九条沙姫8

 ――×に×い。


 あれから、今まで。

 何度、つぶやいただろう。

 誰とも関わらないふりをして。

 もう、どうでもいいと自分を偽って。


 城阪藤二君。

 高校生になって、知り合った。

 時折、彼が声をかけてくれた。

 いつの間にか、嬉しかった。

 演劇部の助っ人に、誘ってくれた。

 姉さんと同じ部活。

 奇妙な偶然だと思った。

 やるからには、真面目にやろうと思った。

 気が付けば、楽しかった。

 それがきっかけで、クラスメイトを話すこともできるようになった。


 ――けれども。


 わたしには、もうわかっていた。

 もう、遅いんだ。

 嬉しさは、罪悪感で。

 楽しさは、罰の意識。


 幾度となく、思ってきた。

 繰り返してきた。

 何回。

 何百回。

 何千回。

 もう、数えきれないほどに。

 わたし、九条紗姫は――

 

『×にたい』と、望んできてしまったのだ。

 だから、ここは。

 きっと、わたしが望んだ世界。

 

     ◇ 

 

 文化祭、二日目。

 一般公開もある二日目こそが、むしろ本番だった。


 公演は、午後からだった。

 特にクラスの出し物がなかった俺と九条は、文化祭を見て回っていた。

 ……ふたりきりだ。

 妙に、緊張してしまう。 

 一緒にいたはずの赤池は、気が付けばいなくなっていた。余計な気を回しやがった――そんな気がしていた。

 ポケットの中で、スマートフォンが震えた。

 メールが届いたらしい。


「お?」


 啓吾さんだった。

 今、水無瀬と一緒についたようだ。公演まで、一時間ほど。適当に時間をつぶして、公演場所の体育館に向かうそうだった。


「どうしたの?」


「んー、バイト先の先輩」


 スマートフォンをしまいながら、答える。

 水無瀬は、まず織本と合流するみたいだった。


「声、かけておいたんだ」


「そう」


 一見、いつも通りの無表情。

 けれど、ここ半月あまり一緒にいることも多くなって、慣れてきた。九条は、あまり感情を表に出さない。

 それだけだ。普通に話せば、応えてくれるし――変に気負うこともなかった。


「お、紗姫」


 ふと、呼び止められた。

 振り返ると、二十代半ばくらいの女性が立っていた。九条の知り合いだろうか。髪が短くて、さばさばした感じの女性。近付いてくると、俺に視線を向けた。


「ん? 君が、城阪君」


「……ああ、はい」


「そうか、紗姫がいつも世話になってるな」


「いえ、別に……」


 頭を下げて、九条を見る。


「わたしの、叔母さん」


 そう、俺に紹介してくれた。


「姉さんと兄さんも、そろそろ来るってさ」


「うん」


「ま、頑張りなよ」


 手を振って、その女性は去っていく。

 その背中を見送った九条が、口を開いた。


「今、わたし……叔母さんのところでお世話になってるんだ」


「そうなのか」


 あの人の言っていた姉さん、兄さんというのが彼女の両親なのか。

 家庭の事情と言うやつか。

 俺は、せんさくはしなかった。


「ん」


 また、メールが届いたようだ。

 お袋だった。

 親父は都合がつかなかったらしいけれども、お袋は来る気満々だった。

 正直、あまり会いたくない。

 ……いや、別に仲が悪いというわけではない。

 ただ、何と言うか。

 クラスの女子と一緒にいるところを見られるのは、具合が悪いと思うのだ。

 気恥ずかしいじゃあないか。


「そろそろ、控室行こうぜ?」



 その日も、公演はつつがなく終わった。

 二日間の公演は無事成功。みんな、肩の荷を下ろしていた。

 発表を終えて、後片付け。

 部室に引き上げてくると、四時を回っていた。


「あれ?」


 いつの間にか、九条の姿がなかった。


「なあ、九条見なかった?」


 手近にいた赤池に訊くと、首を振られた。


「そう言えば、さっきから見ないな」


 別に、騒ぐこともないだろう。トイレか何かだろう。

 そう思うことにする。

 けれど、なぜか、心がざわめいた。


「……俺、ちょっと探してくるわ」



 言うなれば、学園祭の残り火。

 昼間の騒ぎが収まり、その落差なのか、やたらに静かだった。

 校舎に所々に灯る照明から、遠くなっていく。

 薄い闇がわだかまる廊下を――俺は、歩いていく。


 校舎の片隅で。

 ようやく、俺は見つけた。

 取り残されたように、ひとりで佇む。

 九条がいた。


「……九条?」


 俺に振り返ると、小さく笑った。

 どこか寂しそうな、哀しそうな微笑み。

 嫌な予感がした。

 今更に気が付く。

 薄闇? ……おかしい、まだ日は高かったはずじゃないか。

 致命的な何かが近付いている――そんな予感だった。

 今すぐにでも、九条が遠くに行ってしまう。そんな、バカげた……恐怖にも似た感情が込み上げてきた。


「………っ!」


 慌てて、一歩を踏み出す。


 ――その瞬間、世界が揺らいだ。


 急速に、音が遠ざかる。

 吐き気にも似た眩暈。

 強い風に薙ぎ払われそうだった。

 その激しさに、足を踏ん張るのが精一杯だった。

 どうにか踏みとどまり、顔を上げると――


「……え?」


 光景が、一変していた。

 まるで映画の画面が、乱暴に切り替わったように。

 先ほどまで、学校の中だったはずだ。

 文化祭が終わり、九条を捜しに行った。

 そんな事実が、ずっと遠くのことに思えた。


「な、何だよ? ……これ」



 そこは――色彩が、死んでいた。

 ここは、悪夢じみた光景だった。

 これは、怖気が走るほどの風景だった。


 空は、禍々しいほどに赤く。

 どす黒いほどに、紅い。

 今にも、圧し掛かってきそうだった。そんな圧迫感。

 周囲に立ち並ぶ、影細工の枯れ枝。

 節くれだった、化け物のような似姿。

 今にも襲い掛かってきそうだった。そんな恐怖。

 吹き抜ける風は、異様に冷たくて、身体じゅうの体温を奪っていく。

 まるで、地獄だ。

 不吉を孕んだ、死の世界そのものだった。

 その手の、趣味の悪いゲームか映画の光景が、圧倒的な現実感をともなってそこに在ったのだ。


「……う、うああ」


 恐怖で頭がおかしくなりそうだった。

 意味もなく叫びだしそうだった。

 それでも、どうにか――意識をつなぎとめ、彼女の姿を確認する。

 茫然と立ち尽くす、その細い身体。

 肩に手を伸ばして、揺する。


「……おい、九条」


 反応はなかった。


「九条ってば!」


「………………」


 虚ろになった瞳が、ただ前方を見据えていた。

 俺は、視線を追う。

 前方――視線の先に、人影があった。

 赤い闇の中で、直一層浮かび上がる禍々しい闇をまとった、細身の青年。

 ……いや、少年か。

 年の頃なら、俺や九条とさほど変わらない。

 一見、そう見える。

 ざんばらに髪を伸ばした、ほっそりとした少年。覗ける瞳が、異様にぎらついていた。

 こいつは、まともじゃない。

 不吉そのもの。不気味そのもの。禍々しさそのものが、形をもったような――そんな奴だった。

 そいつは、口元まで裂ける笑みを浮かべて――実際は、薄く笑っただけなのに、そんな錯覚を覚えた。


「ようこそ、九条紗姫さん」


 楽しそうに、嬉しそうに、そう言葉にした。


「……ようやく、会うことができた」



 そいつは、確かに九条の名前を口にしたのだ。



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