第18話 見る目が変わる

 美咲がセンターを務めた四枚目シングルのリリース以来、私たちの活動や生活は大きく変わることになった。


「あれってアイドルの子じゃない?最近できた麹町ナントカって」


「あーっ、そうかも。歌番組で見た気がする。いっぱい居たから顔を覚えきれてないけど、あんな子も居たかも。たしかキャプテンって紹介されてた子だと思う」


「やっぱり、そうだよね。こんなに近くで芸能人を見るの初めて!顔も小さいし、めちゃくちゃキレイじゃん!」


「ちょっと、声大きいって。聞こえちゃうよ」


 彼女たちの会話は私にもしっかり聞こえている。照れ臭いし、プライベートの時はそっとしておいて欲しいとも思うけど、まんざらでもない気持ちにもなるから不思議なものだ。


 最近できたグループではないのだけど、世間的にはデビューしてから一年半ほどの私たちは空気のような存在で、やっと最近、目に見えるものとして認識できるようになったのだと思う。


 日常的な移動の際の街中や電車などで、女子高生たちのヒソヒソ話が自分の方に向いているのを初めて感じた時は正直、それを怖くも思った。


 アイドルとして成功するということは、それはそのまま見知らぬ多くの人たちに顔や名前を知られるということなのだから、自分で望んだことであるのは間違いない。


 覚悟はしていた。普段の生活から変わってくることも、今まで通りの生活が叶わなくなってくることも。


 しかしそれは、私が想像していたものとは違う形で訪れることとなった。


 デビューしてから一年以上は逆の意味で想像とは違っていた。


 グループで、とはいえテレビのレギュラー番組も持っているし、レコード屋さんに行けばCDも並べられている。イベントを開けば少なくはない数のファンが集まってくれ、ブログの記事を更新すると一夜で百を超えるコメントが殺到する。


 一人のどこにでも居る普通の大学生であった私は、てっきりその時点で立派な芸能人、有名人なのだろうなと思っていたのだけど・・・。


 現実は全く違った。


 ついこの間まで、街で誰かが私に気付くことなんて一度たりともなかった。まぁ、そもそも気付く以前に私を知っている人すらほとんど居ない状態だったのだから、それは当然だと思う。


 自分でも、初めのうちはバレたらどうしようなどという恥ずかしい妄想をしていたのだけど、しだいにそんなことを考えることも無くなり、いつからかは気付いて欲しいとさえ思うようになっていたような気もする。


 それが、今はどうだ。


 さっきの女子高生たちのように、油断していると会話の中心が私になることもあれば、明らかに気付いているであろう視線をひっきりなしに送られることもある。


 最近は風邪でも花粉症の季節でもないのに、マスクをすることが多くなってきた。それでも百パーセントではないし、飲食の時などは当然、素顔を晒すことになる。


 そんな時、私を知っているのであろう人が周りに増えていて、それも日増しに増えていっていることを最近は実感している。


 嬉しい悩みというのはこういうのを指すのかな、きっと。


 そして、自分たちを取り巻く状況の変化を感じるのはそれだけではない。


 人気や知名度の上昇に伴いテレビやラジオ、イベントなどにゲストとして喚ばれることが増えてきたのは当然の成り行きだけど、その場での扱いの違いにも度々驚かされている。


 例えば、些細なところではケータリングや差し入れの内容とか。くだらないことのように思われるかもしれないけど、年頃の女子たちにとっては密かに重要なポイントであるのも紛れもない事実。まぁ、それはともかくとしても、番組内での紹介のされ方やオンエアで割り当てられる尺、出演者が多数居る場合の座り位置、立ち位置みたいな大事なところも明らかに以前とは違ってきた。


 メンバー内でも薄々感づいてきている子が少なくないのだけど、これが売れるということなのだ。


 移動は夜行バスから新幹線、飛行機へ。前日入りで宿泊したり後泊したりも普通になってきた。


 少し前までは地方でのイベントでもそれが終わるとそのまま夜中にバスで帰り、身支度を整えたら次の現場にまたバスで向かう。こんなスケジュールも珍しくはなかった。それはそれで駆け出しの私たちにとっては遠足みたいで楽しくもあり、そんな時期を一緒に過ごしてきたからこそ同期の絆は強くなったようにも思う。


 その点では売れてきたことが少し寂しく感じるところもあり、皆も今の有り難い環境を前に口に出すことは無いけど、どこか同じように感じているのではないかな。


 そうはいっても今の私たちにはとにかく時間がなく、地方までバスで移動などと悠長なことは言っていられない。美咲をはじめとする一部のメンバーにとっては、一日に二ヶ所、三ヶ所と移動するのも当たり前になってきたし、分刻みのスケジュールを組まれることも珍しくないのだから。


 こんな状況が他の選抜メンバーや、場合によっては一部のアンダーの子にだって波及していったら、その時は本当に私たちのグループが売れたと、一番になったということの証明になるのだと思う。


 なんとなく、そんな未来がそう遠くないことがここ数ヶ月の生活から想起された。


 そんなある日、私たちのグループを運営する会社の事務所のビルに入り、守衛さんの前を通過した先で誰かが後ろから私に抱きついてきた。


「藍子!なんか久しぶりじゃん!」


 それが誰だかを確認するまでもない。こんなに容赦のない勢いで私に抱きついてきてくれるのは、あの人を置いて他にはいないのだから。


 思った通り、振り返ったそこには超が付く美人が最高の笑顔を作ってくれている。


 この笑顔を独り占めできるなんて、私は幸せ者ね。ファンの方々には申し訳ないけど、この特権ばかりはいくらお金を積まれても譲れないな。


「お疲れ、美咲。最近はバラバラの仕事が増えてきたからね。そうは言っても先週は会ってるし、久しぶりって言っても一週間くらいだよ」


「そうだっけ?でもほら、初めのレッスンばかりだった頃はほぼ毎日会ってたし、それと比べるとね。忙しいなか、こうして少しの時間でも偶然会えると嬉しい。なんかホっとする!」


 本当に真っ直ぐな子。この子を嫌いになる人って居るのかな。


 一瞬でも会えると嬉しいし、落ち着く。美咲もそう思ってくれているみたいだけど、たぶん多くのメンバーが美咲に対して感じている気持ちは、その何倍も大きいと思う。


 美咲は今、私たちのグループのメンバーはもちろん、スタッフの皆さんを含めた全ての関係者にとって、そんな特別な存在になりつつある。


 自分たちが様々な現場で堂々と振る舞える。周りに対して自信を持って接することが出来る。まだ何も成し遂げていない私たちを、そんな風に一端のアイドルにしてくれているのは他の何でも、誰でもない。それが由良美咲の存在そのものであるということに、異論のある人は誰も居ないと思う。


 先日も私は、ある人と会っているなかでそんなことを強く実感させられた。


 久しぶりに歌番組でTIRevの高浜さんと顔を合わせた時のことだ。


「高浜さん、お疲れさまです」


「お疲れさまです」


 いつ会ってもこの人の存在感には圧倒される。


 姉妹グループを含めると、かなりの大所帯となる女子の集団を纏め上げている高浜さん。そんな彼女に対しては、私たちのような同業者だけでなく、今や芸能界に関わる多くの人が一目置いている。


 まして同じような大人数のアイドルグループに所属し、そこでメンバーを纏める立場にある私たちのような人間は、何とも言えない畏怖の念すら彼女に覚えてしまう。そのくらいこの人は偉大な方だ。


 初めて会った時より、自らも様々な現場や状況を経験してきた今の方が、そのことをより一層感じさせられる。


 そんな高浜さんから、思いもよらない言葉が掛けられた。


「最近の麹町さんの勢い、凄いですよね。ウチのメンバーでも注目してる子が多いですよ」


「あっ、いえ、そんなことないです。少しは名前を知ってもらえてきていますけど、まだまだウチのことを知らない人の方が多いですから」


 驚いた。まさか、あの高浜さんの口から、そんな言葉が出てくるなんて思ってもいなかった。


「そんなに謙遜しなくてもいいのに。もちろんウチも負けていられないって思ってますけど。うかうかしていられないなって、メンバー同士で話したりもしてるんです」


 それは本当に恐れ多い・・・。天下のTIRevさんに意識してもらうなんて、光栄だけどウチはまだそんなレベルには・・・。


「特に由良美咲さんだっけ。凄くキレイな子。彼女のパフォーマンスを見ていると、正直、今のウチのメンバーで敵う子が居るかなって本気で思うし」


 最近の美咲の凄さは、同業のアイドルの方々にも伝わっているみたい。なんか嬉しいし、誇らしい。


「そうそう。いつだったか会った時に、ウチの阪野が少しキツいことを言ってしまったじゃない。あの子なんか、由良さんのことを誰よりも意識してるんだから。今にして思えば、あの時も桐生さんと一緒に由良さんが居たから、対抗心もあってあんな態度を取ったのかもしれないなって思うんだよね。その節は失礼しました」


 そんな風に思われてたんだ。あの時は単にイジワルをされたみたいに感じてたけど、そういうことなら話は変わってくる。少なくとも悪い気はしない。


 それにしても、当時は美咲はまだ二列目でセンターもやっていなかったし、個人での仕事があったわけでもないから特に目立ってはいなかったのに・・・。そこに気付いて目を付けていた阪野さんもやはり、タダ者ではないと思う。


「いえいえ、厳しく言っていただけて有り難かったです。それに由良のことも評価していただいて、ありがとうございます。本人も、私たちメンバーも自信になりますし、励みにもなります」


 私の回答を聴き終わった高浜さんの表情が、少し真剣なものに切り替わった。


「ウチも今は世代交代を進めているところだから、これから厳しい時期も訪れることは覚悟してる。そんなタイミングであなたたちみたいなグループが出てきたのは、正直に言えばツイてないなとも思うんだけどね。でも、それはそれとして麹町さんや由良美咲さんのこれからは楽しみにしてるから。自分たちじゃなくても、グループアイドルやそのメンバーが世間を賑わせていること自体は嬉しいことだし」


 高浜さんは冷静に自身のグループの現状を評価しつつも、グループアイドルの業界全体の行く末もしっかりと視野に入れて色々なことを考えている。それが広く経済活動として、ひいては自分たちにも還ってくるということを理解しているのだと思う。やっぱり、この人は凄い。


「もちろん、私にとってはそれがウチのグループや後輩たちであるに越したことはないから、全力で頑張らせてもらうけどね!」


「はい、私たちも少しでも近づけるよう頑張らせていただきます!」


 そう言った後、私と高浜さんは握手をして別れた。


 この時も私が高浜さんに対して過度に気後れせず話すことができたのは、美咲の存在のおかげだったと思う。


 美咲が居る。美咲の進化を間近で見させてもらえる。美咲と一緒に夢を追いかけられる。


 そんな贅沢な環境を自分から手放すなんて、私にはとてもできない。それができるなら、初めからアイドルなんて目指していなかったと思う。


 両親をはじめとした家族には迷惑をかけてしまうかもしれないけど、私はもう、その気持ちに抗うことはできない。


 覚悟は決まっている。もしかしたら、初めて会ったその時から決まっていたのかもしれない。


 美咲。これからも、あなたと一緒に夢を追いかけさせて。今後ともヨロシクね。

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