第7話 洗礼
デビュー曲の選抜メンバーが決まったと思ったら、あれよあれよという間にリリース日がやってきた。
待ちに待ったデビューなのだが、そこには嬉しい気持ちと同時に怖さもある。シングルCDのリリースと共に、ファンの人たちの前に立ったり握手したりするようなイベントにもデビューすることになるからだ。
まだまだ素人に毛が生えた程度の私たちにとって、自分たちのファンとはいえ見知らぬ一般の人々の前に立つことや、まして手を握り言葉を交わすなんてことは恐怖でしかない。
少なくとも私には。
「握手会ってどんな感じなんだろ。好きとか嫌いじゃなくて、雰囲気がわからないから純粋に怖さもあるよね」
よかった。あの美咲でもそう思ってるんだから、私なんかが不安に感じるのも当然の話だ。
「美咲は元気一杯にいつも通りにしていればいいじゃない。葵も動じないから平気そうだし。問題は私よね。話すのが早い方ではないし、何より人見知りするタイプだから・・・」
私ってよく動じないとか感情の起伏がないとか言われるけど、実はそんなことないんだよな。出さないクセがついてしまっているだけで、私に言わせれば美咲はもちろん、藍子だって自分と比べればよっぽど落ち着いているように見える。
「ちょっと!私は元気一杯でって、ヒトを子どもみたいに言わないでよね!」
美咲がお決まりのふざけた膨れ顔をしてみせた。カメラの前か否かに関わらず周りを楽しませようとするこの性格。ホントにアイドルにぴったりだ。
「美咲は、いつも通りでもファンを楽しませられるから大丈夫っていう誉め言葉だよ!怒らないで」
そんな美咲の頭を撫でる藍子も、上品さや優しさが言葉の端々や所作から滲み出ている。間違いなくファンからも支持されるだろう。
それに比べて私といったら・・・。
私は仲良くしている二人の持つアイドルとしての適性や人としての魅力をあらためて認識し、自分との違いを羨ましく感じていた。
「あれ、葵がこういう話にノッてこないなんて珍しいじゃん。いつもなら鋭い喩えで藍子の言葉に被せてくるのに」
二人のやりとりを色々と考えながら聴いていた私が、美咲には物足りなかったみたいだ。
「いや、藍子の言う通りだなって思って。それに藍子も自分ではわかってないかもしれないけど、心配しなくても絶対に好感度高いしファンに好かれると思うよ」
私の言葉に美咲も頷く。藍子は小さく首を横に振っているが照れ笑いを浮かべているし、少し安心したのかな。
「それに比べて私には美咲みたいなキラキラ感も藍子みたいな好感度もないし、みんなが思ってる以上にビビってるんだよね。内心では」
私が不安な気持ちを露にすると、優しい二人はすぐに励ましてくれた。
「そんなことないよ!葵みたいなクールで知的な雰囲気のアイドルが好きってファンもいっぱいいると思うし」
クールで知的か。そんな風に見えてるんだな、私って。的確な意見を言う藍子が思うくらいだ、そうなのだろう。
「そうそう。キレイなお姉さん感では絶対に一番だし!」
美咲の誉め言葉は少し謎だが、きっと藍子と同じようなことを言ってくれているのかな。
三人で美咲の表現について笑い合ったところで、この話題はお開きになった。
しかし、家に帰ってからも私のなかでは間近に迫った握手会への不安が渦巻いていて、それは何をしていても頭から離れなかった。
そして数日後、その日がやってきてしまった。
この日はデビューシングルのCDを購入した人向けのイベントで、CDの収録曲を一通り披露した後にはメンバーとの握手会が用意されている。
もちろん、人前で歌って踊ってという経験もほとんどなく、それだけでも激しい緊張に襲われた。
それでも、やはり私のなかで問題だったのはその後の方だ。
楽曲披露が終わって会場が設営されると、遂に私たちのグループ初の握手会が始まることになった。
一口に握手会といっても様々な形式がある。
流れ作業のように一瞬の握手をして一声だけ掛けられるもの。一人に対して数秒をかけ、握手をしながら二、三往復の会話をするもの。一回に一人のメンバーとだけ握手をするもの。一つのレーンで二、三人のメンバーと握手するもの、などなど。
更には握手とともに写真をとったりするものなどの発展形を実践するグループもあるようなのだが、今の私たちにはそんな凝ったことは出来っこない。
とりあえず今日、私たちが挑まなくてはならないのは大人数のアイドルグループでは最もポピュラーな「流れ作業」のスタイルだった。それも一つのレーンに二、三人のメンバーを配するタイプだ。
私のレーンは二人で、一緒になったのはデビュー曲でセンターを務める金井陽葵。
誰が決めたのか知らないけど、私にとっては最悪の組み合わせだ。
デビューしたばかりだが、既に深夜帯とはいえテレビ番組にも出ている私たちには、多少なりとも人気にも差が生じてきている。
もちろん、先々まで安泰なんて子は居ないだろうが、始めが肝心というのも事実。
そんななか、現時点で人気トップとされているのが初代センターに選ばれた、私とペアのこの子であるのは言うまでもない。
下手したら顔と名前が一致するのは陽葵だけって人もいるだろうし。
今回のメンバーのレーン割を見ていると、どうやら二人のレーンは二列目までの八人の組み合わせみたいだ。残る三列目とアンダーの子は三人で一つのレーンを作っている。
まぁ、ほとんど知らない子ばかりのなか、少し目立つ位置にいる二人のメンバーと握手をするか、今は目立っていないけど先々はわからない三人のメンバーと握手をするか。アイドル好きが悩むところを突いているのだろう。そうでもしないと列の長さが平準化できないというのもあるだろうし。
それでも露出の多い二列目までのメンバーの方がファンを集めるのかもしれないが、これなら計算上、二人のレーンが三人のレーンの1.5倍の人数を捌くことになっても所要時間を考えれば終了は同じくらいになる。上手いことできているな。
そして更にファンの数が偏らないようにするため、メンバーの組み合わせにも一計を講じているように思われた。
二人であれば、その分母の中でも人気が高いであろう子と低いであろう子を組み合わせている。三人でも同様に、レーン毎にファンが感じる「お得感」に極力差が出ないように工夫しているみたいだ。
色々と大変だな、運営の皆さんも。
そんななか私が組まされた陽葵は現時点での人気ナンバーワンということで、私は八人のなかでは一番お客さんを集められない子だと思われているらしい。
それはいいんだけどさ。実際にここまで目立つこともしてきていないし、今の私のファンって逆にどこがポイントだったのか訊いてみたいくらいだし。得意科目が数学の女子大生アイドルってヤツがどんなモノか見てみようって感じじゃないかな。
そんなことより、問題はペアの相手が陽葵ってとこだ。
陽葵が目当てのファンからすれば私と握手したり言葉を交わしたりなんて興味ないだろうし。申し訳なさと情けなさとで、途中で心が折れなければいいけど・・・。
私はただでも不安に感じていた握手会が、そのレーン割のせいで一段と憂鬱なものとなっていた。
そんな私を時間は待ってはくれず、会場の準備が整うのと同時に私たちは持ち場につく。
私にとっても、グループにとっても初めての握手会。さて、どうなるか。
「いつもテレビ見てます!これから頑張ってね!」
「ありがとうございます!頑張ります!」
「葵さんを応援することに決めました!次回も絶対来ます!」
「嬉しいです!また来てください!」
「テレビで見るよりキレイですね!今日でファンになりました!」
「いやいや、そんなことないです!でも応援してもらえたら有り難いです!」
私の不安をよそに握手会は目の回るような早さで進行していく。
そして想像していたより遥かにファンの方々は温かい。アイドルとしては駆け出しの私なんかには、もったいないくらいの言葉が次々と掛けられる。
みんな良い人ばかりだ。あんなに怖がる必要はなかったのかな。
そんな風にも思い始めていた私を、現実は嘲笑うかのように打ちのめしていった。
一瞬、私は何が起きたのかわからずに戸惑うばかりであったが、数秒後、事態を理解した。
あれ、さっきの人、私と握手しないで陽葵のところに向かったよな。うん。向かった。
つまり、私の前をスルーして陽葵と握手したってことだよね。陽葵のファンなのか。それなら仕方がないな。陽葵を目の前にして興奮が抑えられなかったんだろうし。うん。
頭のなかではその出来事を理解しながらも、動揺を隠せないでいる私。気付いたらさっきから「ありがとうございます」しか言わなくなっている。
ダメだ。さっきのことばかり考えちゃって、ファンの人の言葉が頭に入ってこないし、返す言葉を考える余裕もない。
気にするのはやめよう。少なくとも今だけは。自分の職務に集中しよう。
仕事だしね。色々あるさ。それにしたって失礼な話だけど。そりゃ、私たちは仕事でファンの人は娯楽。お金を貰っているのは私たちで払っているのはファンの人だよ。でもさ、二人しか居ないレーンの一人を無視してもう一人とだけ握手していくなんて、有り得ないじゃん。マナー違反だよ。
あー、また考えてる。なんだろう、この気持ち。悔しい。情けない。恥ずかしい。
全部だ。
ふと気付くと私の目には涙が溜まってきていた。
ヤバい。泣きそう。それだけはしたくない。何かあったって周りに思われるのも嫌だし、ファンの人だって楽しめなくなっちゃう。
超一流のスーパーアイドルでしょ。約束したじゃん。
私は溢れそうな涙を必死に堪え、それを隠すように作った笑顔で握手会を続けた。
そうして何とかその日の握手会は乗り切ることが出来たが、後に残ったのは何とも言えないモヤモヤした気持ちだけだった。
せっかく懸案のイベントを一つクリアしたのに、終わった後に得られるはずであった達成感は私には少しもなかった。
元来、お喋りな方ではない私なので、黙々と帰り支度をしている姿は誰からも違和感を持たれなかっただろう。
帰り際、そんな私に藍子が声を掛けてきた。
「お疲れさま。どうだった、今日は?」
「・・・うん」
いけない。こんな感じだと何かあったみたいだ。
すぐに私は明るい表情を作って言葉を続けた。
「あっという間に終わった気がする。心配して損したよ。案ずるより産むが易しだね」
藍子は笑顔を浮かべながら私の回答を聴いていたが、他人を思いやる気持ちの強い彼女のことだ。私の一瞬の戸惑いを見逃さなかったかもしれない。
「そっか。私は色々あったなぁ。ねぇ、帰ったらさ、いつもみたいにウチに美咲と集まって反省会しようよ。話を聴いて欲しいし」
藍子の提案を断る理由なんて何もない。本当は私の方が二人に聴いて欲しい話があるくらいだ。
私が黙って頷くと、藍子はそれを確認して美咲に声を掛けに行った。
そして帰宅後、私と美咲は藍子の部屋に向かった。
向かうと言っても同じ建物のなかの別室を訪ねるだけで大袈裟なことではないし、何かある度に三人で集まるのは既に恒例にもなっている。
ただ、この日ばかりは私の足取りは重かった。
握手会での出来事以来、気分が落ちたままでいることと、それを周りに見せないように明るい気持ちで振る舞わなくてはならないこと。この二つの正反対の感情を同居させながら誰かと会うことは、私にとって想像以上の重労働だったのだ。
藍子の部屋はいつも通り片付いていて、普段と変わらない場所にクッションが置いてある。
私と美咲が定位置に腰を下ろすと、藍子がカップに入った温かい飲み物を運んで来てくれた。今日の紅茶はアールグレイだとか。
部屋の雰囲気とマッチしたお洒落なカップに軽く口を付け、私たちは反省会という名のガールズトークに花を咲かせ始めた。
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