女子には甘いのは事実だ。
「SNSに投稿して注目を集めることが目的かと考えましたが、うちの学校の制服の写真が出回っているという噂はありませんでした。現在、インターネットに詳しい人に調べてもらっています」
「どういうことが考えられますか?」
教師にとってインターネットやSNSは避けて通れないものだ。
生徒たちの動向を知るためにも相応の知識が必要になるが、忙しい中ですべてを把握することは難しい。
「もっとも考えられることは、インターネットかリアルかは分かりませんが、クローズな環境で画像を売買することでしょうか」
日野さんは淡々と話を続ける。
「ただ不良グループなどと繋がりがなければ、中学生の女子ふたりでそういうことは簡単にできるとは思いません。ふたりは合唱部に所属し、毎日真面目に活動していますし、夜頻繁に出歩いているという話も聞きません」
「インターネット上で知り合った人物にそういう画像を流している可能性は?」
「もちろんその可能性は否定できません。ただリアルで彼女たちの身近により可能性の高い人物がいます」
私は日野さんを睨むように見た。
日野さんは怯まない。
口には出さなくても、それが合唱部の顧問であることは明らかだった。
これまでにも問題を起こした女性教師。
自宅に男子生徒を招き入れ、猥褻な行為に及んだことが生徒からの告白で明かされたことがあった。
すると彼女は生徒から襲われたと言い出し、田村先生の尽力もあって彼女の責任を問うことはできなくなった。
男子生徒が転校するという最悪の結末だった。
「どうしますか?」
日野さんの考えを聞く。
背後に誰かがいるという可能性は、まだ想像の域を出ていない。
「盗撮をやめさせるだけであれば、ふたりに注意をすればできると思います。しかし、背後に誰かがいるのなら、他のやり方に手を替えるだけになるでしょう。キャンプもありますし、もう少し様子を見るのが最適だと思います」
私は日野さんを見つめる。
優秀過ぎるというのが私の彼女に対する評価だが、今はその優秀さに頼るしかないように思う。
私は覚悟を決める。
職を辞す覚悟で生徒たちを救おうと。
その数日後、学校の外で日野さんと会った。
同席したのは、校長と日野さんの知り合いという警察官だった。
「神奈川県警の続木です」
日野さんに学校内だけで対応するのは難しいと見透かされているように感じた。
「合唱部には顧問の谷先生に反発するグループがあり、その人たちから話を聞いたところ、谷先生が管理するLINEグループに怪しい写真が投稿されているのを見たという人がいました」
日野さんがそう報告する。
顧問が背後にいると確信しているようだ。
学校内の事件なので学校側の全面的な協力がないと警察は動けないと続木さんは告げた。
校長は自分の首が飛ぶことも覚悟の上で捜査に協力すると頭を下げた。
その後も日野さんは逐次情報を共有してくれた。
渡瀬さんが班長会議でお風呂について質問したことや谷先生の動向など知り得たことを報告してくれる。
それに対して教師の側からできることはほとんどなかった。
教師第一を掲げる田村先生とは同世代だが、この学校で一緒になる前から何度も対立してきた間柄だ。
その主張やフランクな人柄から慕う教師は多い。
教師が安心して働けないと生徒のためにならないという主張は同意できるが、時として行き過ぎることがある。
キャンプ2日目の問題の夜、田村先生は私を警戒してつきまとっていた。
恐らく何かがあると副担任の藤原先生経由で聞いていたのだろう。
日々木さんと安藤さんが呼びに来てくれた時も田村先生を誤魔化すことができず、計画が失敗することも覚悟した。
日野さんがうまくあしらってくれたが、教師に対して暴力を振るったと思われてもおかしくない行為でもあった。
今後、田村先生がそのことを持ち出さないように私は全力で日野さんを守らなければならない。
それが私が日野さんにしてあげられる唯一のことだろう。
渡瀬さんの告白は予想以上の衝撃を私にもたらした。
これまでの30年を越える教師生活で自分の力不足を嘆くことは数多くあったが、これほどのものは思い浮かばない。
本人の意思なら良いという訳ではないが、教師の関与でそういうことが行われたということに絶望感すらあった。
渡瀬さんと三島さんは昨日のうちに自宅に帰された。
今日は自宅待機で、この後、私は校長と共に訪問することになっている。
ふたりは加害者であり被害者でもあるという立場だ。
本人や保護者がどんな反応を示すのか分からないが、私は誠心誠意ふたりに謝りたいと思っている。
今後、教育委員会から私に対してどのような処分が下されるか分からないが、私はひとつの決意をした。
その決意が正しいか正しくないかなんて誰にも分からないだろう。
私は残りの教師生活をこれまで通り全力でもってあたるだけだ。
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