第31話 令和元年6月6日(木)「キャンプ最終日」日々木陽稲

 昨夜、可恋が部屋に戻ってきたのは23時を過ぎてからだった。


「まだ起きてたんだ」とわたしに言った可恋は疲れているように見えた。


 可恋が戻って来たら言おうと思っていた言葉はたくさんあったのに、その顔を見たら「お疲れ様」としか言えなくなった。

 可恋はニコリと笑ってわたしの頭をポンポンと叩き、「ありがとう」と囁いた。


「おやすみ、ひぃな」


「おやすみなさい」


 わたしはすぐに眠りに落ちた。




「そろそろ起きて、ひぃな」


 可恋の言葉に意識が浮上する。

 朝の気配。

 でも、いつものようなスッキリした感覚はなくて、どこか重苦しさがあった。


「もうすぐ8時だよ」


「えっ!」


 慌てて飛び起きる。

 普段通りに6時には起きるつもりだったのに。


「うちのクラスの今日の活動予定はキャンセルになったから、朝ご飯はゆっくりでもいいよ」


「顔洗ってくるね」


 純ちゃんが付いてきてくれる。

 朝の弱い純ちゃんより遅く起きただなんて、と少しショックに感じた。

 昨日あんなことがあったのだから仕方ないかと自分を納得させて、気合いを入れる。

 可恋はもう通常運転といった感じに見えたけど、きっと無理している。


 松田さんの班が静かだと、女子全体が沈んだように見える。

 朝食の場はそんな感じだった。

 その後、教員が宿泊しているロッジにクラスの女子全員が集められた。

 全員が入れる部屋がここしかなかった。

 渡瀬さんと三島さんを除く13人と藤原先生が広くない部屋の中に腰を下ろす。

 椅子が足りないので、半数以上は床に座った。


 ひとり立ったままの可恋が口を開く。


「昨夜、渡瀬さんと三島さんが補導されました」


 事情を知らなかった子が驚きの声を上げた。

 でも、大半はすでに知っていて、重苦しい表情をしている。


「ふたりはスマホを使って盗撮を繰り返し行い、昨日は更衣室に盗撮用のカメラを仕掛けました」


 可恋は淡々と説明を続ける。


「これらは谷先生の指示によるものでした。現在、ふたりと谷先生は警察で取り調べを受けています」


「ふたりはどうなるの?」


 昨夜から可恋に聞きたかったことを聞いてみた。


「谷先生が主犯ということ、ふたりが初犯であること、未成年であること、これらのことから厳重注意か微罪処分になりそうだと聞いてる。本人の反省の程度や保護者の対応にもよるけどね。家裁に送られる可能性は低いだろうって」


 可恋はみんなにも伝わるように答えてくれた。


「学校側から停学処分が下る可能性はあるけど、そう長くはならないので、本人の気持ちや保護者の考え次第だけど、来週には学校に戻ってこれると思う」


 もっと大変なことになると思っていたので、少しだけホッとする。


「私としては、女子15人全員揃って3年生に進級したい」


 可恋はこの場の全員に呼びかけるように言った。


「そのためにはみんなの協力が必要なの。思うところは色々あると思うけど、ふたりを全員でサポートしたい」


 可恋はひとりひとりの顔を見ながら言葉を続ける。


「これはふたりだけの問題じゃなくて、サポートが必要な子がいたら他のみんなでその子を支えてあげられるようなクラスにしたいから」


 いつものような淡々とした口調ではなく、かなり熱のこもった可恋の言葉だった。


「そこで、ふたつのお願いがあります」


 可恋は指を二本立てた。


「ひとつは、このふたりの今後の受け入れ方です。渡瀬さんはかなり反省しているそうです。彼女のサポートは松田さんにメインになってもらいたいと思っています」


「それって、渡瀬さんをうちのグループに入れろってこと?」と笠井さんが訊いた。


「ええ」と可恋が頷く。


 何か言いたそうな笠井さんを遮って、松田さんが「分かりました」と応じた。


「三島さんについては、本人が今後周囲とどのような関係を築きたいのかに依るのですが、孤立させないようなサポートは必要だと思います。千草さんにメインでお願いしたいのですが」


「私?」と千草さんは少し驚いて聞き返した。

 可恋が頷くと、「やることはやるけど、ひとりでできるかな」と口にする。


「私や日々木さんもフォローしますし、……そうですね、高木さんにも加わってもらいましょう」


 可恋の言葉に、「それなら」と千草さんは納得し、「わ、私ですか?」と高木さんは慌てて声を上げる。

 可恋がニッコリと高木さんに笑い掛けると、「が、頑張ります」と同意した。


「二つ目ですが……」


 可恋が珍しく言い淀んだ。


「本当は話したくはないのですが、今後谷先生の処分や逮捕起訴の話が出て来ます。そして、この件を報じるメディアも出て来るでしょう。美人教師が生徒に盗撮を指示したり、売春を斡旋したとなれば」


 売春の言葉にこの場の空気が凍り付いた。

 昨日聞いていても胃がキリキリと痛くなってくる。


「隠し通すことが難しいと思って、いまここにいる人にだけ言いました。すでに知っている人もいますし、あとで知らされた方がショックが大きいと思ったからです」


 可恋は非常に険しい顔でみんなを見つめている。


「いま男子は小野田先生から説明を受けています。明日は全校集会も予定されています。しかし、売春の話は伝えられません。生徒でこのことを知っているのは渡瀬さん三島さんとここにいる13人だけです」


 可恋はゆっくりと息を吐いた。


「後々、憶測や悪い噂が出回るだろうし、取材や好奇心で色々と訊かれることもあると思う」


 可恋が目を細める。


「二つ目のお願いは、この話が表に出るまでは誰にも言わないで欲しいということ。家族、友だち、クラスの男子にも秘密にして」


 可恋が全員を見回す。


「こんなことは言いたくないけど、この話が漏れた場合どこから漏れたか必ず突き止める。落とし前はつけてもらう」


 いまの可恋は敵に回したくないような顔をしている。


「話が表に出た後はどうするの?」


 いまの可恋に話し掛けられるのはわたしだけだろう。

 そう思って、質問した。


「騒ぎが大きくならないように夏休み中に発表される予定のようだけど、どうするかはこれからみんなで話し合って決めていきたい。渡瀬さんや三島さんも含めてね」




 帰りのバスの中でも女子はみんな疲れたように静かだった。

 その中で可恋だけがいつもと同じように振る舞っていた。


「可恋、平気?」


「平気」


 可恋は微笑んでわたしを見る。


「話を聞いていい?」


「何?」


「可恋がさっき言わなかったこと」


 可恋は苦笑して肩をすくめる。


「バレたら仕方ないね。ここだけの話だよ」


 わたしの耳元で、小声でそう言った。

 わたしは頷く。


「谷先生の管理責任を問われて校長先生は処分を受けることになる。同じように、小野田先生も」


 わたしは驚いて可恋を見た。


「これは最初から分かっていたことだから。校長や小野田先生がバックアップしてくれたから谷先生の責任まで追及できた。特に校長は今後のメディア対応も含めて厳しい批判にさらされることを覚悟して協力してくれたんだと思う」


 朝礼の時に顔を見るくらいしか校長先生のことを知らないが、わたしは胸が熱くなった。


「これだけのことが起きたのだから、責任を取る人が必要なんだ」


 可恋は自分を納得させるように呟いた。


「今の校長は生徒の自主性を重んじてくれたけど、スマホの管理強化などこれからはキツくなりそうだね。それも頭が痛いよ」


 今は服装や頭髪の規則も緩いけど、数年前のように厳しくなる可能性もあるわけだ。

 わたしの顔が青ざめた。


「ひぃなは私が守るから」


 わたしの顔を見て可恋が囁いた。

 少し安心するものの、相手は学校だ。

 不安そうに可恋を見上げると、ニコリと笑った。


「1年くらい学校をサボったってたいしたことないよ」


 いや、たいしたことあるって!

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