第2話 【改訂版】令和元年5月8日(水)「ノート」日野可恋

「来ていただいたのは、日野さんのノートのことです」


 昨日の放課後、私、ひぃな、高木さんの3人は職員室に呼び出された。

 担任の小野田先生は理科を教えていて、実験の時は白衣を身にまとう。

 そのイメージが脳裏に焼き付いているが、普段は白いブラウスにカーディガン、スカートと至って普通の服装だ。

 そして、先生を印象づけるもう一つのアイテムが度の強い眼鏡だった。

 その眼鏡越しに睨まれると誰もが恐れをなして黙り込むという、かなり威圧感のある教師だ。


 私のノートとは連休前にひぃなに貸したもののことだ。

 彼女はおたふく風邪や忌引きによって4月の登校日数の半分以上を欠席した。

 そこで私は彼女のためにノートを作成した。

 普段は提出用に最低限板書を写すことしかしないが、授業を聞いていない彼女に理解しやすいようにかなり丁寧に書いた。

 ゴールデンウィークが明けるとすぐに中間テストとなるので、その対策も考慮してある。

 そのノートをひぃなに渡す際に高木さんに頼んだ。

 ゴールデンウィークの前日に私の体調が不安で欠席する可能性が高かったからだ。

 ところが、高木さんがそのノートを見て凄いと騒ぎ出し、他のクラスメイトにもノートの存在が知れ渡った。

 隠す意図はなかったが、結果的にノートのコピーが出回ることとなった。


「ノートは非常によくできていました。そして、2年生の一部……と言うにはかなり多くの生徒がそのコピーを所持していることも把握しています」


 小野田先生は淡々と話し続ける。


「このノートの存在を前提に定期テストの問題を作る訳にはいきません。ノートに書かれている試験の予想問題を避けてテストを作成すると、ノートを見ていない生徒にとって難易度が高くなります」


 授業を聞いていれば、どんな問題が出るか予測するのは難しくない。

 試験を想定しながら授業を行う教師ほどその予測精度は高まる。

 小野田先生や副担任の藤原先生は授業の意図が分かりやすく、予想しやすかった。


「ノートのコピーを所持している生徒とそうでない生徒でかなりの有利不利が生じます」


 担任のその言葉に、私は一歩前に進み出て質問した。


「小野田先生は私たちにノートのコピーを配布するようにと仰るのですか?」


 すでに広まったコピーをなかったことにはできない。

 それならまだ手に入れていない生徒にコピーを配れば公平になる。

 厳密にはゴールデンウィーク前に入手した生徒といまから入手する生徒に差はできるが、それでも何もしないよりはマシだろう。

 ただ教師が授業中に配るというのも難しい。

 わざわざこの3人を呼び出したということは、私たちで何とかしろということだろう。

 話を先読みして割って入った私を担任はジロリと睨む。


「公平性を保つことは大切だと考えています」


「金銭的な負担はどうお考えですか?」


 先生の言葉にかぶせるように私が尋ねる。


「職員室のコピー機を使って頂いて構いません」と小野田先生は職員室の隅にあるコピー機に視線を向ける。


「では、ノートを職員室に置いておきますので各自でコピーするというやり方を提案します。生徒への告知は責任を持って私たちが行います」


「職員室がコピーを取る生徒で溢れることになりそうですが……」


「仕方ありません」


 私がピシャリと言い切ると、先生は黙り込んだ。

 私の背後のふたりに視線を向け、それから再び私をじっと見る。

 かなり鋭い目つきではあるが、私にとってはどうということはない。


「分かりました。可能な限り希望者全員が入手できるようにしてください」


 私は担任に深く一礼して、コピー機の方に向かう。

 他のふたりも慌てて頭を下げ、私を追い掛けてきた。

 私は鞄からひぃなに返してもらったノート5冊を取り出すと、目立つように「2年生」の文字と各教科の名前を大きく表紙に書いた。

 コピー機の横にスペースを作り、そこにノートを置く。


 一礼して職員室から出る。

 それまで黙っていたふたりが私に困惑した表情を向けた。

 先に口を開いたのはひぃなで、恐る恐るといった感じで「質問していい?」と私に尋ねた。

 私が頷くと、「何だったの、いまの」と戸惑った様子で疑問を口にする。


「ノートのコピーを持っていない2年生全員に配りたいんでしょう。それを私たちにさせようとした」


「えー、それってめちゃくちゃ大変じゃないですか!」と高木さんが声を上げた。


「あたしがどれだけ大変だったか……」と彼女は顔をしかめて苦労話を語り始めた。


 私はクラスメイトたちからコピーをお願いされて、その作業を高木さんに丸投げした。

 ノートはそれなりにページ数があり、それが5冊だ。

 それを人数分コピーするのだからかなり大変だっただろう。

 彼女自身が騒いでみんなの注目を浴びなければそんな目に遭わずに済んだのだから自業自得なんだけどね。


「それで、私たちは何をすればいいの?」とひぃなが尋ねた。


「ひぃなはLINEでも何でもいいからノートの情報を広めて。そうだね、各クラスでひぃなが信頼できる人を選んで、その人からクラス全員に伝えてもらうようにお願いして欲しい」


 結構面倒な役目だけど、ひぃなはあっさり「任せて」と請け負ってくれた。

 知名度が高く知り合いが多い彼女には難しくないのだろうが、転校してきて間がない私には到底できないことだ。


「助かる。伝えたいことは、ノートは職員室に置いてあること。職員室のコピー機が利用できること。あと混み合うのでコピーを持っている友だちがいたらその人から借りた方が速いということの3点ね」


 私が指を1本ずつ立てながら説明すると、「分かった」とひぃなが真剣な顔で頷いた。


「高木さんはひぃなのサポートをよろしく。私は2年生の他のクラスに知り合いが全然いないから」と頼むと、高木さんも快く引き受けてくれた。


「まだクラスに馴染んでいない生徒もいるだろうし、情報への感度は人それぞれでしょう。特に男子は……。うちのクラスは私が担当するね。来週は職員室への入室が制限されるから急ぎましょう」




 今日は朝からクラスのひとりひとりにノートのコピーの有無について尋ねて回った。

 私も4月は休みがちだったから連絡網の整備は後回しにしてきたが、そのツケをいま払っている。

 ホームルームで全員に告知してあとは自己責任というやり方が楽だが、他のクラスを駆け回っているひぃなと高木さんの前で手を抜く訳にいかない。

 ひぃなは私より大変なはずだが、教室に戻ってくると「大丈夫?」と私を気遣ってくれる。

 私は机に突っ伏して「大丈夫じゃない」と本音を漏らす。

 私は寒さに弱い。


「たぶん明日は学校に来れないと思う」と伝えると、ひぃなは私の頭を優しく撫でて慰めてくれた。


 私は先天的に免疫力が極度に低いという障害を持ち、病気に罹りやすく、重症化しやすいという体質だ。

 幼い頃は入退院を繰り返していた。

 いまはそれなりに改善されたが、それでも冬場は半分程度しか学校に来れない。


「私は無理をすると、ひどくなったり、長引いたりするのよ」


 体力がついたので、このくらいなら1日休めば回復するだろう。

 少し無理をすれば1週間寝込むなんてこともザラにある。

 今日中にクラス内の確認を終えれば明日休んでも問題ないはずだ。


「早く良くなりますように」


 ひぃなはおまじないを口にしながら私の頭に乗せた手に念を込める。

 その手の温もりが癒やしになって私の体調を回復してくれそうな気がした。

 しかし、先生がやって来た。

 短い休み時間が終わり、授業が始まる。


 帰り際に、ひぃなが「明日、お見舞いに行っていい?」と聞いた。

 私は頷き、「ここね」と学校の正門前に建つマンションを指差す。

 ひぃなと安藤さんにオートロックの説明をして、「寝てたら午後には回復してると思うから来る前に連絡して」と伝えた。

 自分の家に友だちが来るのは随分久しぶりのことになる。

 お見舞いされる側だが、折角だから歓迎したい。


 マンションの前でふたりに手を振って別れた。

 大阪にいた時は私が休むのは当たり前すぎて誰もお見舞いなんて来なかった。

 そもそもそれほど親しい友人もいなかった。

 ひぃなが来てくれることに心が浮き立ち、感じていた倦怠感が本当に吹き飛んだ気がした。

 これなら休む必要はないかも……と思ったが、そうするとお見舞いに来てもらえないというオチに私は肩をすくめてひとりで笑った。




††††† 登場人物紹介 †††††


日野ひの可恋かれん・・・2年1組学級委員。必要があれば誰とでもいくらでも会話できるが、必要がなければあまり話すタイプではない。


日々木ひびき陽稲ひいな・・・2年1組。お喋り好きでコミュニケーション能力に秀でている。本人もそれを自覚している。


高木たかぎすみれ・・・2年1組。コミュ力のあるオタクと自称しているが、オタク以外の友人は多くない。


安藤あんどうじゅん・・・2年1組。陽稲の幼なじみ。無口でコミュ力は皆無だが陽稲のお蔭で困っていない。


小野田おのだ真由美まゆみ・・・2年1組担任。理科担当のベテラン教師。生徒からは恐れられている。

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