九条沙姫11

 気が付くと、学校の中だった。

 俺は廊下の壁に背中を預けていて、肩にもたれかかる九条の姿があった。

 慌てて、となりを覗き込む。

 彼女は瞳を閉じて、小さな息を立てていた。


(……生きてる)


 よかった。

 心の底から、安心した。

 途端、身体じゅうに圧し掛かるような、疲労が襲ってきた。

 まずは、九条が生きていたことが嬉しかった。それから落ち着くに従って、色々な感情が湧きあがってきた。

 まあ、とりあえずは――


(ど、どうしよう?)


 もたれかかってくる九条の重みが、やたら気になる。

 あんな状況ではあったが、自分の気持ちを自覚した今となっては――はっきり言って、すげードキドキする。

 まあ、そのなんだ。

 俺は、彼女が好きだったのだ。

 なので、気恥ずかしい。

 むちゃくちゃ、恥ずかしい。

 さっきまでは、無我夢中であったのだけれど、今は冷静に思い返してしまう。


 やべー、俺めっちゃ叫んでたよ。

 やべー、俺すげえ怒ってたよ。


 思わず、身もだえしたくなってきた。

「……な、なあ?」

 何時までもこうしていても、仕方がない。

 俺は彼女を起こそうと、そっと手を伸ばそうとして――


「――何、やってんの?」


 赤池が、そこに立っていた。


「お、おう」


 意味のない声が、漏れた。

 どう説明していいか、わかりませんでした。

 赤池は、俺と九条を交互に見る。呆れたような、驚いたような、楽しそうな――色々な感情が混ざり合っていた。


「……ん」


 そうこうするうちに、九条が身じろぎした。意識を取り戻したようだ。

 これをきっかけに、何か言い訳を考えよう。


「よ、よう?」


 寝ぼけまなこの九条に、声をかける。

 九条は重そうに頭を振って――俺を、まじまじと見つめてきた。やがて目を大きく見開いて、あろうことか――


「よかった、城阪君」


 抱きついてきた。

 思い切り、抱きついてきたのだ。


「……生きてて、よかったよ」


 更に俺の胸に、顔をうずめてくるではないか。

 嬉しいことは、嬉しいけれども――


「うん、ああ」


 赤池は、うろたえる俺と、俺から離れようとしない九条を交互に見つめて、何かを納得したように大きく頷いた。


「邪魔したな」


 やたらさわやかな笑顔だった。

 踵を返して、片手をあげる。


「お、い……いや、そのな?」 


 引き止めることが、できなかった。


     ◇


 ――結局、俺は何もできなかった。

 助けてくれたのは、九条の姉さん達だった。


 次の日から、文化祭の代休が二日続いた。

 一日目、午前中はやたら眠かった。

 よほど疲れていたんだろう。

 まあ、そりゃそうだ。わけのわからない世界で、殺されかかったのだ。今でも半信半疑だったけれど――夢ではなかったのだろう。

 あまりにも、生々しすぎた。

 殺されかかった感覚や、流れ込んできた色々な感情は、ただの夢と片付けるには無理があった。 

 信じられない状況ではあったが、現実にあったことなのだろう。

 まあ、とりあえず――


(助かったのだ)


 それだけで、いいだろう。

 我ながら、楽観的だと思ったけれども。

 ぐだぐだ考えていても、仕方がない。


 お昼近くに、九条からメールが届いた。

 この日、午後から演劇部でのささやかな打ち上げが企画されていた。


『今日、城阪君は行くの?』


 少し迷ってから、


『ああ、行くつもり』


 とだけ返信した。

 昨日のことには、触れなかった。

 俺の中でも、整理はつかなかった。



 彼女の事情、彼女の心の内。

 気安く触れていいとは、思えなかった。


 駅前のカラオケで打ち上げ。

 大部屋を借り切って、そこそこに盛り上がった。

 九条とは、当たり障りのない会話だけ。

 赤池には昨晩のことを追及されるかと、少し構えていたのだが――そんなことはなかった。

 素知らぬふりをしていた。……いや、してくれていたんだろう。

 しかし、こいつはほんと自然に気遣いのできる奴だ。少しは見習いたい。

 途中から色々と割り切って、普通に楽しむことにした。一歩間違えれば、九条や俺もこの場にいなかったのだ。

 そう思えば、素直に喜ぶべきだろう。



 代休二日目。

 九条からの連絡はなかった。

 

 休み明け。

 小さな事件があった。

 教室に姿を見せた九条に――クラスメイトは、言葉を失った。

 俺も唖然とした。

 彼女が、伸ばしていた長い黒髪。

 それを、肩口あたりでばっさりと切りそろえていたのだ。

 クラスの女子何人かが、気遣うように話しかける。


「……な、何かあったの?」


 文化祭がきっかけで、九条と話すことが多くなった女子達だった。

 微妙な緊張感が、クラスに漂う。なぜか、俺への視線も感じた。俺に原因があるとでも思われているのか。


「へえ、似合うじゃん」


 それを空気を打ち払ったのは、赤池のさりげない言葉だった。


 それからの数日は、何ごともなかった。今まで通り、いつも通りの毎日を過ごす。

 九条がそうしたいのなら、それに合わせようと思った。

 俺と彼女の距離は、思った以上に近付かなったようだ。

 あのクソ野郎に言われたように――俺は、また少し思い上がってしまったのかもしれない。

 少し寂しいけれど、仕方がない。

 俺は、そう言い聞かせることにした。



『こんばんわ、城阪君』


 金曜日の夜、九条からメールが届いた。


『明日の休み、時間空いてるかな?』

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