葛藤の末に
ニコラウス
辿り着いた先は
僕は右足から踏み出すか、左足から踏み出すか迷っていた。
地下アイドルの中でも有名な「てめぇらぁ!ちん●の皮むけてっかー!?」が決め台詞の「攻め」アイドルもえちゃんの大ファンで、今日はそんなもえちゃんが所属しているアイドルグループの握手会こと、「受け取る会」に参加している。――なぜ、男向けな決め台詞なのか……それに触れるのは野暮ってものだ。
「受け取る会」とは、各アイドル毎の決め台詞を自分のためだけに、浴びせてくれる会のことで、これが一度参加すると病みつきになると巷では一定の評価を受けている。
長蛇の列に並んだ僕が最前列に目をやると、仕切りに決め台詞を叫ぶもえちゃんが右手側に、テレビでは毎度のことのようにブスと馬鹿にされ「そのリアルから目を背けないで」が決め台詞で同じグループの「請け」アイドルりんちゃんが左手側に見えた。
そんなりんちゃんが見えた瞬間、脊椎からとてつもない速度で左足へと命令が下るのを感じた。――左足が前に出ている。
りんちゃんはテレビで見るよりもきょに……スタイル抜群で、とてつもない美人だった。男とはなんて辛い生き物なんだ。すっかり、どちらに進むか迷ってしまった。 ここの会場では右のもえちゃんか左のりんち ゃんのどちらかにしか行けないように、パーテーションが中心に置かれ、僕の目の前から分断されてしまっている。
さて、いよいよ次が僕の番のようだ。
右足を踏み出せば、初めて見た時から大好きだったもえちゃんと握手、加えて罵声。
左足を踏み出せば、過去の自分を裏切ることにはなるが、もえちゃん以上にきょにゅ……スタイルと美貌を兼ね備えたりんちゃんに行き止まる。
「次の方どうぞ」
――いよいよ決断の時だ。
決断に至るまでの数秒間。僕にはそれが永遠にも感じていた。会場の騒めきとは裏腹に、静寂を纏った僕の心は遂に答えを導き出す。
――右足だ。行こう。
そう決めて踏み出した一歩目で何かに躓いて倒れ込んでしまった。
自分の左足だった。――辿り着いていたのは頭、体、右手、左手、右足までだったようだ。
「お客様、大丈夫ですか!?」スタッフさんの声がする。
「まだだぁあぁ!待ってくれ、あと少しなんだよ。もう一度、もう一度だけぇぇ。」しゃがれながらも、腹から出た僕の声に驚き、後ずさりするスタッフさん。正直なところ、これには他でもない僕が一番驚いている。
気を取り直して、もう一度だ。立ち上がるまでに左足を納得させて、右足を踏み出してみせる。
忘れてはいけない。初めてもえちゃんを見た時のトキメキと高まりを。
――そして、僕は立ち上がった。
既に左足は僕に従っていた。なぜなら立ち上がるまでのこの間、もえちゃんを初めて見た時から今日までの思い出を血液の様に体中を巡らせたのだから。
「いける!」
遂に右足を踏み出した。その時の一歩を例えるなら、オセロ終盤で相手の色に埋め尽くされた盤面に、自分の負けを確定させるために打ち込む一手に近いだろう。
それ程に、今の僕にとっては、左足を踏み出さなかったことは重い決断だった。
やっと辿り着いたシャングリラ。そこに居たのは写真や映像を通していない加工前のもえちゃんの姿、声、台詞。
それらの現実を突きつけられた僕は言葉を失い、 後ろから聞こえるりんちゃんの決め台詞が僕にとどめを刺した。
葛藤の末に ニコラウス @SantaClaus226
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