007 アパートメント・夜 2

俺は冷蔵庫のドアを叩きつけるように閉め、その音でカレンの言葉を遮った。

「カレン」

 俺はカレンを睨みつけた。

「人を紙切れ代わりにするような奴だぞ?」

 彼女へ向かって、一歩踏み出した。

「確かに女にも隙はあったんだろう。そんなことは自業自得だ。だが、人をモノ扱いするような奴に媚びへつらうほど、俺は落ちぶれちゃいない」

 その言葉に、カレンは呆れたような視線を返した。

「アパートメントの払いができなくなる程度には落ちぶれてるけどね」

「カレン!」

「いい気なものね」

 カレンが一人掛けのほうのソファに深々と座り、脚を組む。まぁ、眼福と言えるほどには綺麗な脚なんだが。

「いったい何様のつもり?正義の味方にでもなったわけ?いつまでも子供みたいに。世の中、納得のいく事ばかりじゃないわ。どこかで折り合いをつけないと、世の中渡っていけないわよ?」

 その台詞に、俺もカチンときた。

「なんだい、主席宮廷魔術師様の、ありがたいお説教の時間になったのかい?」

「…アル、いい加減にしないと怒るわよ?」

「皇帝陛下のお膝元で、お偉い方々と腹のさぐり合いをしていると、なんとまぁ、人間腹黒くなるもの…」

「アルッ!」

 今度はカレンの怒声が俺の声を断った。ソファから立ち上がり、ふるえる指で俺を指す。

「私が好きで宮廷にいるとでも思ってるの?大臣や官僚たちとの腹のさぐり合いを、楽しんでると思ってるわけ?」

 声を張り上げるカレンの瞳に、光るものが滲みでてきた。


 まずい。言い過ぎた。


 カレンの叫びは止まらない。

「そもそも…そもそもあなたが!本来ならあなたがなるべきだったのに!老師の名を引き継いだ、老師のすべてを引きついたあなたが…」

 少し嫌みでもと思った俺が浅はかだった。カレンの逆鱗…いや、違うな。琴線に触れてしまった。

 俺は、ゆっくりと立ち上がり、正面からカレンを抱きしめた。

「すまない。言い過ぎた。そうだな、最初に逃げたのは、俺だった。すまない、カレン」

「だって、あなたが…あなたが話を受けないんじゃ、私が受けるしかないじゃない…私だって嫌だよ、あんな所にいるのは。しかも、いつの間にかホームからも出ていって…」

 カレンの声がだんだん小さくなってゆき、声も嗚咽混じりに変わってゆく。

 あぁ、俺は、またやっちまった。

「ごめん、カレン。そうだったよな。俺が最初に逃げたんだ。おまえは仕方なしに宮廷へと向かった。あの時から、カレンはA級の、俺はC級の魔術師になってしまったんだった。俺のわがままで」

「アル…」

「ごめんな、カレン。本当に、ごめん」

「…本当に、そう思ってる?」

「あぁ、本当だ。心からそう思って…あれ?」

 カレンを宥めるのに必死だった俺は、カレンの両腕が俺の腰に回り、背中でがっしりと両手を組んでいることにはじめて気がついた。

 俺は忘れていた。

 カレンは、A級の魔術師でモデル顔負けの美女であることは間違いない。

 間違いないんだが…ホームでは俺の姉貴分。言うことを聞かないときは力づくで叩きのめされてきたことを。

「ちょっ…待て、カレン!今、おまえ泣いてたじゃないか!俺、謝ったよな?!」

「そうね。でも、それとこれとは話が別なのよ」

 今にも触れそうなほど近い位置で、カレンの笑顔をみた。ものすごく屈託のない、晴れがましいほどの笑みだ。

「お仕置き、しなくちゃね?」

「待て!いや、待って…」


 次の瞬間、俺は美しい軌道を描きながら、カレンのフロントスープレックスをくらった。


 宮廷魔術師のローブを羽織ったまま、そんな技かけるなよ…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る