第9話 ほろ苦デビュー

「一位は獲れなかったですね」


 ミーティングが終わり席を立とうとした私に、柏木くんが何気なく掛けてきた言葉は、頭のなかでずっと回り続けていたものだった。


「まぁ、まだ一作目だ。焦る必要はないさ」


 目一杯の強がりを言ったが、本当は一度しかないデビューシングルだ。なんとかしてランキング一位を獲って華々しいものにしてあげたかった。


 無事にデビューできただけでも喜ばしいことであるのは間違いない。メンバーもスタッフも皆一様に嬉しそうにしてくれている。しかし、できることならその慶事に、もう一つ華を添えてあげたかったのだが残念ながらそれは叶わなかった。


 責任は私にある。メンバーたちも、柏木くんたちスタッフも何も悪くないし、失敗もしていない。


 数ヵ月前、私が親会社のお偉方を説得しきれなかった時点で勝負はついていたのだ。


「デビューシングルのリリース日を一週遅らせるって、どういうことですか!」


 私は高層の本社ビルの上層階にある役員室で、ウチのグループの担当役員を務める専務に詰め寄った。


「そのままの意味だ。麹町A9のデビューは当初の予定より一週後ろになった。前倒すわけではないから準備に支障はないだろう。それに今時点で他の何かのスケジュールとバッティングが生じるメンバーもいないだろうしな」


 私が気にしているのは準備とかスケジュールとか、そんなことではない。


「しかし、その週だとそれなり以上の売上が見込まれている、某男性アイドルグループの新曲のリリース日にぶつかってしまいます。それにシングルの特典イベントが発売直後になってしまうので、リリース関連の記事を見て興味を持ってくれたファンを取り込めなくなってしまう恐れが・・・」


 元々、リリース週に初登場でランキング一位を獲って、その余勢を駆って翌週にイベントを開催して盛り上がり、一気に波に乗るってプランだったではないか。


「逆に言えば、特典イベントより後というのは物理的に不可能だったのだろう。ラッキーだったと思おう。これは決定事項だ。それに向けてどう対応できるかが腕の見せ所じゃないか」


 何がラッキーだ。大方、系列の別レーベルのアーティストとの、リリース日調整の結果だろう。そこでなぜウチ側が引き下がるんだ。


「ちなみに、具体的な理由は何だったんですか」


 納得するのは、その本当の理由を聴いてからだ。


「他のアーティストとリリース日を調整した結果だ。それ以上は言わなくても想像がつくだろう。キミもこの業界が長いのだから」


 察しろということか。


 先に決まっていた方が優先ではないのか、と言いたい気持ちはあるが、そうではないことはよくわかっている。


 この業界せかいでは実力、いや、それも含めた影響力が大きい方が何に掛けても優先されるのだ。一般社会の道理や摂理が通らないことは既知の事実で、そこに文句を言ってみても仕方がない。


 私は渋々と引き下がり役員室を後にした。


 それからリリース日まで、なんとかしてそのビハインドを取り返せないかと動いてはみたが、私にできることくらいでは焼け石に水だった。


 全て私の力不足だ。


「二位だったことについて、メンバーたちの反応はどんな感じだった?」


「特に気にしている様子ではなかったですけど・・・。ウチの子たちの性格を考えれば、そもそも一位を獲れるなんて思っていなかったのかもしれないですね。本音はわかりませんが。それよりも、先日のイベントのことの方が色々と大変だったみたいで。そっちの方はあちらこちらで話題になってますよ」


 初めての楽曲披露と握手会の件か。何があったんだ。まぁ、だいたい想像はつくが・・・。


「事前に想定していた通り、ファンと接することの難しさを痛感したメンバーが多かったみたいです。初めてのイベントなので無理して頑張ってくれていたのですが、終わったらグッタリしてるメンバーが多くて。泣いていたのもチラホラいましたし・・・」


 それはそうだろうな。先日まで普通の学生生活を送っていた子たちが、いきなりステージに立ち、見ず知らずの無数の人たちから握手を求められるんだ。戸惑わない方がおかしい。


 しかし、大変なのはこれからだ。


 今はまだ物珍しさから興味本位でイベントを覗きに来ていたり、この先、応援するメンバーを物色したりといった軽い気持ちで訪れているファンがほとんどだ。ある意味、相手も様子見ということで本気を出していない。


 それが二枚目、三枚目とシングル曲をリリースしていく度に勝手に要求を上げられていき、それを満たせない時には負の感情を抱かれてしまうだろう。


 疑似恋愛の感覚に陥り相応の対応を求める人。プロデューサー気取りで活動内容や仕事場での立ち居振舞いを指導してくる人。自分がファンの中で一番であることを誇示するために特別な存在と認めて欲しい人。


 どの一人をとっても有り難い、貴重な存在であることは事実なのだが、同時に危険分子であることも否めない。


 時には罵声を浴びせられることもあるだろうし、謂れのない誹謗中傷を受けることもあるだろう。


―テレビで見た感じだと、もっと明るくて対応が良いと思ってた。他の子はもっと元気にやってるよ。


―あの番組のあそこの企画は、もっと頑張らないと。ヤル気がないように見えたよ。


―何回も通ってるのに名前を覚えてくれてないんだ。別の子を応援しようかな。


 これだけでも気分が良いものではないだろうが、エスカレートするともっと酷くなる。


―何でキミがあのポジションなの?他にもっと良い子がいるのに。


―あのインタビューの内容は相手に失礼じゃない?どういう意味で言ったの?


―ヤル気がないならアイドルやめなよ。目障りだから。


 もちろん、そんなものからメンバーを遠ざける、守る、切り離すのが私たちの仕事だ。そこには全力を尽くすが、それでも完全にというのは難しいだろうし、少なからず顕在化するものも出てくる。


 その時が本当の分水嶺だ。何人かはそれを苦に思い辞めていってしまうかもしれないが、そればかりは仕方がないと思うしかないだろう。


 アイドルとはそういう、絶えず向けられる好奇の眼、時には悪意の矢に耐え、神経を磨り減らし、普通に生きていれば味わうことのないストレスと戦い続ける職業だ。


 そんな彼女たちにだからこそ、その報われる瞬間をしっかり準備してあげなくてはならない。


 私がやらなくてはならないことは明確だ。


 次のシングルのリリースを華々しく、少しでも多くの人間が目を向けてくれるものにする。


 まずはリリース日の調整において割りを食わず、確実に一位を獲れるようにしなくてはならない。


 やはり一位の肩書きが有るのと無いのでは、世間の持つ印象が全然違うのだ。今度こそは、必ず獲らせよう。


 そしてもう一つ、できればリリース前後のどこかで歌番組に出させてあげたい。それもゴールデン帯とよばれる、幅広い年齢層が一斉にテレビを見る時間帯に。


 デビューしたばかりのウチのグループを出してもらうのが難しいのはわかっているが、アイドルに興味の無い一般層から新たなファンを取り込むにはそれが一番の方法なのは間違いがない。


 やるだけのことはやってみよう。次の曲のリリースはそんなに先ではない。


「そうこうしている間に、次の選抜発表もそんなに先ではないじゃないですか。多少の入れ替わりはあるでしょうから、次回は初めて『落ちる』という現実に直面するメンバーも出るんですよね。大丈夫ですかね・・・」


 柏木くんの懸念している通り、たしかに次は落ちる子が出るだろうし、該当したメンバーにとっては厳しいものになるだろう。そして、それは選抜に上がったメンバーや残ったメンバーにとっても同じだ。


 仲間であって敵でもある。敗者にはなりたくないが勝者にもなりたくない。そんなことを、これから彼女たちは嫌というほど味わう。


 正直、この先はいつ脱落者が出てもおかしくはない。そればかりは覚悟しておく必要がある。もちろん私に出来ることは手を尽くすし、柏木くんたちマネージャー陣の力も必要だ。


「メンバーのメンタル面のケアもマネージャーの仕事の一つ。それも重要な仕事だ。その時は彼女らの支えになってやってくれ。頼むぞ!」


「そうですよね。よし、俺の目が黒いうちは誰一人として辞めさせませんよ!まぁ、将来に向けて、何か事情があるような前向きなものは別ですが。何かが嫌とか、辛いとか、そんな理由で辞めようと思うヤツは絶対に出させませんから!」


 頼もしい限りだよ、本当に。


 私は柏木くんの言葉に笑いながら、彼より一足先に会議室を後にした。

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