第5話:【早霧】行く先の見えない道

 高校生活、最初の一年が終わった。

 正確には四月になったら、だろうね。でも終業式が終わったのに、それは違うなんて言う人は居ないよ、きっと。


早霧さぎり、またねー」

「また来年ねー」

「ウケる。九ヶ月も休む気だ」

「それな」


 次に会うのは新学年になってから、と咄嗟に思って言っちゃった。でもきっとアイツらとは、また明日にでも会うに違いない。

 私が暇になって、暇を持て余して、見かねてあちこちに連れ回してくれたんだ。たぶん親友って、こういうのを言うんだよ。

 まあそれだけに、一年も終わったことだしどこか。なんて言っても、目新しい行き先が思いつかなかったけどね。

 そう言えば東京駅って行ったことなくね? って誰かが言って。そのままここへ来た。

 そりゃあみんな、来たことくらいあるはず。でもみんなで来たことはない。ツイニャーとかニャンスタとかで見かけるような、写真を撮って遊んだ。


「あれ、早霧じゃん」


 それほど大きな声じゃないのに、この人の声には反応してしまう。


「あ、先輩……」


 振り向いたらやっぱり、人混みの向こうに先輩が居た。私が夏までは所属してた、女子陸上部の二年生。


「なにしてんの」

「あ、えと、友だちが用事があるって。付き添いで」

「用事って?」

「え、用事は。あの――」

「遊んでたんだろ」


 なにも言えない。

 先輩は部活が終わって、いま来たところみたい。先輩だけじゃなくて、部活のみんなが頑張ってる時間に、私はバカな写真を撮って遊んでた。


「前に言ったよね。スポ薦すぽせんで入ったのにやめちゃってさ、他のこと頑張るならまだしも、なにやってんの?」


 中学時代、私は短距離でまあまあ有名だった。学校は違ったけど、中距離の選手だった先輩に憧れて今の高校に入ったんだ。

 スポーツ推薦も取れて、同じ高校に入って、同じ部活で頑張ろうと思ってた。本当に。


「人の迷惑とか考えないの? もう今、すごいイライラしてんだけど」

「すいません……」

「すいませんじゃない。すみませんでしょ」

「す、すみません」


 部活をやめたのは、怪我のせい。膝を壊して、医者に止められた。

 ドラマや漫画にあるような、「先生、どうにかならないんですか」みたいなのはなかった。しれっと「部活はやめてね。脚、動かなくなるよ」なんて言われて終わりだった。


「だいたいさ、ソレいつまで着けてんの? 不幸アピール?」

「いえ、すみません。取ります」


 隠そうとはしたつもりだけど、無理だった。膝がすっぽり入ってるサポーターなんか、隠せるわけない。

 なくても歩けるけど、補助具が入ってて、外して一日歩くと痛みが出る。でも今は仕方ない。靴を脱いで、さっと外してカバンに押し込んだ。


「……チッ」

「あ、ああ、えっと――」

「もういいから、消えてくれない?」

「は、はい。失礼します」


 手術をした時の傷痕。そんなに大きなものじゃないけど、三箇所。元々、ばっちり日焼けしてたから、白い傷が目立つ。

 それを手で隠しながら、すみませんと何度か頭を下げて、切符売り場に歩き始める。

 ちょっと歩いて見てみたら、先輩は地下に降りていくところだった。


「ふう――びびった」


 スポーツ推薦で、楽をして入学したかもしれない。でもそれ抜きでも成績がいいから問題ないって、先生は言ってくれたんだ。

 そんなの言える空気じゃないし、言ってもまたイライラさせるだけだろうけど。

 胸がドキドキする。変な汗もかいた。なにか飲みたいけど、買いに行く気力もいまはない。またそこから上がってきたりしないか、先輩の消えた階段を眺めて壁にもたれる。

 それならどこかへ行けばいい。いや、だから。もうちょい待って。


「あっ、すんません」


 ちょうど見ているところに、女の子が階段を上がってきた。みんな降りてるところを、逆らって上がってくる。


「あの……あ、すんません」


 駅員さんになにか聞こうとして、他の人に前を遮られた。それはどっちかっていうとその人が焦ってるだけなのに、舌打ちされてる。

 手に持ったメモを見ながら、呼ばれたのに気付かなかったっぽい駅員さんを追っていった。


「大丈夫なの、あれ……」


 田舎から出てきて、すぐに騙されてしまうって話を聞くことあるけど、都市伝説と思ってた。でも今の子は、本当にそうなりそう。

 関わる気力もないけど。

 ――まあいいや。代わりに、売店へ行く気になるくらいには気が紛れた。雑誌の表紙を眺めて、小っちゃいレモンティーを買って。

 どうしよう、とか悩む必要はないか。また先輩と会ったら気まずいし、そうでなくても買い物しようって気分じゃないし。


「あれ?」


 帰ろうと思って、改札に行こうとした。そしたら、さっきの女の子が居た。戻ってきた? どこ行くのか知らないけど、駅員さんに聞いたんじゃ?

 高校生かな。なんか暑そうな格好してるけど。キャリーバッグでさえない、大きなカバンに抱えられてる。

 改札からの人の波を越えようとして、一回諦めた。途切れるまで待つ気? この時間だと難しいと思うよ……。

 やっぱりメモを見ながら、乗り場の表示を何度も見上げてる。乗り換えかな? じゃあ、なんで改札出ちゃったかな。

 自分の気が重くて、あの切羽詰まった顔が見てられない。メモ見て、見上げて、人にぶつかりそうになって、行く先をじっと見て。インコかな。

 小刻みに首が動いてるのが、そんな感じだ。声をかけるまでは出来ないけど、目を離すのも難しい。

 あ、行き先分かったのかな。歩き出した。

 いやそっちは行き止まりだって。

 そう、そこはトイレ。ああ、我慢してたんだ。

 だからそっちは、さっき行ったでしょ。


「ああもう、イライラするなぁ……」


 こっちは色々言われて、落ち込んでるんだ。あんたなんかに関わってる余裕はないし、どんくさいのを見せられるのも鬱陶しいんだよ。


「――っだから! そっちにはなにもないってば!」

「う、うえぇ!?」


 いつの間にか、走ってた。

 ガラス越しに、外を歩く人とすれ違う通路。等間隔に並ぶ柱が、段々と狭まっていった。

 その子の袖をつかんで、急ブレーキ。膝にチクッと、痛みが走る。


「ど、どどど、どつらさん?」

「どつらさ? なに? どこ行こうとしてんの?」


 完璧な、ドすっぴん。モロに千円台のダウン。ただ分けただけのツインテ。近くで見ると、中学生みたいだ。

 でも顔立ちはそうでもない? もしかして私と同じか、一つくらい上かも。


「大丈夫。見てらんなかったから、案内するだけ」

「道さ教えでくらさるんけ? 助かるべぇ」

「あ――うん。どこ行くの?」


 うわあ、コッテコテの方言。どこから来たんだろ。まあ分かるからいいけど。

 その子が見せたメモには、不動産屋さんの名前があった。やっぱり違う駅の近くみたい。


「え、今から行くの?」

「んだ。あたし、今日こっぢに来で。アパートの鍵さもらわねど」

「え、大丈夫なの、もうこんな時間だけど」


 スマホを見ると、もう午後七時近い。不動産屋さんは開いてるかもだけど、今から引っ越しとか出来ないでしょ。


「大丈夫っす。道さ分がんねがっだらいけねど思っで。引っ越しは明日っす」

「ああ、今日は鍵をもらうだけなんだ」

「そうっす」


 さっきまで泣きそうな顔してたのに。なにがそんなに楽しいの?

 そう思うくらい、その子はニッコニコで笑ってた。


「じゃあ、今日泊まるとこは?」

「あ、えと。次のページに書いであるども」

「ん、ああ。ここね」


 よく名前を聞くビジネスホテル。女性専用じゃないカプセルホテルとかよりはいいって、聞いたことがある。


「えっと、先にこのホテルの行き方はね。あそこの信号機を左に曲がって、ずっと行ったら看板見えるから」

「あー、そっただ簡単だったべが。あたし、今日は野宿かなて泣きそうんなったべ」

「絶対やめてね。危ないから」


 それから不動産屋さんへの行き方も教えてあげた。でも今から行くと遅くなるから、鍵の受け取りは明日にさせた。


「ほんっとに助がったっす! あたし東京さ初めてで、地元だば迷うごどねがったんだども」

「ううん、いいよ」

「さっぎまで、こんなんで大丈夫がなて。んでも、あんだみでにいい人居んなら、大丈夫だべなって」


 初対面であんたって。私は全然、いい人じゃないし。


「ねえ、今日東京に来たって。なにしに来たの」

「あたし、パティシエールになるんす!」

「へえ……」


 はちきれそうな笑顔って、こういうのを言うのかな。その勢いだと、アイドルにでもなるって言うのかと思った。

 ケーキ屋さん、洋菓子屋さん。なりたい子を何人か知ってる。でもそんなにキラキラしながら言うような子は居たかな。


「頑張ってね。それと、気を付けて」

「ありがとっす!」


 それでその子は、何回も振り返りながら歩いて行った。その度に頭を下げて、手を振ってくれた。

 あ。パティシエールになるって、高校は卒業したってこと?

 そしたら少なくとも、三つは歳上だ。


「見えねー……」


 どこかの店で修行とかするのかな。それとも専門学校とかかな。あんな調子で、うまく行くのかな。

 背中が見えなくなるまで見送って、そんなことを考えた。

 でも彼女は、どこか遠くからここまで来たんだ。あんなにやりたい夢を抱えて、たった一人で。

 見た目はすごく子どもっぽいのに、私よりずっとずっと、比べ物にならない大人に思えた。

 それは、あの人よりも。


「名前、聞けば良かったかな――」


 なんだか胸の中が、すっきりしていた。

 急にもくもく湧いた入道雲が、激しい雨で洗い流したみたいだった。

 さっき走ったせいか、膝に違和感がある。でもこれくらいなら、ちゃんと休ませれば平気。

 カバンの中からサポーターを出して、元通り膝に着ける。

 もう誰かに言われたって、外すことはない。これはいまの私が歩くためには、必要なものなんだ。

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