1.10 エプロンのポケットと母の形見①
「さて」
グイドを見送ったサシャの叔父ユーグの杖が、暖炉の方を向く。
「聖堂の掃除は済みましたね、サシャ」
「はい」
暖炉の火の上にある鍋の上下位置を調節したユーグの言葉に、サシャはこくりと頷いた。
「では、先に泉に行きますから、鍋の豆を頼みますよ」
「はい」
泉? ユーグの言葉に、思わず首を傾げる。ユーグは何処へ、何をしに行くつもりなのだろう? 遠ざかる杖の音を、トールは怪訝に聞いていた。
「トール」
サシャの声に、はっと気持ちを引き戻す。
「まだ眠い?」
[いや]
トールを見つめる紅い瞳に、トールはようやく首を横に振った。
「そう」
そのトールを、サシャは暖炉とは反対側の壁際に設えられた、窓の下の小さなテーブルの上に置く。そしてすぐ側の梯子を登ると、サシャの寝部屋に置いてある行李を開き、小さめの箱と、サシャが身に着けている灰色のエプロンと同じ色の布を取り出した。
「これで良し、っと」
小さな声と共に、サシャが梯子を下りてくる。
トールの隣に、サシャは持ってきた荷物を並べた。
「修道士は、祈祷書を肌身離さず持ち歩かないといけないから」
そう言いながら、トールの上に灰色の布を広げるサシャ。
「これくらいかな?」
『本』であるトールの大きさに合わせて布を切ると、サシャは今度は自分が着ているエプロンを脱ぎ、そのエプロンの胸元に、先程切り取った布を重ねた。
ポケットを、作るつもりだ。サシャが箱から取り出した縫い針とまち針に、ようやく、サシャの行動の理由を悟る。被って着るタイプの、前と後ろが同じ形のエプロン――『エプロンドレス』という名前が付いていると、中学校の家庭科の時間に習った覚えがある――に、トールが入る大きな襠付きポケットを器用に取り付けていくサシャの短い指を、トールは感心して見ていた。トール自身は器用な方ではなかったが、機械を修理する工場で働いていた父は、細かい作業も楽々とこなしていた。
そう言えば。
[今日は修道院に行かなくて良いのか?]
頭に浮かんだ疑問を、そのまま表紙に出す。
「今日は休みだよ」
揃った縫い目でポケットを取り付けながら、サシャはあっさりとした声でトールの問いに答えた。
「『神のために二日働き、自分のために一日働く。それを二度繰り返したら、次の一日は神に祈ることに費やしなさい』。そう、祈祷書に書いてあるの」
[祈祷書、って、……俺か]
残念なことに、トール自身は、『本』である自分の中に何が書いてあるか読むことができない。そのことをサシャに告げると、サシャは小さく微笑んだ。
「これが終わったら、トールに何が書いてあるか、読んであげる」
[頼む]
ポケットを付け終え、再び布を切り始めたサシャに、トールは大きく頭を下げた。
「雨に濡れないように、蓋も作らないと」
トールが外を見ることができるように、少し小さめの方が良いかな? 布をトールに宛がうサシャに、微笑む。サシャは、本当に良い子だ。
「マントも、トールが外見えるようにした方が良いね」
[そうしてくれたら嬉しいけど、隙間風が入って、サシャが凍える]
「そうだね」
そこは、工夫しないと。手を止めて考え込むサシャにも、好感しかない。
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