第4話 令和元年5月10日(金)「ヒナの友だち」日々木華菜

「ごめん、今日は急いでるから」


 私は飛び出すように教室を出た。私は高校でも部活には入らない俗に言う帰宅部だけど、放課後は友だちたちとお喋りをして過ごすことが多かった。しかし、私にとっても今日は特別な日だった。


 帰りの電車の中で私は駅前のスーパーマーケットで買う食材のメモを確認する。昨日の夜お父さんと相談して決めたものだった。スマホに記したメモの内容を頭に刻み込むと、スワイプして妹の写真を表示する。満面の笑みを浮かべた天使のような写真が表示された。


 妹のヒナは、一言で説明すると”北欧系美少女”だ。父方の祖父はロシア人とのハーフで、一代で会社を興し今は地元の名士と呼ばれる人物だ。その息子三人はみんな母親似でいかにも日本人という顔立ちだった。孫も同じだったのだけど、ただひとり、最後に生まれたヒナだけは祖父の血を色濃く受け継ぎ日本人離れした容姿で生まれてきた。


 今もよくお祖父ちゃんは、生まれた時から鼻筋が通っていたとか、病院中の人たちが生まれたヒナを見に来たとか言って自慢する。お祖父ちゃんはヒナを溺愛し、養女に迎えたいと本気で言い出したほどだった。それは両親の抵抗で実現しなかったけど、様々な形でヒナを贔屓した。特に可愛く着飾らせることには心血を注ぎ、高額な子供服を大量に買い与えた。結局、両親との間で、ファッション関連の費用と高校の学費を祖父が持つということで決着した。


 この贔屓は夏冬の休みに祖父の家に集まる従兄弟たちからの嫉妬を引き起こした。彼らがそう思ってしまうのも仕方がないほどの祖父の耽溺だった。一方で、姉として彼らからヒナを守らなくてはという意識が私に芽生えた。だってヒナはめちゃくちゃ可愛いし、ヒナを泣かすような奴は許さないという思いが強かったのだ。


 そんな従兄弟たちを除くと、ヒナは周りから好意的に見られた。道を歩いていても知らないおばさんたちから可愛いと声を掛けられることが日常的にあった。それに対してヒナも積極的に挨拶したり、知らない人ともすぐに垣根を越えて仲良くなったりした。人の顔を覚えるのが得意で、相手をよく観察してその意図を察する能力も高かった。対人能力はあっという間に2歳年上の私よりも優れるようになった。


 ヒナは学校に行くようになると、たくさんの友だちを作った。でも、子どもなのでどうしても独占欲が表に出たり、ヒナが友だちであることを自慢気に思ってしまう。姉の私でもそうだったのだ。ヒナに魅了された子どもたちはヒナを巡って争うようになった。いつしかヒナは一定のライン以上は仲良くなりすぎないという距離を取るようになる。純ちゃんを除いて。


 純ちゃんは幼稚園の頃からヒナと一緒で、周りとのコミュニケーションを取るのが苦手な子どもだった。それをヒナが手を引くように周りと溶け込ませた。家が近く、家族ぐるみの付き合いができたこともあり、純ちゃんは刷り込みのようにずっとヒナの後ろをついて歩いた。ヒナと一緒にスイミングスクールに入ったのをきっかけに水泳にのめり込み、身体がぐんぐんと大きくなって今ではヒナを守るナイトのようになった。でも、精神的な部分ではヒナとの関係は変わっていない。


 駅に着くと、スマホをポケットに入れて電車を降りる。ホームは人がまばらで、その中を早足で歩く。駅前のスーパーマーケットもまだ混雑していない。いつもはチラシでチェックした特売品を買うけど、今日は少し高くても良いものを買おうと手に取って品定めする。


 昨日の夜、ヒナが「友だちを明日の晩ご飯に招待した」と言った。純ちゃんはよく食べに来るが、それを除くとこんなことは記憶にない。どうしても断れなくて何人かの友だちを家に呼んだことはあったが、自分から積極的に誘ったことはなかった。ヒナはそれから友だちである日野さんがどんな子でこれから自分がどうしたいかを熱を入れて語った。まるで初恋の相手を紹介しているように感じて、少し胸が痛かった。


 日野さんのことは連休中にヒナと祖父の家に行った時によく聞いた。4月にかなりの日数ヒナが学校を休んでしまったため、勉強を教えるように私は両親から言われていた。しかし、ヒナが借りてきたノートを見て、私が教えるよりこのノートをそのまま覚えた方がいいと思ってしまった。


 中学時代、他人のノートを見たり、借りたりしたことはよくあった。中にはすごく丁寧に書かれたものや、綺麗に整理されたものなど凄いと思うノートもあった。学年トップの子のノートも見たこともある。でも、それらは教科書や授業の内容をまとめたものだ。あくまでも自分が内容を理解するために書かれたノート。それに対して彼女のノートは他人に教えるために作られたものだと思った。ヒナのために書いたノートだと言われたらしいが、本当にそういう目的なのだろう。


 これまでヒナには対等の友だちと言える存在がいなかったんじゃないかと思う。純ちゃんは特別だけど、対等ではない。初めてそういう子と出逢い、仲良くなりたいと意気込んでいるのかなと感じる。それは私にとって少し寂しいことだけど、背中を押してあげたいとも思ってる。今日の料理に気合いを込めているのもそうした理由だった。


 私が帰宅し、料理の準備を始めたタイミングでヒナが帰ってきた。日野さんを連れて。私が玄関に行くと、丁度お父さんも帰ってきていた。


「お招きありがとうございます」


 綺麗なお辞儀をする日野さんは、白のブラウスに薄手のカーディガンを羽織りスリムなカーキパンツをはいている。そのシックな出で立ちは私と同年代か年上のようにも見える。身長は私より高く、純ちゃんのような筋肉質ではないが、線の細い感じはしない。黒髪ショートに整った顔立ちで、普通の中学の優等生タイプとはちょっと違うように感じた。


「こちら、ご家族でお召し上がりください」と手土産を渡してくれる。ヒナが「いつの間に買ったの?」と聞くと、「朝、道場で和菓子屋のご主人にお会いしたので届けてもらいました」と答えた。そういえば空手をやっているってヒナが言っていた。武道をバリバリやっているようには見えないけど強いのかな?


 晩ご飯ができるまでまだ時間が掛かるので、ヒナは自分の部屋に日野さんを連れて行った。私はお父さんと一緒に料理を作り始める。今日はいつもよりかなり豪勢なものができそうだ。


 あらかた準備が整い、お母さんも帰ってきたので、私はふたりを呼びに行く。ヒナの部屋ではふたりが巨大なクローゼットを見て盛り上がっていた。一介の女子中学生には相応しくないクローゼットだからね、たぶん誰でも驚くと思うよ。


 家族四人に日野さんを加えて食卓を囲む。純ちゃんをよく食事に招くので5人での食事は珍しくはないが、黙々と食べるだけの純ちゃんとは食卓の雰囲気がまったく異なる。


「こうして大勢で賑やかに食事をする機会があまりないので楽しいです」と日野さんが上品に笑う。「普段はお母様とおふたりで?」とお母さんが普段と違う丁寧な言葉遣いで質問すると、「母は帰宅が遅いので夕食はひとりで食べることが多いですね」と答えた。


「それは寂しいでしょう。うちで良ければいつでもいらしてください」とお父さんが言うと、ヒナも「いつ来てもいいからね」といつもより感情のこもった声で誘った。私も大きく頷いた。


「料理は自分で?」と私が尋ねると、こちらを見て頷いた。今日の料理は私とお父さんで作ったと伝えると、「とても美味しいです。特にこの料理の味噌だれは風味が良いですね。ぜひレシピをお伺いしたいです」と褒められ、我が家自慢の味噌だれの話で盛り上がった。


 ヒナも大人相手にぐいぐいと懐に入り込むようなコミュ力を持っていて中学生としては規格外だと思っていたが、この子もとても中学生に見えなかった。マナーも大人との接し方も完璧に見える。


「お母様の躾が良いんでしょうね」とお母さんが言うと、「母は放任主義です」と苦笑する。そして、「代わりに空手の道場で色々と教えて頂きました」と明かす。


「可恋ってどれくらい強いの?」


 ヒナが興味津々に尋ねた。日野さんは少し考え込んでから「1対1なら安藤さんに負けることはないと思います」と答えた。家族みんな純ちゃんをよく知っているので、その答えに驚いた。日野さんは背が高いが純ちゃんはその上を行くし、筋肉の量も大差がある。


「ほんとに?」と疑うヒナに「これでも武道をやっていますから」と日野さんは軽やかに言ってのけた。「瓦割れる?」とヒナ。「今度お見せしましょうか?」と日野さん。自信満々にそう言われると強そうに見えるから不思議だ。


 食事が終わり、日野さんの和菓子をお持たせとして振る舞おうとしていると、「ちょっと失礼します」と日野さんが席を立つ。スマホを示したので誰かから電話が掛かってきたのだろう。ヒナに廊下に案内され、そこで電話を受けていた。そして、「30分後に母がご挨拶に伺いたいと言っています。よろしいでしょうか」と私の両親に確認を取っている。


 私がお茶の準備を整え食卓に戻ると、日野さんも電話を終えて戻って来た。ヒナが日野さんの家に泊まりに行くことが話題に上る。


「ご迷惑じゃなければ」と言う両親に、「迷惑だなんて」と日野さん。「ひとりでいる時間が長いので、来てくれるととても嬉しいです」と付け加えた。


「ただ……」とヒナを見て口籠もる。「ただ?」とヒナが首を傾げる。


「私は朝5時に起きて稽古に行くので、ひぃなも5時に起きてくれますか? 夜も9時には寝ますよ」


 ヒナはその言葉にちょっと言葉を詰まらせるが、「わ、わたしだっていつも6時には起きてるし、5時なら平気だよ」と答えた。「9時に寝れる? いつも夜更かししてるのに」と私が冷やかすと「できるよー」と頬を膨らませて反論する。


 両親の許可を得たヒナは「じゃあ、明日行くね」と言ってその場にいる全員を驚かせた。「急すぎるでしょ?」という声に「どうしても明日がいいの」と珍しく我が儘を言った。


 日野さんが「私は構いませんよ」と微笑んで言ってくれたので、仕方ないなあという空気が流れた。ヒナなりの理由があるのだろうと私は思っていた。


「その代わりってことでもないけど、数学の集中講義をするから1年生の時のノートや教科書、あればテストの答案も持って来てね」と砕けた言葉で日野さんがヒナに告げた。微笑んでいるのに私でも背筋が寒くなるような迫力を感じてしまった。


 ヒナが頭を抱えてテーブルに突っ伏し、それを家族で笑う。ホームドラマみたいな風景を日野さんはどのように感じただろう。


 時間通りに日野さんのお母さんがうちに来た。大学の偉い先生らしいが、両親と話す姿は親しみやすいおばさんという感じだった。日野さんもお母さんと並ぶと少し年相応な風にも見えたし、大人たちの会話の端でヒナとコソコソ言い合っている姿は中学生っぽいものだった。

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