2.28 新学期の湖畔

 その日も結局、課題となっている詩を作ることはできなかった。


「湖畔を歩けば、詩、できるかもな」


 いつも通りのエルネストの言葉を背に、サシャが寄宿する修道院までの道を戻る。冬の日は既に傾きかけ、静かな湖は薄い赤に染まっていた。


 湖沿いの道を俯きながら歩くサシャの、青白いままの頬を、無言で見つめる。カジミールの言葉に、サシャは悩んでいる。トールも、……どうすれば良いのか分からない。トールを撫でた、冷たく重苦しい風に、トールは小さく震えた。


「……あれ、は?」


 不意に、サシャの足が止まる。


 顔を上げたサシャの視線を辿ると、複数の大柄な影が一つの小柄な影を囲んでいるのが見えた。あの大柄な影は、春にサシャを罵倒した不良学生達。あいつら、また、誰かを虐めている。


「あれ、は、……ヤン?」


 思わず舌打ちしかけたトールの耳に、震えるサシャの声が響く。


「助けなきゃ。……でも」


 サシャの逡巡は、分かる。サシャのエプロンの胸ポケットの中で頷く。秋分祭しゅうぶんのまつりの時の暗殺者は、一名だった。小柄なサシャが相手にするには、四人は多すぎる。


[あいつらの隙間から、ヤンだけを連れ出せば良い]


 前にインターネットで得た知識を元に、サシャにそう、助言する。サシャもヤンも小柄だから、大柄な不良学生達が作っている隙間からヤンを助け出すことは、おそらく可能。トールの背表紙に頷いたサシャは、少し考え、そして落ち着いて見える足取りで不良学生達の間に割って入った。


「あ、ヤン、ここに居たんだ」


 震えの無いサシャの声が、夕空に響く。


「ヘラルドさんが呼んでたよ。一緒に行こう」


 不良学生達をまるっと無視し、サシャはトールの助言通り、自然な動作でヤンだけを不良学生達の輪から引き剥がした。


 後に残ったのは、何が何だか分かっていない不良学生達。


[サシャ]


 その不良学生達から五歩離れたところで、不良学生達の呪縛が解ける。


[走って!]


 サシャの背後と前方を確認し、トールは大文字を背表紙に踊らせた。


[前にクリスとマルクさん居るから!]


 トールの指示通り、ヤンを引っ張ったサシャが前方の船着き場を目指して走る。トールの指示が速かったことが効いたのだろう、顔を赤くした不良学生がサシャ達に追いつく前に、サシャはヤンと共に漁師のマルクの側に滑り込んだ。


「……!」


 鍛え上げられたマルクの一睨みで、不良学生達は進路を変える。


「ふん、意気地の無い奴らめ」


「あいつら、弱い者虐めしかしないよな」


 遠ざかる不良学生達の背に鼻を鳴らしたマルクと、一人前に毒突くクリスの横で、トールはほっと息を吐いた。


「あ、ありがとう」


 その横で、ヤンがサシャに頭を下げる。


「ううん」


 そのヤンに、サシャは首を横に振ってみせた。


「僕も、前に絡まれたことがあって、その時に助けてくれた人が居たから、そのお礼」


「何だ、それ?」


 サシャの理屈に、横で聞いていたクリスが茶々を入れる。


「ま、とにかく、もうそろそろ日が暮れる」


 北都ほくとの城壁内にある修道院に寄宿しているヤンは、クリスが送り届けるから、サシャも早く帰ると良い。気安いマルクの言葉に、サシャもトールも、マルクに深く頭を下げた。

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