008 アパートメント・夜 3
俺は後頭部にできたタンコブを冷やしながら、カレンが作る夕食を待っていた。
まさかフロントスープレックスをくらうとは思ってなかった。いくらカレンの方が年上とは言え、たかだか1歳も違わない。しかも、カレンも女性にしては背の高い方だろうが、それでも俺の方が上背もあればウェイトもある。魔術師のローブを身につけたままで、よくも男を一人で投げ飛ばすもんだ。
…まぁ、怒りのパワーも上乗せされていたんだろうけど。
「もう出来上がるから、テーブルの上を片づけておいて」
キッチンからカレンの声が聞こえた。もう怒りは引きずってはいない。
昔から、そうだ。
一度爆発したら、あとは遺恨を残さない。実に漢気にあふれたいい奴だ。女にしておくのはもったいない。
一応、テーブルを拭いてクロスをかけると(カレンが訪れる度に増えてゆく品物だ。なんでも、心を豊かにするらしい)、程なくカレンが大皿を2枚とパンをひと盛り持ってキッチンから出てきた。ブイヤベースとライ麦のパンだ。
「どうせ、普段は酒とつまみしか食べてないんでしょう。今日はお酒は禁止。喉を大切にしないと、後で困ったことになるわよ」
そう。
俺たち魔術師は喉をやられると一巻の終わりだ。
魔術の起動言語を唱える際、その発音・音階・音調に少しでも狂いがあると、魔術は起動しない。
魔法球に記憶させている魔術回路の起動言語は、まさしく「歌」のように、俺たちに正確さを求める。
無論、それは魔法球を悪用されないための防護策なのだが。だから、魔術師は喉に悪いことは何もやらない。タバコも吸わない。酒もほどほどに。大声も出さず、神経質な奴は常に防護マスクを身につけるくらいだ。
『カレン、もっと言ってやってくれんか』
この機を逃すかとばかりに、相棒がしゃしゃり出てきた。
『この馬鹿者、放っておいたら昼から飲み出す始末じゃ。アル中になるのは知ったことではないが、喉をやられた日にゃ、わしのアイデンティティが問われてしまう』
「えー、昼間から?ちょっと、アル!そんな生活をするためにホームから出たんじゃないでしょ?きちんとしなさいよ。そんな生活、魔術師にあり得ないどころか、普通以下よ。」
「普通以下って、おまえ、そりゃないだろう。俺の仕事筋の奴らは、みんなそんなもんだぞ?」
「そんな人たちの輪に入ってるから、いつまで経ってもたいした仕事も回ってこないのよ」
カレンは平然と酷いことを言いつつ、料理を並べ終えた。
「さぁ、少し遅くなっちゃったけど、夕食にしましょ。アル、手、洗った?」
「洗ってきたよ、鍋の火が止まったときに」
カレンにかかると、俺はまるで子供扱いだ。
「…?…子供扱いされたくなかったら、ひとりできちんとした生活をおくれるようになりなさい?」
「げ…いつの間に読心術なんか身につけた?」
俺は食前のお祈りを捧げた。これをしないとカレンがうるさい。正面では、カレンも祈りを捧げている。
「何年のつきあいだと思ってるのよ。あなたの考えそうなことくらい、すぐにわかるわ」
そしてふたりで食事をはじめる。
正直なところ、久しぶりの「きちんとした食事」だった。先立つモノがないと生活のレベルが落ちてゆくのは、古から変わらない。資本主義バンザイ。
食事をはじめてから少し、カレンが声をかけてきた。
「アル…アパートメントの支払い、どうなったの?」
来た。一番避けたかった会話だ。
「まぁ、なんだ…管理人が非常に優しい人でなぁ…」
俺はカレンと目を合わさないように、ブイヤベースをかき込んでいく。
「へぇ、そうなんだ。いつもは文句言ってるくせに?」
…よく覚えてるな。そういえば、起動言語を覚えるの、俺より早かったよな、こいつ。
「いや、それはそれで。あ~、コミュニケーションってやつ?」
「ふ~ん…」
つまらなさそうに返事を返した後、
「で、どうだって?」
どうしても白状させたいらしい。
「…2日やるから荷物まとめろ、とさ」
「なんてこと!本当に優しい!」
カレンの目が、口が、三日月型になってる。そんなに面白いかよ。
「本当にって…あのなぁ」
「だって、普通、家賃を4ヶ月もため込んでたら、問答無用で追い出されるわよ?身ぐるみ剥がされて」
「まぁ、俺もそう思うよ」
「じゃあ、さっさと食事を終わらせて荷造り始めましょうか?」
「…え?荷造り?」
そりゃ、追い出されるんだから荷造りはしなきゃいけないだろう。しかし…
「いや、その前に住む所を探すだろう。荷造りだけしても行き先が…」
「そんなの、決まってるじゃない。うちに戻ってくればいいだけでしょ?」
さらりと、言った。あたかも当然かのごとく。
「カレン」
俺は大きくため息をついた。
「おまえ、自分の立場、わかってるか?」
「自分の立場?美貌の主席宮廷魔術師だけど、何か?」
「美貌のって、自分で…いやいや、そうだけど、そうじゃなくて」
「はぁ?なに言ってるのよ?わっかんないわね」
「いいか?おまえはA級の主席宮廷魔術師で、うら若き女性だ。地位もある。華もある。ある意味、帝星の注目の的だ」
「わかってるわよ。そんな本当のことばかり」
…なんか、空しくなってきた。
「対して、俺は?」
「C級のグータラ魔術師。仕事も少なく家賃を貯めすぎて明後日にはアパートメントを追い出される、ろくでなし。かろうじてハンサム。喋らなければ見栄えもいい…まぁ、これは私の主観か。で、それが何か?」
面と向かってここまで言われながらも、幼い頃からの力関係か、何も言い返せない自分が悔しい。
だが、言わなければならないこともある。俺のためじゃなく、カレンのために。
「酷い言われようだが、まぁいい。問題は、そんなろくでなしのグータラ魔術師が、女性の一人暮らしの家に転がり込んで、周囲がどう思うか。少しは考えろ」
「別に気にしないわよ?」
即答だった。あっさりと、切られた。
「だって、私、主席だもん。敵なんていないもん」
寂しい夜に詠う歌 孝和 @gaares01
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