九条沙姫7

「演劇の助っ人?」


 九条は、怪訝そうな顔をした。

 次の日の朝。クラスメイトは、まだまばらな教室で――俺は、彼女に話しかけていた。

 俺の考えは、そう。

 彼女に、足りない演劇部員の代わりに参加してもらうことだった。


「どうして、わたしに?」


 それは、そうだ。

 いまいち、理由が足りない。特に演劇に興味を示した様子を見せたことのない、彼女を誘う理由。

 これまでに、彼女に対してもどかしかった感覚。

 文化祭の時期になっても、彼女はいつも通りだった。有志で参加する素振りもなく、当たり障りなくクラスの仕事をこなす程度。


 ――これは、ただのお節介だ。

 独りぼっちで寂しそうな彼女に、文化祭に積極的に参加してもらいたい。これをきっかけに、誰かと関わってほしい。

 そんな、思い上がり。

 上から目線。

 ほんと、何様だ――俺は。


 それでも、俺はきっと。

 余計なことを、したかったんだ。



「……あ~、そのな」


 駄目だ。

 うまく、言葉が見つからん。 

 赤池あたりだったら、適当な言葉が見つかるのだろうか。

 九条は、俺をじっと見て――


「また、余計なお世話?」


 いつかの、掃除のことが思い出された。あれも、多分そうだった。

 俺は、言葉に詰まる。

 彼女の気に障ったのかもしれない。そうだとしたら、言い訳はできない。


「……いいよ」


「――え?」


 その一瞬、言葉の意味が分からなかった。

 九条は、小さく笑っていた。

 そんな表情は、初めて見たかもしれない。


「クラスで手伝うくらいだし……余裕もあるしね。うん、とりあえず――もうちょっと詳しく話を聞かせてよ」


      ◇


 こうして――九条が、加わることになった。

 あくまで、演劇では素人。

 なので、あまり前面には出ない。

 書割りの背景。雪山の後ろで、影だけを映し出して――ヒロインに問い掛け、問い返す役柄だ。

 赦されぬ恋をした雪女の少女。

 その苦衷の葛藤を演出するには、効果的だった。音響を兼ねてマイクで音声だけを流すより、まがりなりにも同じ舞台で、言葉を交わす方が絶対に盛り上がる。

 九条の演技は、悪くなかった。

 むしろ、部長は褒めていたくらいだ。

 ――うん、思い出す。

 俺が以前、試しに台本を読んでみた時、すげえ棒読みで笑われた。それに比べても、比べるまでもなく――彼女の演技は、及第点だった。


「いやー、君ルックスもいいしね。いっそ、正式に部員になってくれないかな」

 

 何だか、怪しい勧誘のようだった。

 思った以上に真面目で、部員との関係も良好。

 ……俺も、もうちょっと頑張らないとな。裏方と言え、きちんとした仕事だ。

 演劇部の公演を、赤池がクラスで宣伝していた。


「え? 九条さんも出るの?」


「意外だねー」


 クラスの女子の反応。


「ああ、いや……」


 俺は言った。


「俺が、無理に誘ったんだ」


 彼女は悪目立ちしたくないのでは? と俺の気遣いは、杞憂だったみたいだ。


「そうなの?」


 尋ねられて、九条は頭を振った。


「引き受けた以上は、真面目にやるよ」


 一晩で、台本を全部暗記してきていた。それほどの台詞量ではなかったけれども、凄いなと思った――

「……まあ、見に来てくれれば、嬉しいかな」

 

 消え入りそうな声の九条に、クラスの女子達は好反応だった。


「うんうん、行くよ」


そんな風に言葉を交わす九条は――初めて見た。

 悪くない、と思った。

 お節介だったかもしれない。

 俺の不安は、吹き飛んでいた。

 

 文化祭、当日。

 公演は、つつがなく終わった。


 ――俺は、相変わらず知らないままだった。

 九条紗姫。

 彼女の抱えていたものを。

 

      ◇


 ――四年前。

 姉さんが、死んだ。

 わたしは、まだ小学生だった。

 事故死?

 それとも、自殺?

 その両方だったのか。

 遠くない原因は、姉さんの部活仲間。

 久我卓也と、相川翔子。裏切った恋人と、裏切った親友。

 面白くもない三角関係。恋人は、親友になびいた。その狭間で傷付いた、姉さんは――


 姉さんが、いなくなった。

 家族の間には、見えない棘が漂うようになっていた。

 誰もがそれに触れないよう、穏やかな毎日を演出する。

 真綿で首を絞められような、緩やかな息苦しさ。

 穏やかな、生き地獄。

 学校では腫物に触れられるような扱いだった。

 家族を失ったクラスメイト。

 どう接していいか、わからなかったのだろう。

 かえって、気楽だった。もう、誰とも関わりたくはなかった。


 半年が過ぎた。

 気が付けば、いつも肩口でそろえていたはずの髪は、肩にまでかかっていた。

 長い髪。

 それは、姉さんを思わせる。

 しまいこんであった姉さんの服を、着てみた。白いカーディガンに、桃色のプリーツスカート。普段ズボンを愛用するわたしには、似合わない。

 けれども、姿見の前には、確かに姉さんの面影があった。


「…………!」


 息を飲んでいたわたしは、気が付くのが遅れた。

 母さんが、そこに立っていた。

 わたしの格好を見て、目を見開いて、何かを言おうとして――言葉にならず、結局は嗚咽になった。


 わたしだけが引っ越した。

 父さんの提案だった。

 姉さんに似てくるわたしを、母さんから遠ざけたかったのか。クラスで浮くわたしに、新しい環境を与えたかったのか。

 叔母の家で世話を受けるようになった。

 中学生にあがる、少し前のことだった。

 

 中学生になった。

 誰も、わたしを知らない。わたしの境遇を知らない。

 けれども、わたしは相変わらずだった。ひとりで過ごすことに、慣れてしまった。 気の合う友人はできず、誰とも関わらない毎日。

 楽しくはない。

 けれど、辛くもない。

 無味乾燥の日常だった。


 ――一度だけ、そうではなかった。

 他人であるクラスメイトの会話。

 自分には、関係ない。

 関係ないはずだった。

 けれども、どうしても、我慢ができなかった。


「――ねえ、しきメールって知ってる?」


 クラスの女子のしゃべり声が、聞こえてきた。

 少し離れた席。

 数人の女子が耳に障る甲高い声で、楽しそうに話していた。

 しきメール。

 当時、話題になっていた都市伝説だった。その手の話題に疎いわたしは知らなかったけれど、その女子達が親切に、事細かに話してくれていた。。

 自殺を望めば、死姫という存在がやってくる。

 優しく、苦しまずに、あの世に連れて行ってくれる。

 何とも、魅力的なお話だった。


「毎日毎日、大変だもんねー」


 つぶやきながら、携帯電話をもてあそぶ女子。


「あたしもしきメールやっちゃおうかな」


「よしなよー、本当に死姫ちゃんからメール来たらどうするの?」


「あはは、そしたらメル友になっちゃおうかな」


「まったくねえ、楽に殺してくれるなら死にたいわー」


 面白半分に盛り上がるその会話に、心がささくれだった。


「毎日毎日、生きてても辛いだけだもんねえ」


「あ、でもさあ。知ってる?」


「――となり町で、本当に死んじゃった女の子がいるらしいよ?」


 彼女達は知っていたわけではない。

 わたしの境遇を、知っていたわけではない。

 けれども、我慢が出来なかった。

 無責任に、他人事のように――死ぬとか、死んだとか、そんな風に語る彼女達を、許せなかっただけだ。

 義憤じゃない。

 正義でもない。


『あんた達、楽しそうだね?』


 ただの、醜い八つ当たりでしかなかった。


『死にたいとか、誰かが死んだとか、よくもへらへら笑いながら話せるものだね』


 自分の中の苛立つ感情を、ぶつけたにすぎなかった。

 ざわめくクラス内を無視して、自分の机に戻った。

 こちらを睨み付けて去っていく彼女達を見送って――少しも、気は晴れなかった。


 ――しきメール。

 その日の夜。

 自分の部屋で、スマートフォンで検索してみた。

 方法は、わかった。

 薄暗い部屋。

 ベッドの上に寝転がりながら――


 しきメールを、できなかった。

 うずくまり、声を殺して泣いた。 


――×に××。

 心の中で、そうつぶやいていた。





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