第8話 本音

 今日は疲れているのもあるからなのか、三人で囲むテーブルの上の空気がいつもより重く感じる。気のせいならいいのだけど・・・。


「一日中ほとんど立ちっぱなしだったから、さすがに疲れたよね。私なんか足がパンパンになっちゃった。鍛え方が足りないのかな」


 話すきっかけを作ろうと、私の方から誰もが等しく感じたであろう肉体的な疲労の話を振ってみる。


「ホント!学生時代は運動やってたから体力には自信があったんだけどなぁ。でも、時間が過ぎるのはとにかく早かった。楽しかったからか、あっという間に終わってたよ」


 美咲は楽しかったって言葉が自然と出てくるくらいだ。本当にそう感じているのだと思う。葵はどうだったのだろう。


「一日のうちに、初めてのファンの前でのパフォーマンスがあって、更に初めての握手会があったんだもんね。色々なことがありすぎて、朝のことが同じ日のこととは思えない感じかな」


 とりあえずは葵も普通の感想。でも美咲の言った時間が早かったことには同意したけど、楽しかったのところには触れていない。


 私は自分の握手会をこなしながら視界で捉えていた葵の姿が、瞼にこびりついて取れないでいた。


 私の思い違いでなければ、途中から葵は辛そうな感じで握手会に臨んでいたはず。一生懸命それを見せないようにしていたけど、私にはそう見えた。そして控室に戻ってからも、いつもの葵とは雰囲気が違っていた気がする。いや、違っていた。


 葵の性格的に、周りにわかるように辛い様子を見せたり、愚痴や文句を人前で口から出すのは嫌なんだろうな。


 私だったら、握手会の途中でも少し自分を立て直す時間をもらったり、終わってからは誰かに気持ちを打ち明けたりしてしまうと思う。もちろん、大っぴらに皆に聞こえるようには言わないけど、仲の良い子くらいには吐き出さないと自分が普通で居られないだろうから。


 それに比べて葵は凄い。何かあったのだろうけどファンにはバレないように握手会は最後までやりきったし、皆の前だけでなく、私たち三人になってもその出来事を話そうとはしない。


 心配を掛けたくないという周りを想う気持ちと、泣き言を言いたくないという自分に向けての誓い。その両方なんだろうな、きっと。


 でも、今日の私はそれを引き出さなくては意味がない。そのために二人とも疲れているだろうところ、わざわざ集まってもらったのだし。


 葵の覚悟は立派だけど、私たちにだけ。私と美咲にだけは特別にその想いの総てを見せて欲しい。


 そうでないと葵は、この先どこかで本当の自分を出す場所がないことに疲れてしまうと思う。


 そして、それは私たちも同じだ。


 将来、美咲はきっとウチのグループを代表する、いやアイドル界を代表するような、そんなアイドルになる。そして、そんな美咲に牽引されるように私たちのグループは強くなっていくはず。


 その時、信頼して自分を出せる相手がいないと美咲は孤立してしまうだろうし、他のメンバーも距離の取り方がわからなくなってしまうと思う。


 そんな状態になってしまったら、せっかく叶い始めた夢たちも崩れ去ってしまい私たちのグループは衰退していってしまう。


 そうならないためにも、年齢やアイドルとしてのポテンシャル、出会った経緯から、美咲と先々も対等に話せる数少ない存在に成りうる葵には、なんとか私たちを信頼してもらいたい。私と一緒に美咲の良き理解者になってもらいたい。


 それが葵自身のためにも、美咲や私のためにも、そしてグループ全体にとってもベストであるのは間違いがないと思う。少なくとも私には確信がある。


 そんな私の願いとは裏腹に、葵は変わらないテンションで会話を続けていて、美咲は素直にその言葉を受け止めている。


「でも握手会ってもっと大変かと思ったけど、今日に限っては本当に大変さより疲れが勝ってた気がするな」


 ふいに美咲が何気なく言い放ったその言葉は、葵の本音を引き出す呼び水にもなるように思えた。


 ここね。ここしかない。今、私が先に自分が大変だったことを打ち明けて、葵が言い出し易い空気を作ろう。


 私は意を決して、あえて皆が避けていたネガテイブな感想を語り始めた。


「私は・・・。疲れたけど、それ以上に大変の方が大きかったかな。うん、正直に言うと辛いと思うこともあったよ。あまり言わないようにしていたけど・・・」


 そう言いながら視線を移してみると、葵も私の話に食いついてきているみたいだった。


「私、杏ちゃんと一緒だったでしょ。彼女はメジャーではないけどアイドル活動の経験者だから、とにかくファン対応に慣れていてさ。言葉の返し方とか仕草とか、表情なんかも。それに比べると私なんて素人丸出しだから、とにかくぎこちなくて」


 二人とも共感しながら聴いてくれている。上手くいけばいいのだけどな。


「そりゃ、初めてだもん。藍子みたいなのが普通で、杏が特別だって」


 美咲の言い分はもっともだ。しかし、そうとばかりも言っていられない。私たちは自分でこの道を、アイドルというお仕事を選んだのだから。


「そうね。でも、ファンの人たちにしてみれば少しでもキラキラしていて、アイドルとして魅力がある方に惹かれるじゃない。今日だけでも何回も思った。同じグループのアイドルなのに、私と会った時より杏ちゃんの時の方が皆さん楽しそうだなって。途中からはなんだか申し訳なくなってきて、自分が情けなく思えた」


 そんなこと気にしなくていいのに、といった顔で私を見る美咲。有り難いのだけど、それに甘えるわけにはいかない。改善すべきところは改善していかないと。


 葵は私の話を聴きながら考え事をしているように見える。自分のことを打ち明けようか迷ってくれていればいいのだけど・・・。


「真面目な藍子だからそう思うのもわかるけど、考えすぎだって。ねぇ、葵。って葵?どうした?」


 美咲が話し掛けながら葵を見たのに併せて私も同じ方を見ると、葵が神妙な面持ちで斜め下を見ている。目にはうっすらと涙を溜めているようにも見えた。


 葵の思いもよらない様子に言葉を失う美咲。それは私も同じだった。


 しばらくして葵が一度上を見てから、ゆっくりとその重そうな唇を動かす。


「あの、さ。さっきは美咲に併せるように普通に喋ったけど、私にもあった。大変だなって思ったこと」


 やっぱり。葵にも何かあったんだ。


「私は陽葵とペアだったでしょ。陽葵は人気者だから、私も藍子みたいにファンの人に申し訳ない気持ちもあった。それこそ握手会の時間はずっとそう。でも、それについては自分のことで精一杯で深く考える余裕はなかったんだけど・・・」


 同じことを思ったんだ。そうよね。ペアでの握手会って、ある意味では残酷。


 でも問題はそこではない、と。


「途中でさ、あるファンの人が私をスルーして、私と握手をしないで目の前を通り過ぎて隣の陽葵と握手しに行ったんだよね。そういう人もいるだろうと思っていたし、心の準備もしていたつもりだったんだけど・・・。あれは正直、辛かった。オマエはアイドルじゃない。オマエに用はないって、面と向かって言われたみたいで。人前で歌ったり踊ったり、握手会をしたりするのが、怖いことだって思わされた」


 諦めのような乾いた笑みを浮かべながら葵が付け加える。


「こんなこと思うの、アイドル失格だよね」


 そんなことがあったんだ。随分とお行儀の悪い方がいたものね。たしかにそれは私でも落ち込むし、涙が出そうになると思う。いや泣いてしまう、きっと。


「そんなヤツさ、ファンでも何でもないよ。陽葵と握手したかったのはわかるけど、そのために他のメンバーに失礼なことをして、傷つけてもいいだなんて。私が陽葵の立場なら握手の前に文句を言っちゃうかも」


 美咲らしい真っ直ぐな受け答えに、私と葵は思わず笑みを溢した。


「陽葵にしたら、どうしていいかわからないで戸惑うだけだったと思う。まして文句なんて絶対に言えないって。初めての握手会なんだし。さすがのあの子も自分のことで手一杯って感じだったよ」


 葵は普段の口調に戻ってきている。モヤモヤしていたものを吐き出して、少し落ち着いたかな。


「そうかなぁ。まぁ、言われてみればそうか。うーん。悔しい・・・。そいつに何か言ってやりたいんだけどなぁ」


 美咲は本当に怒ってるみたい。自分のこと以上に憤ってるように見える。この子のこういうところ、本当に魅力的。アイドルとしても、人としても。


「私も、本当は捕まえて文句を言いたい。でも、さっきまではそれ以上に先々に対する不安の方が大きかったかな。この先、こんなに心をすり減らすような仕事を続けていけるかなって。本音を言うとね」


 葵の弱気な発言に美咲がすぐさま反応した。


「そんな、大丈夫だって!私も藍子もいるし。嫌な思いをしたら、それ以上に、それを忘れられるくらい楽しい思いをさせるから!絶対だよ!」


 美咲の熱い訴えに、葵が笑顔で応える。


「うん、ありがと。頼りにしてる。それと、ごめん。二人には謝らなきゃいけないよね。本当は自分が一番今日のこと話したかったのに、何もなかったみたいに振る舞っちゃって。カッコつけるなよって話だよね。藍子が自分のことを話し始めるまで涼しい顔しててさ」


 それは違う。余計な心配をかけまいと、安易に弱音や愚痴を吐かまいと、そう思ってたんでしょ。それは謝ることではない。むしろ私は、そんな貴方を尊敬してるよ。


 私は心のなかでそう言ったつもりで、実際には私らしくもっと回りくどく言おうと思っていたのだけど、意に反してその言葉はそのまま口から出てしまっていた。


「あっ、ありがと。そんなに良いものではないんだけど、なんかそんなに言われると照れるな。でも嬉しいよ」


 照れている葵を見て、想定外の台詞を口走ってしまった私も恥ずかしくなってきた。


「藍子の言う通りだよ。それに、そんな自分を曲げてまでして私たちに話してくれたんでしょ?こっちこそ、ありがとうだよ!」


 美咲が弾けんばかりの笑顔で言う。こういう台詞も彼女ならよく似合う。


「二人ともありがとね。ホント救われた。誰かに話せる。話せる誰かがいるって大事だね。実感した」


 傷が完全に癒えたわけではないだろうが、葵の表情は数時間前とは全然違う。


 良かった。今日、三人で話すことが出来たことに感謝しないと。


 私がこの日の反省会の成果に満足していると、その横で美咲が急に一際明るい声を発した。


「なんか今日から本当のスタートって感じがしてきた!アイドルになったって感じ!ねぇ、せっかくだからさ、この機会に三人だけの目標を何か決めようよ」


 美咲の無邪気な提案は、私も心のなかで思っていたことだった。


「何にする?漠然としたものではなくて、達成したことが明確になるものがいいよね。それと立派なアイドルになったって実感できるもの」


 葵もすっかりいつもの感じだ。


「CDのミリオンセールス?なんかの賞?あとは何があるかな」


 できれば、その瞬間を色んな人に見てもらえる方がいいな。自分を支えてくれた人たちにも喜んでもらえるような・・・。あっ、これはどうだろう。


「大晦日の国民的歌番組に出場する、ってのはどうかな」


 私の発言に二人も目を輝かせた。


「いいね、それ。何だかんだ言っても誰もが注目してるし。立派になった感もあるしね」


 葵の賛同に美咲も続ける。


「アイドルは数組しか出られないしね。アイドル界のトップに立ったって感じでいいじゃん!」


 こうして私たちの目指すべき場所が満場一致で定まったところで、この日の女子会は解散となった。


 そして数日後、そんな私たちに対する世間の評価が一つ、これでもかというくらい分かりやすい形で突き付けられることになるのだった。

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