006 アパートメント・夜 1
「で、アル。いったいどういうつもりよ?」
俺の目の前に、帝国随一の主席宮廷魔術師様が立ちはだかっていた。
腕を組み、眦をつり上げ、口元はヒクヒクと痙攣しているが…そりゃ怒るわな。俺のためにわざわざ見つけてくれた仕事を失敗したんじゃ。
「どういうつもり、って言われてもなぁ…」
俺はソファにゴロリと横になった。
「まぁ、聞いての通りだ」
「聞いての通り?それは、フリーランスの魔術師が、帝国の宮廷魔術師からお情けで廻してもらった仕事を、見るも無惨に失敗した、ってことかしらぁ?」
「いや、カレン。それだけじゃないぞ?」
「えぇ、えぇ。聞いてるわよ。そのことをクライアントに報告しに行って、しかも喧嘩してクライアントをたこ殴りにしたらしいじゃない…いったいどういうつもりよ!私の顔に泥を塗るのが、そんなに楽しいのっ?」
俺は今、主席宮廷魔術師様に先に仕事の失敗の件で責められている最中だ。
主席宮廷魔術師…カレン。
俺と同じく老師の養い子で、老師亡き後、若干20歳にして宮廷魔術師団に入団し、わずか1年で主席にのぼりつめた希代の天才魔術師様だ。
しかも、容姿端麗。
小さめの卵形の輪郭の中に、若干扇状的にも見える紅の唇、青いアーモンド型の目、すっと通った鼻梁。わずかにシャギーを入れたショート気味の赤い髪。体のラインは、実にバランスよくメリハリのついた曲線を描き出す。美しき声は硝子でできた鈴を鳴らすがごとく、所作も優美にして華麗。
ふつうに考えりゃ、アパートメントの家賃をため込むようなフリーの魔術師との接点は、誰が考えてもどこにも見あたらないだろう。
俺は、憤然と構えるカレンの瞳を見つめ返した。
「な、なによ…何か言い訳でもあるの?」
俺の銀色の瞳がカレンの弱点だ。急に口ごもって、半歩ほど後ろへと下がる。
「カレン、今回の仕事がどういう依頼だったか、思い出してくれ」
俺の落ち着き払った声に調子を崩したのか、カレンは素直に「うん」と答えた後、1週間前に俺に話した内容を再現した。
「クライアントは製薬会社の重役。仕事は、盗み出された新薬の構造式を取り戻すこと。盗み出したのは、開発に携わっていた研究者。1週間以内に帝星から脱出する可能性がある。新薬は企業秘密だから、警察には依頼できない…ということよ」
「その時気がつかなかった俺も馬鹿だったが…構造式は何に記録されていたか知ってたか?」
「記録?チップか何か、簡単に持ち運びできるものじゃないの?盗むことが出来る程度なんだから」
「そう思うわな、普通は」
「え?違うの?」
主席宮廷魔術師様とはいえ、人間には変わりない。世間一般でいうところの「常識」の範疇で物事を考える。だからこそ、「普通」なんだ。
「その製薬会社の重役、俺か、もしくはカレンのことを起訴するとか何とか言ってきたか?」
「いえ、なんか視線も合わさずに文句だけ言って帰ってったけど…何があったの?」
俺は、今は帝星を離れていった一組の男女から聞いた話をカレンに告げた。正直、耳を疑うような内容だった。
「えぇっ?入れ墨?構造式を?」
「そう。その製薬会社の重役様は、こともあろうに自分の情婦が寝ている隙に、というか、薬で強制的に昏睡させて、新薬の構造式を入れ墨にしたらしい。それも、特殊な光学処理を施して、簡単には見えないようにして」
「うわぁ、変態だ、そいつ…」
カレンは心底嫌そうな表情で宣った。
「でも、アル。その話、本当なの?」
「ギャルソンに調べさせた」
俺はあの夜の記憶をなぞった。
「時間がないから処理のパターンは解らなかったが、確かに女の背中に光学処理された入れ墨があった。あと、二人の脈拍や発汗度から、嘘を言っていないとも判断できるそうだ」
「それにしても、なんで囲ってる女に入れ墨なんか…そんなの金庫にでもしまっときゃいいじゃない」
「社内での権力争いなんですと。同じ社内の人間じゃ、どんな金庫でも安心も出来ないってわけさ」
「あ、そ。嫌な世界ね。で、なんで男と二人連れなわけ?」
「男の方は、新薬開発チームのサブリーダー。何かの拍子に、構造式が女に入れ墨されたことを知った。女は女で、自分を紙切れ代わりに使うような男に愛想を尽かした。そんな時に、自分のことを心配する純朴な男がでてきたら、どうなると思う?」
「まぁ、目も覚めるわね。で、逃避行ってわけ」
「正解」
俺はソファから起き上がり、冷蔵庫を開けた。昨日まではビールしか入っていなかったが、今は野菜や肉がそれなりに入っている。カレンが買ってきた食材だ。
「話の経緯は解ったけど、なんでまたたこ殴りにしたのよ。いくら相手が変態だからって、一応クライアントでしょうに。二人の出立を待ってもらって、光学処理の解析をして、構造式だけ写し取れば…」
ダンッ!
俺は冷蔵庫のドアを叩きつけるように閉め、その音でカレンの言葉を遮った。
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