1.3 荒れ野を帰る①
[……やっぱり、ここは]
大きめの石を積み上げて作られたアーチ型の出入り口から見える光景に、溜息しか出ない。
『本』となったトールの瞳に映るのは、枯れた色をした草が風に揺れる荒野と、その向こうに見える緑灰色の森。トールが暮らしていた町の光景だった、くすんだ灰色の建物群も、その間に点在する緑の木々や鮮やかな色の花壇も、ここにはない。ここは、『異世界』。図書館の本で見覚えた単語が、脳裏を過ぎる。本当に、『転生』というものを、自分は、……してしまったんだ。沈痛の中に微かな諦念を覚え、トールは小さく俯いた。
「あの森の中にある『聖堂』まで帰る……えっと、帰り、ます」
そのトールを片腕に抱いたまま、器用に靴紐を締めるサシャが、遠くに見える緑灰色をたどたどしい声でトールに示す。
「遠くに見えるけど、意外と近い、です」
[丁寧語、使わなくて良い]
「あ、はいっ!」
話を聞くと、どうやらサシャは、トールが『飛ばされた』、この世界を作った『神』を奉る者達が修行を積むための施設である『修道院』ではなく、森の中にある、『神』を奉る『聖堂』の側に、『聖堂』を管理しているユーグという名の叔父と一緒に住んでいるらしい。
[通うの、大変じゃないのか?]
重くなったトール自身の気持ちを逸らすために、心に浮かんだ疑問を表紙に浮かべてみる。トールが通っていた大学にも、電車を乗り継いで大学まで来ていた友人が数人、いた。疲れをみせる顔で、それでも彼らは毎日朝から真面目に授業に出ていた。脳裏を過った思い出に、トールの心は更に沈んだ。
「叔父上は、知らない人が苦手、なので」
トールの疑問にさらりと答えたサシャが、マフラーにフードを合体させたようなものを片手だけで器用に頭から被る。フードの端を目の上まで下ろすと、サシャはトールをしっかりと両腕で包み、荒れ地の中に微かに刻まれた道へと歩を進めた。
荒れ地を進むにつれ、視界が広がる。
細い道の右側に見えるのは、真っ直ぐな切れ目と、その向こうに位置する山々。左側に見えるのは、風に揺れる草と、灰色の岩肌をみせる峻険な崖に点在する、細い木々。
「右側は、川、です」
トールの疑問を察したサシャが、言葉少なに答える。荒野よりも少し低い場所を流れる川があるから、川下にある町や村からこの場所まで、人や物を運ぶことができる。
「この場所は、
立ち止まり、ぐるりと左後ろ斜めまで身体をねじったサシャが、修道院の横にある、峻険な灰色の山に向かって伸びる細い道をトールに示す。その道を上り、山々を越えた場所には、異なる言語と異なる神を持つ『
「ここにある修道院と『砦』は、冬の国から北向や八都を守るためにある、の」
疎らな木々の間に見える、窓のような影を指差したサシャの声が、不意に小さくなる。
「早く、森まで帰らないと」
灰色だった空は暗さが増え、枯れ草の揺れも心なしか大きくなっているように見える。サシャの言う通り、ここは、早く帰宅した方が良い。足を速めたサシャの腕の中で、トールはこの世界に関する疑問を脳裏に押し込んだ。
その時。
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