第3話 運命の出会い

「しばらくの間はレッスンを受けることが中心で、時にこういった座学もあると思う。デビューに際してはファンに向けたイベントも企画しているが、それはもう少し落ち着いてからになるだろう。転居なんかで生活がガラっと変わった子もいれば、学業と両立していかなければならない子もいる。まずは環境の変化に慣れてくれ。何かあったら私でもそこにいる柏木くんでも、いつでも相談してくれて構わないから」


 長瀬さんというお名前の、私たちのグループを運営する会社の社長さんのご挨拶。


 そのお話のなかでは、これから始まるアイドル活動に不安を感じている私たちが一番気になっていた、当面の活動の具体的な見通しも示していただけた。併せて一人一人の生活を気に掛けているというメッセージも込められていて、メンバーに対する配慮や愛情が感じられる。穏やかそうな方だし、良い方の下で活動させてもらえそう。感謝しないと。


 今日は一日こんな感じのガイダンスが続くみたいで、多くの時間はこの会議室で過ごすことになるとか。なんだか学校の授業みたいね。でも仲良くなってきたら違うのだろうけど今日のところは皆おとなしくしているし、年頃の女子がこれだけ集められているにも関わらず休憩時間になってもそれほどガヤガヤとはしてこない様子。


 緊張もしているのだろうけど、それ以前に人見知りの子が多いのかな。年齢も少しバラけているし、隣の子にすらなかなか話し掛けづらい空気なのも事実だけど・・・。


「ねぇねぇ、今日ってこの後も説明が続くんだよね。座って話を聞いてるだけだと眠くなっちゃうんだけど、一番前の席だからそんなわけにもいかないし。どうしよっかなぁ」


「飴舐める?薄荷いけるなら持ってるよ」


 三人掛けの机の右端に座る私。そんな私の隣の子が取り出した薄荷キャンディーを、そのまた隣の子が嬉しそうに受け取ってさっそく口の中に放り込んだ。


「ありがと、助かる!あっ、もう一つくらい貰っておいていい?絶対にまた眠くなるから!」


 そう言ってもう一粒、超を付けても差し支えが無いであろう、その美人なお顔に満面の笑みを浮かべながら彼女は白い包みを纏った飴玉を両手で受け取った。


「ところでさ、なんで私たち一番前なんだろうね。そりゃ私は賢い方じゃないし後ろに置いておくと寝ちゃうんじゃないかって疑われるのもわかるんだけど、二人はそんなことなさそうだし・・・」


 どうやら会話の中には私も含まれているみたいね。しかし、この子は物怖じしないというか無邪気というか、整った容姿からは想像もできないくらい人懐っこい感じだ。羨ましいな、自然とこういう風に振る舞えるのって。


「たぶん前の方から年齢順なんじゃないかな。通路の反対側の机にも、見た感じ幼そうな人はいないみたいだし。今回のオーディションの募集年齢からして、19歳の私がメンバーのなかでも年長組なのは間違いないから」


 左端の美人さんの素朴な疑問に対して冷静な口調でサラッと年齢を明かした彼女は、どうやら私の一つ上らしい。誕生日によっては同学年なのかもしれない。


「なるほどねぇ。鋭いじゃん!私も19だから、その推理当たってるかもね!ってことは、そっちのアナタも同じくらい?」


 私に話し掛けてるんだよね。せっかくだし、ちゃんと答えて仲良くなっておこう。良い子っぽいし。


「はい。桐生藍子、今は18歳です。今度、誕生日がきたら19になります。よろしくお願いします」


「あっ、ごめん。話し掛けておいて自分が自己紹介してなかったね。由良美咲です、よろしく!それで、こっちが、えーっと・・・」


 飴をくれた人物を紹介しようとした美咲は、お世話になった相手の名前を知らないままであることに気付いたみたいだ。


「里見葵、桐生さんと同じ大学一年生。よろしく」


 ニコッと笑いながら簡単に自己紹介をしてくれた葵。あれ、私と同じ大学一年って言ったよね。何で私が大学生だということを知っているのだろう。


 明かしていないつもりであった情報を耳にしてキョトンとする私を見て、葵が更に続けた。


「席に着いた時、パスケースを開いて置いてたのが目に入っちゃって。盗み見るつもりはなかったんだけど、学生証が見えちゃったんだよね。申し訳ない。それで桐生さんが大学生ってことを知っているのに知らないフリするのは違うと思って、それなら自分も明かさないとフェアじゃないかなと」


 なるほど。慌てて手荷物をまとめている時に無造作に投げ出していたからね。隣で目の前に色々と出されたらチラっと目が行くのは当然だし、悪いのは彼女ではない。私の方だ。


「すみません、バタバタしていたもので。見られて困るものではないし、気にしないでください。隠す気もないので大丈夫です」


 それにしても、見えてしまったことを自分から申告してくるのもそうだし、そこで知った情報と同じものを自分も出さなくてはと思うところにも驚いた。正義感の強い人。こういう子、私は好き。


「ゲッ、二人ともやっぱり賢いんだ。そうだと思ったんだよなぁ。それでいて美人だなんて、ズルくない?世の中ってなんなのよ」


 美咲はわかりやすく不貞腐れる仕草を見せてきた。本気ではないだろうけど、初対面の相手にこんなリアクションができるなんて本当に面白い子。見た目とのギャップが凄い。


「それを言うなら由良さんの方が周りからそう思われてるよ、きっと。ねぇ?」


 葵が私に同意を求めてくる。言いたいことはすぐにわかった。


「そうですね。由良さんみたいなハッと驚くくらいの美人さんには、そうそうお目にかかれないですから」


 お世辞抜きでそう。多少キレイな大学生なんて今時、珍しいものではない。しかし美咲みたいな美人は、たとえ芸能界にだってそんなに居ないと思うし。


「優しいんだねぇ、そんな嬉しいこと言ってくれちゃって!あっ、飴いる?ハッカいけるなら持ってるよ」


 そう言って美咲は私の誉め言葉のお礼にと、さっき葵から受け取ったばかりの飴玉を差し出してきた。


 冗談半分とわかっていながらも、とりあえず私はその御礼の品を断る素振りを見せてみる。そんな私に、葵が笑いながら美咲に渡したものと同じ飴を渡してきた。


「桐生さんは真面目そうだから寝ちゃったりしないだろうけど、由良さんの大事なストックを減らすわけにはいかないからね。お一つどうぞ」


 こうなると受け取らないわけにはいかないよね。有り難く頂戴しておこう。


「ありがとうございます。それでは頂きますね」


 私と葵のやり取りを見ていた美咲も笑いながら頷いた。飴玉が行き渡ったことに満足したみたい。ホントに可愛らしい子ね。


 こんな休憩時間の些細な出来事すら新鮮に感じたし、私は同時に安心感みたいなものを覚えていたことに気付いた。なんだかんだ言って私、緊張していたみたい。


 その日の帰り、会議室を出ようとしたところで美咲が声を掛けてきた。


「二人とも、よかったら一緒に食事して帰らない?こうして並んで一日過ごしたのも何かの縁だし!」


 このお誘いは素直に嬉しい。本当は私も同じことを思っていたのだけど、どうにも言い出せないでいたところだったし。葵はどうだろう。


「そしたら駅前で適当に入ろうか。何かあるでしょ」


 良かった。葵も乗り気みたい。


 歩いて駅前に向かい、偶然見つけた洋食屋に入ることに決めた私たち。店員さんに案内されて座った奥のテーブルで注文を済ませると、出会ったばかりでお互いを探り探りの三人に束の間の沈黙が訪れる。


 これから先もずっと、こういった時に口火を切るのは決まって美咲だ。


「そういえばさ、二人は出身はどこ?」


「私は高校まで東北、仙台の近く」


 葵は北国の出身らしい。そんな感じがする。


「私はずっと東京です。由良さんは?」


「私は埼玉!っていうか、その『由良さん』呼び。周りがみんな美咲、美咲って下の名前で呼ぶから、そっちが普通になっちゃってて慣れないんだよね。なんでか知らないけど、昔からみんな名字でもアダ名でもなくて、すぐに美咲って呼ぶようになるんだ。私からそう呼んでって言うわけじゃないんだけど、気付いたらそうなってる。不思議だよねぇ」


 美咲は自分が周りから下の名前で呼ばれる傾向にあることを疑問に思っているみたいだけど、私には何となくわかるな。みんなから愛されてる証拠だもの、きっと。


「それはさ、『由良さん』って呼ぶより『美咲』って呼ぶ方が相応しいと、直感的に周りが感じるからだと思う。自分を隠さずに、真っ直ぐに表現してくれることに対する周りからの答えというか。親愛の念って言えばいいのかな」


 葵の思ったことは私と同じだった。この子と私は思考経路が似ているのかもしれない。


「私もそう思います。由良さんと少し接していると惹き付けられるというか、そういう雰囲気があるので。愛情を込めて皆さん、『美咲』ってお呼びになるのではないかと」


 照れ臭そうにする美咲。これだけの美人なのにお高い感じを全く相手に与えないなんて、それだけでも天才だと思う。


「そしたらさ、二人も同じように感じたら、名前で呼んでもらえるってことでいいんだよね?」


 たしかに、そう言いながら私たちが名字にさん付けするなんて、まるで距離を感じているみたいよね。


「じゃあ、私のことも葵にしてもらおうかな。美咲みたいに周りから愛されるアイドルを目指さなきゃならないんだし」


 葵が同意した。もちろん私にも異論はない。


「私も藍子でお願いします」


 美咲がまた満足気な表情を覗かせた。昼間の飴玉の時といい、屈託がない笑顔ってこういうのを言うのだろうな。


 それにしても美咲は素晴らしい才能の持ち主だ。人と人を結びつけるというか、場の雰囲気を和ませるというか、そんなことを自然と実現する能力ちからが彼女にはある。この際立った容姿もさることながら、こっちの方が凄いことなのかもしれない。


 隣の葵も、そんな美咲のパワーに負けないというか、涼しい顔をしたまま、それを受け止めてあげる器がある。美人なうえに頭も良さそうだし、それでいて熱い気持ちも秘めていそう。同性、異性を問わずに憧れられるタイプだと思う。


 そんな二人といきなり仲良くなれた私は、本当に運が良い。感謝しないと。


 運ばれてきた料理を食べ他愛のない話をしている最中に私は、二人を見ながらそんなことを考えていた。


 こうして、この日から私たちはお互いを美咲、葵、藍子と呼び合うようになる。


 後から思えば、こんな風に私たち三人が出会ったのも、仲良くなったのも、下の名前を呼び捨てにして呼び合うようになったのも、決して偶然ではなかったのかもしれない。


 この麹町A9というグループが大きくなっていくために用意されていたシナリオの、大事な一ページ目であり、ここから全てが始まったと言っても過言ではないのだから・・・。

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