第3話:【夏希】湧き立つ希望の頃
「はぁ? 東京に行ぐて
放課後の教室。夏休みが終わって、季節はまだ動かない。子どものころだと、もう涼しかった気もするけど。
あまり本気では考えてないだろうに、小馬鹿にしてくる
世間一般的に、普通に言えば幼なじみ。脚色するなら親友。
実態は、腐れ縁というところかな。
「まぁた小晴の得意ぃが出だ。小学校ん時に、ソロバン大会で勝っだ話はもういいべ」
「んなごと言っで、県大会だべ? 県で一番だば、自慢しでもいいべ」
「はいはい、すんげすんげ」
同じように他の子と話せば、ケンカになったっておかしくない。
お互い、どういう気持ちで言っているのか分かっているから、こうやって馬鹿にし合ったあとにも笑い合える。
「んでも、なして東京に? こごにも色々あるべ」
「色々て。駅前見だごどあるが?」
「あるに決まっでるべ。エヌズだら、ホシバだらあるべ」
「そいだらあるっで言わねべ」
どうして分かってもらえないんだろう。
それは当たり前だ。東京に行きたいと言っただけで、具体的なことは話してない。
他に東京へ行こうと思っているクラスメイトは、居るのかな。あっちの大学へ進学する子が居ても、おかしくないと思うけど。
「東京で、なにするべが? 大学行ぐっで言っでだがな?」
「言っでねえよ。大学さ行ぐんじゃねえもの」
「したら、なんでだ?」
あたしは、夢を語った。
お父さんにも、お母さんにもまだ言っていない。大切な、大切にしすぎて、もうすぐ崩れてしまいそうな夢を。
すると小晴は、教室に備え付けの進路ガイドブックを取りに行った。
彼女がそれを見ている姿は、初めて見たかもしれない。でも意外に慣れた手付きで、ぱらぱらとめくっていく。
「近ぐには、ねえみでだな」
「――んだ」
見逃してはいないかと、なんども目次を見返していた。私が目指す進路の、手ほどきをしてくれる学校は近県にはない。
「専門学校だべ? 勉強やっで、アルバイトやっで、まんま作っで。よぐそっただ話、聞ぐだどな。出来んのけ?」
「やらねば叶わね」
夢見ごこち。そう言われれば否定は出来ない。雑誌なんかで紹介されている写真に、踊らされてなんかとは言いきれない。
でもみんなそうじゃないの?
出来ると分かってることしかやらないの?
例えば男の子なら、野球選手になろうと小さな頃から始めて、高校生ともなれば甲子園を目指す道が見えている。
でもあたしがやりたいのは、そんな大げさなドリームじゃない。もっと普通に、東京では珍しくない職業だ。
ただそれを専門に勉強しようとなると、高校を卒業してからになる。独学ではやってきたつもりだけど、スタート地点がたまたまそこというだけ。
「本気だべな」
「言っでるべ」
というのは冗談でした、と言ってほしいのが分かる。本気だと確認しても、ほら笑えと小晴の顔がそう言っている。
笑って。冗談だよ、どこへも行かないよって言えと。
でもあたしは、言えないのだ。
今日、家に帰って、お母さんにも言う。そうしたら、上手だと褒め続けてきたことを後悔されるかもしれない。
それでも説得すると決めた。そのためには、小晴には味方でいてもらわなきゃいけないのだから。
「やれやれだぜ」
「なんだべ?」
「
「わげ分がんね」
あたしも小晴も、漫画やアニメを見なくはない。でもその話で盛り上がるほど、ハマっていることもない。
考えてみると、彼女とはなにをして遊ぶかしか話してこなかった。二人とも恋愛がどうこういう話もなかったから、真面目な話をする地盤がないことに気が付いた。
「私は納得したて言っでるべ。分がれ」
「分がるか、そっただもん」
やれやれだぜ。は、ここからだった。じゃあ帰ろうと、いつもみたいに笑い話をしながら歩いたのだけど、なんだかギクシャクとして、バス停までが遠かった。
◇◆◇
小晴に夢を話したのが金曜日で、次に会ったのは日曜日だった。
電話がかかってきたのは午前十時ちょうどで、もしかすると時計を見ながら、ずっとタイミングを図っていたのか。
その後どうなったのか聞きたいと言うので、近くにある喫茶店へ行くことにした。
大人ぶったわけじゃなくて、マスターはあたしたち両方の親と知り合いなのだ。
小学校に上がる前なんかは、無料の給水所くらいに思っていた。もちろん最近は、ちゃんとお金を払っている。
「待ったべが?」
「んなごどねえべ!」
「ムキになんねぐでいいべ」
小晴の家のほうが近いので、同時に出れば待たせるのは当たり前ではある。でもこの様子を見ると、かなり焦って出てきたらしい。
よく来たね、二人でなんの悪巧みだい? なんて、マスターはいかにも田舎のオッサン風なことを言う。いやそれがいつも通りで、いいんだけども。
メニューでも書き換えるのか、マスターはサインボードとして使っている黒板をカウンターの中に持ち込んで、なにか絵を描いているようだ。
「お母さん、話しだが?」
「言っだ」
「どんぐれ?」
「四時間?」
「……長えな。んでどうなっだ?」
「最初の三十分で、『行ってこ』って」
「早えな」
注文したのはオレンジジュースだったので、もう出された。
いつものことだけど、頼んでもいないカステラが二かけ、お皿に載っている。
「おじさん、いつもわりな」
「もらいもんだ」
あたしがひと口かじって、小晴が丸ごと口の中へ放り込むと、マスターは満足そうにカウンターの中へ戻っていく。
それをメロンソーダで流し込んだ小晴は、さっきよりも声を小さくして言った。
「止められながっだのけ?」
「止められは、しねな。どうしてえが、最初がら全部言えて」
「したら?」
「条件飲めば、いいて」
「なんだべ」
言った通り、お母さんと話した四時間ほどのうち、最初の三十分ほどで許可が出た。残りはなんだか、思い出話に花が咲いていた。
「毎日、電話するごど」
「電話代、高えべ」
「スマホ買っでもらうべ」
「それな」
「も一個。
「そんだけが?」
細かいことを言えば、お金をどうするかとかの話はした。でもそれは引き止めるためじゃなく、あくまで段取りの話。
だから、そうでないと行かせないということで言えば、それだけだった。
「そんだけだ」
「お父さんも?」
「お母さんが、無線で言っでくれたべ」
「いいっで?」
「お母さんがいいなら、いいっで」
遠洋漁業に出て、何ヶ月も帰ってこないお父さん。急ぎの用件なら漁協に電話をして、無線を繋いでもらえる。
普段、家に居ないのを負い目に感じているらしくて、よほどでなければお母さんになんでも任せている。
「へば、決まりだべな」
「んだな。あたし、東京さ行ぐ」
小晴の視線が、メロンソーダに注がれる。沸き立つ泡を、数えてでもいるのか。じっと、しばらく無表情で眺めていた。
「……よし、お祝いすっべ」
「お祝い?」
「おじさん、頼むべ!」
「ほいさ」
じゃんじゃーん。などと聞いたことのないメロディーを口ずさみながら、マスターはサインボードの黒板を持ってきた。
あたしたちからよく見える通路にそれは置かれて、書いてある文字は「進路決定、おめでとう!」と。
くす玉が割れて、紙吹雪が舞っている様子。その下で、なぜだかサーカスのクマっぽい子がクラッカーを鳴らしている。
よく分からないけど、ムダに上手い。
「え、これ――どした?」
「じゃんじゃーかじゃーん」
戸惑うあたしをよそに、マスターはカウンターに戻って、今度はケーキを持ってきた。口ずさんでいるのは、どうしてだか結婚行進曲。
「さっぎ来でな、急いで用意すっべて。たまげたべ」
「あー、わりな」
「いいべ、いいべ。めでてえごどだべな」
話す間に、ロウソクが五本立てられた。もちろん火も点いて「ほれ、消せ」と。
よく分からないけど、嬉しかった。
「ふううううぅぅぅ!」
「おめでと!」
「おめでたいべ!」
奥のほうに居た、関係ないお客さんも拍手してくれた。まあ近所で、顔と名前は知ってる人だけど。
なんだか目頭が熱くなってきて、慌てておしぼりで冷やした。小晴のくせに、なんてことをするんだ。
「なんでだべなって」
「ん?」
幸せのおすそ分けと、みんなで当分にケーキを分けた。代金は小晴持ちだったけど、その分はマスターが持つと言って。
それが行き渡って、マスターもカウンターに戻ると、小晴がぼそっと言った。
「なんでって、なんだが?」
「なんで私に、決める前に、教えでくれながっだべなって」
胸の奥で、きゅっと締まる音がした。
言い出せなくて、ずっと気にはしていた。そうしたら、ますます言えなくなった。そのうちに手続きの時期も迫ってきて、どうしようもなくなった。
もしも、内緒にしているのはひどいと貶されても、仕方がない。もう友だちじゃないと言われても、仕方がない。
それでもあたしは夢を叶えるんだと、覚悟を決めた。つもりだった。
「ごめんな」
「責めてねえべ。なんでだべなって」
「言っだらな。行げなぐなるなって」
「私が無理に、引き止めるて思っだが?」
小晴は俯いてしまって、顔が見えない。それでもケーキに伸びる、フォークの動きは止まらないけど。
この質問に、そうだと言ったら。きっと小晴は怒るだろう。たぶん今の時点で、かなり我慢をしている。
今日の電話で、さっき店に来た時に。まだ信じていたのかと、あたしが言うのを待っていた筈だ。
でも違う。嘘ではないし、小晴を疑ってもいない。
「違うべ。小晴と……小晴が近ぐさ居ねぐなるんだなて思っだら、怖えべ。考えねようにしねと、なんも出来ながっだべ」
「私のごどで、行がねっで思っだが?」
「なんべんも思っだべ! あたしが居ねば、あんたなんも出来ねえべ! そっただごどで大丈夫がって。小晴が居ねぐでも、あたしは頑張れるべがって……」
なにが言いたいのか、泣きたいのか怒りたいのか、わけが分からない。喉に涙が詰まって、濡れているだろうにカラカラに乾いた気がする。
「そいでも、やるんだべ?」
「やるべ」
あたしも、きっと小晴も。笑っているつもりなのに、完全な泣き顔だった。
お互いの顔を見ていると、なんだか笑いが込み上げて、また泣いた。
「帰っでくっがら! 一人前になっだら、こっぢさ帰っでくっがら! あたしのお店さ出すがら!」
「私も雇っでくれるが?」
「当たり前だべ!」
「やれやれだぜ」
マスターや他のお客さんへの迷惑も考えず、私たちは声を張り上げた。
「ぱ、ぱてーら……」
「パティシエールだべ」
「試食が要っだら、言うべ」
大好きな夢と、大好きな小晴と、両方を見続けて。あたしは東京へ行く。
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