第30話 令和元年6月5日(水)「キャンプ」笠井優奈

「笠井さん、レクリエーションの時間が終わったら、更衣室に来てくれるかな」


 夕食の準備中に、日野がアタシの耳元で囁いた。

 場所はともかく、その時間にアタシが日野を呼び出すつもりだった。

 先手を取られたようでしゃくに障る。

 それでも、アタシは頷いた。

 ここで断って、こちらから呼び出すとかバカみたいだし。


 レクリエーションが終わり、クラスメイトたちが男女それぞれのロッジに移動する。

 アタシも一度自分の班の部屋に戻り、トイレに行く振りをして外に出た。

 男子のロッジの前に行くが、誰もいなかった。

 事前の打ち合わせでは、協力してくれる男子が待っているはずだったのに。

 ジャージのポケットからスマホを取り出してメッセージを送る。

 反応がない。

 電話しても出ない。


 さすがに男子のロッジにひとりで踏み込む勇気はない。

 どうしようと、アタシは爪を噛む。


「ああっもう! 何やってんのよ……」


 つい、苛立って、近くの丸太の柱を蹴り上げた。

 日野相手に1対1は分が悪い。

 アイツはアタシより身体が大きく、運動神経も良い。

 変に威圧感があって、睨まれただけで怯んでしまう。


 それでもアイツにどうしても言っておきたいことがあった。

 他の女子には知られずに。

 この機会を逃すといつ言えるか分からない。

 アタシは渋々、更衣室に向かった。




 日野はひとりで立っていた。

 体操服のジャージのズボンに上はTシャツというアタシと同じ格好で。

 それほど広くない更衣室だ。

 隠れるような場所はない。

 風呂場の様子はすりガラスがあって分からない。

 脱衣籠は空っぽだし、今日の入浴の順番はアタシたちの班が最初だから、誰かが入浴中ということはないはずだ。

 アタシは腹をくくり、更衣室のドアの鍵を閉めた。


「それで?」


 アタシはできるだけ凄んで日野に声を掛けた。


「笠井さん、私に言いたいことがあるよね」


 表情一つ変えずに日野が話す。

 いつもの淡々とした声音。

 その態度がむかつくのよ。


 アタシが黙っていると、日野も黙って立っている。

 その姿には余裕があるように見えた。

 本当なら男子を引き連れて来て、言うことをきかせるつもりだった。

 少なくとも、そんな余裕の顔は見たくなかった。


「言うわよ……」


 沈黙を破ったのはアタシだ。


「アタシたちのグループに日々木さんを入れたい」


 それが美咲の望みだ。

 美咲は口には出さないけど、見ていれば分かる。


「あなたや安藤さんも一緒に入っていいから」


 日々木さんひとりで入ることはなくても、このふたりが一緒なら可能性はある。

 しかし、日野は首を振った。


「なんでよっ!」


 思わず大きな声を出してしまう。


「アタシのことが気に食わないなら謝るわ。土下座だってしてやるわよ!」


「必要ない」


「じゃあ、どうすれば入ってくれるのよ!」


 再び日野が首を振る。


「私は松田さんのグループに入る気がない」


 キッパリと断られた。


「それに、脅迫でどうにかなると思われたくない」


「別に暴力を振るうつもりなんか……」


「それならどうして男子を集めようとしたの?」


「それは……」


 やはり男子を集めようとしたのは筒抜けだったようだ。

 男子が来なかったのも日野が何かしたせいだろう。

 完敗だ。


 アタシが唇を噛み締めていると、日野は「頼み事があるの」と言った。

 いつもの淡々とした口調で。

 いままでの話の流れをぶち切るように。


「……はあ?」


 意味が分からない。

 日野はジャージのポケットから自分のスマホを取り出して、アタシに手渡そうとする。


「これで撮影して」


 意味が分からない。

 それなのに、成り行きでスマホを受け取ってしまった。

 動画撮影のアプリが起動していた。


「何を撮るのよ」と言いながらアタシはスマホで日野を映す。

 彼女はビニールの手袋をはめ、近くのゴミ箱をゴソゴソと漁った。

 そして、そこから何かを取り出した。

 金属製の球体だった。

 大きさは親指の先くらいで、固定するためのパーツが付いている。

 日野はスマホの前にそれをかざし、今度は脱衣籠のところに行って、同じものをもう一つ見つけ出した。


「何よ、それ?」


「盗撮用のカメラ」


 日野の言葉にアタシは声を上げて驚いた。

 日野はアタシに目を向けることもなく、ハンカチを取り出して二つの球体を包んだ。


「どういうことよ?」と訊いても、日野は「スマホ返して」とアタシの手から自分のスマホを奪い取るだけだ。

 呆然と立ちすくむアタシの前で、日野はスマホとハンカチをジャージのポケットに入れると、風呂場に向かって歩き出した。

 ガラス戸を開けると、そこに女の子が倒れていた。


 驚きで声が出せない。

 特徴的なポニーテールから、それが渡瀬ひかりであることに気付いた。

 渡瀬は手足をタオルで縛られていた。

 日野は彼女に近付き、そのタオルを外す。

 そして、渡瀬を立たせると強引に更衣室に連れて来た。


 訳が分からない。


 渡瀬ひかりは1年の時からのクラスメイトだ。

 可愛い顔立ちだし、溌剌としていて男子の受けも良かった。

 そう、中学に入学してすぐの頃は。


 アタシと美咲、渡瀬の3人は同じクラスで、最初は張り合うような関係だった。

 真面目で優等生な美咲、男子に人気のあったアタシ、誰からも好かれていた渡瀬。

 アタシが美咲と親しくなって美咲のグループに加わると、クラス内のバランスが一変した。

 渡瀬はクラスよりも合唱部をメインにするようになり、同じ合唱部の三島泊里以外とは話さなくなった。

 合唱部顧問の谷先生のお気に入りという噂を聞いたことはあるが、渡瀬への関心はなくなった。

 今のクラスでも渡瀬は三島といつも一緒にいる。

 アタシにとってはどうでもいいクラスメイトだった。


 日野は渡瀬のジャージからスマホを取り出した。

 渡瀬は取り返そうと暴れるが、日野は片手だけで渡瀬の両手を後ろ手にして押さえ込んだ。

 日野がアタシに渡瀬のスマホを渡そうとする。

 つい、受け取ってしまう。

 画面はロックされていた。


「パスワードは……」


 日野の言葉に渡瀬は必死に口をつぐもうとする。


「ホノカで入れてみて」


 渡瀬が「あっ」と声を漏らす。

 誰の名前だっけと思いながら入力するとロックが外れた。


 日野が渡瀬のスマホを覗き込み、LINEを起動する。

 そこからひとつのグループを表示させ、スクロールすると画像が表れた。


「何、これ……」


 うちの学校の制服。

 スカートの中がハッキリと撮影されていた。


 ……アタシだし。

 顔は映っていないが、さすがに分かる。


 スクロールすると出て来るわ出て来るわ、何枚もの画像がアップされている。

 見えるか見えないかギリギリのものが多い。

 しかし、中には更衣室で撮影されたものもあった。

 当然、下着姿だ。

 顔まで映っているものは少ないのでハッキリとは分からないけど、盗撮写真の半分以上がアタシと美咲だった。

 あとは普通の顔写真で、こちらは日々木さんのものが多い。


「どういうことよ!」とアタシは頭に血が上り、渡瀬に食ってかかろうとした。


 その時、ドンッドンッと更衣室のドアが強く叩かれた。

 アタシはギョッとしてドアを見る。

 日野が開けてきてとアタシに小声で命令した。


 鍵を外すと、勢いよくドアが開き、大柄な身体が飛び込んでくる。

 アタシはぶつかりそうになるのをかろうじて避ける。


「何してるの、あなたたち!」


 雷のような声が響いた。

 身体がすくんでしまう。

 その声の主は、太った体型に似合わず、俊敏に日野の元に駆け寄った。


「田村先生」


 ドアのところに立っていた担任の小野田先生が呼びかけたが、田村先生は日野につかみかかる。

 その瞬間、田村先生が床に転んだ。

 日野が何をしたのかは見えなかった。


 田村先生は学年主任でアタシのお母さんよりも年上の女の先生だ。

 ふくよかな体型とまん丸な顔で、いつもはニコニコと笑っていることが多い。

 時々、雷を落とすので生徒から恐れられてはいるけど、これほどの鬼の形相を見たことはなかった。


 その田村先生が這いつくばりながら日野の足をつかもうとする。

 日野は渡瀬の体を盾のように使ってそれを躱す。

 田村先生はハァハァとすでに息が上がっている。

 日野は余裕綽々といった感じで、自分のスマホを取り出した。


「これから警察に連絡します」


「やめなさい」と田村先生が絶叫するが、日野は無視している。


「はい、予定通りです。……よろしくお願いします」


 日野の言葉は通報というよりも、知っている誰かと会話している感じだった。


 日野に気を取られていると、小野田先生がアタシの横に来て、渡瀬のスマホを覗き込む。

 日野もそれに気付き、アタシに向かって頷いたので、アタシはスマホを先生に渡した。


 小野田先生も田村先生と同年代で、厳しいと評判の教師だ。

 体型は対称的で、小野田先生は極端に痩せていて、小柄で眼鏡をかけている。

 その小野田先生の背後から、日々木さんと安藤さんもスマホを見ている。

 田村先生が来た時に、この3人も一緒だった。

 田村先生のあまりの剣幕に気付くのが遅れたけど。


「準備ができているので、すぐに来てくれます」


 日野の言葉に田村先生ががっくりとうなだれている。


「校長の許可は取っています」と小野田先生が田村先生に言った。

 田村先生は小野田先生を睨みつけたが、何も言わなかった。


「これが盗撮に使おうとしたカメラです」


 日野がハンカチを取り出し、それを広げて中の金属球をみんなに見せた。


「渡瀬さんひとりで準備できるとは思えません」


 日野が渡瀬を見る。


「スマホで盗撮程度ならイタズラで済むかもしれないけど、ここまで準備するなんて中学生の思い付きじゃないよね」


 渡瀬が顔を背けた。


「あなたの周囲にいる大人というと……」


「ひかり!」


 犯人を追い詰め、いよいよクラスマックスという感じのタイミングで乱入者が現れた。

 お下げ髪の少女、三島泊里だった。


「何つかまってるのよ、このグズ!」


「ごめん、泊里」


 この場にいる全員がポカンとした表情になっているはずだ。

 アタシは1年以上同じクラスだけど、三島のことは無口でおとなしい子だと思い込んでいた。

 三島の罵詈雑言が続く。

 その顔は歪み、怒りに満ちていた。


「やめなさい!」と美咲が後ろから止めなければ、三島は渡瀬に殴りかかりそうだった。


「美咲……」


 アタシは小声で呟いた。

 どうしてここに美咲がいるのか分からない。

 どうやら三島を美咲と綾乃が連れて来たようだった。

 これも日野の計画なんだろうか。


「わたしは悪くないからね! 全部、ひかりと谷先生がやったことだから!」


「泊里!」


 三島の暴露に渡瀬が悲鳴のような声を出す。

 そういえば、谷先生の名前は「ほのか」だった。

 嫌いな教師の名前だったからよく覚えてなかった。


「たかが盗撮じゃない。騒ぐことじゃないでしょ!」


「だったら自分の裸を撮ってればいいでしょ!」


 三島の言葉にカチンときてアタシは怒鳴り返した。


「やったわよ! 裸も撮ったし、体も売ったよ! でも、先生は……」


 渡瀬はそう言うと、堰を切ったように泣き出した。

 みんなが渡瀬を見て、黙り込む。

 アタシの横で、小野田先生は眼鏡を外すと天井を見上げた。


「失礼します」


 ただでさえ狭い更衣室に更に人が入ってくる。

 高木さんに案内されて来たのは見知らぬ女性と制服姿の警官がふたり。


「神奈川県警の続木です」


 その女性が名乗った。

 30歳前後といった感じで、中肉中背で全体に地味な印象なのに、日野さんに似た威圧感がある。

 日野と小野田先生、ヨロヨロと立ち上がった田村先生の3人が状況を説明する。

 既に打ち合わせ済みだったかのように、証拠の品を渡すとすぐに渡瀬と三島のふたりを連れて警官たちは出て行った。

 田村先生も一緒に行った。


「今日の女子のお風呂は使用禁止です。更衣室に入らないように他の女子に伝えてください。どうしても入りたいなら教師用の施設を利用できるようにするので、言いに来てください」


 小野田先生もそれだけ言って更衣室を出て行く。

 田村先生も小野田先生も一気に老け込んだように見えた。


 終わったと思って油断していたら、日野が隣りに来て耳元で囁いた。


「麓さんにお礼を言っておいてね。彼女のお蔭であなたは犯罪者にならずに済んだのだから」


 日野を見るが、彼女は目を赤く腫らした日々木さんの元に向かっていた。


 美咲を見ると、彼女も辛そうな顔をしていた。

 アタシは美咲に近付く。

 日野が美咲に何を吹き込んでいるか分からない。

 もしかしたら美咲に拒絶されてしまうのではと思うと怖かった。


「……美咲」


 恐る恐る名前を呼ぶ。


「優奈」


 美咲の声にホッとする。

 いつもの声だ。

 アタシは身体を寄せ、腕を組む。

 美咲の肌の温もりを感じて、ようやくこの長い悪夢のような出来事が終わったと思い、安心した。

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