第16章 daydream


 夢を、見た――




『キミは、それでもまだ、ソルジャーの夢を追うというのかい?』




 俺に向けられたのは、驚きと、ほんの少し失望が込められた声。だけど、その声の主は、何故だか濃い靄に隠され、一体それが誰なのか判別をつけることが出来ない。


 ただ、その理屈っぽくも優しげなその声が、無性に懐かしく響いた。




 ――俺は二言三言、返事をしたはずだ。




『―――――――』


『―――――――』


 しかし、それもフィルターがかかっているみたいに、俺の言葉なのに、全く俺の耳に入ってこないのが何とももどかしい。


 俺の返答を聞いてその声の主は、くっくっと真似の出来ない、いつもの多少皮肉めいた――そして、ほんの少し悲しみを込めたような――笑い声を漏らす。


『そうか……仕方ないな。それがキミの選んだ道と言うのなら』


 でもね、とその声の主は続けて言った。


『例え、これからの進む道が互いに違っているとしても――』





『――キョン、僕とキミは、ずっと親友だ』






『HARUHI FANTASY Ⅶ -THE NIGHT PEOPLE-』


 第16章 daydream






 俺は一つの懸案を抱えていた。


 バギーも完全復活したし、長門も改めて俺たちの仲間になり、何もかも順調のように見える。が、肝心の朝倉情報は、コスモキャニオンでは結局何一つとして手に入る事無く、結局俺たちは国木田の言葉を信じるままバギーを北西へと進めるしかなかった。


 ――そして、今のままその北西方向に進んでいくと、


「……………ニブルヘイム、か」


 朝倉によって滅ぼされた俺とハルヒの故郷。そこに足を踏み入れざるを得なくなってしまう。果たしてこのまま足を先に進めるか否か。だって、ニブルヘイムという言葉を意識の上に上らせる度に、




 ――禍々しい業火に包まれる家々、


 ――無慈悲に切り刻まれていく村人、


 ――腕の中で冷たくなって動かない母さん、


 そして――俺の服をどんどん真っ赤に染めていくハルヒの鮮血――




 思い出したくもないヴィジョンの数々がフラッシュバックのように俺の脳裏を駆け巡り、俺は思わずブレーキを強く踏んでしまう。――俺でさえ慣性で思わず前のめりになってしまう位だ。後ろに乗っている連中なら尚の事――案の定、ハルヒが髪の毛を上げておでこを見せながら、けたたましい声を上げながら文句言いに来やがった。


「ちょっと、キョン!! いきなり急ブレーキ踏まないでよね! 見て、おでこぶつけちゃったじゃない!!」


 そんなハルヒの様子に、俺は気付かないうちに笑っていたようで、ハルヒはさらに憤慨する。


「な、何笑ってんのよ?! こっちは怒ってんだからね!」


「い、いやスマン。……ちょっとな。くくっ」


「??」


 さっきまで脳裏に浮かんでいた変わり果てたハルヒの姿と、今のイメージとのギャップがつい可笑しくて笑ってしまったんだが、それを面と向かって言えるはずもなく。さすがに奇妙に感じたのか、ハルヒは急に真面目な表情になって問い掛けた。


「……ひょっとして、ニブルヘイムのこと気にしてるの?」


「ああ……」


「そう……」


「………」


 一瞬、沈黙が場を支配する。が、それを打ち破るようにハルヒは決然とした調子で言った。


「……ねぇ、キョン。正直、あたしだって怖いわ。あれ以来一度も帰っていないんだし、今のニブルヘイムがどうなっているのか想像がつかないもの。……でも、気にしてもしょうがないんじゃない?」


「……ハルヒ」


 ハルヒだって気付いていない筈がないんだ。このまま行けば、かつての俺たちの故郷だった廃墟に辿り着くことを。でも、あいつはそんな事をおくびにも出さず、いつもと同じように振舞おうとしている。それに引き換え俺は――そう思うと自分が情けなく感じてしまう。それでも、


「だってあたしたちのニブルヘイムは……もうないんだもん。それより今はセフィロスを止めないと。あたしたちみたいな悲劇を繰り返さないためにも、ね」


 ハルヒはいつもと違う優しげな瞳で、俺を慰めるかのように言った。


「ありがとな」


 それが分かったんだろうな。俺にしては珍しくこいつに対する短い感謝の言葉が自然と口をついて出たんだ、不覚にも。


「きょ、キョンのくせにガラにもないこと言わないでよねっ!」


 プイッと顔を背けるハルヒをよそに、俺は再びニブルヘイムに向け、バギーのアクセルを吹かした。向こうに着くまでの間、ハルヒは頼まれもしないのに何故か頬を真っ赤にしながら助手席に座ってくれた。それがどうにも気恥ずかしい反面、どこか嬉しかった。ハルヒには内緒だけどな。




 けど、俺たちの想像を超えた事態が待ち受けていようとは。俺も、ハルヒもこの時は思いもよらなかった。










 

「そ、そんなバカな…」 


「嘘……」


 近づいた時にはまさかと思った。


 バギーから降りた時には我が目を疑った。


 そして「村」の入り口に立った時には、もう呆然と立ち尽くすしかなかった。






 何故なら、ニブルヘイムはそこにあったから――『5年前』と何一つ変わらぬ姿で。






「燃えちゃったはず、だよね?」


 俺と同様にハルヒも、動揺を隠せない声で俺に問う。


「……そのはずだ」


「それなのに、どうして? あたしの家もある……」


 ハルヒの家どころか俺の家もちゃんと建っていた。このまま入れば母さんが暖かく出迎えてくれる錯覚を覚えるほどに。ただでさえ混乱している俺に追い討ちを掛けるように、仲間からどことなく冷たい視線が刺さってくるように感じた。


「キョン君……何か、変?」


 朝比奈さんが困惑した面持ちで見つめているが、俺はそれに返す言葉が見当たらない。まさに『絶句』とはこういうシチュエーションのことを言うんだな。勉強になったぜ。いや、朝比奈さんや「キョンさん、夢でも見てたんじゃないのですか?」などと言いながらノーテンキにシュッシュッとシャドウボクシングの真似事をしている橘はまだいい。古泉とシャミセンに至っては、


「……まさか、カームでのあなたのお話は全くの嘘だったということですか?」


「少年。同情でもひこうと思って作り話をしたのかね?」


 完全に嘘つき呼ばわり。場の空気が一気に冷え込んで行くのがのが俺にも分かった。朝比奈さんが心配そうに無言で見つめているのが余計に堪える。


「キョン君……」


 でも、これだけははっきりと言える。


「……俺は……嘘なんか、言って無い!」


「そうよ! あたしだって――」


「俺は覚えてる……あの炎の熱さを……」


 余りにもムキになり過ぎているのは、俺もハルヒも分かっていた。それでも、この記憶だけは外野にとやかく言われたくなかった。古泉もそれが分かったんだろう。両の掌を上に挙げるいつもの仕草を見せて、


「……すみません。半分冗談のつもりで、言い過ぎたようです。とにかく、村に入って調べてみてはいかがでしょう」


「そうね……ひょっとすると生き残った人たちが村を再建したのかもしれないし」


 古泉の言葉に頷くハルヒだが、その言葉にはいつもの覇気がない。予想外の事実にハルヒも相当ショックを受けているようだ。――言うまでもなく、俺もだが。






 まず「村はあるんだから、まずは宿を確保するのです!」と野宿覚悟一転、ふかふかのベッドで眠れる確率が高まった事で、ルンルン気分になった橘のぶっ飛ばしたくなるような提案をとりあえず受け入れる事とし、俺たちは村唯一の宿へと向かった。


 その宿も、5年前と同じ位置、同じ佇まいで、俺やハルヒの記憶そのままに建っていた。


「はい、いらっしゃい」


 だが、扉を開けた俺たちを迎え入れてくれた宿の主人は、俺やハルヒの記憶の中にあるそれとは余りにもかけ離れていた。


「この村は5年前に全部燃えてしまった筈だ。一体どうなってるんだ?」


「お客さん、変な事言わないで下さい! 私はこの村で生まれ育ちました。そんな事は全然なかったですよ」


 憤慨しているのか頬を紅潮させて反論する主人だが、そんな馬鹿な話があるか。ニブルヘイムは狭い村だった。それこそ村人全部が知り合いなくらいに。こんな奴、俺は終ぞ見た事無い。ハルヒもビッと主人に人差し指を突き出して、探偵小説の主人公みたいに決然と言い放つ。


「おじさん、あんた嘘をついてるわね! 他の人には誤魔化せても、この涼宮ハルヒの目を騙そうたってそうは行かないわよっ!」


「失礼だなぁ……変な事言うなら出て行ってもらいますよ」


「なんですってぇぇぇ!!」


 ちょっと待った、ハルヒ。俺は今にも飛び掛ろうとするハルヒを後ろから羽交い絞めにした。


「キョン!? 何すんの!! 離しなさいよっ!!」


(馬鹿! 確かに何もかもおかしいし納得も出来ないが、折角の寝床を自分から放棄する事もないだろうがっ!)


 俺の必死の説得の甲斐あり、ハルヒはまだ納得のいかない顔をしているものの、何とか暴れるのを止めた。俺がハルヒをなだめている間に、財布持ちの古泉が宿泊の算段をつけていてくれた。俺たちはひとまず部屋に上がり、荷物を置いてから村に出て情報を集める事とした。ひょっとすると、あの事件を知る村人も残っているのでは――という微かな希望を持ちながら。






 結果、それは大いに甘い考えだった訳だがな。






「ここはいい村でしょ? あたしらは昔っからここで商売してますけどね……」


 まず、隣の雑貨屋。台詞とは裏腹に、俺たちが小さい頃お世話になった人の好い親父さんとは似ても似つかない男がカウンターに突っ立っていた。


「……嘘だ」


 呻く様な俺の言葉に、雑貨屋の男はいぶかしむ様な瞳で、俺を一瞬睨んだ。


「もしかして……あなた、この村の関係者?」


「14歳までここに居たんだ。でも、俺はあんたなんか知らない」


 だが、男は慌てたように首を何度も振って叫んだ。


「嘘はいけませんよ!!」


 それにハルヒが黙っている筈も無く。


「何言ってんの?! 嘘ついてんのはあんたの方でしょ!」


「はあっ? お嬢さんまでそんな世迷い言。商売の邪魔するなら出てって貰いますよ!!」


「ぬわぁあんですってぇぇぇぇ!!! 」


 で、宿屋の繰り返し、以下略――となると思ったのだが、






「う……あ……ぁああ……リユ……ニオン……行きたい……」






 雑貨屋の隅っこから不気味な呻き声が上がる。それは俺たち全員を身体の芯から震えさせるのには十分なものだった――あ、長門と周防は除くが。


「……な、なんなの……ですか、今の……」


 中でも一番ビビッてると思われる橘が青ざめた笑顔を貼り付けて俺のほうを見ている。俺だって分かるわけないだろ――と言い返そうとした瞬間、何かが引っかかった。そう言えばあの呻き声、どこかで聞き覚えが――


「ねえ、あの不気味な呻き声、一体何なのよ!!!」


 ハルヒは雑貨屋の男に掴みかかるが、彼は「いいえ、別に何にも聞こえませんよ」と言うばかり。だが、俺たち全員バッチリ聞こえているんだ。明らかにすっとぼけている。ハルヒが再三に渡って締め上げても、男は一向にしらばっくれるだけで、その姿は逆に不気味でもあった。


 埒が明かないので、俺たちは恐る恐るその声がする方に近づき、その正体を確かめることにした。俺は何が起きてもいいように、コスモキャニオンで買い求めた漆黒の剣、バタフライエッジに手を掛けながら。


「う……あ……あぁ……」


 剣の切っ先を声の正体に突き付けながら見たその姿に、俺は危うくそのまま剣を突き刺すところだった。


「黒マントッ!!―――の男?!」


 みずぼらしい黒いマントを被った姿は、まさしく俺たちが追い求め、かつ行く先々で見た朝倉のそれだった。しかし、眼前にいる人間(?)は灰色の髪をぼさぼさに汚した男だった。その男は「う……あ……あぁ……」などと苦しげな呻きを繰り返すばかりで、俺たちが近寄った事にすら気がついていない様子だった。


「……キョン君」


 朝比奈さんが背後から俺の袖を引く。不安げに可憐な瞳を潤わせつつも、何かを確信しているかのように、桃色の唇をギュッと結んで言った。


「似てます……伍番街スラムの、あの病気の人に……」


 彼女の言葉でようやく合点がいった。そう、俺が朝比奈さんをスラムの家に送り届ける途中で出合った奇妙な病人の声とよく似ていたんだ。そう言えば、彼はあの後どうなったのだろう? スラムの事だ。ちゃんとした医者に診てもらったとは考えにくいが……ともかくも、俺は彼のマントを捲って左の腕を確かめる事にした。そこには案の定、


「……『Ⅵ』の刺青があるな」


 伍番街の彼と同様に無造作に大きく彫り込まれた数字。到底本人の趣味とは思えない。第三者が何かを見分けるために施したものと考えるのが自然だろうが、何の目的なのかさっぱり見えてこない。それだけでも不気味なのに、さらに――




「聞こ……え……る? セフィ……ロスの……声……」




「きゃあああああああぁぁぁ!!!」


 むしろ、お前の悲鳴の方がビックリだ、橘。それはともかく、奥の暖炉の傍に同じ様に『ⅩⅡ』の刺青をした黒マントの男が、同じ様にうわ言を呟きながらうずくまっていた。――いやそれよりも『セフィロス』?!!!


「おい、セフィロスが――朝倉がどうしたって?!」


 俺はすかさず、その男の胸倉を掴んで問い質すものの、その男の目は決して焦点を合わせる事無く虚ろそのもので――


「おい! こっちに目を合わせてちゃんと応えろ!!!」


「ダメです、キョン君!」


 苛立ちのあまり、襟元を掴んだまま殴りかかろうとした俺の右腕を朝比奈さんが押し留める。


「……気持ちは分かりますけど、止めて。とにかく、手当てしないと」


 朝比奈さんは苦しむこの男たちを見かねて『ケアル』を施すが、全く効果の程が現れず、


「う……あ……ぁああ……リユ……ニオン……行きたい……」


 などと二人して呻き声を繰り返すだけだった。朝比奈さんは悲しげに瞳を伏せる。そんな憂いたお顔もとっても美しいです――ではなくてだな。


「おい、本当にこんな奴らがいるのに気付いていなかったとでも言うのか?」


 俺は振り返って雑貨屋の男に詰問するが、男はあくまで平然としている。ゆっくりと店内を見回してにこやかに、言った。


「いいえ。この店にはさっきからずっと――あなた方しか居ませんよ?」


「おおお、おかしいのですっっ!! あ、あたしたちが来る前から、そそそそこにいいいい居るみたいなのですよ!!! ガクガクブルブル……」


 いきなりのホラー展開に、もうパニック寸前の橘のヒステリーめいた叫びにも、「ですから、ここには私とあなた方しかいませんって」というばかり。その間、目は一度も刺青の男に向いていない。……まさか、本当に見えていないのか、あれが?


「堂々と、う・そ・を・吐くなぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 さすがにハルヒの堪忍袋の緒が切れたのか、ドロップキックが雑貨屋の男に炸裂した。


「もう、ここに居ても埒が明かないわ!! 他の家を当たりましょう!!!」


 泡吹いて倒れる男の前で仁王立ちしながら宣言するハルヒに、この場はもう、古泉が「それがよろしいかと」というしかなかった。取り敢えず必要なポーションやらエーテルやらを取ってその分の御代をカウンターに置き、俺たちはその場を立ち去った。




 外に出たハルヒは不機嫌を隠そうとしなかった。俺を見ながら何やら一人でブツクサ文句言っているようだ。


「ったく、キョンはセフィロスのことになると見境がないんだから……ブツブツ」


「何か言ったか、ハルヒ?」


「……べっつに。で、次は――あんたの家ね」


 そうだった。昔の記憶そのままに建っているこの家に、俺はこれから入るのだ。


「キョン君……」


 大丈夫ですよ、朝比奈さん。俺はとっくに覚悟で出来てますから。それに……



 ひょっとすると、あの惨劇はタチの悪い夢で、扉を開けると、母さんが元気に出迎えてくれるんじゃ――






 ――なんて有り得ない、それこそ夢みたいな事を考えながら、俺は5年ぶりに『我が家』に足を踏み入れた。






「なんだい、あんた?」


 予想していた事のはずなのに、結構ショックが大きかったのには自分でもビックリだ。外見だけはまさしく自分の家なのに、入った途端「なんだい、あんた?」じゃあまりに遣る瀬無い。


 しかし、現実というのは非情なものだ。俺たちの目の前に居るおばさんは、やはり俺の母親では決してなかった。


 彼女は俺たちを胡散臭そうな目でジロリと睨みまわした。その行為に、何故だか俺は気圧されそうになる。いや、そうじゃない――





『は~い?――キョン!?……お帰りなさい!!」




 ――玄関にも、




『どれどれ……晴れ姿、母さんにもよ~く見せておくれ……ふ~ん……惚れ惚れしちゃうねえこれ、ソルジャーさんの制服かい?』




 ――居間にも、




『……心配なんだよ。都会には色々誘惑が多いんだろ?ちゃんとした彼女がいれば、母さん、少しは安心できるってもんだ』




 ――台所にも、




 この家の至る所にある母さんの記憶が、もう二度と手の届かないぬくもりが、俺をたじろがせているんだ。……違う、違うぞ。こいつは母さんじゃない。母さんじゃない――のに、どうして母さんの姿が目に浮かぶ!! 畜生っ!!!


「――大丈夫。わたしたちがいる」


 心が千々に乱れそうになる俺の手を、長門がひんやりとしたその手で包み込み、いつもの無機質な声を掛けてくれた。それだけでも俺の心が落ち着いていく。……ああ、そうだ。ここでしっかりしないといけないんだよな。ありがとうな、長門。俺は帽子の上から長門の頭にポンと手を置くと、深呼吸をしてその女に言い放った。


「俺は――この家に14歳まで住んでいた……いや、それよりこの村は全部燃えたはずだ!!」


 しかし、その女はにべもなくあしらうだけだった。


「何を寝惚けた事言ってるんだい! 顔洗ってからおとといおいで!」





 ――俺たちは手にしていた箒ではたかれ、『俺の家』から追い出された。










 数時間後。


 全ての家を回って宿屋に帰り着いたときには、すでに日も暮れかけていた。予想以上の疲労困憊ぶりに、しばらく誰一人として口をきく奴はいなかった。


 ……無理もない。全滅したはずの村がその当時の姿のまま完璧に残っている、それはまるで白昼夢のような世界。それだけでも不気味なのに、俺もハルヒも知らない住人たちの存在、そして――




『あれ……を……手にい……れ…………セ……フィロスに……届けるの……だ。――そ……して……おぉ……セフィ……ロスと……ひとつ……に』




『……行かな……くては…………リユニ……オン』




『……何処……で……す……か? セフィ……ロス……様』




 『Ⅴ』や『ⅩⅠ』、『Ⅳ』などと数字の刺青を施された黒マントの人間たちが、虚ろな瞳を光らせて、呻き声を立てながら村の中を彷徨い歩いているのだから。橘なんか、



『キョンさ~ん、ははは早くこんな村出ましょう! も、もう野宿でもいいいいいのですっっ!!!』


 などと泣き言を繰り出す始末だ。それにハルヒも、そんな刺青人間に自分の家が占拠されているのを目の当たりにしたためか、口数が普段の十分の一まで激減している。まあこいつの場合、どっかに泊まる度に、やれ枕投げだ、徹夜トランプだ、とこっちが疲れてるのに、更にその疲れを倍加する夜のイベントを打ち立てるような奴だから、静かにしてもらった方がありがたいのだが。


 それはともかく――


 あの黒マントの奴ら、口々に朝倉の名前を出していたな。そう言えば、ゴールドソーサーで園長の岡部も、朝倉について、


『それに手の甲に『Ⅰ』のタトゥーをしていたぞ』


 と言っていた事を思い出す。最早偶然という言葉では片付けられまい。あの刺青は誰が彫ったのか。そして、奴らが口走っていたもう一つの言葉――『リユニオン』。それは一体何を意味するのだろうか――などという事を考えていると、


「…………」


 上着がクイクイ引っ張られているのに気が付く。振り返るとそこには黒い三角帽子を被った長門がいつもの無機質な瞳のままで立っていた。


「どうした、長門? 帽子、脱がないのか?」


 ちなみに現在俺たちが居るのは、宿屋の階段を上がった先にある2階の廊下だ。ここで話していると、どうも狂ってしまう前の朝倉と語り合った記憶が呼び起こされ、落ち着かない気持ちになるのだが……まあ、いい。


 長門は、俺の言葉に首をふるふると横に振り、帽子のつばを両手で大事そうにつまみながら言った。


「いい。……これはエミリの形見。わたしは、エミリとずっと一緒」


 そうか。お前の姉貴の帽子、だもんな。そういう事なら俺は別に何も言わないぜ。それに、その帽子、結構似合ってるもんな。


「そう……?」


 ああ、かわいいと思うよ。そう言うと、長門は頬を少し赤らめ、それを隠すように俯いて「無自覚にそのような言葉を発するから……」などとよく分からない事を呟いていたが、しばらくすると何事もなかったかのように、「本題は別」とややぶっきらぼうに短く告げた。そうか、悪かったな。よかったら話してくれないか、長門。


「……刺青……わたしと同じだった」


 俺はハッとある事に思い至った。そうだ、長門の左腕にも『ⅩⅢ』の刺青がある。そもそも長門は、宝条の『サンプル』としてミッドガルに閉じ込められていたんだ。ひょっとすると、宝条の研究とやらと何らかの関わりがあるのかもしれない。そしてそれは朝倉にも繋がっている――宝条、神羅、朝倉……それらのキーワードが俺の頭の中でパズルのようにピタリとはまりかけたその時、


「確かに気になっていたんですよ。長門さんの刺青もそうですが、この村自体も何かおかしい」


 にやけ面のイエスマンがぬっと横から現れたために、さっきまでの思考がどっかに行ってしまった。くそ、古泉め。おまけに顔が近い。寄るな。


「これは失礼。しかし、あまり大きな声を出しすぎると、村の人間に我々の話が漏れかねませんから」


 村の人間? どういうことだ。すると古泉は微笑を浮かべたまま、お得意の長ったらしい解説を始めるのだった。


「あなたたちのいう村の焼き討ちの真偽はともかく、この村が何らかの秘密を抱えている事は容易に想像がつきます。あなたや涼宮さんの記憶にないのに昔からこの村に住んでいると言い張る住人たち。彼らはあなたたちの話を聞いて、一瞬目が泳いでいるのを隠しきれませんでした。明らかに、何かやましい事がある証拠です。しかも、彼らは僕たちが遭遇した、あの黒マントの不気味な人間たちについて、知らぬ存ぜぬを通しています。あの人間たちはどう考えても、幽霊や物の怪、いわんや僕らの幻覚の産物ではありえません。多分、村の人たちは彼らを無視しているか、それとも居ないものとして扱うように命じられているか……」


「命じられている……まさか」


「長門さんのケースも鑑みると、宝条、というより神羅が関与していると考えるのが自然でしょうね。それに、気付きませんでしたか? 僕らが村を歩き回れば回るほど、村人の視線がきつくなってきた事に」


 気付かないわけないだろ。俺を誰だと思ってる。確かに、奴らの目にはあからさまな警戒心が宿っていた。これ以上村を調べられては困るというのがありありと顔に出ていたぜ。……だとすると、今夜は危険だな。


「ええ。もし彼らが神羅と繋がっているならば、恐らく口封じの手段を持っていることでしょうし。さらに悪い事に、僕らは第1級テロリストという名のお尋ね者ですからね。安全のことを考えるならば、一刻も早くこの村を出たほうがよろしいかと」


 そうだな。お前のいう事ももっともだ。だが……と、口を開く前に、髪をしっとりと濡らした湯上りのハルヒが階段を登って来て言った。


「ごめんけど、それは却下ね」


「涼宮さん?」


「確かにここに一晩留まるのは危険だけど、もし神羅の奴らが関わっているのなら、なおさら確かめたい事があるの」


 どうやら俺と同じことを考えていたようだ。俺はそれを確かめるかのように尋ねる。


「……神羅屋敷、だな」


「そうよ。あそこは神羅の社員が使っていたという屋敷よ。そもそも、こんな辺鄙な村に神羅が拠点を構えていたなんておかしな話じゃない。きっとあの屋敷に何か秘密があるのよ」


 ホント、ここまでハルヒと意見が一致するとはね。明日は猛吹雪にでもなるんじゃないのか? 古泉もここまで言われるとさすがに折れるしかなく(そもそもハルヒに逆らえる筈もなく)、ハルヒと一緒に風呂から上がってきた朝比奈さんや周防、シャミセン(てか、お前、一応オスのくせして朝比奈さんと一緒のお風呂に浸かったと言うのか、許せん!!)も賛同したため、結局予定通りここで一泊する事が決定した。まあ、それ以前に――


「あ、それより、ユキ。お風呂空いたから入ってきていいわよ。それにキョウコも……あれ? ユキ、キョウコは?」


 長門はスタスタと女子用に割り当てられた部屋のドアを開けて、その中を無言で指し示す。


「う~ん。もー食べられないのですー」


 ……その先には、ベタな寝言を吐きながらグースカ眠っている橘がいた。どうやら、村全体お化け屋敷状態のニブルヘイムを怯えまくって歩いた挙句、疲労が限界まで来ていたのだろう。


「……どっちにしろ、ここから出て行けそうもないわね」


 やれやれだぜ。








 そして、誰もが寝静まった夜半過ぎ――




 ドンッと荒々しく客室のドアが開かれると、


「全員ひっ捕らえろ! 刃向かう奴は殺しても構わん!!」


 との号令の下、銃を持った数人の神羅兵が俺たちが寝ていた客室に押し入った。だが、


 ―――ザシュッ


「ぐわっ」


 ―――ガガガガガガガッ


「ぎゃっ」


 部屋に押し入ったその瞬間、神羅兵は剣で袈裟斬りにされ、機関銃で蜂の巣にされた。それをやったのは当然――


「ふん、口程にもない。お前らそれでも神羅の急襲部隊か?」


「どれだけ物音を隠そうとしても、これだけいれば気配で気付きますよ」


 ――あらかじめ扉の両側で待ち伏せていた俺と古泉だ。


「チッ、気付いてやがったか。β班、突入せよ!!」


 赤い隊長服を着た男がトランシーバーで指示すると、今度は後ろの窓を蹴破って新手の神羅兵が踏み込んできた。前後の敵に対応するのに、自然、俺と古泉は背中合わせとなった。


「さて、予想通りの展開となったわけだが……」


「……涼宮さんたちが心配ですね。手っ取り早く片付けましょう――ふんもっふ!!!」


 言うな否や、古泉は機関銃をぶっ放して神羅兵をなぎ倒していく。しかし、こんなにあからさまにでかい音をたてたら、幾ら傍若無人、自信過剰、馬耳東風なハルヒでも目が覚めるだろうよ。


「何言いたい放題言ってくれてんのよ、アホキョン!!」


 その言葉と共に、俺に斬りかかって来た神羅兵の後ろからドロップキックをかましてハルヒが現れた。


「ハルヒ!?」


「こっちはもう粗方片付けたわよ。男の癖におっそいわね」


 ぐっ……そっちこそ言いたい放題言ってくれやがる。見ると、長門も朝比奈さんたちもキチンと服を着て敵を掃討していた。しかし、みんなよく気が付いたな。すると、ハルヒは胸を張ってえばるように言った。


「ふふん。キョウコがね、あらかじめ罠を仕掛けといてくれてたのよ。お陰で余裕を持って反撃できたって訳」


 ハルヒは傍らに居た橘を抱き寄せ、例の100ワットの笑顔でピースサインを作った。橘は「よくやったわ、キョウコ。SOS団の殊勲賞ものだわっ!」と頭を撫でられながら我が事のようにべた褒めされ、嬉しげに顔を赤らめていた。だが、罠を仕掛けたって、いつの間に……さすがウータイ忍者の末裔ってか。


「えへん。キョンさん、これで少しはあたしの事見直しましたか?」


 それより、後ろ後ろ! 敵が来てるぞ!!


「!? させるか、なのです! 『血祭』!!!」


 叫ぶや否や、橘は身の丈ほどの手裏剣を振りかぶって背後にまで迫っていた神羅兵を一閃! 息つく暇もなく四方八方から正拳突き、蹴撃を繰り出し――


「とどめ、なのです! 喰らえぇぇぇぇぇ!!!!」


 跳躍し、最早ふらついている敵の脳天から手裏剣を突き刺した。……神羅兵は、一言も発する事無く、血飛沫を上げてその場で崩れ落ちた。――まさに『血祭』。こいつも、本気になると侮れないな。俺も負けられんな――


「……そ、そんな馬鹿な……γ班は、包囲していた奴らはどうしたんだぁぁ!??――くくく来るなぁぁぁ!!」


 ――と思ったときには既に、敵はあまりの想定外の展開に狼狽して、明らかに戦闘能力を喪失している隊長格の男しか立っていなかった。


 俺はやれやれと溜息をつきながら、切先を赤服の男の喉下に突きつけた。


「さて、残るはあんた一人になった訳だが――誰の差し金で、俺たちの束の間の安眠を妨害してくれたんだ? 答えろ」


「…………」


 だんまり、か。最早完全に敗北を悟ったか、最後の務め――依頼主や背後関係について黙秘を貫いたまま果てる――を全うするようだ。さっきみたいな恐慌状態の方がやりやすかったのだがな。男は覚悟を決め、拳銃を真正面に俺の心臓を目掛けて構える。……こうなっては仕方ない。


「――『凶斬り』!」


 俺は最後にその男を「凶」の字に切り刻み、深夜の戦闘はようやく終わりを告げた。






 ――戦い終え、朝比奈さんの回復魔法を受けながらハルヒから、外を囲んだ敵には周防とシャミセンがあたっていると聞かされ、外へ出てみると、既にロボット一体と一匹以外、人っ子一人の姿も見えなかった。まさか、全部お前らがやったのか?


「この子の髪で一挙に全員巻きつけて締め上げた。数秒持たずに気絶したから、そのまま放置しておいたが、いつの間にやらみんな消えてしまった」


 という事は逃がしたのか……残念。俺たちを襲わせた黒幕について聞けると思ったのだが。


「……調べなくても、ある程度推測は可能」


 確かにな、長門。俺たちがこの村をうろついただけでもこの反応。ますますこの村に神羅の重要な秘密が隠されてると疑わざるを得ない。


「これは是非とも神羅屋敷を探らないといけないな」


「……そうね。とにかく今夜はもう寝ましょう。警戒だけは怠らないようにね」


 ハルヒの言葉に、古泉も朝比奈さんも長門も頷き、俺たちは静かに宿屋へと戻った。


「えええぇぇぇ!!!? あの明らかに辛気臭くて、確実に何かが化けて出そうなお屋敷に本当の本当に行くのですか?!!」


 ……約1名、ブルブル震えている奴がいたが。


「そんなに怖かったら、屋敷の入り口で待ってもいいぞ、橘」


「ななな、何を言ってるのですか。ままままったく怖くなんてななないのです! って、ちょ、ちょっと待ってくださいよ、キョンさ~ん!!」






 朝というものは何があろうと必ずやって来るものだ。――例え、真夜中のいかれた闖入者たちの所為で貴重な睡眠時間が削られて、俺を含めて全員(ああ、ロボットの周防とシャミセンは当然除くとして)が完璧に寝不足状態になっていたとしても。


 しかし、今日は神羅屋敷を調べた後、一気にニブル山を越えて北に行かなければならない。真夜中に神羅の襲撃を受けた村にもう一晩泊まれるほど、俺たちは図太くはないからな。ハルヒはどうか知らんが。という訳で、一刻も早く発たねばならなくなった。正直、もうちょっと寝ていたかったが……やれやれだ。


 朝食もそこそこに、服を着替え、準備を入念に行った後、俺たちは宿を出た。――何事もなかったかのようにチェックアウトにやって来た俺たちを見て、主人が驚愕の余り泡吹いて卒倒していたのは痛快だったぜ。


 外に出ると、可愛らしい小鳥の鳴き声の出迎えと共に、朝の暖かい陽の光が俺たちを照らし、相反するようなひんやりとして澄んだ空気が包み込んでくる。何もかも変わってしまったニブルヘイムだが、この田舎特有の朝の心地よさだけは変わらないでいてくれた事が、嬉しくて、物悲しかった。そんな感傷めいた気分に浸っていると、先行して宿を出ていた古泉が、にこやかスマイルを貼り付けたまま戻ってきた。


「バギーは近くの手ごろな洞窟に隠しておきました。二重三重にロックした上に、偽装も施しましたから、よもや盗まれたり破壊されたりする事はないかと」


「ご苦労様、古泉君。――じゃあ、みんな行くわよ。覚悟はいい?」


 ハルヒの言葉に、俺たちは無言で頷く。あの黒マントを被った人間たちがうわ言のように呟いていた言葉、そして彼らの存在と神羅屋敷が結びついてくるのなら……ひょっとすると、そこで朝倉と相見える事になるかもしれない。




 ――もし、戦う事になったら……勝てるのか?




 ――それ以前に、戦えるのか?


 


 何を考えているんだ、俺は! ふと頭の片隅をよぎった疑念に、俺はかぶりを振って必死にそれを打ち消そうとする。迷うな、恐れるな、戦うんだ、いや、戦え。さもなくば、世界は滅茶苦茶に狂わされてしまうんだぞ。今俺が立つ故郷、ニブルヘイムのように。


「もう、何やってんのよ、キョン! グズグズしてると置いていくわよ!!」


 俺がぼうっとしている間にも、ハルヒたちはとうに歩き出していたらしく、前方からハルヒの怒鳴り声が飛んでくる。そうだ、こんな所で立ち止まっている暇なんてないだろ。俺は駆け足で、神羅屋敷のある村の外れへと続く石の階段を登っていった。




 神羅屋敷――そう村の人間から呼ばれていた洋館は、5年前の記憶そのままに目の前に建っていた。下の村みたいな紛い物ではなく、本当にそこだけ時間が止まっているかのように。


 その屋敷の前にも、村で見た黒マントを被った人間たちが二、三人うろついていた。彼らは口々に小さく呻き続けている。




『うぁぁぁあああ……呼んで……る……セフィロスが……呼んでる……』




『セフィ……ロス……様……近くに……いる…………屋敷……の……中……おおぉぉぉ……セフィ……ロス……』




「セフィロス……やっぱり、ここにいるのね」


 隣でハルヒの息を呑む音が聞こえてくる。こいつにしては珍しく緊張しているようだ。でも、それは俺だって同じだ。さっきから、まるで初恋の同級生に告白する寸前のように心臓がバクバクしっ放しだぜ。――今の喩えに他意は無いからな、念のため。


 しかし、まあ黒マントの群れの何とも気味の悪い事。その地の底から響いてくるような不気味な呻き声が、目の前に聳えるこの屋敷を一層ホラーな物に仕立て上げている。てなもんだから、橘なんか違った意味で震えが止まらんようだ。


「きょ、キョンさん!! 何かととととっても、しっしつれーなことをかんgえてrるみたいですが、ああったshいはぜんっzえんhえいkなのののですっっ!!!」


 すでに文章にもなってないだろ、それ。ホントに怖いなら、ここで待っててもいいんだぞ?


「いや、こんな所で一人で待たされる方がよっぽどコワ……んんっ、もう!! あたしはこんなの全然怖くもなんともないのです!……で、でもでも調べることササッと調べてこんな所一刻も早く離れるのです」


 わかったわかった。でも、この前みたいに気絶しても面倒見切れないからな。で、それ以外の連中は――まあ、心配要らないようだな。古泉はいつものニヤケ面だし、長門も無表情だし(これで満面の笑みを見せていれば、それはそれで恐ろしいが)、そして朝比奈さんは……少し気になるけど、


「キョン君、あたしは平気です。あたしも……知りたい事、たくさん、あるから」


 そう言って気丈に微笑んでくれる。また、シャミセンは相変わらず呑気に毛繕いしているし、相棒の周防も寝ているのか起きているのか分からんくらいにヌボーっと突っ立っているが、気にしないことにする。


 こうして――


「じゃあ、みんな、用意はいい? ――全員、突撃!!!」


 ハルヒの号令一下、俺たちは神羅屋敷に突入した。






「SOS団、只今参上よっ!! セフィロス、観念して出てきなさい!!!」


 相当意気込みまくった台詞と共に、玄関のアンティークな木製の大扉を蹴破ったハルヒだったが、屋敷の中には人っ子一人の気配もない。


「あれ……? セフィロスどころか、誰もいないじゃない。肩透かしもいいところだわ」


 舌の根が乾かぬうちから油断するなよ、ハルヒ。朝倉、もしくは神羅の連中が罠を仕掛けているかも知れないんだからな。 


「あんたに言われなくても分かってるわよ、アホキョン」


 そりゃ何よりだ。で、どうする。


「取り敢えず、この屋敷を隈なく探索するわよ。みんな、あたしに付いて来なさい!」


 ハルヒが、そう高らかに宣言した時だ。


「涼宮さん!!」


 朝比奈さんの悲鳴に近い金切り声がしたかと思うと、その声のする方から、天井から吊るされた長い鎖にしがみついた、脚がまるごとギロチンの様な巨大な刃物になっているモンスターが、「ウキャキャキャキャ!!」と奇矯な声で叫びながら。ハルヒ目掛けて飛び掛ってくる!


 俺はとっさにハルヒを抱きかかえて横に飛び退く。モンスターの慣性を利用した攻撃は空を切るものの、振り子の原則そのままに、しかもモンスターの意志に沿って再び逃げのいたその場所に、ギロチンの刃が迫った。


「チッ!」


 舌打ちをしつつ、俺はバタフライエッジでその刃を受け止めた。


「……援護する。オーバーソニックモード『ブラットファング』」


 すかさず背後から赤き風をまとった長門が、超音速の光の槍に変化してモンスターを貫いた。例の『スターリングインフェルノ』の効力かどうか知らないが、前に見た時より随分威力が上がっている気がする。


「サンキュー、長門」


 モンスターの消滅を確認して、俺は長門に礼を言う。長門は、黒い三角帽子を目深に被る仕草を見せつつ、「……問題ない」とだけ呟いた。さて、ハルヒは大丈夫だろうか、と気になって視線をハルヒのいた場所に移した。ハルヒはどこも傷が無いようで、無事に立っていたので胸を撫で下ろした。


「……キョン?」


 ったく、しっかりしろよ。もう少しでやられるところだったんだぞ。


「何処よ、キョン? 何処に行ったの??」


 ん? ハルヒ、俺はずっとここにいるぞ。


「ミクルちゃん? ユキ? 古泉君? キョウコにシャミセン、クヨウも何処にいるの??」


「何言ってんだ、ハルヒ、みんなここにいるだろ?!」


 思わずハルヒの手を取る俺だったが、ハルヒはその手を乱暴に払いのけて叫んだ。


「止めてっ! 近寄らないでよ、モンスター!! キョンを……みんなを何処にやったの?! 返してよっ!!!!」


 ハルヒは焦点の合っていない瞳で、俺たちを睨みつける。そして、いきなり跳躍すると、鋭い蹴りが俺目掛けて飛んでくる。寸での所で避け切ったが、ハルヒは着地するや否や、そのまま廻し蹴りをかまして来やがった。それを何とか剣で止める。……一体どうしちまったんだ!?


「見てください。涼宮さんの後ろです」


 古泉の指摘でハルヒの背後を見やると、パンプキンのてるてる坊主みたいなモンスターが数匹宙に浮いたままニタニタ笑いながら、ハルヒに禍々しい赤色の吐息を吹き掛けていた。


「どうやら、あのモンスターの息には、人間の知覚や感情に悪作用をもたらし、混乱させる効果があるみたいです」


 なるほど、もともとおかしいハルヒがさらにおかしくなったのは――「何ですって!」……混乱状態の癖に、そこだけはちゃんと聞き取ってんのかよ――奴らのせいか。しかし、また厄介な敵が現れたもんだな。


「全くです。このまま放置していると他の人にも混乱状態が拡大し、同士討ちで全滅の危険も――ぐわっ!?」


 言っているそばから古泉に、例の赤い吐息が吹きかけられる。古泉は途端にふらふらになり、目も焦点が合わず、口から涎を垂らしてハンサム顔が台無しな――有り体に言うなら「ラリってる」状態になって、


「ふんももっふ~!!!」 


 と裏声を使った可愛らしい声(当然野郎の声で出しているのだから、「きもちわるい」ことこの上ない。古泉だから尚更)で、辺り構わずマシンガンをぶっ放し始めた。何しやがる、この野郎。俺は銃弾が頬を掠めるのを感じながら、フォローを求めて長門と朝比奈さんの姿を探すが――


「そこにいるのは……ギ族…………エミリの仇」


「ふわぁ……とってもおっきなパフェです~~! 食べちゃってもいいですか~?」


 そこで目にしたのは、何を思ったか恍惚の表情で長門にむしゃぶりつく朝比奈さんと、その朝比奈さんを殺す気で攻撃を仕掛けようと情報改変の早口魔法を唱えている長門の信じがたい光景だった。




 冗談抜きで、マズイ。




 ハルヒは必殺格闘技『メテオドライブ』をかまそうと、俺の首を締め上げようとしているし、古泉の銃乱射は飽く事無く続き、朝比奈さんと長門はちちくりあいにも似た殺し合いをしているし、橘に至っては、混乱する以前に鎖ギロチンのモンスターが登場した時点で気絶している。もう、まともなのは俺と――


「♪~~♪~~♪~~」


 ――シャミセンのあまりに間の抜けた歌声が、屋敷の中に響き渡る。それはサポートメカ周防クヨウに下された命令。周防は正確にその命令を実行すべく、漆黒の髪を無限に伸ばし、ハルヒを、古泉を、長門と朝比奈さんを、ついでに橘を、その髪で巻きつけて包み込み、動きを封じた。……助かった。まだあいつらは正常を保ってくれていたようだ。


「案ずるな少年。我々はロボットだというのを忘れたか。あのような神経ガスは我々に何ら影響を及ぼさない」


 シャミセンはメガホンを持って周防の肩の上で歌いながら、パンプキンの化け物を前足で器用に指した。


「このガスは一種の魔法のようなもの。使役するモンスターを倒せば、効果は消え失せ、みな元の状態に戻るだろう」


 わかった。あの化け物は俺に任せてくれ。その代わり、みんなの事は頼んだ。


「承知した」


 俺はシャミセンの力強い言葉に頷くや否や、パンプキンのてるてる坊主モドキ目掛け、肩に背負うように大きく振りかぶったバタフライエッジを鋭く振り下ろした。そこから発生した迸る音速を超えた衝撃波が、化け物のうちの一匹を両断。それでも衝撃波は勢いを失わず、斬ったモンスターから四散した波動が、全てのモンスターを貫いた。――神羅ビルで会長、もといルーファウスに使ったこの『破晄撃』は、元々1対多数を想定して編み出された剣技だ。これが見事に決まって、俺たちを急襲した敵は一度に消滅したのだった。


「あれ……? あたし、何してたの? キョン……みんなも、ちゃんといるよね?」


「うっ……僕とした事が……すみません」


「ななな長門さん!! ごめんなさい、ごめんなさいぃぃぃ!!!」


「????」


 周防の髪から開放された4人も、どうやら正気に戻ったようだ。……長門に噛み付いたまま意識を取り戻した朝比奈さんは、その後しばらく取り乱し気味だったが。


 さて、この後どうするのかが問題だ。まさか今ので怖気づいて逃げ帰るわけにもいくまい。


「当たり前じゃない。まだセフィロスと戦ってないんだから」


 その通りだ。しかし、序盤のモンスターでここまで苦戦するんだ。果たして、朝倉にたどり着く前に、全員生きていられるか――


「その辺は憂慮しても仕方ないでしょう。さっきのような同士討ちを誘発するモンスターは、混乱させられる前に優先して斃すことを心掛けるしかありません。ここのモンスターは総じてレベルが高いみたいですから、探索する中で何度か戦って、セフィロスと対戦するまでに戦闘技術を向上させればよいかと」


「それよ、古泉君!! さすが我がSOS団の副団長ね! こうなったら、この屋敷のモンスターを全て駆逐するつもりで行くわよ。みんな、あたしについて来なさいっ!!」


「……それはいいんだが、ハルヒ。「アレ」はどうする?」


 俺は依然として気絶したままの橘を半ば呆れ顔で指差した。……ここまでホラーなものに弱いとは。自称忍者の末裔なら、暗いところとか平気な筈だろうに。


 ともあれ、凶悪なモンスターがうようよいる空間に放って置く事もできない。ハルヒはしばし思案すると、


「古泉君。悪いけど、キョウコが気が付くまでおぶっててもらえる?」


「了解しました、閣下」


 古泉は躊躇う事無く、橘を軽々とその背中に乗せた。ところで、何故に古泉?


「アンタ、キョウコをおんぶしたかったの? ……何かまたヤラシイ事を考えてたんじゃないでしょうね? ホントにエロキョンなんだから」


 別に橘をおんぶしたいなんて微塵にも思っていないし、そんな疚しい考えなんか神に誓って1ミクロンもよぎってなんか無いね。


「その点、古泉君なら紳士だし、そんな事考える心配もないでしょ。じゃ、行くわよ!」


 ちょっと待て。俺が×××な事を考えて、古泉が考えないって、どういう偏見だ、それは。しかし、ハルヒはそんな俺のささやかな抗議に耳を貸す事無く、スタスタと先に進んでいく。だから、俺はハルヒがその時何事か呟いていたのを聞き取る事ができなかった。






「さっき、助けてくれたの、とっても嬉しかったのに……バカ」






 そういう訳でしばらくの間、恐怖のモンスターハウスと化した神羅屋敷を調べて回った。件のパンプキンのてるてる坊主――ファニーフェイス、と呼ぶらしい――の怪しい吐息で、何度か全滅の危機に遭ったが、その度に混乱状態になったハルヒや古泉を叩き起こし、またある時は逆に俺がハルヒにぶん殴られて正気に戻ったりして、何とかその場を切り抜けていった。



 しかし、肝心の朝倉に関する手掛かりについては芳しい成果が得られず、俺たちは5年前の事件で朝倉が籠っていた地下の隠し研究室――恐らくそこが最も可能性が高いと俺は踏んでいたが――に向かう事になるのだが……


 その前に、屋敷探索の最中、俺たちが入手した「ある物」について触れておかなけらばならないだろう。


「これ、何かしら?」


 ――それは、玄関脇の書斎で、ハルヒが机の上の埃に埋もれていた、薄汚れた走り書きのメモを見つけたことから始まった。もしかすると、朝倉、もしくはこの村の黒マント人間に関することが記されているかもしれない――と考えた俺たちは、顔を突き合わせるように、そのメモに目を走らせた。冒頭に執筆者のサインがある――これは、宝条?!!


「……やはり……彼が一枚噛んでいた?」


 ミッドガルで実験サンプルにされていた長門が、いつもより無機質な声色で呟いたのがやけに耳に響く。続きを読む。




『僕の研究の邪魔をする者を全て取り除かなければならない。タークスのあの女も例外ではない。僕はタークスの女に生体学的な改造を施し、地下に眠らせた。もし興味があるなら探してみるが良い。ただし……これはあくまで僕が気まぐれで思いついたゲームに過ぎない。無理に付き合ってくれる必要は無い』




「何よこれ……酷いじゃない! あいつ、ミッドガルじゃ飽き足らず、ニブルヘイムでもこんな事してたのね!! 許せない!!!」


 ハルヒが文章を読むなり、顔から火を噴きそうなくらいに憤慨しているが、俺も同意だ。タークスと言えば、あの国木田や谷口なんかが所属する神羅の諜報部隊だ。同じ会社に属するものさえも実験材料にし、なおかつゲームにして愉しむとは、宝条の野郎、外道にも程がある。ハルヒは意を決して言った。


「キョン、そのタークスの女ってのを助けるわよ! いくら神羅の人間でも、このままにしておけないわ!」


「しかし、どうします? その方は地下にいるのが分かっているだけです。この書きっぷりだと、簡単には見つけられない所にいるでしょうね」


 橘を背負っている苦労を微塵も感じさせぬ涼しげなフェイスでのたまう古泉の言葉に、俺も頷く。しかも、あの陰険な宝条のことだ。何かしら罠も隠されているに違いない。朝倉との戦いの前に、危険を増やす事は出来るだけ避けたい……が、


「じゃあ、キョン、その人を放って置くっていう訳?!」


 ハルヒはドンッと書斎の机を右の拳で叩きながら、半ば詰るように言った。そうは言うけどな……ん? このメモ書きに続きがあるぞ。多分、ハルヒが机を叩いたお陰で埃が取り払われて出てきたのだろう。俺はその紙を読んでみる事にした。




『金庫のダイヤルは慎重に、かつ、素早く回す。20秒以内だ。少しでも行き過ぎてはいけない。4つのダイヤルのヒントは……』




 金庫って、2階の部屋にあった黒色のいかにも怪しげな奴か。そこに地下に眠る「タークスの女」を助ける手立てがあるようだ。そして、その金庫を開けるには、


「ダイヤルの番号……ふむふむ。これを手掛かりに、探せばいい訳ね!」




『ダイヤル1のヒント――酸素が一番多い箱の蓋』


『ダイヤル2のヒント――空の無い黒と白の裏』


『ダイヤル3のヒント――2階の椅子の側の床の軋み……そこから左5歩、上9歩、左2歩、上6歩』



 だが、ハルヒ。4つ目がないぞ――と言おうとした瞬間、ハルヒは手持ちのライターでメモの不自然に空いた部分を炙り出した。その4行目に書かれていたのは――「ダイヤル4は『右97』」。




 ハルヒはここまで読んで、完全にやる気になったようだ。左手を腰に当てて仁王立ちし、右人差し指で俺をビシッと指しながら、こう言い放った。


「こんなにヒントが出ているんだから、探せなかったら我がSOS団の名折れよ! 神羅に売られた喧嘩はキチンと買って、10倍にして返すの!! キョン、いいわね!」


 へいへい。これ以上言ってもお前は耳を貸しそうにないしな……何がおかしいんだ古泉。


「いえいえ、あなたも本当に素直ではないなあ、と思いまして」


「何の話だ」


「口ではそんな事を言っていても、本当はその方を見捨てるつもりなんて無かったのでしょう?」


 さあてな。それより、あんまり減らず口を叩きながら人を背負ってると、その内へばるぞ。


「ご心配なく。橘さん、見た目以上に断然軽いんですよ……おっと、女性の体重に触れるのはご法度ですよね。この事は、本人にはご内密に」


 いつもの営業用スマイルで答える古泉だったが、一瞬その表情に陰が差したのは俺の気のせいだったのだろうか。




 で、ダイヤル番号探しだ。――とは言っても、あの宝条のメモに書かれたヒント、訳が分からんぞ。『酸素が一番多い箱の蓋』とか、『空の無い黒と白の裏』に至っては中二病の痛いポエムか何かってもんだ。……などと一人ごちる俺に、ハルヒは心底呆れたような視線を投げかけた。


「あんた、こんな簡単な暗号すら分かんないの?! ホント、SOS団の恥晒しね。メモ見つけるまでに屋敷を一度見て回ったから、あたしはもう大体目星は付けてるわ!」


 あたしに付いて来なさい!――とばかりに、スタスタ歩いていくハルヒを俺たちは慌てて追いかける。まず、ハルヒが向かったのは、1階奥にある年代物のグランドピアノが置かれている、パーティーか何かに使われていたらしい大きな部屋だった。


 ハルヒは何を思ったか、戯れに鍵盤をドレミファ~♪と弾いていく。……あれ、何かがおかしい? 音が幾つか足りていないように聞こえるが――


「おかしいのは当然よ。だってこのピアノ『ソ』と『ラ』の鍵盤が抜けているもの。つまり『ソラ』の無い『白と黒』――つまりこのピアノの裏に正解がある筈よ!」


 ハルヒの言葉の通りにピアノの裏に回ってみると、確かに「2……『左10』」と彫刻刀か何かで小さく文字が彫られていた。なるほど、そういう事ね。しかし「ソラ」が無いって、オヤジギャグよりも寒くないか?


「全く気付かなかったあんたが言ってもね~。じゃあ、次行くわよ、次っ!」




 ハルヒが向かったのは、2階への階段を上って左手にある観葉植物が所狭しと置かれている部屋だった。屋敷の主を失っても、なぜかその植物は枯れることなく、窓から降り注ぐ日の光を浴びて青々と生い茂っているようだ。


「『酸素が一番多い』――なるほど、そういう事ですね」


「さすが、古泉君! キョンとは頭の出来が根本から違うわね。さっすが我がSOS団の誇る副団長!! あんたもちょっとは見習いなさいよね!」


 悪かったなバカで。だがしかし、このにこやかスマイルイエスマンを見習う気なんかこれっぽっちも起きないが。


「……ここの植物は絶えず光合成を行っている。よって全ての部屋の中でこの部屋が最も酸素濃度が高い」


「正解よ、ユキ。恐らく、この部屋に蓋のある物が……やっぱりあった!!」


 ハルヒはアイテムが入っていると目される古ぼけた宝箱を開けて、その蓋を俺たちに誇らしげに掲げて見せた。そこには「1……『右36』」とさっきと同様に小さく彫られていた。




 そして、最後のダイヤル3。これは俺にだって分かる。


「言っとくけど、それ自慢になんないわよ」


 うるさい。心底馬鹿にしたような目で見るな、ハルヒ。さっさと片付けて朝倉と決着をつけないといけないんだからな。俺は足早に『2階の椅子』があると思われる部屋に向かった。それは、地下の研究室に繋がる隠し扉のある部屋だ。その椅子の周りを歩いてみると、確かにギシッと軋むような音がした。――見たところ、罠も無いようだ。


「じゃあ、キョン。あんたが歩きなさい」


「何で俺が」


 さも当然のように言うハルヒの命令に対する俺のささやかな反論も、奴はさも当然のような顔をして粉砕しやがった。


「だって、あんたなんてこれぐらいしか役に立たないじゃない! ほら、さっさとする!!」


 俺は妙な屈辱感を感じながら、床の軋む場所に立つ。そうは言っても、人によって歩幅って違ってくるからな。宝条の歩き方を記憶の底から引っ張り出し、俺は出来るだけ奴の歩幅を再現して『左5歩、上9歩、左2歩、上6歩』だけ歩いてみる。……『左』とか『上』とかの表現に関しては、とりあえずツッコミ無しの方向で頼む。話が進まなくなるから。


 ともかくも歩き終わった場所で、床に目を落とすと、また小さく文字が刻まれているのが分かった。「3……『右59』」。これでダイヤルは全部揃った。思ったより呆気なかったが。






 ――なんて事は、金庫を無事に開けてから言うべきだったな。尤も、開けてから同じ事を言えたかどうかは甚だ疑問ではあるが。






「……やっぱり罠か」


「来るわよ、キョン!!」


「タダで済むとは思ってませんでしたが、まさかここまで――困ったものです」


 ――20秒という制限時間にもかかわらず、難なく金庫を開けたところまではよかった。が、そこから飛び出したのは、宝条に眠らされた『タークスの女』では勿論無く、身長4、5メートルはあろう、赤、黄色、紫、緑が斑になって、何とも形容しがたい巨大で醜悪、かつ禍々しいオーラを四方八方に放つモンスターだった。


 俺は即座に剣を抜いてモンスターの攻撃に備える。そんな時、上着の裾が引っ張られる。長門、こんな時に一体何だ?


「……これ」


 長門が差し出したのは小さなメモ書き。多分、このモンスターと同時に外に出たのだろう。そこには、こう書いてあった。




『このサンプルはある実験の途上に偶然出来た失敗作。故にナンバーは施していない「ロストナンバー」だ。本来なら廃棄処分にするところだが、この気紛れのゲームのボスに丁度良いと思い直して金庫に隠してみた。姿形は非常に美しくないが、実力だけは折り紙つきだ。せいぜい楽しませてくれたまえ』




 こ、この野郎……どこまでも人をコケにしやがって。――ハルヒ!


「ええ! こんな奴とっととギッタギタにとっちめてやるんだから!!!」


 ハルヒの言葉に続いて、俺たちは全員(当然気絶中の橘は除くぜ。古泉が安全な場所に寝かしつけておいたから橘ファンは心配するな――そもそもいるのか、こいつにファンなんて)束になって、ロストナンバーに攻め掛かった――






 ――結論から言うと、何とか倒せた。が、予想以上に強過ぎた。最初のサンダー連発はまだいい。ダメージが蓄積されていくと、体色が全身青色になり、その剛腕で直接殴りかかってきた。たった一撃で俺やハルヒも戦闘不能になりかけたくらいだ。そこで俺たちは回復役の朝比奈さんを死守する陣形を取り、古泉の「ふんもっふ」や周防の髪技、あと魔法などの遠距離攻撃を重ねていった。


 激闘は15分近く続いただろうか。漸くロストナンバーはもんどりうって倒れ、沈黙。その傍らから古めかしい鍵とマテリア、そして巻物らしきものが落ちた。恐らくこの鍵で、『タークスの女』が眠る地下の部屋を開けることができるのだろう。そして、ハルヒは赤色に光るマテリアを嬉々として掲げた。


「このマテリア、『オーディーン』が呼べる召還マテリアみたいね。キョンとミクルちゃんはもう持ってるんだし、これはあたしが戴くわよ!」


 それは別に良いが、長門はどうしたんだろう。さっきから巻物の方を手にとって見つめているが。横から見てみると、俺には分からん言語でなにやら書かれていた。


「……これはわたしたちの種族に伝わる言葉。恐らく、究極の情報操作について記載されている秘伝書と推察される。……長らく谷から失われていたが、まさか宝条の手に渡っていたなんて」


 まあ、でも良かったじゃねえか。ちゃんとお前の元に戻ってきたんだからさ。という事は、長門のスゴ技がもう一つ増えるのか? しかし、長門はふるふると首を振る。


「……この技を習得するには、わたしの力量が不足している。もっと成長して色々技を覚えないと」


 わかった。お前が習得して披露するのを楽しみにしてるよ。すると、長門は一瞬笑みを浮かべたような表情を見せつつ、いつもの平板な調子で言った。


「……期待してて」






 そんなこんなで、俺たちはようやく螺旋階段を降りて、神羅屋敷の地下へと潜入した。


 宝条の言う地下の隠し部屋も探しては見たものの、それらしきものは一向に見つからず、例の研究室へとたどり着いた。


 照明も点いていなくて仄暗く、黴臭さの取れない煉瓦に覆われ、書類や本が散乱しているその空間は、5年前とあの日と一つも変わらずに、俺の心をいっそう陰鬱にさせる。一歩踏み出すごとに、あの忌まわしい記憶が鮮明に呼び起こされていく感じだ。


「これは……一体なんでしょう?」


 朝比奈さんが巨大なビーカーを見上げながら尋ねる。


「さあ……前に来た時もありましたが、何に使われていたのかよく分からないんです」


「キョン君。……何か文字が刻まれてるみたい……」


 俺は朝比奈さんが指差したビーカーの小さな傷を、暗がりなので目を凝らして覗いてみた。『C-PROJ サンプル-A(コードT)』と記されたビーカーの中に、爪で傷付けた跡が――崩れた字体だったので、読むのに苦労したが、何とか読み取れたその文章は、『エサの時間が…チャンスにょろよ……』。何なんだ、これは? ちなみに朝比奈さんは文章すら読み取れず、きょとんとした顔をしている。


「キョン。……こっちにもあるわ」


 次に、ハルヒが立っている所のビーカーも調べてみる。それには『C-PROJ サンプル-B(コードK)』とだけ記されていた。何を表しているのか、俺にはさっぱり分からない。しかし、そのビーカーの内側にも、同じように爪で傷付けた跡があった。その文面は、『ここから逃げよう……』。さらに続きがあったようだが、それ以上は文字が崩れ過ぎて読み取れない。何とか解読しようとしたが、奥の書斎に人の気配がしたのに気付き、そちらの方に意識を向けてしまう。


 そう、そこにいたのは――


「――朝倉!!」


 剣を構えて叫ぶ俺に対し、朝倉は正宗に手を掛けることさえせずに、まるで世間話をするかのような調子で天を仰ぎながら語りだした。


「懐かしいわね、ここは。――ところで、あなたはリユニオンに参加しないの?」


 リユニオン? あの黒マントの人間たちが盛んに言っていたあれか。だが、


「俺はリユニオンなんて知らない!」


「ジェノバはリユニオンするものよ。ジェノバはリユニオンして空から来た厄災となるの」


 待て、どういう事だ。ジェノバが空から来た厄災? 古代種じゃなかったのか!? 混乱する俺の問い掛けに、朝倉はあからさまに失望した貌を浮かべる。


「……なるほどね。あなたには参加資格はなさそう。わたしはニブル山を越えて北へ行く。もしあなたが自覚するのなら……わたしを追って来なさい」


 それだけ言い残すと、俺にマテリアを投げつけて跳躍し、そのまま俺やハルヒたちをぶっ飛ばして何処かへ飛び去ってしまった。――この薄暗くて狭い地下室の中で、だ。マジで信じられない事をする奴だ。俺たちは慌てて後を追いかけるが、もう影も形も消え失せていた。結局奴をまた取り逃がしてしまったな……。


「……仕方ないんじゃない? あいつには全くと言っていい程隙が無かったし――全員命があっただけマシだわ」


 ハルヒにしては珍しく殊勝な台詞だ。


「悔しいけど――何度飛び掛ろうとしても、あいつの底知れない禍々しい『気』で足が竦んで……動けなかった。こんなの、初めてよ」


「しかし、彼女を倒さないことには世界が救われない。……困ったものです」


 ハルヒも、古泉も、朝倉の次元の違う凄みに圧倒され、意気消沈していた。パーティーの元気印たるハルヒがこんな調子だから、朝比奈さんも、長門も、シャミセンも周防も――その気分が伝染したかのように、陰鬱な空気に包まれてしまう。ここは俺が何とかしなきゃな、と口を開きかけたが、その前にハルヒがこの空気を振り払うかのように、何度もかぶりを振る。


「こんな事でくよくよしたって、しょうがないわ! セフィロスを追い掛けながら修行して強くなればいいのよ!! キョン、みんな、朝倉の奴をギッタギタに出来るようになるまで特訓よ!!!」


 ――心配する必要は無かったな。やっぱりお前はSOS団の団長だよ。


「何、ニヤニヤしてんのよ、バカキョン!! まずは、あいつがいた部屋を徹底的に調べるわよ! 手掛かりになるものが見つかるかもしれないわ!!」


 半ば照れ隠し気味に怒鳴りつけて、ハルヒは奥の書斎へとズカズカと足を踏み入れていく。当然、俺たちも後を追った。







 さて、そうして1時間弱。俺たち――未だに気絶したままの橘を除く――は手分けして書斎の本を読み漁ったが、正直俺たち程度の知識では理解しがたいものばかりで、これと言って目ぼしい収穫は無かった。ただ、ミッドガルやコスモキャニオン、そして俺の昔語りなどで何度もその名を耳にしたことがあるガスト博士の著作物がやたら多いのが目に付いたが。やはり、博士はジェノバや古代種と何らかの関わりがあるのだろうか?


 そして――


「キョン君、これ、何でしょうか……?」


 朝比奈さんが、難解な専門書と格闘している俺の所に、1枚の紙切れをおずおずと差し出したのを、手にとって読んでみる。それは、神羅時代によく目にした報告書の書式で、具体的にはこんな事が書いてあった。




『逃亡者に関する報告書1


 ×月×日

 当施設から逃亡した2名をミッドガル近辺で発見しました』




 逃亡者……。きっと文字が刻まれたビーカーから逃げ出した奴らの事を指すんじゃないだろうか。俺はもしやと思い、朝比奈さんがその報告書を見つけた辺りを探してみると、本や書類の山の下から3枚の続きの報告書が出てきた。――俺は、自分でも得体の知れぬ焦燥感に駆られて、貪る様に読み進めた――




『逃亡者に関する報告書2


 :発見時の状態


 A 元ソルジャー/ナンバー【無】

  魔晄照射及びジェノバの影響は見受けられませんでした。


 B 一般/ナンバー【無】

  ジェノバへの反応過多が見受けられました』




『逃亡者に関する報告書3


 :処分に関して


 A 抵抗したため、射殺。

 B Aが抵抗する間に逃亡』




『逃亡者に関する報告書4


 :その他


 現在Bの行方は不明です。

 しかし、Bは意識の乱れがかなり進行している様子でしたので、

 このまま放置しておいても問題は無いというのが我々の見解です。

 今後に関する指示をお願いします』




 ……何だ、これは。あの哀れな2人の逃亡者たちは結局は神羅の連中に見つかり、1人は殺され、残された1人も錯乱状態のままミッドガルに放り出されたというのか。そして、死んだ1人は元ソルジャー――どうしてか、気分が悪い……吐き気……がす……………る――


「――ョン」


「キョ……!! キョンってばっ!!」


「う……ん……?」


「ねえ、キョン、どうしたの?! 具合でも悪い?」


 倒れそうになるのをどうにか堪えながら、俺は「大丈夫だ」と一言だけ返す。……ここまでの発作、ミッドガル以来だな。兎にも角にも俺は平静を取り戻す。その様子を心配そうな表情で見ていたハルヒだったが、やがて溜め息混じりにこう言った。


「……まあ、いいけど。いい加減、調べるの飽きちゃったから、屋敷を出ましょう」


 おいおい。朝倉に関する何らかの手がかりを探すんじゃなかったのか。相変わらず飽きっぽくて堪え性の無い奴だな。


「良いんじゃないでしょうか。ここで調べていても、僕らでは得られる物も少ないようですし。涼宮さんの言う様に、道中で修行しながらセフィロスを追うのが得策ではないかと」


 相も変わらずのイエスマンめ。たまには反対意見でも述べてみろってんだ。それはともかく、ハルヒや古泉の言う事も一理あるが。読書好きの長門はともかく、朝比奈さんなんか活字で目を回しそうだからな。――俺も他人の事は言えないけど。


 ハルヒは俺を含め全員を一度ジロリと見渡して――異論はもう認めないと言いたいらしい――言い放った。


「じゃあ、改めて、SOS団出発っ!! 目指すはセフィロス討伐よ!!! この涼宮ハルヒについて来なさい!!!」


 言うや否やハルヒは古泉を従えてさっさと書斎から出て行く。……何度も言うようだが、本当にやれやれだぜ。ん? どうした、長門。


 俺の手を遠慮がちに掴みながら、長門は小さな、それでいてハッキリとした声で言った。


「約束……守ってくれた」


 約束? 俺、何か約束してたっけ。


「……図書館。本がいっぱい置いてある」


 ――ああ。ミッドガルを出るときにそんな事を言った気がする。……いろいろあり過ぎて忘れ気味だったが。確かに「私立図書館」と呼んでもいいくらいに本が山のように置いてある空間だったけど、あんなんで本当に楽しかったか?


「……ユニーク」


 そ、そうか。だがな、長門。図書館ってのはこんな地下の薄暗い陰気なところじゃないんだぞ。今度こそ「本物の」図書館に連れてってやるから。


「そう」


 長門は素っ気無く言うと、ハルヒたちの後を追い始める。機嫌、損ねちまったかな。だが、長門はドアの辺りで立ち止まって、


「……楽しみにしている」


 今ではハッキリと思い出したミッドガルのあの時と比べて、はるかに嬉しそうな表情で、彼女はそう言った。俺はにやける顔を隠しきれぬまま、長門に続いて研究室を出た。……後でハルヒに怪訝な顔をされたのはまた、別の話だがな。






 ――と、今回の話はこれで終わる筈だったが、この神羅屋敷における最大の出来事は、実はこの後に控えていた。






 地下の研究室を出て、螺旋階段に繋がる石造りの簡素な廊下を、モンスター ――イン&ヤンなどという非常の動きのノロい奴がいて、気の短いハルヒが怒り狂って……というエピソードがあるが、割愛する――と戦いながら通り抜けている時、それは起こった。


「ん……あれ…? あたし……どうして―――キャアアっっ!!」


 気絶していた橘がようやく目を覚ましたのだ。ここまで無数のモンスターと戦い、なおかつ朝倉と接近遭遇してるにも拘らず、眠り続けていられたその神経の図太さはある意味賞賛に値するが、そんな事はどうでもよく、


「ここ古泉さんっっ! あ、あ、あたし、どどどうしてっ???!」


「ちょ、ちょっと、橘さん! 危ない!!」


 目が覚めると古泉に背負われていたその状況に、橘はパニックを起こして古泉の背中の上でジタバタ暴れている。どうしてそこまで狼狽するのか俺には理解出来んが。


「……ほんっと、ニブ過ぎ」


「キョン君……あなたって人は……」


「…………彼のクラッシャーぶりは想定以上。新たな傾向と対策の分析を要する」


 ――横の方から女性陣がなにやらブツクサ言っているが、よく聞き取れん。その間にも、


「どどどどどどうしよう! ご、ごめんなさ―――キャッ!!!?」


「うわっ!!」


 とうとう古泉が耐え切れずにバランスを崩して、橘がそのまま背中から落ちてしまう。……いつもムカつくくらいに微笑を崩さない古泉が、ここまで慌てた声を出すのは珍しい気もしたが。しかし、不幸中の幸い(?)。古泉が歩いていたところは壁寄りだったため、橘は石の壁に当たって、それがワンクッションとなり、尻餅をついただけで事なきを得た。


「うう……いった~いのです……」


「橘さん、大丈夫ですか?!」


「こ、古泉さん……ごめんなさい、なのです」


 心配そうに差し伸べられた古泉の手を、橘は恥ずかしそうに少し頬を赤らめながら、おずおずと掴んで立ち上がった。


「大丈夫、キョウコ?」


「……あ、涼宮さん、みなさん……迷惑かけて、ごめんなさい」


「いいのよ、別に。苦手なものは誰にだってあるものだし」


「あう……」


 ハルヒの慰めに橘はバツの悪そうな顔で俯いた。その時、長門が不意に、


「……あれ」


 と、指差した先に、積み上げられた石に隠された木製の扉があった。恐らく、橘がぶつかった衝撃で崩れて姿を現したのだろう。


「キョン……これって」


 そうだな。多分、これが宝条の言う『タークスの女』が眠っている地下の部屋なんだろう。


「例の鍵は?」


「ここに」


 ハルヒは古泉から屋敷の金庫から手に入れた鍵を手に取り、扉の錆付いた鍵穴に慎重に挿してゆっくりと回した。すると、扉からカチリと乾いた音がする。


「……開いたわ」


「とりあえず、入ってみるか。金庫の時の様に罠があるかもしれんから、みんな、警戒を怠るなよ」


「ちょっと、キョン! 団長はこのあたしよっ! 下っ端が勝手に仕切らないでよね」


 ぷりっぷり怒るハルヒ団長様をいなしながら、俺たちは恐る恐る隠された地下の一室へと足を踏み入れた。






「……何よ、このニオイ……」


 その部屋に入った途端、異様な臭気が鼻を刺し、俺たちみんな反射的に鼻を押さえた。


「キョ、キョン君……これ……」


 朝比奈さんが震えながら指差したのは、所狭しと置かれている――簡素な棺だった。まさかな……俺はおもむろにその内の一つを空けてみたが、思いっきり後悔したね。


「キャアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァ!!!!!」


 『それ』をまともに見てしまった俺は、情けないことに「ウオオオオッ」と叫び声を上げてしまったが、幸か不幸か橘がそれ以上に大きな悲鳴を上げてくれたおかげで見事に掻き消された。……今回は失神まで行かなくてなによりだったな。


「何言ってるのですか~~! これなら気絶した方がマシなのです~~~!!」


 マジで泣きそうな顔になっている橘。まあ、気持ちはわかるぞ。俺だって、こんな所に居続けるのは100万ギル貰っても御免蒙る。




 ――何故って、棺の中に横たえられていたのは、腐乱した人間の死体……しかも、白骨ではなく、中途半端に腐って茶色く変色した肉から濁った体液なんかがだらりと流れてくるから気味悪いことこの上ない。




「しかもこれ……人間……ですかね………?」


 さしもの古泉スマイルも凍りついているようだ。


「確かに……な。不自然に付いている尻尾といい、やたらと長い腕といい、さっき戦ったロストナンバーを思い出させるぜ」


「恐らく、ここに眠っているのは宝条の実験に使われた挙句、『失敗作』と認定されて廃棄処分にされた人間たちなのでしょうね……」


「するとアレか。ここにある棺は全部――」


「ええ。全て腐乱しきっている事でしょう。惨い話ですが……」


「「「………………」」」


 俺たちは、無言のまま死臭に満ちた空間を、まるで夢遊病者にでもなったかのような気分で眺めた。宝条の野郎。外道だとは思っていたが、まさかここまでとはな。これ程までに他人の命を弄んで、一体何をしたいんだ、お前は? ――そんな事を思っていると、ハルヒが神妙な声で話し掛けてきた。


「……キョン。この棺、まだ綺麗よ」


 ハルヒが指差した棺を見遣る。確かに、他の朽ちかけているそれと違ってまだ漆張りの光沢が残っている。……どうする、開けてみるか?


「また罠かもしれないけど……開けましょう」


 ハルヒの言葉に俺も頷き、二人でゆっくりと棺を開いた――






 ――開けてみて、違った意味で驚いたね。そこに眠っていたのは、1人のとても美しい少女だった。短く切り揃えられた艶やかな髪に、雪のように白い頬。まるで、おとぎ話に出てくるお姫様みたいに、王子様のキスでそのまま目が覚めてしまいそうな錯覚を覚えるほどに、全身くまなく綺麗なままだった。本当に死んでいるのか、と思える位だ。


「どっちかって言うと、あたしは吸血鬼かと思ったけど」


 ……ハルヒ、お前にはロマンってもんが無いのか。確かに、お姫様には似合わん男物の黒服と深紅のマントを身に纏って、いかにもドラキュラ伯爵って雰囲気は醸し出しているが。


「まあいずれにせよ、生前は恐らく十人中八人が一見して目を奪われる、実に魅力的な女性だったんでしょうけど――」


 古泉が少し残念そうな苦笑いじみた表情で言った、その時だ。







「……私を悪夢から呼び起こすのは――誰?!」






 死んでいると思われたその少女が、唐突にその目を開いて立ち上がった。これにはさすがの俺も腰を抜かしそうになったね。しかも――


「ん……キミは――――キョン! キョンじゃないか!!」


 ――その少女は俺を見るなり、お馴染みのあの間抜けなニックネームで呼んだから、尚の事ビビった。


「お、お前……は……?」


「あれ、キョン……ひょっとして僕の事を忘れてしまったのかい? それは些か心外だな」


 寂しそうな表情を浮かべる少女だったが、それよりも、いきなり口調が女のそれから男のそれへと変わったのには面食らった。一人称も「私」から「僕」になってるし。こんな変わった喋り方をする知り合いなんて俺には――??! ……頭が……いた……い……―― 突然、あらゆる情景が頭の中で洪水のように押し寄せてくる――そこには、あの少女の姿も――




 ――そうだ、その女の名は……




「……さ……佐々木……か?」


 ようやく搾り出した俺の言葉に、少女は形容しがたい独特の笑みを浮かべた。

 

「そうだよ。キミが僕の事を完全に忘却していなくてホッとした」


 ここまで聞いて、俺は自分と少女に奇異な目を向けられている事に気が付いた。その視線を辿っていくと、


「それ、誰?」


 どことなく冷たげな声で俺に尋ねるハルヒに行き着く。


「ああ、こいつは俺の……」


 俺が取り敢えずの紹介を言いかけた途中で、


「親友」


 佐々木が勝手に回答を出した。


「は?」


 目をまんまると見開いたハルヒに、佐々木は軽く会釈する。


「と言っても、神羅に入社して、新人研修で一緒だった最初の1年くらいの付き合いだったけどね。それでも、その間、殆どと言ってもいいくらい行動を共にしていた知り合いというのは、十分親友に値すると思うんだよ。僕にとってはキョン、キミがそうなのさ」


 そう、神羅に入社したての頃、たまたま新人研修の席が近かったことで知り合い、その流れでよくつるむようになったんだ。……それを何で今の今まで忘れていたのだろうか。そんな己の薄情さに、自分の頭を撃ち抜きたくなる。頼む、古泉、その手の銃を俺に貸してくれ。


「そんな事よりも、この場の微妙な空気を何とかして欲しいものですが。僕は」


 古泉に言われるまでも無く、さっきから何となく居心地が悪いのは一体どうしたことか。朝比奈さんの可愛らしいマシュマロのような頬っぺたは心なしか不満げに膨らんでいるし、長門の液体ヘリウムのような視線がさらに絶対零度近くまで下がっているようでもある。言っておくが、俺は誰にも後ろ指を指されるような事をした記憶も無く、事実も無い訳だが。


 佐々木は、やんわりと微笑を浮かべて、握手を促すかのように右手をハルヒに差し出す。


「佐々木といいます。あなたは?」


「……涼宮、ハルヒ」


 ハルヒにそれを断る理由など無く、少々ぎこちない仕草で握手を交わした。佐々木はハルヒの言葉に何か思うところがあったようで、本当に気付きにくい、些細なものであったが、やや目を丸くして言った。


「そう――あなたが……」


「……??」


 ハルヒもそうだが、俺もちんぷんかんぷんだ。ともあれ、何となしに奇妙な自己紹介が終わり、古泉や長門、朝比奈さんたちも自分の名前を一通り名乗ると、佐々木は再び俺の方に視線を戻した。


「そう言えばキョン、キミはあれからどうしたんだい? ソルジャーにはなれたのか?」


「まあな。……でも、色々あって神羅を辞めて――今はこいつら、反神羅のSOS団と行動を共にしている」


 そう答えると、佐々木は一瞬、眉を顰めたものの、やがて、くっくっ、と一緒にいた頃しばしば見せた特徴的な笑い声を立てた。


「そうか……念願のソルジャーになったと思ったら、くくっ、再会してみると今度は逆にアバランチの真似事で反神羅活動とは。本当にキミは僕の想像の斜め上を行くね」


「何よ、なんかおかしい訳!?」


 ハルヒが佐々木の言葉に噛み付く。すると、佐々木はハルヒに向かって素直に謝った。


「ごめんなさい、涼宮さん。誤解しないで。私は別に皮肉とか馬鹿にしているとか、そんなつもりはないの。そう、言ってしまえば面白い――インタレスティングといった所かしら」


「……」


 佐々木の言葉に虚を突かれたのかどうか知らんが、ハルヒは何も言い返せずに黙り込んでしまう。こんなハルヒ、初めて見るな。それにしても、佐々木の「アレ」は相変わらずだ。――そう、こいつは男相手には一人称「僕」の男言葉で、女相手には普通に一人称「私」の女言葉で話すのだ。自分を女として見て欲しくない、とか何か訳があるのかもしれないが、そんな事は俺にはどうでもよかったから、何のツッコミも入れなかった。――そう言えば、佐々木はそんな俺の態度も「面白い」と言っていた様な気もするが。


「それよりも佐々木。お前一体どうしてこんな所に? 確かタークスに配属されたんじゃ……」


 ようやく話が核心に入った気がする。本来、こいつも国木田やアホの谷口なんかと一緒に俺たちの敵対者として行く手に立ち塞がっていた筈だ。それがこの地下室に眠っていたという事は――


「それは……………うっ……ううっ……―――――すまない。思い出せないようだ」


 こめかみを押さえながら、佐々木は苦しげな表情でそう答えた。


「あんた、宝条って奴に捕まってここに眠らされていたのよ。それも覚えてない訳?!」


 ハルヒの問い掛けにも、佐々木はかぶりを振るばかりだった。


「……ほ……う……じょう? 分からない……頭の中に霞がかかっているみたいに……ぼやけていて。ごめんなさい」


 これ以上問う事は、佐々木の負担になりそうだったが、宝条の言う『タークスの女』ってのは佐々木のことで間違い無いだろう。何が起こったかについては、あとで宝条自身の口からたっぷり聞かせてもらえばいい。無論、きっちり『礼』は返させてもらうつもりだが。


 暫くして落ち着きを取り戻した佐々木は、逆に俺に尋ねる。


「……キョン。ところで今は一体いつだ?」


 俺は現在の日付を知らせると、佐々木は驚愕に目を見開いて俺を半ば睨むように見据えた。


「キョン。キミは僕をからかっているのかい? 僕の記憶している暦からもう5年以上経過しているじゃないか。いくら何でもこんな子供だましの嘘で僕を騙そうだなんて――」


「いえ、彼の言っている話は紛れも無い事実です。恐らく、あなたはその期間ずっとこの部屋で眠らされていたのでしょう」


 古泉の言葉にハルヒも頷く。それを見た佐々木はくっくっと、またあの笑い声を立てた。今度は少し自嘲めいた声色で。


「くくっ、そうか、これは傑作だ。狐に摘まれたとかいうのはまさにこの事を言うのだろう。まさか僕がその立場になるなんて、ね」


「……なあ、佐々木。俺たちと一緒に来ないか?」


「なっ……キョン?!」


 ハルヒは異論めいた声を上げるが、俺はもうこれ以上、佐々木を放って置けなかった。


「でも、こいつタークスで、あたしたちの敵じゃない!」


 そうは言うけどな。それでも最初に助けようと言い出したのはハルヒだろう?


「……」


 こう切り返されると、さすがのハルヒもぐうの音も出ない。それに、こいつだってこんな所に女の子一人置いてけぼりにするなんて出来るはずがない事くらい、古い付き合いだからよく分かっていた。ハルヒはしばらくの間、チョコレートと間違えて碁石を口に入れたような微妙な顔で何やら考え込んでいるようだったが、やがて、


「ああっ、もう! いいわよ!! ――佐々木さん、だっけ? 付いて来たいなら好きにすれば!!」


 考え込む行為それ自体に嫌気が差したようで、ハルヒは半ばやけっぱちな声音で、佐々木の同行を認めた。


「ただし、あたしが団長で、あたしがルールだから。ちゃんと従ってもらうわよ」


「ええ、喜んで。これから色々とよろしくね、涼宮さん」


「……ふんっ」


 微笑む佐々木に、ハルヒは何とも言えない表情を湛えたまま、一人先に、ズカズカとこの部屋を出て行った。


「さっさと来なさい! これ以上モタモタしてたら、セフィロスに追いつけなくなるわよ!!」


 石造りの廊下に反響するハルヒの声を聞いて、佐々木は俺に耳打ちするかのような距離で尋ねてきた。


「セフィロスって……あの英雄セフィロス、かい?」


「ああ。訳あって今の奴は敵だ。俺たちはあいつを倒そうと旅を続けている」


「なるほど……くくっ、今のキミは相当に面白い人生を歩んでいるようだね。まさか英雄までも敵に回しているとは」


 こっちはあんまり面白くは無いんだが。……誘っておいて何だが、随分危険な旅になる。何だったら、村を出てから俺たちと別れてもいいが。


「大丈夫。それを聞いたら尚更御同道させて貰いたくなった。5年以上音信不通になっていたのなら、最早タークスには僕の居場所はないし……何より、キミ達といると退屈しなくて済みそうだ」


 それならいいが、お前は戦えるのか?


「馬鹿にしてもらっては困るな、キョン。僕だってタークス仕込みの戦闘術は心得ているよ。幸いな事にちゃんと獲物もそのまま残っているしね――」


 佐々木はそう言いながら、腰に差していた拳銃――タークス制式銃『クイックシルバー』をくるくると回した。


「――多分、充分にキミ達の役に立てると思うよ?」


 そうして見せた佐々木の笑顔に、俺は一瞬見惚れてしまいそうになったが、


「キョン、何してんの!!」


 ハルヒの怒鳴り声によって、一気に現実へと引き戻されてしまった。それより、何であいつはさっきから機嫌が悪いのだろうか。


「キョン君……やっぱりそれ、本気で言ってます?」


 朝比奈さん。何で杖を俺に向けてるんですか? 心なしか、その美しい御尊顔の眉間に皺が寄っている気がするんですが。


「……あなたには、もう身体に言って聞かせるしか方法が無いのかもしれない」


 な、長門……? どうしてモンスターもいないのに、『ブラッドファング』を放つ体制に入っているんだ?


 訳も分からず、理不尽な命の危険が迫っているのを本能的に感じた俺は、逃げるようにハルヒの後を追って隠し部屋を出たのだった。

 





「……やれやれ。あまりに乙女心に鈍感すぎるのも、困ったものです」


 古泉が軽く嘆息をしながら、後ろで何事か呟いていたが……別に興味無いね。






 こうして、更に1人増えて総勢8人と1匹となったSOS団――正式名称は『世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団』だぜ。覚えていた奴は偉い――は、予定通りに神羅屋敷を出て、その背後に聳えるニブル山を登り、北へ向かった。


 その道中、佐々木はその言葉通りの実力を遺憾なく発揮してくれた。佐々木の拳銃は、古泉のマシンガンやバルカン砲と比べて威力は低いが、命中率はべらぼうに高かった。「スピードサウンド」や「ズー」などニブル山に生息する動きの素早い鳥型モンスターの襲撃を受けても、動じる事無く悉く撃ち落とす様を見て、俺だけではなくハルヒも舌を巻いた。


 最初こそ、古泉や朝比奈さんら団員との空気感は、何処となくぎこちなかったが、戦っていく内に連携も良くなり、佐々木も少しずつ皆と打ち解けていった。元々、変な喋り方をする奴だが、社交性は昔から高かったので、あんまり心配はしてなかったけどな。――橘なんかに至っては、何故か猛烈に親しみを感じているみたいで、佐々木が閉口してしまうほど色々話し掛けている場面が散見された。ハルヒは、相も変わらず機嫌を損ねていたが、これもじきに直るだろう。




 ――そんな様子を見て、胸を撫で下ろしかけた時だった。




 ニブル山の洞窟を抜け、ロケットポートエリア――神羅の宇宙開発を一手に担う、その名もずばりロケット村がある――へと出ようとした所で、俺たちは例によってモンスターの襲撃を受ける。鉄球を振りかざす石のゴーレムみたいな「スクリーマー」や昆虫を巨大化させたようなモンスター「キュビルデュヌス」など、実力的には大したことの無い連中だったので、俺たちは難無く掃討していった。それもあらかた終わり、近接戦闘で動きっぱなしだったハルヒがホッと一息をつきかけたその時、


「!? 涼宮さん!!!」


 ハルヒの背後から巨大な鈎爪が襲い掛かる! いつの間にか忍び寄っていた4、5メートルはあろう、緑色の蠍のようなモンスターから放たれたものだと言う事は、その瞬間、知る由も無い。だが、それにいち早く察知した佐々木が、ハルヒを突き飛ばして逃がす。そのワンアクションで遅れて、佐々木はその一薙ぎを受け止めきれず、モンスターの爪が佐々木の腹部に深々と突き刺さった。


「佐々木さん!!!!!」


 ハルヒは、目の前の光景が未だ信じられない様子で、両目を大きく見開いて悲鳴のような声を上げた。


「バカ、何やってんだ!!!!!」


「だい……じょうぶ、だよ――これ、くらい……」


 大丈夫なもんか! 佐々木の傷口からは血がドクドクと流れ出ている。あっという間に佐々木の顔面が蒼白になっている。このままでは……


「朝比奈さん!!」


「はい! 今助けます、ケアルラ!!!」


 朝比奈さんの回復魔法が佐々木の体を包むが、ダメージは想像以上に酷く、魔法の効力が追いつかない。すると、佐々木は次第に苦悶の表情を強めていく。傷が痛むのか――いや、違った。





「う、うう……うあっ―――ああああ、あガアアアアアアァァァァァァァァ!!!!!!」





 ――信じられないものを見てしまった。


 佐々木は人では有り得ない声で叫びながら、その姿を変貌させていった。紫色の体毛に覆われ、額からは二本の角、そして口は鋭く前に伸び、牙が生えて――人狼を思わせる怪物に、なった。その間、情けない事に、俺たちは一歩もその場から動けずにいた。


「ガアアアアッッ!!!」


 佐々木はその場で跳躍すると、蠍のモンスターに飛び掛って、踊り狂ったかのように何度も、隆々とした両腕で殴り続け――


「グルルルッ、グワァァァァッ!!!」


 最後にはモンスターに鋭い牙で喰らいつき、足を、爪を、頭を、はらわたを噛み千切って、あっという間にバラバラにしてしまった……


「す、凄い……」


 ハルヒは何を思ったらいいのか分からないといったような虚ろな瞳で、成り行きをただただ眺めていた。古泉も、長門も、朝比奈さんも、橘も、シャミセンも、周防も、モンスターの血や臓物が当たり一面に撒き散らされるその凄惨な光景に、圧倒されるばかりだった。


 その時。俺は、宝条の手紙に記されていて、なおかつ佐々木には伝え損なっていた事実を思い出す。




『僕はタークスの女に生体学的な改造を施し、地下に眠らせた』




 『生体学的改造』……それは、こういう事だったのか。


 沸々と湧き上がる俺の怒りを他所に、暴れ狂った佐々木は敵がもういない事を悟ると、落ち着きを取り戻して姿形も元の佐々木に戻っていった。


「佐々木……」


 この時の俺はどんな顔をして佐々木に声を掛けたのだろうか。多分、彼女に対する恐怖を隠し切れなかったように思う。その事実だけでも、俺は自分自身をぶん殴りたくなる。だが佐々木は、それを咎める事も、悲しむ事もせず、くくくっとあの独特な笑い声を漏らして、


「キョン……………僕は――」


 どことなく寂しげな微笑を浮かべながら呟いた。






「――僕は、モンスターになってしまったみたいだ」

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HARUHI FANTASY Ⅶ -THE NIGHT PEOPLE- 十夢叙華 @thomjoker

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