第3話 令和元年5月9日(木)「お見舞い」日々木陽稲

 可恋は昨日言っていた通り学校を欠席した。帰る頃はかなり疲れているように見えた。本人曰く大事をとってということだけど、それでも心配にはなる。


「可恋のお見舞い、純ちゃんはどうする?」


 一緒に帰る純ちゃんに聞く。純ちゃんは「一緒に行く」と即答した。今日はスイミングスクールに行く日なので確認したけど、やはり付いてきてくれる。彼女はわたしの護衛役を買って出てくれている。朝のジョギングも学校への登下校も常に一緒だ。


 学校の正門を出ると、目の前に大きなマンションが建っている。ここの8階に可恋の家がある。スマホで連絡するとすぐに返事が来た。電話に切り替え、何か欲しいものがないか尋ねる。休むのはいつものことなので備えは万全だからと言われた。


 オートロックの扉を抜け、エレベーターで8階へ。かなり高級感のあるマンションで、赤い絨毯を敷き詰められた中廊下が足音を吸収する。可恋の部屋の呼び鈴を押すとすぐに扉が開いた。可恋が笑顔で迎えてくれた。元気そうだ。


 可恋は薄水色のラフな部屋着姿だった。普段の制服姿はきっちりとしているので少し雰囲気が違う。でも、似合っていて可愛かった。


「広っ!」


 玄関から短い廊下を抜けて入った部屋は広々としてとてもすっきりしていた。ダイニングとリビングが一体で、オープンキッチンも見える。フローリングは艶があり、TVドラマに出て来そう。家具が少なく、装飾もシンプル。可恋の雰囲気にはよく合っている。


「私の部屋は散らかったままなので、ここでいいかな?」とリビングのソファに案内してくれる。薄紫色のクッションのようなソファはこの部屋でいちばん女の子らしい感じがした。可恋の趣味か聞くと、「母の」と少し顔をしかめて可恋が答えた。


「飲み物、何がいい?」


「お見舞いに来たのだから、お客さん扱いしなくていいよー」


 わたしの抗議に構わず、可恋はすっとキッチンへ行ってしまった。少ししてトレーに3人分の紅茶を淹れて戻って来た。


「冷たいものにしようかとも思ったんだけど、身体を冷やしたくないのでこれで我慢してね」


「ほんとに気を使わなくていいから」とわたしは言ったけど、可恋が機嫌良さそうにしているのでそれ以上は言わないでおく。


「でも、本当に広々としていて羨ましいなあ。うちは一戸建てだけど、ものに溢れて掃除するのも大変だし」


「引っ越す時に最小限のものしか持ってこなかったし、まだここに住んで5ヶ月くらいだからね」


「体調はもう大丈夫?」


 顔を見た時点で平気そうだったけど、一応確認しておく。可恋は「見ての通り」と笑って答えた。これで一安心だ。


 今日学校であったことを二、三伝え、おいとますることにした。お見舞いに長居は無用だし、純ちゃんを早く解放してあげないといけない。可恋は玄関まで見送りに来てくれた。


「気を付けて帰ってね」と言う可恋が少し寂しそうに見えた。


「ご家族は何時頃帰って来るの?」


 可恋は躊躇いがちに「うーん、10時過ぎくらいかな」と教えてくれた。


「そんなに遅いの? お父さんもお母さんも?」


「言ってなかったね。うちは母子家庭で、母ひとり子ひとりなんだ」


 わたしはなんて言っていいか分からず黙り込んだ。


「母は仕事が命って感じの人だから、どうしてもこうなっちゃう」


 寂しくないわけがないじゃない。


「私は慣れたから平気」と可恋はニコリと笑う。それはわたしに気を遣ったというより、自分自身に信じ込ませようとしているような笑顔だった。わたしは無性に切なかった。


「今度……今度、泊まりに来ていい?」


 わたしの唐突な提案を、可恋は嬉しそうに「もちろん、いいよ」と歓迎してくれる。でも、可恋の家に泊まりに行くなら、まずは自分の両親に可恋を紹介しないといけない。できるだけ早く。


「その前に可恋を家族に紹介したいな。今日はさすがに無理だろうから、明日、明日でいい?」


 可恋はわたしの勢いに驚いているようだ。「明日の晩ご飯に可恋を招待するってことでどうかな?」とわたしは続ける。


「そんな急に決めて大丈夫なの?」


「純ちゃんもよくうちに来てご飯食べていったりするしね。今日言っておけば大丈夫」


「わかった。母に言っておくね。反対されることはないと思うけど、明日報告するよ」


「うん」とわたしは大声で頷いた。


「今日は来てくれてありがとう。安藤さんも」


 純ちゃんが会釈するのを見ながら「お大事に」と言って部屋から出た。純ちゃんが続く。


 帰り道で、わたしは純ちゃんに明日一緒に晩ご飯を食べに来るか聞いた。純ちゃんは首を横に振る。スイミングスクールがあるのだろう。「そっか」とわたしは独りごちる。


「わたしが、可恋に取られたって思う?」


 純ちゃんを見上げてそう質問した。いつも一緒にいるからといって純ちゃんのことをすべて分かっているわけではない。聞くべき事は聞いておくべきだ。


 純ちゃんは小首を傾げてから「強そうだから安心」と答えた。純ちゃんにとってわたしは友だちというより護衛対象なのかと思い、吹き出してしまった。4月にあった体力測定では純ちゃんの独断場と思われたのに可恋がいくつかの計測で純ちゃんを上回った。柔軟性で上回ったのは納得しやすかったが、50m走でも純ちゃんと同タイムを出してクラスメイトを驚かせた。空手を習っているとも言うし、純ちゃんがこう言うのだから本当に強いのだろう。


「純ちゃんって可愛いね!」


 わたしは純ちゃんの腕にしがみつくようにして家までの道を歩き続けた。

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