第15章 想像

「くそっ……痛ぇなあ……」


 まだズキズキしやがる左頬をさすりながら、真夜中の荒野で、バギーのハンドルを握ってアクセルを吹かす俺。しかしハルヒの野郎、あそこまでマジに蹴らなくたっていいじゃないか――




 ――思い出すのも癪だが、説明しておこうか。




 あの後が本当に大変だった。突然子供のように泣きじゃくる朝比奈さんを必死に宥めて、ようやく泣き止んだかと思ったら、


『キョン! あんた何ミクルちゃん泣かしてんのよ、このアホンダラケッ!!!』


 いきなり俺の左顔面にハルヒのドロップキックが炸裂した。もんどりうって倒れる俺を尻目にハルヒは朝比奈さんに駆け寄って、本気で心配そうに彼女の頭をを優しく撫で始める。


『大丈夫? ミクルちゃん。一体キョンに何されたの? 正直に言いなさい。あたしが億倍返しにしてやるからッ!!』


 朝比奈さんは突然の事態に目を白黒させながら『い、いえ……これは違うんです』などと至極真っ当なる反論をして頂いたが、当然ハルヒは聞きもしない。


『いいのよ、ミクルちゃん! あんなバカを庇わなくたって!! どうせエロキョンのことだからミクルちゃんの顔に似合わぬ胸に目が眩んで襲ってきたんでしょ! まさに女の敵ね!!』


『いや、だから違――』


 ようやく立ち上がって身の潔癖を訴える間も無く、ハルヒの容赦ない蹴りがゲシゲシ飛んで来た。


『痛えッ! だから、違うって言ってんだろ!! おい古泉! 黙ってないで助けろ!!!』


 しかしあの野郎、両手を上げて呆れた様に格好付けた「やれやれ」のポーズしか見せず、橘も周防もシャミセンも、そして長門に至ってまで俺を軽蔑した目で見ている。……なんでこんな事に。


 結局、被害者たる朝比奈さんの証人尋問は無視され、加害者たる俺の被告人弁論はハルヒ法廷では当然のごとく却下され、皆の黙認の下での私刑が容赦無く俺の身に降り注いだ。挙句の果てに、


『罰としてキョンは夜通しバギーを運転しなさい! もちろんナビもなしで。その代わり、あたしたちはバギーの中でゆ~っくり休みましょう!! ね、ミクルちゃん!!』




 ――という訳で、こうして俺だけ徹夜耐久ロードレースを行う羽目になったのだ。本当にやれやれだぜ。俺は深く溜息を吐いて、眠い目をこすりつつ、ひたすら北西に向かってバギーを走らせていた。結局、ゴンガガ村では朝倉の詳しい行き場所についての情報が得られなかったからな。気に食わんが、国木田の情報を頼って進むしかないだろう。


 それにしても眠い……いろんな事がいっぺんに起きたからかな。それとも、昨日に引き続いての強行軍が原因か? で、あまりの眠たさに頭をハンドルに打ち付けそうになった時だ。


「あのう……キョン君?」


 知らぬ間に隣のシートから天使の声が聞こえてきた。しまった。事故ってみんなで天国行きか?――ではなく、


「朝比奈さん?! いいんですか? 寝てなくて」


 月光に照らされた朝比奈さんの白いシルクのような柔肌は、うっとり見惚れてしまうほどに神秘的な輝きを放つ。だが彼女は、申し訳なさそうにその顔を曇らせた。


「いいんです。それに……あたしのせいでキョン君が――」


「気にしないで下さい。人の話を聞きもしないあいつが悪いんですから」


「ふふ……でも、ちょっと嬉しかったんですよ」


「えっ、何で??」


 まさか苛められてる俺を見る行為に興奮を覚えてたり? そうなると、俺は彼女に対する認識をかなり変えねばならないが――勿論違った。


「確かに誤解でしたけど、涼宮さんたちが、あたしのことを心配してくれているのが分かったから……キョン君には災難でしたけどね」


 いたずらっぽい笑みを浮かべる朝比奈さんに、俺も笑顔になる。やっぱり、朝比奈さんは泣き顔より笑顔のほうが断然可愛い。俺はここぞとばかりにその微笑みを独り占めする特権を味わっていたものの――その恩恵に与れない多感な青少年たちの怒りが神に届いたのかどうか知らんが、すぐさまその罰が当たったようだ。


 ――と言うのも、突然バギーがボスンッ!! と変な音を立てボンネットから黒い煙を吐き出し始めたからだ。


「あれ……?」


 急速に速度を落とすバギー。懸命にアクセルを吹かすが、全く効果が無く、ついにはバギーは煙を立てたまんまその動きを止めてしまった。つまり、エンストだ。


「ど、どうしましょう……」


 突然の事態に窓の外と俺の方を交互に見ながらオロオロする朝比奈さん。無理も無い。ここは草木の一本も生えていない荒野に覆われた峡谷地帯だ。助けを呼ぼうにも人里が何処にあるのかさえ分からない。それ以前にこの事をハルヒたちにどう報告しようか。下手打てばどんな祟りがあるか、考えるだけでも恐ろしい。




 兎にも角にも、やれやれだ。






『HARUHI FANTASY Ⅶ -THE NIGHT PEOPLE-』


 第15章 想像






 さて、その後の展開は推して知るべしだ。真夜中に叩き起こされた上に、車がぶっ壊れて人っ子どころか草一本も見当たらない(時々モンスターは出るが)荒野に立ち往生しましたと聞かされりゃ誰だって不機嫌になる。況やハルヒをや、である。


「ったく、何やってんのよアホキョン! こんな所バギーなしでどうやって進めと言うのよ、あんたは!!」


「そんな事言われたって仕方ないだろ! 原因なんてさっぱり分からないんだから」


 俺はボンネットを開けて、煙が出たところを中心に故障したらしきところを調べながらハルヒの文句をいなしているが、それにしてもこのバギーの構造、さすがディオちゃんもとい岡部のコレクションということで、特注仕様なのかさっぱり分からん。普通の車やバイクとかなら何とか修理できるが、それでも素人の生兵法だ。


「……助けを呼ぶしかないな」


 ついに匙を投げた俺。


「しかし、どうやって? 見たところ人家もありませんが……」


 そんな事、古泉に言われんでも分かる。結局、何日掛かるか分からんが、誰かが代表して最寄の街まで走るしかないんだろうな。そしてその役は――


「だったらキョン、バギーを壊したあんたが責任もって行きなさいよね!」


 まあ、そうなるだろうとは思ってはいた。が、それでも俺が壊したんじゃない。そこだけは抗弁しようと口を開きかけた時だ。


「……………待って」


 長門が珍しく会話に割り込んできた。


「何、どうしたの、ユキ?」


「……彼が一人で走る必要は無い。近くにわたしの故郷がある。そこに助けを求めるほうが賢明」


「え? 長門さんの故郷ってここだってんですか?!」


 衝撃の事実をさらりと告げる長門。朝比奈さんだけじゃなくてみんなびっくりだ。


「そうか、なら君は――」


 立ったまま寝ている周防の肩の上に乗って、眠たげにあくびをしていたシャミセンが何か言おうとしたが、そこにハルヒの喧しい声が割り込んでしまってその続きが聴こえなかった。


「もう、ユキ! そうならそうと早く言いなさいよ!!」


 キラッキラと満天の笑顔で長門に抱きつくハルヒ。嬉しいのは分かるが、長門に迷惑だろ。そこから離れなさい!


「いいじゃない。SOS団最大の貢献者に最大の賛辞を与えるのは当然のことよ。あんたの貢献度と比べると月とスッポンでも生温い位なんだからね!!」


 別に俺のSOS団に対する貢献度なんか、これっぽっちも興味ないね。それはともかく、いくら長門の故郷とはいえこんな真夜中に押しかけるのも悪いだろう。


「……確かにそうね。じゃあ、朝までバギーの中で休んで、夜が明けたら早速出発しましょう! ユキの故郷ってどんなところかしら。楽しみだわ!!」


 頭の中はもうまだ見ぬ長門の故郷のことでいっぱいなのだろう。ハルヒは俺たちの返事も聞かずにルンルン気分でバギーの中へと戻りやがった。まあ、俺もみんなも別に反対する理由は無いけどな。ただ、


「悪いな、長門。厄介になるけど……」


「……いい。あなたが気にすることではない」


 そう答えた長門が一瞬ホッとしたような表情を見せたのは、俺の気のせいだったのだろうか。


 





 で、夜明けだ。


「ううう寒い寒い寒いさむいいいいい!!! 寒すぎるわよキョンッ!!!!!」


 ああそうだな。そんなに連呼せんでも寒いわい。そりゃエンストで暖房も効かんのに猛烈な寒気に晒されたバギーの中で寝てりゃな。


 朝比奈さんも可憐な唇を真っ青にして震えているし――もちろん俺がそんな彼女を放って置けるわけなく上着を掛けてあげようとしたら、「キョン、それいらないならちょうだい」などと朝比奈さんに声を掛ける前にハルヒに取り上げられてしまった――古泉もいつものにやけスマイルが心なしか凍り付いているし、普段ならハルヒと一緒になってブーブー文句を言いやがる橘に至ってはそんな元気も無いようだ。動じてないのは、シャミセンがこたつよろしく服の中に潜り込んで越冬している周防ぐらい――


「―――ガタガタ―――――ガタ」


 ……そうか、お前も寒いんだな。とにかく長門、早くその故郷とやらに案内してくれないか。これ以上じっとしてるとマジで凍死しちまう。


「そうよユキ早くいきましょう!!!」


 ハルヒが句読点も付けずに一気に喋るのが何とも痛々しい。長門もさすがに堪えているのか「わかった」とだけ呟き、足早に俺たちを先導し始めたのだった。






 走って来た道からは人里なんて見えなかったが、長門の故郷はそう遠くない所にあった。多分峡谷の中に隠れるように造られていたのだろう。外敵から身を守るために。つまり、何かと敵対している場所なのだ。何か――とは、これまでの長門の口ぶりからして神羅かもしれないが。


 そんなことを考えながら崖を切り崩して出来た階段を上った先に「コスモキャニオン」と彫られた木製のアーチがゲートのように立っていた。ハルヒはその文字を見て両の眼を驚愕に彩られて大きく見開いていたのを俺は見逃さなかった。


「コスモ、キャニオン……………ここが――」


「ハルヒ、知ってるのか?」


 俺の問いにハルヒが答える前に、長門がアーチの前に立っていた門番らしき男にこう告げた。


「ただいま。ユキ、帰りました」


「おお、ユキ! 無事だったか! さあ、管理人様にご挨拶を!」


 門番の男はにこやかに長門を迎え、長門はそのままアーチをくぐって何処かへ走り去っていく。呆然と見送る俺たち。


「コスモ……キャニオン? 関係あるのかな? 星とか、古代種とか……」


 自分のルーツを知る事を旅の目的としている朝比奈さんが、その場所の名を聞いて期待に少し瞳を輝かせていると、ようやく俺たちの存在に気付いたらしい門番の男が問い掛けてきた。


「ようこそコスモキャニオンへ。この地の事はご存知ですか?」


 もちろん知らないな。……表情見る限りハルヒや古泉、シャミセンらは知ってそうだが。


「では、語らせていただきましょう。ここには世界中から『星命学』を求める人々が集まってきます。――んが! 今は定員一杯なので、中には入れてあげられません」


 何だって!? 話が違うぞ、おい。それじゃ、バギーはどうなるんだ。いや、それよりもハルヒがまた暴挙に――などと危惧する間も無く、長門が何かを思い出したかのように駆け戻り、


「その人たちには、ほんのちょっとだけ世話になった。入れてあげて」


 それだけ言い残すと再び何処かへと走り去った。


「……そうでしたか。ユキがほんのちょっとだけ世話になりましたか。では、どうぞお入り下さい。ようこそコスモキャニオンへ。ゆっくりしていってくださいね」


 やけにあっさりと中に入れる事に。長門の影響力って大きいんだな。あいつ、ここの有力者の関係者か何かか?……ちなみに「ほんのちょっとだけ」という台詞には深くツっこまない事とする。


「そんな事、どうだっていいじゃない。入っていいって言ってんだから、みんな、早速お邪魔するわよ!」


 というハルヒの号令一下、俺たちはアーチをくぐり、コスモキャニオンに足を踏み入れた。それが俺たちにとって、ある意味で一つの転機になる事を、想像すらしないままに。






 コスモキャニオンは高い高い岩山を掘り抜き、その人工洞窟の中を居住空間にしているみたいで、岩山がまるで一つの要塞の様に聳え立っていた。その頂上には巨大な望遠鏡の付いた巨大なドームがあるのだが、天文台か何かだろうか。俺たちは暫し長門の故郷の光景を思い思いに眺めていたが、その内に何処からか一人の男に声を掛けられた。


「あなた方も『星命学』の研究にいらしたので?」


 いや、そういう訳では……そもそも『星命学』というのがさっぱり知らん。ちなみにハルヒは「アンタって、ソルジャーの癖に本当何にも知らないのね」と半ば蔑むような目で言うが、さっきからここの事知ってる様な口ぶりだな、おい。


「おや、さようで。え? 車が故障? それはそれは。何せこの辺りは道らしい道も無いですからね。そういう事なら任せてください。こう見えてもね、メカには結構詳しいんです。車が直るまでコスモキャニオンを見学されては?」


 ここの住人らしき人の有り難い申し出に飛び付かない訳は無い。即決でお願いすることにして、鍵を彼に手渡した。その男は陽気に「まっかせなさい」と言いながらコスモキャニオンを後にした。まあ、信用してもいいだろう。――さて、待っている間どうしようかと考える間もなく、


「見て見て! でっかい焚き火よ!!! とっても寒かったし丁度良いわ、みんなで暖まりに行きましょうよ!!!!」


 外の寒さに耐えかねていたハルヒや橘らが、コスモキャニオンの中心部で燃え盛る巨大な焚き火に突進していく。古泉も朝比奈さんも小走りに後に続く。俺はその光景に苦笑いしながらも、寒かったことに変わりないので同様にいそいそと駆け寄った。


 で、俺たちが火のありがたさを改めて噛み締めていると、


「この火はね。『コスモキャンドル』なのです。むかーしむかしからもやされつづけてるのです。つまり、この谷をまもる聖なる炎ってわけなのです。でもね、あたしが生まれるうーんと前に一度だけこの火が消えたことがあったんですって……とってもこわーいことがあったって長老は言ってたけど、あたし、よくわからないのです」


 橘を幼くしたような口調でこの火について長々と解説してくれた女の子を連れ、長門が現れた。


「……ここがわたしの故郷。わたしの一族はこの美しい谷と星を理解する人々を守って暮らしてきた。だが勇ましい戦士であった父母は死に、腑抜けの姉は逃げ出し、一族はわたしだけになってしまった」


「腑抜けの姉?」


 長門に姉がいたとは驚きだ。それにしても『腑抜け』って随分な言い草だな。


「そう。姉は見下げた腑抜け。……だから、ここを守るのは残されたわたしの使命。わたしの旅は、ここで終わり」


 旅は終わりって――そう言えば、長門は「自分の故郷に帰るまでは付き合う」って言っていたよな。いろいろな事があり過ぎてつい忘れていたけれど。……まさか、バギーの故障の原因って――


「おーい! ユキー! 帰ったのかー!」


「今行く。じっちゃん」


 その疑問が口から出る前に、長門は岩山の方から聞こえて来た爺さんの声に呼ばれてどこかへ行ってしまった。衝撃的な発言に暫し呆然とする俺たちだったが、ハルヒは長門の後姿を見送りながら努めて明るい声で言った。


「丁度いいわ。あたしたちも一休みしない? しばらく自由行動ね!」







「……涼宮さんはずっとここに行きたがっていたんですよ。コスモキャニオン。反神羅の活動をする者なら必ず一度は聞いた事がある地――あなたが知らなかったのには驚きましたが」


 悪かったな、無知で。俺は嫌味ったらしい台詞を吐く古泉を軽く睨んでやった。ハルヒの自由行動宣言でみんな思い思いの場所へと遊びに出かけたみたいだが、俺と古泉はいまだに焚き火にあたり続けていて、俺は退屈凌ぎにこいつの話し相手になってやっているところだ。


「『星命学』。それは、僕らが生きるこの星自体を生きているものと考え、星の声を聞き、星を大切にしながら生きていこうという思想から生まれた学問で、ここで暮らす、人間とは違う一族が提唱したと言われています」


 星が生きている――か。にわかには信じがたい話だが、お前らがミッドガルでしきりに言っていた『星が死ぬ』って言葉も大元はその学問からなんだな。古泉は肯定に代えて話を続ける。


「昔、ここで『星命学』を学んだ男がいました。彼はその思想に感動し、現状を鑑みてこのままじゃいけないと考え、ミッドガルでアバランチという反神羅組織を結成しました。その後の長きに渡る全世界的な抵抗はあなたも知っての通りです。言ってみれば彼らに憧れて涼宮さんが創ったSOS団の原点が、ここなんですよ」


 まあ、そのコスモキャニオンの正確な場所なんて、僕らもここに来るまでは知らなかったんですけどね――と古泉は自嘲を込めて言う。でも、よかったんじゃねえか――と俺は嬉々とした表情で朝比奈さんを連れ回しながら、ここに住む人たちに話を聞いて回るハルヒを見つめつつ答えた。そう、ずっと憧れてきた場所に、偶然とはいえ辿り着くことが出来たのだから。


「そうなんですけどね……」


 古泉はそこで若干表情を曇らせた。何だろうなと思っていると、突然古泉の背後から橘がぬっと現れて、


「古泉さん、古泉さん! ここってあの『星命学』の中心地なのですよね? だったら、すごいマテリアがたっくさんある筈なのです!! 一緒に探しにいきましょーー!!!」


「ちょ、ちょっと、橘さん?!!」


 目を白黒させながら橘に引きずられていく古泉を合掌しながら見送ることにする。それにしてもあいつら、あんなに仲良かったっけ?――いやそれよりも、俺が暇になってしまった。ハルヒや朝比奈さんは色々と忙しそうだし……何より俺が巻き込まれたくない。周防とシャミセンを捜そうとも思ったが、どうやら近くにいそうに無い。さて、どうするか……と辺りを見渡してみると、長門が手招きをしているので、行ってみる事にした。


 長門は俺が来た事を確認すると、いつもの調子で告げた。


「……あなたに会わせたい人がいる。来て」


 ま、丁度手が空いたしな。暇つぶしにはもってこいだろう。





 長門の「会わせたい人」というのは、コスモキャニオンに聳える例の岩山の頂上にある天文台付きの家に住んでいるらしく、数え切れない程の階段や梯子を登ることになる。その先に待っていたのは、相当年を召した一人の老人だった。ただ、足が無く宙に浮いていて、彼が俺たち人間とは違う存在であることを物語っていた。しかし、それは何ら不思議なことではない。この世界では、長門みたいに人間とはちょっと違う種族が普通に暮らしているのだから。そうして長門はこの老人を俺に紹介してくれた。


「……この人がコスモキャニオンの管理人のじっちゃん。名はブーゲンハーゲン。なんでも知ってる凄い人」


「ホーホーホウ。その名で呼ばれることはもう殆ど無いから『管理人』で構わんよ。あんた方には、ユキがほんのちょっとだけ世話になったようじゃのー。まぁ、ユキはまだまだ子供だからのー手がかかったじゃろー」


「やめて、じっちゃん。わたしはもう48歳」


「48歳!?」


「ホーホーホウ。ユキの一族は長命じゃ。48歳と言っても、人間の年で考えれば、まだ15、6歳位のものじゃ」


「15、6歳!!??」


 ブーゲンハーゲン――いや、ここでは本人の意思に従って『管理人』としておこうか――と長門の遣り取りに軽く衝撃を受ける俺。あれで実年齢48っていうのも驚きだが、人間サイズで言うと俺たちよりも若干年下になるのかよ!! すると管理人はいたずらに成功した子供のような笑みを浮かべた。


「無口で考え深い。あんたはユキのことを立派な大人だと思っていたのかな?」


「……じっちゃん。わたしは早く大人になりたい。早くじっちゃんたちを守れるようになりたかった」


 長門が管理人の言葉に反論する。だが普段とは違い、その台詞の端々に感情がこもっているように、俺は感じられた。


「ホーホーホウ。いかんな、ユキ。背伸びしてはいかん。背伸びをするといつかは身を滅ぼす。天に届け、星をも掴めとばかりに造られた魔晄都市。あれを見たのであろう? あれが悪い見本じゃ。上ばかり見ていて自分の身の程を忘れておる――」


 言うや否や、フワッと食卓の上に飛び移る管理人。何度も言うが相当な年齢だ。その割には動きが軽やかだな。こりゃ当分長生きは出来そうだな――などとどうでもいい感想をしている間にも、管理人の話は続いていく。


「――この星が死ぬ時になってやっと気づくのじゃ。自分が何も知らないことにな」


「……星が死ぬ?」


 またこの言葉。だが、『星命学』本場の長が放つそれには言いようの無い説得力が感じられた。しかし、だとするならそれはいつ――


「ホーホーホウ。明日か100年後か……それ程遠くは無い」


「どうしてそんなことが分かるんだ?」


「星の悲鳴が聞えるのじゃ」


 管理人の言葉とともに、聞いた事の無いような奇妙な音が天井のほうから聞えた。奇妙、とは言うものの、それはキラキラと輝き、とてつもなく綺麗で荘厳な音色だった。


「これは?」


「天に輝く星の音。こうしているうちにも星は生まれ、死ぬ」


 一転して何かを引き裂くような、いや、何かが壮絶な苦痛に叫ぶような音が降って来る。


「今のは?」


「ホーホーホウ。この星の叫びじゃ。痛い、苦しい……そんな風に聞えるじゃろー?」


 その声に圧倒されて声も出せない俺。その代わりに、長門が管理人に説明してくれた。


「彼らは星の命を救うために旅をしている。じっちゃんの自慢のアレを見せてほしい」


 だが、管理人は俺たちの旅を、その目的を、大声で笑い飛ばした。


「ホーホーホウ! 星を救う! ホーホーホウ! そんな事は不可能じゃ。人間なんぞに何が出来る。――しかし、なんじゃ。わしの自慢のアレを見るのは決して無駄ではなかろう。あんた方のお仲間みんな連れてきなさい」






 俺は釈然としない気持ちを抱えながら、再び階段と梯子を駆け下りてハルヒたちを呼びに行く。ハルヒや朝比奈さん、マテリア探しに出かけたものの収穫ゼロで凹む橘と苦笑いを浮かべる古泉なんかは簡単に捕まえたが、ロボットの癖にどっかの食卓に紛れ込んでおばちゃんにご飯をねだっていたシャミセンと周防を探し出すのには骨が折れた。そんなどうでもいい事は差し置いて、俺は皆を連れ、また何個もある階段や梯子を登って再び管理人の小屋の扉を開けた。しかし、中には誰もいない。長門もだ。


「ねぇ、キョン。その管理人のじいさんってどこにいんのよ?」


「おかしいな。確かにここに連れて来いって言われたんだけど……」


 そうハルヒに答えつつ部屋を見渡していると、木の扉の向こうから老人の声が聞こえてきた。


「おーい、こっちじゃー。扉の鍵は開いとるから入って来るがいい」


 俺たちは呼ばれるがままに扉の中へと入る。そこは個人が所有するにはかなり大きな類のプラネタリウムでそのドームの中心に管理人のじいさんが立っていた。だが、長門はいない。何処かへ行ってしまったようだ。


「ホーホーホウ。揃ったようじゃな? それじゃ、始めようかの。ホレ、そこに立つんじゃよー」


 管理人は、ドームの中に俺たちを招き寄せ、古めかしい機械のスイッチを軽快に操作する。その途端、俺たちが立っていた床がガタンと音を立てて上昇を始める。これは一種のエレベーターらしい。それが上昇するにつれ、ドームは暗くなっていき、エレベータ-が一番上で止まった時には、真っ暗な空間の中に無数の星が俺たちの周りを囲んで光り輝き出していた。


「綺麗……ホントの宇宙みたい。ね、キョン?」


 ああ。全くだぜ。まるで俺たちが宇宙の中心にいるような感覚を覚えるよ。


「ほほ、そうじゃろー。これがわしの自慢の実験室じゃ。この宇宙の仕組みが全てこの立体ホログラフィックシステムにインプットされておる」


 宇宙の全て!? 管理人の言葉にみんな驚いていると、


「あっ! キョン君、流れ星!」


「うわ~、素敵なのです!!」


「――――――きれい……」


 飛び交う隕石、それがぶつかり合って形成されていく惑星、そして、全てを飲み込むブラックホール。眼前で繰り広げられるあらゆる宇宙のスペクタクルに、俺たちは完全に目を奪われていた。


「ホーホーホウ。そうじゃろ、凄いじゃろ。さて、そろそろ本題に入ろうかの」


 管理人の言葉とともに、プラネタリウムに映し出されたのは、俺たちの生きる星に立つ人間だった。


「人間は……いつか死ぬ。死んだらどうなる? 身体は朽ち、星に帰る。これは広く知られているな。では、意識、心、精神はどうじゃ?」


 人は、あのエメラルドグリーンの光の粒になって砕け散る。すると、その光は星の中へと注がれて行った。


「実は精神も同じく星に帰るのじゃな。人間だけではない。この星、いや宇宙に生きるもの全て等しく。星に帰った精神は、混ざり合い、星を駆け巡る。星を駆け巡り、混ざり、分かれ、『ライフストリーム』と呼ばれるうねりとなる。ライフストリーム……すなわち星を巡る精神的なエネルギーの道じゃな」


「ライフ…ストリーム……」


「『精神エネルギー』。この言葉を忘れてはいかん。新しい命……子供たちは精神エネルギーの祝福を受けて生まれてくる。そして、時が来て、死に、また星に帰る……。無論幾つかの例外はあるが、これがこの世界の仕組みじゃ。――色々話してしまったが、まあ、これを見たら分かるじゃろ」


 星に生きる木々が、動物が、人が、光の粒になって星を駆け巡って行く。それは、あまりにも完成されている美しいサイクル――しかし――


「星が星であるためには精神エネルギーが必要なんじゃ。その精神エネルギーがなくなったらどうなる?」


 ――エメラルドグリーンの光が何かに吸い取られ、星は次第に黒くなり、やがて脆くも崩れていく。


「……これが星命学の基本じゃな」


「精神エネルギーが失われると、星が滅びる……というのね」


 ハルヒの言葉に、管理人は「正解」と言うかのように朗らかに笑う。


「ホーホーホウ。精神エネルギーは自然の流れの中でこそ、その役割を果たすのじゃ。無理やり吸い上げられ、加工された精神エネルギーは本来の役割を果たさん」


「魔晄エネルギーの事を言ってるのか?」


 つまり俺たちは、ライフストリームを『魔晄』と名付けて浪費していた、というのか。その疑問に管理人は静かに頷き肯定した。


「魔晄炉に吸い上げられ、ずんずん減っていく精神エネルギー。魔晄炉によって過度に凝縮される精神エネルギー。魔晄エネルギーなどと名付けられ、使い捨てられているのは、全て星の命じゃ。即ち魔晄エネルギーはこの星を滅ぼすのみ……じゃ」


「……………」


「想像するんじゃ。お前たち人間がその手に持つマテリアを用い、自らの欲望を満たそうと行う行為で、星という共に生きるべき他者が傷つき、痛い痛いと泣いておる。そしてそれが、いつしかそのまましっぺ返しとなって、お前たちに降り掛かってくる――その理を」


 管理人はそのまま装置のスイッチを消し、エレベーターは再び下の床へと降りて行く。俺たちはその間、一言も発することが出来なかった。






 ――俺たち自身も気付かぬ内に星の命を奪っていた、という事実に打ちのめされたからだ。






 その後、沈黙を破るように、朝比奈さんは自分が古代種の末裔であることを管理人に明かした。管理人は少し驚いたかのように目を見開いたが、やがて次のように言ってくれた。


「星の話……星と共に生きた者の話……もっと知りたいかの? それなら長老たちの話を聞くとよかろう」


 管理人はコスモキャニオンに住まう長老たちの居場所を朝比奈さんに教えた。丁度いい。俺も少し気になったことを尋ねてみよう。


「ところで、長門には姉がいるのか? 何かそいつの事『腑抜け』なんて言ってた。あいつにしては珍しく、感情を込めた口調で……」


 管理人のじいさんは、それを聞いて怪訝そうに少し目を丸くし、


「姉? ユキが、姉を腑抜けと? そうか……ユキがそんな事を……」


 それだけ呟くと、それ以上何も言わなかった。その態度に少し引っかかりを覚えたが、朝比奈さんやハルヒに促され、管理人に一礼してそのまま小屋を出たのだった。






 朝比奈さんやその後ろについて来た俺たちの前には、年代物の本が仕舞われている書庫で何か調べ物をしている老人がいた。管理人によれば、彼が『長老ハーゴ』で、その仕事はこの谷に伝わる伝説や星の知識を本にすることらしい。曰く「星に帰っても子供たちに色々なことを教えてあげられる」からだそうだ。


 ハーゴがあまりにも忙しそうにしていたので朝比奈さんは少し躊躇っていたが、やがて意を決して声をかけた。


「あのう、すみません……」


「ん? おお、これまたお客さんか。いいともいいとも。わかっとる、わかっとる。わしに何か聞きに来たんじゃろ? そうじゃろ?」


 管理人から話が通っているのか? 素早いな。それとも、何かテレパスみたいな特殊な能力でもあるのかな。


「……『約束の地』。そうか、知りたいか。『約束の地』というのはな、はっきり言って存在しない。わしはそう考えておる。いやいや、存在する。ふむふむ……そうとも言える」


「??……ええと、それはどういう事なのでしょうか?」


「要するにわしらには存在しないが、古代種にとっては存在した。身も蓋も無い言い方をすれば、『約束の地』は古代種の死に場所じゃ。古代種の人生は厳しい旅の日々じゃ。草や木、動物、あらゆる生き物を増やして精神エネルギーを育てる旅。彼らの辛い旅は生きている間ずっと続いたという……その旅を終え、星に帰る場所……つまり死に場所が『約束の地』という訳じゃな」


「……死に……場所…………」


 予想だにしなかった『約束の地』の意味に、朝比奈さんは呆然としたまま次の言葉が告げられない。代わりに俺が質問する。


「だが、『約束の地』は至上の幸福をもたらすはずでは?」


「あん? 至上の幸福? ……ふむ。古代種にとっては星に帰る瞬間。運命から解き放たれる瞬間。それは至上の幸福ではなかったか……わしはそう考えておるんじゃ。今となっては真実は分からんがの」




 朝比奈さんはハーゴといくつか話を交わし、一礼して次なる長老、ブーガの所へと足を向けた。彼は、コスモキャニオン唯一のバーのマスターだった。


「ほいほい。なんじゃなんじゃ? 酒さえ注文すれば何でも話し相手になってやるぞ」


 と言う訳で、俺たちは勧められるままにコスモキャニオン名物と言うカクテルを頼み、それを傾けながらその老人の話を聞くことになった。……何か、セブンスヘブンを思い出すな。マリンの奴、元気してるかな。あいつ、全くの赤の他人の筈なのに、まるで妹みたいに心配になるんだよな――それはともかく、朝比奈さんが尋ねたのはやはり『古代種』についてだ。


「古代種と言えばガスト博士なのじゃ。時々ここにも来ておった。博士は古代種の謎を追い続けた神羅の学者だったのじゃ。神羅っぽくない生真面目な人じゃ。かれこれ20年近く前になるが、ついに古代種の死体を見つけたと喜んでおってな。たしか……ジェノバとかいう名前をつけて色々研究しておったのじゃが……」


「「「ジェノバ?!!!」」」


 俺もハルヒもみんな、危うくグラスを落っことしそうになったぜ。俺たちのもう一つの敵とも言える朝倉の母、ジェノバ――その名をここで聞くことになろうとは。 


「おお、お前さん方は知っておるのか? まあ、いい。話を続けるが、ある日の事じゃ。博士は疲れ切った顔をしてここに現れてな。ブツブツ言うには、何でもジェノバは古代種ではなかったとか、とんでもない事をしてしまったとか……それ以来、行方不明じゃ。神羅にも戻らんかったそうじゃ」


 !!? ジェノバは……古代種ではない……? 俺たちはブーガから聞かされた話に唖然となった。――じゃあ、ジェノバは、朝倉は一体何だって言うんだ?!――しかし、ブーガは俺たちの驚愕を意に介すこと無く、マイペースに話を続けた。


「――という訳でな、ガスト博士に会うことがあったら、伝えて欲しいんじゃ。コスモキャニオンの酒好き爺さんが古代種の話を聞きたがっているとな。ま、話したいのは山々じゃが、古代種のことは言い伝えや伝説ばかりで真実はもうだ~れにも分からんのじゃ」


 ここに来て色々と降って沸いた新事実に俺たちが押し黙る中で、ブーガの陽気な笑い声がバーに響き渡るのが何故だか妙に耳に障った。






 ブーガのバーで暫く酒を飲んだ俺たちは、自然とコスモキャンドルの広場に集まって、あの夜空も焦がしそうな焚き火を囲んで思い思いのやり方で酔いを醒ましていた。


「でもぉー周防さんの髪ってぇー不思議なのですぅー。なんであんなにのびたりちじんだりできるんですかぁー??? ほらぁ、古泉さんも触ってみましょーよぉー」


「―――――――――――???」


 飲めないくせに『ここには目ぼしいマテリア、結局一個も無かったのです! こうなったらヤケ酒です!!』などと高純度のウヰスキーをロックでがぶ飲みしたもんだから、すっかり酔っ払って周防に絡みまくっている。周防はどうしていいのか分からず、キョトンと橘の為すがままにされているが、いいのか? 橘の奴お前の髪を自分にぐるぐる巻きつけて「あ~~れぇぇぇ~~!!」などと一人帯解きしてやがるぞ。さすがの古泉も苦笑するしかないようだし。


「ふむ。あの娘も楽しそうで何よりだ」


 いつの間にか周防の肩という定位置から抜けてきたシャミセンが俺の傍に座り込んで語りかけてくる。それにしても猫が喋ると言うこの現実、ロボットとは言えあっさり受け入れている自分もどうかと思うが、何故かそれほど違和感を感じていないのが不思議だ。それはともかく、


「……楽しそうなのか、あれ?」


 散々いじられているのに、ニコリとも嫌がる表情も見せず淡々と正座し続けている周防を見て単純な疑問を呈する俺に、シャミセンは穏やかな声で答えた。


「まあ、アレはそういう感情を表に出すことがないから分かり辛いのだが、キミ達と出会ってからのあの娘は以前と比べて間違いなく生き生きとしているよ」


 そういうモンなのか。……でも、確か周防ってお前と同じロボットじゃ無かったっけか?


「……ふむ、そうだな。確かにある意味でアレはロボットである事に相違ない。でもアレは単純なロボットという括りでは説明できない特殊な存在でもあるのだよ」


 どうにも歯にものが挟まった様な物言いに引っかかりつつも、シャミセンは最後にこう締めくくった。


「だから、あの娘にはキミ達と同じ人間だと思って接して欲しい。もっとも、今の光景を見る限り、その心配は無いようだがね」


 苦笑いを浮かべながら周防の元へと帰るシャミセン。その先ではへべれけのおバカ一名が無抵抗の周防のアホみたいに豊富な髪の毛をいじりまくって遊んでいたが――無表情のはずの周防が何となく微笑んでいるように見えたのは、シャミセンの話を聞いたからだろうかね。


 一方、それとはまるで対照的に、俯き加減でただただ炎を静かに見つめているのは朝比奈さんだ。あの後もブーガから色々話を聞いていたみたいだったけど、店から出た後はずっと黙ったままだった。ゴンガガ村での事もあるから少し心配になって俺は朝比奈さんの傍に行って話をすることにした。――他意は無いからな、決して。


 隣に座った俺に「あ、キョン君」と微笑む朝比奈さんだが、その声にはやはりいつもの明るさが無い。で、隣に座ったはいいが、いったい何を話せばいいんだ?


「ヘタレね」


 ……うっさいハルヒ。けど、自分でもそう思うぜ。今にも泣き出してしまいそうな朝比奈さんに掛ける言葉が見当たらないまま、どれだけの時間が過ぎただろう。――朝比奈さんはようやく口を開いてくれた。


「あたし、色々勉強できました。――長老さんに教えてもらって、色々。セトラのこと……約束の地のこと」


「…………」


「あたしね……怖かったの。もし、ジェノバも、朝倉さんもセトラなら、あたしもいつか狂ってしまって――キョン君を、みんなを傷つけてしまうんじゃないかって」


「朝比奈さん……」


「――けど、違った。ジェノバはセトラじゃなかった……それを知ってあたし、正直ホッとしたの。…………でも、セトラは? あたし以外のセトラは、もう残っていないの?」


 例え――朝倉でも、ジェノバでも、この世界に自分と同じ存在にいて欲しかった。俺の目の前にいる栗色の髪をした少女は、言外にそんな半ば矛盾した感情を込めながら、穏やかでありながら悲鳴のような声を絞り出していた。


「もし、そうなら、お母さんも死んじゃって、あたしは……ひとり……ひとりだけになっちゃう……よね?」


 けど、彼女に俺が言えた言葉は、


「俺が……俺たちがいるでしょう?」


 ……そんな陳腐なものでしかなかった。


「――わかってます。けど……セトラは……もう、あたしだけだから」


 そのまま目を伏せ、無言になる朝比奈さん。……俺たちじゃ、力になれない、そう言うのか? ゴンガガといい、今日といい、俺はずっと彼女を悲しませてばかりだ。俺は太陽に向かって咲く花のように微笑んでいる朝比奈さんを見ていたいのに。どうしてだ。


 無力感ばかり募って、俺まで黙り込んでいるのを見かねたのかどうか知らないが、そんな空気を打ち破るようにハルヒが突然話しかけてきた。


「――ねえ、キョン。焚き火って不思議よね。何だかいろんな事思い出しちゃうね」


「……そうだな」


 沈黙に耐え切れなかった俺はハルヒの話に相槌を打ったが、ハルヒは次の言葉を告げる事無く黙りこくってしまう。……おいおい。お前まで黙ってどうする――などとハルヒに言ってやろうかと、顔を上げて見たあいつは、朝比奈さんと違って、何かを言おうか言わまいか逡巡しているように見えた。だが、


「あのね、キョン。5年前……」


 ハルヒはそう言い掛け、珍しく自信の無い声で、


「……ううん。やっぱりやめる。聞くのが……怖い」


「何だよ」


 そこまで言っておいて、それは無いだろ? しかしハルヒはただ首をふるふると振って、


「キョン……どこかに行っちゃいそうで……」


 だから、何だよいきなり。そう言えば前も同じ事を言っていたような――それを思い出す前に、ハルヒが不安に彩られた瞳を向けて小さな声でそっと呟く独り言のような言葉が、俺の心を何故だか深く抉った。






「キョンは……本当に、本当にキョン……だよね」






 しかしハルヒは、俺の反応を窺う事無く、わざとらしく明るい声で「……ごめんね、変なこと言って。気にしないでよね」などと言って話を打ち切ってしまった。そして、


「キョン、コスモキャニオンはね……アバランチの生まれた場所。……みんなと約束してたの。いつか……神羅からこの星を救ったその時にはコスモキャニオンへ行って、祝杯を挙げようって。でもね……」


 しみじみと語るハルヒの目に涙が浮かんでいたのを俺は見逃さなかった。


「……植松……中嶋……由良……みんな……みんないなくなっちゃった……この星を守るために」


「……………」


「本当に? この星の命を守るため? あたしたちは……あたしは……神羅が憎かっただけ……そのあたしに……これ以上旅を続ける資格はあるのかな? みんなは……それを許してくれるのかな?」


 管理人をはじめ、コスモキャニオンの長老たちの言葉は、朝比奈さんだけでなく、ハルヒの心も大きく揺さぶったのだろうか。七番街スラムが自分たちの行いがきっかけで崩壊した時のように。だが、ハルヒはあのときのハルヒではなかった。


「今はわからない。けど、あたしは決めたの。あたしが何かすることで、この星が……この星に住む人間が救われるなら、あたしはやるわ。正義だとか復讐だとかそんな事は他の奴らが勝手に決めりゃいいのよ!!」


 自分自身で奮い立たせるかのように、立ち上がって叫ぶ。「もう一度……もう一度アバランチ……いえ、SOS団を再興させるわよ!!!」と。俺は、ハルヒがその有り余る興奮を、古泉や橘、周防、シャミセンを捕まえてぶつけ、大いに盛り上がる様子を眺めながら、とてもまぶしく感じていた。


 そんな時だ。今度はいつからそこに居たのか、姿を消したはずの長門が傍に座り込んで俺の肩をトントンと叩いた。……今日は何か妙な日だな。このどでかいファイヤーストームにでも中てられたのか。


「何処行ってたんだ、長門? みんな心配してたぞ」


 しかし長門は俺の言葉に答える事無く、いつもの静かな口調で語り出した――


「……ずっと昔。わたしが本当に子供の頃の事。あの日も、やっぱり皆でこの火を囲んで――」






『ユキ、また泣いているの?』


『うぅ……ふぇ……だって、………だってぇ……』


『ふふ。しょうがない子ね、ユキは――ほら、よしよし』


 ――コスモキャンドルの前で泣きじゃくるわたしの頭を、淡い緑色の長い髪をした少女――喜緑エミリが優しく撫でる。


 彼女は、わたしと同じくこの谷に生を受けた同一の種族であり、互いにコスモキャニオンの戦士だった父と母を亡くした、たった二人の生き残り。血は繋がってはいないけれど、生まれた時からずっと一緒に育てられ、本当の姉と言ってもいい存在だった。


 その時のわたしは、本当に子供で、両親がいなくなった寂しさからか毎日泣き暮らしていて、いつもエミリを困らせていた。


『ほら、こうすると、もう寂しくないでしょ?』


『――うん』


 そんな時、決まってわたしの髪を撫でるエミリの掌。それは本当に暖かくて、優しくて、大好きで……だからこそ不安になっておずおずと問い掛けてみた。


『ねえ、エミリ……』


『なぁに?』


『エミリは、何処にも行かないよね? わたしを独りにして、どっかに行っちゃったりしないよね?』


 すると、エミリは「大丈夫だよ」と言う様に、にっこりと微笑んでくれた。


『わたしがユキを守るから――ずっと、ね』






 ――――なのに、





『ギ族の奴らが攻めてきたぞ!!』


『助けてぇぇぇぇ!!!!』


『このままじゃ谷は全滅じゃ!!』


 ある日、谷を狙う蛮族、ギ族が攻めて来た。彼らの襲撃に常に晒されていた頃、わたしたちの一族はその脅威に対して、谷の勇猛なる戦士として戦っていた。――わたしの父や母もそうやって谷を守るために戦い、死んだ。今度はわたしたちの番。そう思って、混乱する谷の中をエミリを捜して走り回った。


『エミリ、どこにいるの、エミリ!!』




 でも、




 二人でおままごとをして遊んだ家にも、


 二人でいつも語らっていたコスモキャンドルにも、


 二人をずっと可愛がってくれたじっちゃん自慢のプラネタリウムにも、


 何処を捜してもエミリの姿は無かった――




『エミリ……どこにいるの? エミリ……独りにしないって、ずっと一緒だって言ったじゃない……うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!』




 泣きじゃくりながら谷を彷徨っていたわたしをじっちゃんが保護してくれたことは後で知った。そのまま疲れて気を失っている間に、ギ族が谷を攻める事無く忽然と引き上げた事も。しかし、エミリは二度と谷に戻ってくることは無かった――






「――あの時のわたしは、子供だったからあんな腑抜けに頼ってしまった。でも、今は違う。早く大人になって、この村を守る立派な戦士になり、一族の汚名を雪ぎたい」


 昔語りの終わりに、そう強い意思を込めた長門だったが……どうにも俺はそれが――


「……やはりエミリが許せないか」


 唐突に後ろから現れた管理人――ブーゲンハーゲンに、長門は、初めてとも言っていいだろう、怒気を含んだ声で叫んだ。


「……当たり前。エミリは……ギ族が攻めて来た時、一人で逃げ出した。わたしや、谷の人たちを放り出して!」


 管理人は、真剣な眼で長門を見据え、やがてこう言った。


「……来るがよい、ユキ。お前に見せたいものがある」


「……?」


「ちょっとばかり危険な場所だ」


 そう言うや否や俺たちに背を向けて何処かへと向かおうとする管理人。長門は少し困惑を隠せない瞳で俺を見た。管理人が何が言いたいのか勘付いた上で、その先にあるものに対してどう向き合ったらいいのか、迷っているような素振りで。


「わたしは…………」


「行こうぜ、長門」


「え……?」


「そのエミリって奴のこと、まだ納得できてないんだろ? なら、本当の事を知るべきだよ。そうやって初めて前に進めることもあるんだ。――お前は『大人』になりたいんだろ?」


 あの時、長門の言葉が強がりに聞こえた俺は、そうやってこいつの背中をそっと押してやるべきなんだと、そう思ったのさ。






「……で、何でお前らまで付いて来たんだ?」


「え? だって、ユキと二人っきりで何処か行こうとしてるから気になって……じゃなくて!! 何か面白そうな事しようとしてるのを見過ごせるわけ無いじゃない!!」


 ハルヒが何故か顔を上気させて喚いているが、そんな事はどうでもいい。見ると、古泉や朝比奈さん、橘に周防にシャミセンと、全員がちゃっかり後ろに付いて来ている。


「だって、いい加減焚き火に当たるのにも退屈してきたところなのです」


「――――髪の毛―――つつかれる――――いい加減――――――、疲れる」


「まあ、お嬢さんの言葉ではないが、面白そうではあるからな」


「僕は涼宮さんの行く所なら何処へでも付いて行きますから」


「さすがに、一人ぼっちはイヤなので……」


 ……などといつもの調子で好き勝手なことを言ってくる奴らに溜息を隠せない俺。そうこうしている内に、管理人は何の変哲もない物置の中で足を止めた。ちなみに、ここは管理人の家の丁度真下に当たる洞穴の中だ。


「ホーホーホウ。用意はいいかのー?」


 それは大丈夫だが、一体何が始まるというんだ?


「ホーホーホウ。なら、行くとするかの」


 しかし、管理人は俺の問いには答えず、近くにポツンと置かれていた樽を持ち上げる。それは実は樽に見せかけた蓋だったらしく、中にはスイッチのようなものが立て付けられていた。管理人はおもむろにそのスイッチを押す――と、物置の壁の一部が崩れ、中から重々しい黒鉄の扉が姿を現し、ギィと重々しい音を立ててゆっくりと開いた。


 その仄暗い奥からは、背筋を凍らせるかのような風が吹き付けてくる。何となく先へ進むのにためらいを覚えるが、管理人は呑気にこう言いやがった。


「これでよし。さあ、入った入った」


「……? じっちゃんが案内してくれるのでは……?」


「な~に言うとるんじゃ。ちょっとばかし危険だと言うたじゃろ。年寄りに先を行かせるのか? わしは後ろから付いて行くよ」


 長門の疑問にさも当然のようにそう答えた管理人は、俺たちを後ろから押し込むように洞窟の中へと入っていくのだった。 






「と、ところでキョンさん? 一体どこまで潜って行くのですか?」


「知るか」


 と、橘の問いを一蹴するが、俺だって知りたいぜ。訳も分からぬまま洞窟に入らされた俺たちを待ち受けていたものは、うんざりするほどの梯子の数々。しかも、下に降りるほど粗末な代物になっていき、ついには垂らされたロープを伝って縦穴を降りていく羽目になった。


「あの……段々薄暗くなってるような気がするのです……けど?」


「怖いのなら、戻ってもいいぞ橘」


「いいいい、いえいえ!! ここここ怖い訳無いのですよ!!! おばけだってよーかいだって何でも来い、なのです!!!」


 その間にも洞窟は、天然の魔晄によるエメラルドグリーンの光で薄気味悪く輝く空間へとその姿を変えていく。口調とは裏腹に明らかに震えている橘じゃないが、何か嫌な予感を覚えながら、ようやく何十メートルか潜っただろうか、洞窟の最下層に辿り着いたその時だ。


『ガッガッガギギギギギギギ…ミド…………フフフフフ復讐ヲォォォォォ!!!!』


「きゃぁ!!」


「いやぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 いつの間にそこにいたのか、紫紺の色彩を纏った得体の知れぬ骸骨みたいな姿をしたモンスターが、背後から朝比奈さんに向けて槍を突き刺しにかかる。


「朝比奈さん!!」


 咄嗟に剣を抜いてその凶撃を受け止める――が、何処かおかしい。勢いの割りに重さを全く感じないのだ。


「こっのォッ! みくるちゃんに何てことすんのよ!!!」


 すかさずハルヒが得意のローキックを放つが、俺が見ても分かる程、まるで霞を蹴っているかのように手応えが無く、ハルヒは戸惑いの表情を隠せずにいる。そこへ背後から古泉の鋭い声が響く。


「二人とも、下がってください!―――――ふんもっふ!!!」


 右腕のマシンガンから射出された無数の弾丸は、超強力な掃除機に吸い込まれるかのような勢いでモンスターに次々と命中する。すると、粘土が剥がれるみたいに身体の表面がポロポロと落ちていくが、槍を振りかざすモンスター自体の動きは全く止まる気配も無い。


「な、何なのよ……こいつ」


「知るか! だが、結構厄介な相手だぜ」


 それでも、見る限り攻撃が効いていない訳ではないので、敵の攻撃を避けつつ斬撃・打撃・銃撃……etc.を粘り強く喰らわせていく。モンスター一匹に相当な持久戦。俺もハルヒも古泉たちも疲労の色を隠せない。――その隙を突かれたか、モンスターがその槍を獲物に狙い済ましたかのように鋭く突き出す。何とその先には白目を剥いて倒れている――


「あっ、橘さん!!!」


 ――どうやら、最初に悲鳴をあげてそのまま気絶したらしい。いち早く気が付いた朝比奈さんがモンスターの凶行を止めようと魔法を発動する。彼女の両手が白く光り出し……


「朝比奈さん!! それ、回復魔法!!」


「キョン君!? えっ、ええええっ??!!」


 慌てて呪文を間違えたのだろう――その行為自体は非常に微笑ましい……ではなくてだな、気が付いた時にはもう遅かった。朝比奈さんの心根のように優しい白き癒しの光が、よりによって凶悪なモンスターを包み込んでしまう。……何てこった。これまでの俺たちの苦労が全てパーか――


 ――そう思った瞬間、モンスターは音も立てずに消え去っていく。まるで雪が陽の光に融かされていくかのように。


「え? え? あれれ?」


「うそ!?」


「……う、うーん。いったい何が起こったのです??」


 呆気に取られた俺たち(約一名除く)に、後ろで見ていた管理人は呑気に笑いながらこう言った。 


「ホーホーホウ。ここにいるのは皆、ギ族の亡霊じゃ。――ある戦士に倒された、な」


 ぼ、亡霊? この魔晄科学万能の時代に、なんとまあオカルティックで非現実的なことを――を言いたいところだが、現実にあのような光景を見せられたんじゃ、納得するしか仕方ない。それに、聞いたことがある。幽霊や妖怪の類に回復魔法やポーションを浴びせればたちどころに消滅するって。あれ、本当だったんだな。


 ……などと秘かに妙な感慨を覚える俺だったが、長門はどうも別の言葉に引っ掛かったようで、訝る様に管理人の目を見ていた。


「ある戦士……?」


 だが、管理人は長門の問いに敢えて答えようとせず話を続ける。


「しかし、死してなおギ族の憎悪の精神は消えず、ライフストリームに帰る事すら拒んでいるのじゃ……先はまだ長いぞ、ホーホーホウ」


 管理人は一人で勝手に話を終え、右手を手前に差し出して前後に振る。つまり、俺たちに先に進めということだな。あくまで俺たちを盾にするつもりか、この爺さん。






「見ての通り、この洞窟はコスモキャニオンの裏へと続いておる。ギ族はわしらより身体も大きく、何より残忍じゃ。ここから攻め入られたらひとたまりも無かったじゃろう」


「…………」


 どの位奥まで進んだのか、俺にはもう分からない。何か妙に熱いなと思ったときには道の両側に赤々と煮えたぎった溶岩が……相当地下深くまで来たのがこれでお分かりだろう。俺たちはそんなマグマ溜まりを縫うように続く道を歩きながら、ギ族の亡霊や人面犬みたいな妖怪などと戦い続けてきたが、いい加減疲れてきた。


 亡霊の類はゴーストスイーパー朝比奈さんにお任せして回復魔法で除霊すれば済むが、幽霊たる奴らには気配が無く、至るところから突如槍が飛んでくるので厄介だし、人面犬や蛇みたいな妖怪などは当然回復魔法で消滅させられる筈も無く、それを食らえば術者を倒さない限り60数える間に瀕死状態にされてしまう恐るべき『死の宣告』なんて呪文を平気で使ってきやがる。


「さあ、先へ進もうかの」


 まだ先があるのかよ。……やれやれだ。 






 それから、亡霊が朝比奈さんの回復魔法で簡単に追い払えることを知って、途端にいつものうるさいテンションを取り戻した橘が「別にゆーれいなんか最初っから怖くなかったのです!!」などとはしゃいで走り回っていたもんだから、何故か道の一部にふんだんに塗りたくられていた油に足を滑らせて、その先に何故か先端が鋭利に尖った鍾乳石に突き刺さりそうになった所を間一髪古泉が飛び込んで抱き寄せて助ける一幕があったが、それ以外は特に危ない場面も無く、洞窟の最奥部まで進んできた。……それより、何で橘の顔があれから妙に赤いんだろう。急に風邪でも引いたのか、あいつ。


「……ほんっと、ニブいわね、アホキョン」


 何か言ったか、ハルヒ。そして、何故そこで苦笑いするんだ、古泉。何か知らんが殴るぞ。


「何でも無いわよ。……それより、何かしら。変な彫像みたいなのがあるけど?」


 ハルヒが指差した先には、竜とも鬼ともつかない獰猛そうな牙を剥き出した顔が洞窟の奥から俺たちを睨みつけるかのように存在していた。管理人はそれを細い目で見つめながら、遥か昔を思い出すようにゆっくりと語り出す。誇らしく、そして悲しげに。


「その戦士はこの洞窟を一人で走り抜けた。次から次へと襲い掛かって来るギ族と戦いながら……」


「じっちゃん……その戦士って……」


 長門は何かに気付いたように管理人に問いかける。が、彼はそれを笑っていなす。


「ホーホーホウ……あと少し、じゃな」


 そう言って、歩みを先へと進めようとした時だ。




『オオ……オオオオオオオオ!! アレ……ハ………キミド…………ミリ!!! ゥォオォォォオオオオオオオオ!!! 我ラガ無念、今コソ晴ラス時ィィィィィイイイイイ!!!!!』




 洞窟全体から、地を這うように低く、おどろおどろしい声が響いてくる。それはまるで地獄の底から俺たちを呼ぶかのように。そして、俺たちの眼前の空間が醜く歪み出す。


「何ということじゃ……」


「じっちゃん、これは……!?」


「死してなお……ギ族の亡霊が……淀んだ大気のように……これは……いかん!!」


 その歪みはやがて一つの姿に収束していく。――血のように赤黒い剣を持ち、二つの人間大の焔を従えた巨大な兜や鎧を身に纏う骸の姿に。


「何なのよ、一体?!」


「……よく分かりませんが、まずい事になったのは確かですね。皆さん、戦闘の用意を!!」


 お前に言われんでも分かってる、古泉。この俺たちを押しつぶさんばかりの悪意、怨念、相当なものだ。さっきまでの奴らとは桁が違う。


「……あれは、ギ・ナタタク。ギ族の長、じゃ。ここで斃れて以来、ずっと復讐の念を抱いて残り続けていたようじゃな……」


 ここに来て予想外の事態となったらしく、慌てだした管理人を庇う様に長門がその前に立つ。


「……………じっちゃんは、下がってて。わたしが、……わたしたちが守る」


 その言葉を聴いた管理人は目を見開いて長門を見る。彼からは見えないが、長門は決意を固めた瞳で眼前の敵を見据えていたのが俺には分かった。


「よし、行くぞみんな! 朝比奈さん、除霊の方よろしくお願いします!!」


「はい! キョン君!!」


「ちょっと、キョン! 団長はこのあたしよ!! 勝手に号令しないでよね!!!」






 戦いは思ったより呆気無く終わった。


 朝比奈さんの除霊(回復)魔法でギ・ナタタクの亡霊(言いにくい)が弱った所を、残り全員で集中攻撃を浴びせたからだ。最後は長門の無数の星屑をぶつける特殊技『スターダストレイ』で止めを刺す事に成功。……こうして、ギ族は名実共にこの世から消え去った。


「ありがとう、キョン。あんたたちのお陰で何とか助かったよ。ユキもいつの間にか、随分強くなっていたんじゃな」


「……そう?」


 管理人に褒められ、長門も満更ではなさそうだ。


「やはりお前を連れてきたのは間違いではなかったようじゃ……さ、お前に見せたいものは、すぐそこじゃよ」


「ここは……」


 いつの間にか開いていた、竜とも鬼ともつかぬ顔の形をした彫像の洞穴を抜けたその先にあったもの、それは紅く光る月に照らされた赤茶けた峡谷。それは、コスモキャニオンへと繋がる道の途上。管理人の話はいよいよ核心へと迫る。


「その戦士はここでギ族と戦った。ギ族が一歩たりともコスモキャニオンに入り込めないようにな。そして自分は、二度と村へ戻ることは無かった……」


「ま……さか…………」


「見るがいいユキ。――戦士エミリの姿を」




 管理人が指し示す先にあったのは――長い髪が美しい灰色の少女の石像。槍を手に握り締め、身体中に矢が刺さってもなお、その目は向かい来る敵を倒さんと鋭い光を湛えていた。見れば見る程今にも動き出さんと思えるくらいリアルな石像――まさか?!


「……あれが……あれが……エミリ……?」


 小さな身体を震わせ、搾り出すように問いかける長門に、管理人は一度だけ頷いた。


「エミリはあそこでギ族と戦い続けた。この谷を守り続けた。ギ族の毒矢で身体を石にされても……ギ族が全て逃げ出した後も……戦士エミリはここを守り続けた。今もこうして守り続けている」


「今も……」


「例え、逃げ出した卑怯者と思われても、たった一人、命を懸けてコスモキャニオンを守ったんじゃ」


「あれが……あれがエミリ? ……!? じっちゃんはこのことを?」


「ホーホーホウ……知っておったよ。エミリはあの時、わしに頼んだんじゃ。この洞窟は封印してくれとな。わし一人で封印し、その事は誰にも話してはいけない。こんな洞窟の事は忘れたほうが良いから、と言ってな。――全てはユキ、お前を守り抜くために」


「……………」


 無言の長門。だが、いつもの無言と違うのは、その頬に一筋の涙が伝わっている事だ。それ以上何も喋ることができなくなった長門の代わりに、管理人の爺さんが俺たちの方を向いて優しげな声で言った。


「……キョン。勝手を言って済まないが、わしらを二人きりにしてくれんかの」






 わたしは、愚かだった。


『わたしがユキを守るから――ずっと、ね』


 彼女の言葉の本当の意味を理解しようとせず、裏切られたと憎み続けて――本当はずっとわたしを、じっちゃんを、この谷を守り続けていたのに。……たった一人で。


「う、うううう、ごめんね、ごめん……エミリぃ……エミリ……ああぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 涙が止まらない。あの日――エミリがいなくなってから、もう決して泣かないと誓った筈なのに。変わり果ててしまった愛しいエミリの姿が哀しく、何よりあまりに愚かな自分に腹が立って、わたしはじっちゃんの胸の中で何十年分の涙を出し尽くした。エミリに心の中で何度も何度も謝りながら。



 ……どれだけ泣きじゃくっただろう。ようやく落ち着いたわたしの背中をじっちゃんは優しく撫でながら言った。


「ユキよ。キョンたちと旅を続けるのじゃ」


「……ぐすっ……じっちゃん!?」


「聞くのじゃ、ユキ。キョンたちは星を救うなどと言っておるな。正直なところ、そんな事が出来るとは、わしには思えん。この星の全ての魔晄炉を止めても、星の死は、ほんの少し延びるだけじゃ。セフィロスとやらを倒しても同じ事。形あるものは必ず滅す、じゃ」


「じっちゃん……」


「だがな、ユキ。わしは最近考えるんじゃ。こんなにも星が苦しんでいるのに、星の一員、いや、星の一部であるわしらに出来ることは本当に何も無いのか、とな。結果はどうなろうと、何かやることが大切なのではないか? わしは運命を受け入れ過ぎているのではないか? ――だが、何かをするには、わしは年を取り過ぎた……今年で130歳じゃよ。ホーホーホウ、じゃ。だからユキよ、行けい! わしの代わりに全てを見届けるんじゃ」


 じっちゃんはそう言って、わたしに風呂敷包みを手渡した。じっちゃんに促されてそれを開いてみると、そこには黒いマントと三角帽子、それに銀色に光るステッキ。これは――


「これは……エミリの………!」


「そうじゃ。お前たちの一族に代々伝わる、お前たちの内に眠る力を最大限に高める戦闘着、そして力を自在に操る万能ステッキ『スターリングインフェルノ』じゃ。エミリから最後の戦いに出る前、お前が大きくなったら渡すようにと預かっていたものだ。ユキ、着てみてくれんかの?」


 わたしは意を決してエミリの形見ともいえるマントと帽子をその身に包む。……不思議と心が安らいだ。まるでエミリがわたしの傍に居てくれる様な感じがして、また涙が出そうになる。


「おお、本当に良く似合う。エミリが見たら本当に喜ぶぞ。……わしはな、お前がここを離れる前に、どうしてもエミリの真実を見せておきたかったんじゃ……わしが生きてるうちにお前が帰って来て良かったわい」


 何を……言うの? エミリだけじゃなく、じっちゃんまで――


「じっちゃん……さみしい事言わないで。じっちゃんがいなくなるなんて、わたし……」


「ホーホーホウ。わしはもう十分生きたよ」


 わたしは――気が付くと、生まれて初めて大きな声を出した。


「じっちゃん。生きててくれなくちゃダメ! ……わたしは見届ける。星がどうなるのか見届けて、そして帰ってくる。じっちゃんに報告するために」


「ユキ……」


 じっちゃんは、一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに優しく微笑んでくれた。その時だ。エミリの頬から一つの雫が――


「あれは……エミリの……おお……エミリ……」


 ああ、エ……ミリ……わたしが見えるの? わたしの声が聞こえるの? わたしはここにいる――もう、これからは、ずっと、ずっと一緒にいるから――






 俺たちはコスモキャンドルの前で、何をするという事も無く座っていた。ハルヒも朝比奈さんもみんな、誰かがここに戻ってくるのを待とうとしているみたいで、誰一人その場から動こうとする者は居ない。でも、分かっているんだ。もう、あいつが戻らないということは。でも、それでも――


「バギーの修理、終わったみたいですよ」


 依頼した谷の人から報告を受けた古泉が戻って来た。そろそろ踏ん切りをつけなければいけない。


「……そうか。そろそろ、出発しようか」


「ここで、お別れなんですね。長門さん……」


「キョン、もうちょっと、待ってみましょう。ユキはきっと来るわ!」


 ハルヒはまだ諦められないという顔で俺を見るが、俺は首を横に振るしかない。だって、長門にはこの谷を守る使命があるんだ。それを放り投げて俺たちにつき合わせる訳には行かないんだ。同じことを思ったか、古泉が代弁する。


「涼宮さん……仕方ないですよ。……結構頼りになる方だったんですけど――」


 だが、その言葉が言い終わる前に、


「待って。……わたしも行く」


 いつもの無機質で氷点下を感じさせる声が聴こえた。これは、幻聴なんかじゃない。その証拠に――


「ユキ!!」


「長門さん!!」


「やったぁ!!!」


 他の連中にもしっかり聴こえていたし、何より、黒いマントと三角帽子を纏った小さな少女が、管理人と一緒に目の前に立っていたからだ。管理人の爺さんは俺にぺこりと一礼して言った。


「キョンよ。ユキをよろしく頼む」


「それはいいけど、長門……一体、どうしたんだ?」


 この谷を守る使命とか、大丈夫なのか? 俺は嬉しさでややもすると綻びそうになる顔を出来る限り抑えながら問いかけると、長門はいつもより1オクターブ高いんじゃないかと思われる声で、こう言った。


「わたし……少しだけ大人になった。そういう事!」


 そう言って、黒い帽子を気持ち目深に被り、はにかんだ微笑みを隠そうとする長門が、何故だか妙に可愛らしく思えた。

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