第13話 屈辱

 私たちが初めて挑むゴールデン帯の、それも生放送の歌番組は定期的に放送されている三時間の特別番組で、出演するアーティストも多く、リハーサルからタイトなスケジュールの組まれた普通以上に慌ただしい現場だった。


 そしてそこには初めてのことも多く、とにかく戸惑うことばかりだった。それでも、一年前の自分たちに比べれば慣れてきたものだと思う。


 冠番組も様々なイベントも、全てはこういった大きなステージに向けた準備の一つなのだとあらためて実感させられた。本当に恵まれた環境を用意していただいている。感謝しないと。


 そうこうしている間にリハーサルの順番が回ってきて、私たちは揃ってステージに向かう。はずだったのだけど、その直前に楽屋の一部から騒がしい声があがってきた。その中心にはウチのグループの最年少メンバー、高林たかばやしりんが居る。


「藍子、大変!凛が頭痛が酷くて動けないって!どうする?もうリハの時間だよね?」


 弥子が騒ぎの内容を私に伝えに来てくれた。


「えっ、大丈夫!?えーっと、そしたら私は柏木さんに伝えてリハを少し待ってもらえないか訊いてもらうから、弥子は少し休めば平気か、それとも今日は無理かってくらいのレベル感を確認してもらえる?」


 弥子は頷いて凛のところに戻っていった。


 私は急いで柏木さんの元へ向かう。


「柏木さん!」


「おう、もうリハに入る時間だぞ。みんな出られるか?」


 ちょうど楽屋に向かっていたところだったのか、スタジオに向かう途中の通路で柏木さんに会うことが出来た。


「大変なんです!凛が、頭が痛いって言って動けなくなってしまって。今は楽屋で横になっています。どうすればいいですか?薬を飲んで落ち着くなら少し時間をもらえれば平気かもしれないですけど、もしかしたらそれでもダメかもしれません」


 柏木さんが困った顔を浮かべながらも、冷静に私に指示を与える。


「わかった。俺はスタッフさんに少し待ってくれってお願いしてくるから、桐生は楽屋に戻って凛以外にはすぐにでも出られるよう準備をさせてくれ。少し待ってもダメそうなら、他のメンバーだけでリハに向かおう」


 半身でそう言い残しながら、柏木さんはスタッフさんのところに向かった。


 他のメンバーだけで・・・。できればそれは避けたいな。せっかく憧れていた一般の人が多く見るような時間帯の歌番組で新曲を披露できるのだから、選抜メンバー全員で、今できる一番のパフォーマンスを見せたい。


 そのためにはリハーサルも全員で臨まないと。凛だって初めて立つ大きなステージに、ぶっつけ本番なんて無理だろうし。


 ワガママかもしれないけど本番も、リハーサルも、全員で出させてもらいたい。


 そんなことを思いながら楽屋に戻ると、凛が上半身を起こした状態で他のメンバーから介抱されていた。


「あっ、藍子。柏木さんは何だって?」


 弥子が駆け寄ってきた。


「うん、少し待ってもらうけど、無理そうなら他のメンバーで出るって。皆、準備はできてる?」


「うん。凛も薬を飲んだら落ち着いてきたみたい。もう少し休めば出られるよ、きっと」


 弥子のその言葉から半刻と少しが過ぎ、凛が立ち上がって周りからの心配する問い掛けに頷いたのを確認した私たちは、急いでスタジオに向かうことにした。


 処狭しと乱雑に、それでいて精巧に並べられた機材やセットの合間を通り抜けて、照明が眩しいステージに立つ。リハーサルの段階からそこは既に華やかな様相だ。


「遅れてしまい申し訳ございませんでした。よろしくお願いします」


 私が少し声を張ってそう言うと、他のメンバーもそれに続いた。


 スタジオの隅の方では柏木さんが番組のスタッフの人、それも責任のある立場とおぼしき人に何度も頭を下げている。本当に申し訳ない。


 その後は無事に一通りリハーサルをこなすことができたのだけど、途中から私は別のことで頭がいっぱいになっていた。


 私たちのリハーサルが終盤に差し掛かった頃、先ほど柏木さんがお詫びをしていたスタッフさんの元を、他のアーティストさんのマネージャーさんらしき人が訪ねていたのだ。


 もちろん会話の中身はわからないが、時計を指す仕草をしたのが確認できた。


 次の順番のアーティストさんが、時間になっても呼ばれないから様子を見に来たのかな。私たちのせいね。


 リハーサルが終わり全員で挨拶をしてスタジオを去る際、皆を先に行かせた私は一人で先ほど柏木さんがお詫びをしていた人のところへ向かうことにした。出来れば私からもしっかりお詫びをしておきたい。そう思っていたのだけど、残念ながらその人は既にスタジオから居なくなっていた。


 諦めて私が楽屋に戻ろうとしていると、先に行っていたはずの美咲と葵が私を探して戻ってきていた。


「どうした?何かあった?」


「うん、ちょっとね。でも大丈夫。戻ろう」


 そう言って歩を進め出した時、入れ違いで次のアーティストの方々がリハーサルのためにスタジオに入ってきた。


 入り口で会釈をしながらその人たちとすれ違う私たち。


 そんななか、その通り過ぎていく顔のなかの一つが私の顔をはっきり見た気がして一瞬、私が立ち止まり振り返ると、相手も仲間の列から外れて立ち止まっていた。


 私はもちろん、この人が誰なのかを知っている。


 今、アイドル界、いや、アーティスト全体でも一番CDを売っている超人気の女性アイドルグループ「TIRevてぃーあいれぶ」さん。そのキャプテンを務めている高浜たかはま菜々子ななこさん、通称タカナナさんだ。


 マネージャーさんに連れられて楽屋に挨拶には伺ったけど、個人的に言葉を交わしたわけではない私のことを覚えてくれているのだろうか。


「桐生さんですよね、麹町の」


「はい」


 あのタカナナさんに覚えられているなんて光栄。


「高浜です。先ほどはどうも」


「こちらこそ、お時間をいただきありがとうございました」


 しかし、わざわざ私に挨拶に来るわけもないし何か言いたいってことよね。


「こんな時間になっちゃって、大変だったんでしょ?」


 そうか、私たちの煽りを直に受けていたのはこの人たちだったんだ。


「すみませんでした。ご迷惑をお掛けして」


 私が頭を下げると、その間に一人、高浜さんのグループのメンバーが戻ってきていた。


「菜々子、早く来なよ。時間押してるんだから」


 そう言って近寄ってきたのは主力メンバーの一人、阪野ばんの友加里ゆかりさんだ。


「お疲れさまです」


「お疲れさま。リハ大変だったんでしょ。体調が悪い子もいたって聞いたし」


 そこまで知っているとは。イライラしてマネージャーさんに訊きに行かせてしまったのかな。


「すみません、ウチのせいでお待たせしてしまって。急に体調が悪くなってしまった子が出てしまい・・・」


「うん、仕方がないんじゃない。体を理由にされたら文句も言えないし」


 皮肉たっぷりね。でも、この人たちもそういうことを言われながら今の地位まで辿り着いたのだろうな。


 こういう生放送の番組が初めてとか、選抜メンバー全員で出演したいとか、そんな私たちの事情は他のアーティストさんに関係ないのは事実だし。


「ちょっと友加里。ほら、急いでるんでしょ。行くよ」


 高浜さんが笑顔で私に棘を刺している阪野さんの袖を引いてこの場を去ろうとするが、それでもなお彼女は続けた。


「でも、ウチだったら次のアーティストさんを待たせるくらいなら他の子だけでリハをやるか、代役の子を急遽呼ぶかしてたかな。大人数グループなんだから、臨機応変に対応して欲しいって周りにも番組側にも思われてるだろうしね」


 今度は直球をぶつけてきた。謝ってる相手に、これ以上、何を言わせたいのだろう。


 その時、私より先に美咲が反射的に口を開こうとした。


「ちょっ・・・」


 いけない、美咲が言い返してしまう。葵も少しカチンときたのか、いつもなら止めてくれそうだけど今日は動かない。


 私は美咲の前に手を出して言葉を遮り、代わって自分の方が言葉を返した。


「お詫び以外に言葉が見つけられません。本当にすみませんでした。今後は他のアーティストさんにご迷惑をお掛けしないよう、気を付けます」


 私が丁重に頭を下げながらそう言うと、それで満足したのか阪野さんは高浜さんのいざないに従ってステージに向かい歩き出した。


 とりあえず、この場は収まったかな。


 そう思っていたら、阪野さんの手を引いてステージに向かわせた高浜さんの方が振り返り、私の目を見て言葉の矢を放ってきた。


「他の番組、特に大晦日なんか大物のアーティストさんが多くてリハからもっと緊張感があるし、待たせるとか有り得ない空気だから。その辺は意識しておいた方が良いと思う。まだまだ大人数のアイドルグループを見る目は業界内でも厳しいから」


 なるほど、アドバイスがしたくて私を見て立ち止まってくれていたのか。いや、正確には私たちのためにではなく、自分たちを含めたアイドルグループ全体の印象を悪くしてくれるな、という忠告よね。


 厳しいけど、今の私たちはそれを有り難いと思い受け止めなくてはならない。


「ありがとうございます。仰っていただいたことを肝に免じて、その時に活かすようにします」


 私の回答が意外だったのか、高浜さんは少し驚いたような顔を見せてから小さく頷き、そのままステージへ向かって駆けていった。


 楽屋に向かう廊下でも一言も発することなく黙々と歩く私に、斜め後ろを歩く美咲が矢継ぎ早に言葉のシャワーを浴びせてくる。


「ねぇ、藍子ってば。さっきのアレでいいの?人間なんだから頭が痛くなることも、お腹が痛くなることもあるじゃん。ああいう言われ方する必要なくない?大晦日とか言って、あからさまにマウンティングしてきたしさ」


 美咲の言いたいことも、怒ってることも、言い返さなかった私に不満があることもわかってる。


 もう少しだけ待って。


 早足で戻った楽屋に無言のまま入った私は、葵が扉を閉めたのを確認して大きく息を吸った。


「あーっ、もうっ!言われなくても迷惑かけたのはわかってるわよ!仕方がないじゃない、人間なんだから!」


 いきなり大声で叫んだ私に、そこに居たメンバーたちの視線が一斉に集まる。


 何が起きたかわからないメンバーたちは呆気にとられているし、美咲と葵も目を丸くしている。


 まぁ、そうなるわよね。わかっていたけど。


 数秒ののち、息を整えた私は二人の顔を見て笑った。


「びっ、ビックリさせないでよ!藍子がそんな大声を出すなんて思ってもないから、心臓が止まるかと思ったじゃん!」


 美咲が言葉を発したのを受けて、止まっていた楽屋の時間が動き出した。


 みんな、私の奇行に戸惑っただろうが、美咲が私に話し掛ける様子を見て大事ではないのを察したのだろう。


 少し経つと楽屋は何事もなかったかのように、いつもの空気に戻っていた。


「言われてる時はグッと堪えて、廊下でも息を止めるみたいに我慢して、楽屋に入った瞬間に叫ぶなんてさ。さすが藍子だね」


 椅子に座った私の肩を揉みながら葵が呟いた。


「ホント、何も思ってなかったらどうしようかと思ってたけど、なんだか安心した!」


 美咲も満足してくれたみたい。ごめんね、待たせて。


「私たちのリハが遅れて、そのせいで待たせたのは事実だしね。わざわざ皮肉を言わなくてもいいのにとは思ったけど、正義はあちらにあるわけだし。少なくとも今は、私たちが全面的に悪いから」


 この業界では売れている方が正義だから。でも私たちはどんなに売れても、新人に皮肉や嫌味を言いに行ったりなんかはしない。絶対に。


「でも最後の、大晦日に触れられたところで『その時に』って言ってくれたのは嬉しかったよ。タカナナさんも少し驚いてたように見えたし」


「そうそう!まだ出たことも無ければ、出る予定も全く無いのに強気で言い返してくれちゃって。気持ち良かったよね!」


 そんな風に見えていたんだ。美咲と仲良くなってから、ふとした時に啖呵を切るクセが私にもついてきたのかな。


「あれ、だって出るんでしょ?そんなに遠くない将来」


 わざと私がとぼけたように言うと、二人とも笑いながらそれに応じるようなジェスチャーを見せてくれた。


 そして翌日、私たちは気を取り直して本番のステージに臨んだ。


 視聴者の方々にどう見えていたかはわからないけど、それは自分たちにとっては満足のいく上々のパフォーマンスだった。


 それこそ、大晦日のステージにだって届くかもしれないと思えるくらいに・・・。


 しかし、そんな甘いことを考えていた私たちを、現実はご丁寧に何度でも打ちのめしてくれるのだった。

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