第30話*歩む世界は違えども
「多くの者を傷つけ、殺めたと言ったな。それは本当なのか」
「少なくともコルコル族には犠牲者が出ている」
「そうなのですか」
ミレアはベリルを見上げ愕然として顔を伏せる。魔導師たちは、ミレアを悲しませたと落ち着かない様子だ。
「そんなことになっていたなんて知らなかった。本当だ」
「我らの手から離れれば、すぐに死ぬと思ったんだ」
逃げ出したとはいえ、自分たちの支配から離れた獣が生きながらえ
「我々はただ、負けないために強くなろうとしただけだ」
「それがこの
リュートは低く、唸るようにつぶやいた。
多くの犠牲を払い、彼らが得たものはなんだったのか。どんなに詫びようと、命を奪われた者が帰ってくることはない。
「ん。リュート?」
目を覚ましたティリスが立ち上がるのを支えつつ、これまでを説明する。
「そうなんだ」
油断したことをリュートに咎められるかと少し気を張ったティリスだが、彼は何も言わずに魔導師たちを見つめていた。
ミレアはふさぎ込む仲間を見やり、ベリルの服に目を移す。
「──それは、血の跡ですか」
「ばくりとね」
噛みつかれたことを手で示すと、ミレアは横たわっている獣を一瞥した。
「ごめんなさい」
強く瞼を閉じて体を震わせる。
頭から浴びたような血まみれの服に、仲間たちが作りだした獣の凶暴性は計り知れない。よくぞ倒してくれたと心から感謝したかった。
「どうしたい」
「えっ」
突然、振られた魔導師たちは互いに見合い、小声で話し合うも答えを出せないようだ。
「お前たちはどうか」
「これからも仲良くしたい」
言葉に詰まるセルナクスの後ろからマノサクスは率直に答えた。
「そうか」
ベリルはそれに険のない返事をする。
マノサクスの発言にセルナクスも魔導師たちもやや驚いた様子だが、セルナクスはしばらく考えて友の意見に同意する笑みを浮かべた。
「遺恨は残るにしても、話し合いで解決を図る事が良いだろう」
それに頷くセルナクスのあと、ちらりとリュートに視線を送る。
「俺たちには関係の無い事だ」
「そうだね」
ぶっきらぼうに答えたリュートにティリスは若干の驚きを見せ、笑顔で同意した。
「ありがとう」
はねつけるような態度に、今はそれがなんと温かく感じることかと安心を覚えてミレアは深く感謝の言葉をこぼす。
「罪を許した訳ではない」
無表情に言い放つベリルを見上げた。
「解って、います」
視線を落とし、我々が何を償えるのかこれからゆっくり考えなければと心を固める。ふいに動きを感じて顔を上げた。
「──っあ」
遠ざかるベリルの腕を思わず掴み、見下ろす瞳に戸惑う。どうして引き留めてしまったのか自分でも解らない。
「あの。その──」
「なんだね」
「礼──そう。礼がしたい」
それにベリルは眉間にしわを刻んだ。
「必要ない」
「そ、そういう訳にはいきません」
このまま離れたくないという気持ちから、ベリルの腕を掴む手に力が込もる。
「ミレア様からのたっての願いをむげにするつもりか」
「恥をかかせるな」
魔導師たちは一斉に声を上げた。彼女は長の娘というだけでなく、アイドル的な存在でもあるらしい。
魔導師たちのはしゃぎぶりに、こいつら自分たちがしたことを忘れたのではないだろうなと眉間に刻んだしわを深くした。
「それは大切な品か」
「え?」
彼女の腕にあるブレスレットを示す。
「いや、そういうものでは」
「ならばそれで良い」
色とりどりのさざれ石で作られたブレスレットは特殊な糸で組まれているのだろうか、ゴムとは異なる伸縮性がある。
バックポケットに仕舞おうとすると何故だかミレアの視線が切なげだ。ベリルは彼女としばし見合ったあと、さらに顔をしかめて手首にはめる。
そうして安心した面持ちになったミレアを確認し、再び背を向けたベリルの腕を今度は別の魔導師が掴んだ。
「ミレア様に何か捧げ物を」
「何故そうなる」
「頂いたのだからお返しをするものだ」
半ば押しつけられた謝礼に返さなければならない意味がよく解らない。そもそも、私から渡せるものなどある訳がない。
それでも、何かを渡さなければ収まらない雰囲気に思考を巡らせる。
そこで、腰の後ろに手を回してスローイング・ナイフ(投げ用ナイフ)をミレアに差し出した。
「これは……?」
「そんなものしか無くてね」
「ありがとう」
顔をほころばせ、受け取ったナイフを眺める。
まるで降りしきる雪原を思い起こさせるような鈍い銀色の輝きは手触りも良く、何気なく柄に刻まれた紋章に目を留める。
切っ先を上に向けた剣の柄に一対の翼がはばたき、その背後には簡略化した盾が刻まれていた。
師に自分の証を作れと言われ、悩み抜いてどうにか捻り出したエンブレムだ。
自ら死を選ぶことはなくとも、死を望んでいたベリルに
けれど、このエンブレムは不死となったベリルに今も強い絆を結び続けている。
──それからコルコル族の集落に戻り、ひとまず解決したとレキナに伝えた。
魔導師たちについては、セルナクスとマノサクスが話し合いの結果、コルコル族たちには伏せておくことにした。
もちろん、ウェサシスカには報告しなければならないが、二人は全力で魔導師たちを助けるつもりでいる。
「ポナパスはもういないんですか?」
「本当に!?」
「良かった」
村は安堵感に包まれ、にわかに活気づく。脅威は去ったのだと、村はさっそく宴の準備を始めた。
切り替わりの速さには呆れたが、これも彼らの良いところだろう。
「お二人も是非、ご一緒にどうぞ」
「え、いいの?」
「もちろんです。ボナパスを倒した勇者たちへの感謝の宴なんですから」
レキナは飛び跳ねたい気持ちをぐっとこらえて対応する。
「それじゃあ、お言葉に甘えるとしようか」
セルナクスの言葉にマノサクスは笑顔で首を縦に振り、翼を小さくばたつかせた。
会場はリュートとベリルが主に過ごしていた切り株広場で、設置の手伝いはリュートも行い、コルコル族たちとベリルが作った料理をティリスが運んでいく。
「リュート様、ティリス様、ベリル様。そして、セルナクスさん、マノサクスさん。ポナパスを倒していただき、ありがとうございます」
初めにレキナが挨拶をして、去った脅威とベリルたちに感謝の杯を掲げた。
──そうして夜も更け、
「ベリルは俺と飲むんだ!」
「オレと飲むの!」
「いい加減にせんか!」
折角の酒が不味くなる。
「ベリル~」
「待ってよ~」
食べ物の補充に遠ざかるベリルの背中に、二人は悲痛な面持ちで手を伸ばす。
「あはははははは」
それに笑いが止まらないティリスをリュートは緩やかな眼差しで見つめた。
「みんな笑顔になったね」
よかった。
「ああ」
「ちゃんと役目は果たせたかな」
別れが近づいていることを感じながら、ティリスは目の前の光景を記憶に焼き付けた。
──翌朝、ベリルは二日酔いで倒れて唸っているマノサクスとセルナクスに冷たい視線を送る。
リュートとティリス、そしてベリルは宴会の間にステムたちと話し合い、日が昇ってすぐ元の世界に戻る儀式をすると決めていた。
そのため、広場には召還の魔法円がすでに描かれている。
準備のあいだ、村人との別れの挨拶をしているティリスには子どもたちが名残惜しそうにしがみついていた。
「みんな。元気でね」
キューキューと泣く子どもたちに、集落を初めて訪れたときの事を思い起こす。
もう、あんな怖い獣は来ないよ。そうつぶやいて、小さな体を抱きしめた。
「ティリス」
「何?」
「こいつをなんとかしてくれんかね」
「ポヨちゃん!? ごめんなさい!」
ベリルの顔に張り付いているスライムを慌てて引きはがす。
「いつの間に出たの?」
かばんに入れたはずなのに。
「ぽよ」
心なしか寂しそうなピンクのスライムにベリルを見上げる。
「ベリルと離れたくないみたい」
困ったように小さく笑った。
──まずはリュートとティリスを先に戻す運びとなる。
ベリルが先でも良かったのだが、セルナクスとマノサクスが少しでも別れを引き延ばしたいがため必死の形相で話しかけてくるので仕方なく後になった。
「本当にありがとうございました」
レキナは召還の魔法円に立つ二人に手を差し出す。
「出会えて良かった」
その手を握り返したティリスが涙を浮かべる。次にベリルを見て駆け寄った。
「ありがとう」
別れを惜しんで抱きしめる。
リュートをちらりと見れば、面白くない顔をしているものの別れのときくらいはと我慢しているようだ。
ただし、顔はこちらを向いてはいない(二度目)。
リュートは気配を感じて顔を向けると、ベリルが近づいてくるので思わず警戒する。
最後の最後まで何かされるんじゃないかと疑いを見せるリュートにベリルは呆れつつも、ちょいちょいと指を曲げて少ししゃがませた。
「──っ!」
囁きに目を丸くして魔法円の外に出るベリルを見つめる。
「なんて言われたの?」
「なんでもない」
そうしてメイジたちの詠唱が響き始め、地面に描かれた模様が輝きを放ち二人を風が取り巻いていく。
リュートは見送るベリルを見やり、ゆっくりと目を閉じた。
──その力は、お前の誇りだ──
呪いとする事は容易い。けれど、お前はそれを誇りに変えた。
リュートがその言葉を、どう受け止めるのかは解らない。けれどベリルは、護るべき者のための力であると認識した。
守れなかった多くの命はときに、ベリルを押しつぶそうとする。それでも、伸ばした手を掴むため力の限りを尽くす。
それはこれからも変わらない。
二度と会う事の無い友よ、お前の進む道が正しいかどうかは解らない。重なり合う事のない世界で、お前たちの
「一度も名を呼ばれはしなかったがな」
二人の姿が消えた魔法円に、ぼそりとつぶやいた。
──視界が開けて、目の前には見慣れた森の姿が広がっていた。
「戻って、きた?」
「ああ。そのようだ」
二人は全身から感じる懐かしい空気に大きく息を吸い込む。ティリスは帰ってきた喜びと共に、レキナたちの顔を思い起こして少し寂しさを覚えた。
「夢なんかじゃ、ないよね」
こぼれた涙を拭い、胸元に光る青い石を見つけて召喚されてからの出来事が一気に脳裏に押し寄せる。
「リュート」
笑顔で見上げるティリスの肩をぽんと叩いた。
「今度ベリルが教えてくれた料理を作ってあげ──」
「絶対にやめろ」
──二人が消えた魔法円をコルコル族たちは
「成功、したかな?」
「戻ってこないよね」
「もう少し待ってみる?」
緊張しながら、さらに待つ。
「これは成功だよな?」
呼び出すのも戻すのも初めての彼らは、成功が解らなくてざわつく。
「成功とみて良いだろう」
「ですよね」
「やったあ~」
ベリルの言葉でようやく、ホッと胸をなで下ろした。
いよいよベリルの番となったとき、
「本当に還るのか」
「もう会えないの?」
セルナクスとマノサクスが切なげに視線を送る。
「喜ばしい事だ」
散々な目に遭った記憶を思い起こし、無表情に返した。
「ひど!」
「なんてこと言うんだよ!」
声を荒げる二人に、お前たちのせいだと目を据わらせる。
「さあ、どうぞ」
ステムは準備が出来た召喚魔法円にベリルを促した。
他の
「どうした」
「あー。たぶん、屋根が落ちたんだと思います」
レキナは苦笑いで答えた。
集落は未だ残るボナパスの被害を修復し続けている。そのなかに、今にも倒壊しそうな家屋があったのだとか。
それを聞いたベリルは少し考えて魔法円を出た。
「ベリル様?」
首をかしげるレキナを見下ろし、小さく笑みを見せる。
「修理は大変だろう」
「え?」
驚くレキナの後ろでコルコル族たちはわっと沸き立つ。
「いいんですか?」
「還る方法は確立されている」
歳も取らないからね。見上げるステムの肩をぽんと叩いた。
「服は」
「このままで良い」
戦闘服は作業に最適だ。
「ベリル!」
「やっぱりオレと別れるのが嫌なんだろ?」
「お前たちはウェサシスカに戻れ!」
嬉々としてすがりつくマノサクスとセルナクスを足蹴にした。
──修理には予想以上の期間が必要だった事もあり、ベリルは半月ほどをコルコル族の村で過ごした。
そのあいだ、セルナクスとマノサクスだけでなくミレアも度々、集落を訪れてベリルの料理やスイーツを堪能した。
「ベリル様。お達者で」
「お前たちもな」
「ありがとうございます」
レキナは涙を浮かべ、薄らいでゆくベリルの影に手を振った。
「ベリル!」
「また来いよ!」
「二度とごめんだ」
「ひど!?」
「もっと言い方があるだろ!」
マノサクスとセルナクスの叫びを最後に、視界は閉ざされた──
──視界が開けると、懐かしいとさえ感じる我が家のリビングに立っていた。
ゆっくりと見回し、リビングテーブルに置かれているコーヒーの湯気に腕時計を見下ろす。そこから壁時計に目を移すと、かなりのずれが見られた。
壁の時計は、不思議な目眩を覚えた時刻から十秒ほどが経過している。
「ふむ」
あまりにも突飛な記憶ではあるが、夢で片付けるには生々しい。
胸に輝く青い石を見やり、足元のバレルバッグのファスナーを開くと使った分だけ減っていた。
起こりえない現象と経験は、この先に続く終わりのない生涯に彩りを与えてくれるだろう。
手首にはめられたさざれ石に目を細め、小さく笑んでベリルは洗い場に向かった。
END
※作中に登場するティリス、リュートの二人とスライムのポヨちゃんは観月 らんサマのキャラクターです。これらのキャラクターは観月 らんサマの著作権下にあります。
クライシス・ゾーン~翡翠の悪魔~ 河野 る宇 @ruukouno
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