令和な日々
ひろ津
令和元年5月
第1話 【改訂版】令和元年5月7日(火)「席替え」日々木陽稲
ゴールデンウィークが終わった。
10連休という長い長いお休みだった。
いつもであれば、長期休暇が終わる時は少し憂鬱になったりすることもあるけど、今回ばかりは待ちに待った気持ちで今日を迎えた。
……やっと、やっと日野さんに会える。
彼女は今年1月に転校してきた女の子だ。
美人だという噂を聞いて興味を持ったものの、クラスが違ったし、日野さんは休んでばかりだったので、その姿を見ることさえできなかった。
4月に同じクラスになり、席が前後ろとなってようやく話をすることができた。
大人っぽい雰囲気の凛とした少女。
子どもっぽく見られるわたしとは正反対のタイプだった。
そのせいか、どこか惹かれるものがあった。
それなのにわたしに災いが降り注いだ。
おたふく風邪に罹り、1週間以上休んだ。
治ったと思ったら、今度は札幌のお祖母ちゃんが交通事故で亡くなるという悲劇が起きた。
結局わたしは4月の半分以上を欠席した。
日野さんとは連絡先の交換すらできずにゴールデンウィークに突入してしまった。
まさかこんなことが続くとは誰も思わないでしょ?
わたしはゴールデンウィーク中に彼女と友だちになると心に決めた。
大げさなようでも、ここまでいろいろ起きてしまうと、そういう心構えが必要だと思ってしまう。
今朝だっていつもより早く家を出た。
時間があるなんて思ってはいけない。
1秒でも早く彼女と友だちにならないと。
まるで愛の告白をするかのようにドキドキしながら学校に向かった。
一緒に登校するのは幼なじみの純ちゃんだ。
小学生の時からずっと同じクラスで中学2年生まで来た。
いつもわたしの隣りにいて、わたしを守ってくれる。
わたしは身長が小学生並みだし、とても非力だ。
外見が目立つため決してひとりでは出歩かないようにと保護者から言われ続けた。
ガードマン役の純ちゃんは170 cm台半ばと飛び抜けて長身だ。
男子でも彼女より背が高い子はほとんどいない。
それだけではなく、純ちゃんは筋肉の塊のよう体型をしている。
スイミングスクールに通っていて、競泳界のホープだなんて言われているのだ。
彼女はわたしの朝のジョギングにもつき合ってくれる。
わたしが走るペースはとても遅く、純ちゃんの早歩きにも負けると思う。
しかし、彼女は文句を口にすることなく、わたしのペースに合わせてくれる。
純ちゃんは普段からとても無口で、水泳以外のことに興味を示さない。
日常生活ではわたしが彼女の世話を焼くことも多い。
毎朝起こすのも日課だ。
今朝はわたしが気合いを入れすぎていつもより早く目覚めたせいで、いつもより早く純ちゃんを起こしてしまった。
眠そうに歩く純ちゃんにわたしは何度も「ごめんね」と謝った。
2年1組の教室にはすでに目的の少女の姿があった。
まだガランとした教室で、背筋をピンと伸ばして座っている。
彼女も長身だ。
さすがに純ちゃんよりは低いが、160 cmは越えている。
わたしより頭ひとつ分は背が高い。
純ちゃんのようにがっしりした体つきではないが、運動能力は純ちゃんに負けていない。
立ち姿はモデルのようだし、クセのないショートの黒髪が彼女によく似合っている。
「おはよう」と日野さんから挨拶され、「おはよー」とわたしも挨拶を返す。
わたしの席は日野さんのすぐ後ろの席だ。
列の一番後ろ。
男女別に列が分かれ、出席番号順に決められた席だ。
小柄なわたしは黒板が見にくい。
だからといって一番前にされるのは嫌だった。
幸い、無理に変えられなくて済んだ。
それなのに4月は休んでばかりだったからこの席のありがたみを堪能していない。
わたしが着席すると、日野さんは横向きに座り直し、上体をわたしの方に向ける。
そんな彼女にわたしは自分の最高の笑顔を向ける。
「ノート、貸してくれてありがとう。本当に、本当に、本当に助かったよ!」
わたしは鞄から5冊のノートを取り出した。
連休前に日野さんから借りたものだ。
このノートにどれだけ助けられたことか。
ゴールデンウィーク前日、久しぶりに登校したわたしは授業についていくことができなかった。
これまで数学を除けば成績は良い方だったのに、このままではガタッと成績が落ちるんじゃないかと心配になった。
その不安を解消してくれたのがこのノートだ。
ゴールデンウィーク中にこのノートを見ながら懸命に勉強した。
本当に分かりやすくて、とても細かく丁寧に記されたノートだった。
「でも、わたしにノートを貸してしまって、日野さんの勉強は大丈夫だったの?」とわたしは懸念していたことを伝える。
彼女はニコリと笑って、普段は提出用に最低限ノートを取るだけだからと答えた。
それって、この手間暇が掛かっていそうなノートはわたしに貸してくれるためにわざわざ作ってくれたってことじゃ……。
「わたしのために……」と感極まっていると、「私も長く休むことがあるから。大変だよね」と日野さんは温かい眼差しを向ける。
「ありがとう!」とわたしは感謝を口にする。
もっと伝えたい気持ちは胸の中に渦巻いているのに、うまく言葉で表現できない。
机が隔てていなかったら抱きついていたかもしれない。
日野さんは照れたような表情で「学級委員だから」と口にして、視線を逸らした。
登校する生徒が増えてきた。
朝のホームルームが始まるまでそれほど多くの時間は残っていない。
わたしは「これを」とファンシーな封筒と可愛く包装された小箱を日野さんに渡す。
「お礼のお手紙と、こっちは渋谷に行った時に買ったお土産でノートのお礼」
「ありがとう。悪いね」と言って、日野さんは小箱に視線を向ける。
「ブローチなの。日野さんに似合うと思ったから……。そんなに高いものじゃないし、わたしの気持ちだから受け取って欲しいな」
彼女は笑顔で頷くと「大事にするよ」と大切そうに小箱を手に持った。
これで今日の目標のひとつであるノートのお礼は達成できた。
「ノート、どうだった? 分かりにくくなかった?」
返されたノートを片付けながら日野さんがわたしに尋ねた。
「すごく分かりやすかったよ! 中間テストだって余裕って感じ!」とわたしは興奮気味に答える。
本当にその通りだったのだ。
単に教科書を分かりやすく説明したって感じではなく、ノートの通りに勉強すればテストで高得点が狙えそうな作りになっていた。
授業でここが強調されていたのでこんな問題が出そうだとか、ここは重要なのでこうやって覚えればいいだとか、具体的な対策まで書かれていた。
ただし。
わたしは左右の手のひらを自分の頬に当て、「数学以外は」とつけ加える。
わたしにとって鬼門の数学はこのノートの力を持ってしても高得点は厳しいだろう。
わたしの発言に日野さんの顔から笑顔が消える。
慌てて「ノートが悪い訳じゃないよ」と説明し、「ノートのお蔭で赤点を取る心配はしなくていいと思うし」とつけ加えた。
日野さんは厳しい表情で息をひとつ吐くと、「数学苦手なの?」とわたしに質問する。
わたしは俯きがちに「ちょっとね。だけど、平均点くらいは取れているよ」と答えた。
苦手意識はあるが、そこまで成績が悪い訳じゃない。
教室の中は登校してきたクラスメイトたちの会話で賑わっている。
久しぶりの再会を喜ぶ声。
連休中の話題で持ちきりだ。
教室の時計を見ると、ホームルームまであとわずか。
このまま数学の話題で、しょんぼりとした気持ちでこの時間を終わらせるのは惜しい。
わたしは意を決して、口を開く。
「あのね、お願いがあるんだけど」
日野さんは表情を和らげ、「何?」と興味を示してくれる。
わたしはもう一度最高の笑顔を作り、お願いの内容を伝える。
「名前で呼んでいいかな?」
今日のふたつ目の目標だ。
日野さんは「もちろん」と微笑んでくれた。
「可恋……ちゃん?」と呼ぶと、「呼び捨てがいい」と日野さん、もとい可恋ははにかんだ表情で自分の頬を長い指でなぞりながら答えた。
わたしは作りものの笑顔ではなく、心の底から湧き出た笑顔になった。
見られることを常に意識しているわたしが滅多に見せない顔だ。
だって、名前を呼ばれた時の可恋の顔がとても可愛かったから。
「じゃあ、可恋、ね」
「私も名前で呼んでいいよね」
わたしが笑顔で頷くと、「ひいな、だよね?」と確認された。
「実はね、この名前は"じいじ"――父方の祖父が名付けてくれたんだけど、その時『陽稲』って漢字を電話で伝えたの」とわたしは名前にまつわるエピソードを披露する。
「お父さんは『ひいな』だと思って届けを出したんだけど、"じいじ"はこう書いて『ひな』って読ませたかったの。だから、いまも"じいじ"やお祖母ちゃんはわたしを『ひな』って呼ぶのよ」
わたしの話を可恋は興味深そうに聞いてくれた。
実はお姉ちゃんもなぜかわたしを「ヒナ」と呼ぶ。
可恋はどちらで呼んでくれるだろう。
「日々木さん的にはどちらがいいの?」
「わたしはどっちでも。両方で呼ばれることに慣れちゃったし」
可恋は口の中で「ひな」「ひいな」と語感を確かめている。
わたしはドキドキしながら可恋の選択を待った。
「決めた。私は『ひぃな』って呼ぶね」
「ひな」でも「ひいな」でもなく「ひぃな」。
わずかな違いだけど、そのわずかな響きの差が新鮮に感じられた。
この可恋だけが呼んでくれる新しい呼び方は、わたしにとって特別なものになる予感がした。
朝のホームルーム。
幸せの絶頂にあったわたしは担任の小野田先生の一言で地獄に突き落とされた。
「今日、席替えをします」
教室内がざわつく。
喜ぶ声や不満な声があちこちから上がっていた。
わたしも叫び出したいほどのショックを受けていた。
やっと可恋と仲良くなったのに席替えだなんて。
これからいっぱいいっぱいお話ししたいのに。
もっと仲良くなりたいのに。
もちろん、席が離れると決まった訳じゃない。
席が離れたからって仲良くなれない訳じゃない。
でも、なんでいつも逆風が吹くの?
4月は本当にいろいろなことがあった。
それを乗り越えてようやく名前で呼び合えるようになった矢先にこれって……。
可恋に話したところでどうにかできる問題ではないだろう。
わたしは落ち込む姿を可恋に見せないように気をつけていたが、昼休みに彼女が職員室に行っている間はがっかりした気持ちを隠せずにいた。
「元気がありませんね。どうかしましたか?」と心配した高木さんが声を掛けてきた。
席替えが嫌で拗ねていると正直に答えられずに、わたしは笑って誤魔化した。
そこに可恋が戻って来た。
立ち姿は姿勢が良いので惚れ惚れするくらい格好いい。
「ちょうど良かった。ひぃなと高木さんも放課後に職員室に来てって、小野田先生が」
可恋の言葉にわたしは首を捻る。
勉強の遅れについてなら、高木さんまで呼ばれはしないだろう。
考える間もなく、午後の授業が始まった。
それよりも問題は席替えだ。
あっという間に終わりのホームルームとなり、学級委員の可恋が教壇に立って席替えの方法について説明する。
くじ引きだそうだ。
黒板に座席と番号が書かれ、男女別にくじを引いていく。
ティッシュの空き箱に四つ折りの紙が入っていて、可恋がそれを持って教室内を回る。
1年の時は班長会議で決めていた。
そういえば2年になって班長を決めたという話は聞いていない。
わたしは休んでばかりだったのでよく分からない。
あとで可恋か純ちゃんに聞いてみよう。
男子の出席番号が前の方からくじを引いていき、列の後方で折り返し前へ進む。
最前列でまた折り返し、いちばん後ろまで行くと男子が終了となる。
続いて女子は、男子の隣りにいる女子の出席番号のいちばん後ろの子からスタートし、前に進んで折り返す。
次の列のいちばん後ろがわたしで、そこでまた折り返すことになる。
可恋がやって来た。
わたしがティッシュの箱に右手を差し伸ばそうとすると、さっと可恋の左手と交差した。
なぜかわたしの右手の中に紙があった。
わたしは驚いて可恋の顔を見上げるが、可恋はこちらを向いていない。
わたしはそのまま右手を箱の中に入れ、何も取らずに箱から出す。
手の中には四つ折りの紙があり、広げると数字が書かれていた。
黒板で確認すると廊下側の真ん中の席だ。
可恋を見ると、最後の列を後ろから前へと進んでいる。
わたしは不安で心臓がバクバクしている。
可恋は列のいちばん前――安藤純、純ちゃんの席まで来ると、何か耳打ちした。
そして、可恋は自分で箱から紙を取り出して純ちゃんに渡した。
最後の一枚だから問題ないはずだが、きっと何かをしたのだろう。
他の生徒は自分や友だちの席の確認に夢中になっていて、気付いた様子はない。
「それでは席を替わってください」
可恋の言葉にみんなが一斉に移動する。
可恋も自分の荷物を取りに席に戻って来た。
その時、わたしにだけ分かるようにウィンクした。
わたしは廊下側の新しい席に移る。
その後ろの席に可恋が座った。
わたしの前の席は純ちゃんだった。
「どうやったの?」とわたしは小声で訊いた。
「ひ・み・つ」と可恋はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
††††† 登場人物紹介 †††††
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