第24話 令和元年5月30日(木)「料理」日々木華菜

 わたしが学校から帰ると、ヒナは既に帰宅していた。

 日野さんも一緒にいて、夕食作りを手伝うと言ってくれた。

 だけど、少し疲れているように見えたので、ヒナとゆっくりしていてと申し出を断った。

 昨夜ヒナから聞いたことで先入観があったせいかもしれない。

 ただ、わたしは受け取ったノートの成果を見せたかった。


◆    ◆    ◆


 ノートを渡されたのは日曜日のことだ。

 印刷された表やグラフなどが多数貼り付けてあり、気合いを込めて作られているのがよく分かるノートだった。

 書かれていたのは、栄養学の基礎知識から始まり、一日の献立作りのヒントや調理と栄養素との関係、必要な摂取量と取り過ぎないための注意点、運動と食事のタイミングや食べる順番といった細かいことまであった。


「ひぃなは本人が意識しているかどうかは分かりませんが、太ることを極度に恐れているように感じます」


 日野さんが、ダイニングにいたわたしとお母さんに心配そうにそう告げた。

 そして、自分の持って来たノートを示しながら、ヒナに何が足りていないかを説明した。

 わたしはその真剣さに圧倒される思いだった。


 ヒナはいつも楽しそうに食事をする。

 あれが食べたい、これが食べたいと口にする方ではないが、わたしもお父さんもお母さんも料理好きなので、喜びそうなものを作っては食べさせた。

 ニコニコと微笑んで食べてくれる。

 ただ、食べる量は少ない。

 え、もういいの? と感じることはよくあるし、わたしの半分くらいの量でおなかいっぱいと言うこともある。

 ヒナは身体も小さいし、そういうものかなと思っていた。

 常日頃ヒナは大きくなりたいと嘆いているので、精一杯食べてその量だと信じていた。


「ひぃなは痩せすぎだと思います。食べる量も少ないですし、バランスもよくありません」


 日野さんはハッキリと言い切った。

 わたしは胸が痛くなる。


「ご家族のせいだとは思っていません。毎日素晴らしい料理を作られています。凄いと思います。何度も夕食をご馳走していただきましたが、栄養のバランスが悪いとも思いませんでした」


 日野さんはそこで一度口を閉ざし、目を閉じて心を落ち着けてから言葉を続けた。


「ひぃなの精神的な問題なんだと思います。私としては、ストレスをかけないように気を付けながら、食べることの大切さを伝え、食べる意欲を持ってもらおうと思っています」


 淡々とした口調にもかかわらず、日野さんの決意が伝わってくる。

 彼女がヒナをどれほど大事に思っているかも。


 昔はわたしもヒナにもっと食べるように言っていたと思う。

 いつの頃からかわたしも家族もそういうことを言わなくなった。

 ちゃんと食べていると思っていたから。


 でも、ヒナほど容姿を気にしている子はいないと知っている。

 日本人離れした白い肌や美しい姿形は生まれつきだったけど、物心ついた頃から見られることを意識していた子だったと思う。

 家族は外見ばかり気にしなくてもいいと言った。

 それでも、彼女自身の中に美しくありたいという強い気持ちがある。

 彼女の容姿は天性のものだけど、努力の賜でもあると家族は知っている。

 ヒナは小学生の頃から自分の服装、肌や髪など様々なお手入れ、食事、生活などの様々なところに気を配っていた。


 だから。

 食事の量が少ないことにも気付くべきだった。

 家族なのだから。

 姉なんだから。


 俯いていたわたしに、日野さんが「これから変えていきましょう」と声を掛けた。


「そうね、可恋ちゃんの言うように、これから変えていけば大丈夫よ。陽稲が残したりしたら、可恋ちゃんに言いつけるって言えばあの子も食べるでしょう」とお母さんが冗談っぽく言って笑った。


 少し力の抜けたわたしに、日野さんがノートのページをめくりながら今後の方向性を指し示した。

 まず必要なのは必要最低限のカロリー摂取。

 少し体調が悪いだけでそれすら取らなくなっているのではないかと言われた。

 次に栄養のバランス。

 動物性タンパク質や脂質、ミネラルなど足りていない栄養素の効果的な取り方を指摘された。

 その上で消費カロリーと摂取カロリーのバランスを取ることを、ヒナの身長体重運動量を元に具体的な数字で教えられた。


「ストレスを与えずにちゃんと食べてもらうことは、これから試行錯誤が必要ですね」と日野さんは口にするが、その顔からは余裕がうかがえた。

 それから彼女は冷蔵庫の中身をわたしに聞くと、鳥のささみと残っていた野菜を炒めて、「食べさせてきます」とヒナのところへ持って行った。


「すごい子ね」とお母さんが呆れたように言う。

 わたしも同じ思いだったけど、口には出せなかった。

 ただノートをじっと見つめていた。


◆    ◆    ◆


 わたしは料理を作るのが好きだ。

 お父さんもお母さんも料理好きで、その影響もあって小さい頃からよくお手伝いをしていた。

 ヒナに美味しいものを食べさせたいという思いによって、より一層料理作りを励むことになった。

 両親にはまだ敵わないけど、わたしは料理の腕に自信を持っている。

 同級生たちに負けたと思ったことはない。

 日野さんにだって。

 彼女の手際の良さは際立っているし、得意料理は確かに素晴らしい。

 しかし、本人も得意料理以外は普通と言うように、わたしが勝っているところも少なくはなかった。


 そういう発想をしているから、彼女に勝てないんだろうな。

 わたしは日野さんを料理の腕を競うライバルと見ていたし、ヒナを巡って競い合う存在のようにも感じていた。

 でも、日野さんにとっては競争なんてどこにもなくて、ヒナのためにできることをやっているだけなんだろう。


「お腹いっぱい? じゃあ、あとこれだけ食べてね」と日野さんがヒナの皿に小さな肉団子を2個入れた。

 ヒナは顔をしかめるが、「頑張る」と言って口に入れた。

 微笑ましい光景。

 まるで親子にさえ見える。

 両親はそんな二人を温かい目で見ている。


 わたしはいったいどんな目で見ているのだろう。

 ちゃんと笑えているだろうか。

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