九条沙姫6

 水無瀬と馬鹿な話をしてから、半月ほどが過ぎた。


『まあ、恋愛相談だったら何時でも乗るからさ』


 そんなことを言っていたが――多分、相談はしないと思う。



「最近、妹と遊んでるのか?」


 となりの運転席で、啓吾さんが訊いてきた。

 夜の九時。俺は夕方からの二時間程度。

 啓吾さんは、大学が休みで昼からの八時間。ファミレスでのバイトの上がり時間が重なったので、車で送ってくれることになったのだ。


「ええ、まあ」


 あの日もだったが――時折、水無瀬とは合流することがあった。

 織本とのことを思えば、何だか俺が邪魔者みたいな気がすることもあったのだが、当人達は気にしていないようだった。

 ふたりはふたりできっちり、時間を作っているらしく、三人で出会えればそれなりに盛り上がった。

 一度、赤池が加わったこともあったが、悪い雰囲気ではなかった。

 ――しかし、まあ。

 ふと、思う。

 俺の疑念は、啓吾さんとちょうどかみ合ったらしい。


「まあ、あいつはおまえらと遊ぶことが多いみたいだ」


 少し言いよどんでから――言葉にするのを迷っているようだったが、


「それは、それでいいんだが――」


 うすうすは、俺も思っていた。

 俺にとっての織本のように。

 あるいは、赤池のように。

 水無瀬なつみは、自分の通う学校で同性の友人がいるのだろうか? 織本と、あるいは俺達とつるむことが多い。それは、つまり――


「あいつ、学校にはそういう友達がいないみたいんだよな」


 啓吾さんが、話してくれた。

 今でこそ自分の母親は専業主婦をやっているが、自分達が子供の頃は共働きだった。

 自然、まだ幼かった妹の面倒は、啓吾さんが看ることとなった。

 赤ん坊だった水無瀬なつみが、最初に覚えた言葉は、『お兄ちゃん』だったらしい。

 一生懸命に面倒を見る兄を慕う妹。

 微笑ましい話だ。

 それだけで、終われば。

 幼稚園、小学生と兄である啓吾さんについて回った。

 啓吾さんの男友達も彼女を受け入れた。

 その影響か、彼女自身、クラスでも男の子と関わることが多かった。 ――異性ではなく、同性の友人のような感覚で。

 逆に言えば、本来の同性、女の子達にはなじみ切れなかったようだ。


 水無瀬なつみが小学五年生の時――彼女は、苛めにあったらしい。

 担任教師が好人物であったため、それほど陰湿にはならずに解決はした。

 水無瀬なつみに、他意はない。男の子に媚びていたわけでも、たまたまクラスで人気者だった少年と特別に仲良く映ったのも、彼女に罪はない。

 悪いのは、見当違いの嫉妬から嫌がらせに走った女子達だ。

 しかし、だからこそ、


「けど、まあ――それからは、ますます女子には、なじめなくなったらしいな」


     ◇


「変な話して、悪かったな」


 家の近くで、啓吾さんに下ろしてもらった。


「いえ、送ってくれてありがとうでした」


「まあ、これからも仲良くしてやってくれ」


「わかりました」 


 そうして、別れた。

 角を曲がれば、すぐに自宅だ。


(……あの水無瀬が、苛めになあ)


 いつも明るく、たまにうざいくらいの、あの少女に――そんな過去があったとは。意外だった。


『そりゃあ、あたし、調子に乗るし、噂話とか恋バナ好きだし、下ネタどんとこいだけどさ。やっぱり、人の死ってのを、軽々しく話題にするのはいかんでしょ?』


 いつかの真顔だった彼女が、脳裏によぎる。

 そうして、今も――いや、


『クラスで話す相手くらいは、いるみたいだけどな』


 啓吾さんは言っていた。

 彼女の通う女子校は、校風が柔らかいらしく、苛めの類いはないようだった。彼女も、それなりに馴染んではいるらしい。

 ただ、あくまでもそれなりだ。

 啓吾さんが望む形ではない。

 仲の良いクラスメイトと、放課後遊びに行くことはない。


 ――おまえ、気になる女子がいるらしいって訊いたからさ。


 九条のことだった。


 頭の片隅で、思ったらしい。その子が、妹の友達になってくれたらと。

 九条紗姫が、水無瀬なつみと仲良くなる。

 そんな光景を想像して――複雑な気持ちになった。

 クラスで孤立……というわけでもないが、彼女にはきっと親しい友人はいない。

 俺と、他愛もない言葉を交わす程度。

 赤池も時々話しかけているが、あいつはコミュ力が半端ない。誰にでも、分け隔てなく接している。

 九条だけが、特別ではない。


(あんまり、よくないよなあ)


 いつかの放課後、

 ひとり――独りで掃除をしていた姿が、思い浮かんだ。

 余計なお世話かもしれない。

 九条は、別に困ってないのかもしれない。

 ――それでも、

 俺と織本、水無瀬、そこに九条が加わる光景は――


(……悪くないよな)


 そう、思った。


      ◇


 一学期の期末試験は、どうにか及第点。

 中間の不覚を、どうにか挽回した。ほんと、ギリギリだったけどね。

 夏休みは、バイトに精を出して割と稼いだ。

 織本達と海にも言った。

 啓吾さんの引率で、一泊旅行。

 水無瀬が水着姿で、織本をからかっているのを横目に――赤池と競泳やったりしていた。……我ながら、色気ねえな。

 九条との接点は特になかった。

 二学期。

 休み明けに、彼女と当たり障りのない挨拶。

 また、いつもの学園生活。


 そうして、気が付けば十月。

 高校生活も、約半年だ。

 文化祭が、近付いてくる。

 俺のクラスは、校内の飾りつけだった。

 うちは文化部所属が多く、クラスでの出し物にはあまり力を入れられない。文化祭では、文化部は当然のように忙しいから、まあ仕方なかった。

 俺は、赤池の演劇部を手伝う。

 部員の創作劇をやるらしい。

 

 ――掟を破った雪女と、人間の男との哀しい恋の物語だ。



「うーん」


 パイプ椅子に座り、三年生の男子生徒――部長が、小さく呻いた。

 場所は、部室。

 大道具の背景を立てて、通し稽古をやっていた。

 今は、ヒロインである雪女が青年への想いを独白するシーン。彼女の葛藤に、語りかけてくる内なる声。その声は、舞台を見守る部長のとなりで、二年生の女生徒がやっていた。


「どうしたんすか、部長?」

 

 赤池が訊く。


「いや、何か物足りないと思ってなあ」


 頭をぽりぽり搔く、部長。


「……そうですか?」


 照明機器をいじっていた俺は、疑問を口にする。


「結構、いい感じだと思いますけれど」


「んー、悪くないけどなあ。ここの、内なる声……ただの声じゃなく、もうひとり舞台に立った方が盛り上がると思うんだよな」


 と、二年生の女子の先輩を見た。


「無理ですよ? あたしは音響をやりながら、どっちもやらないといけないんですし」


「……そうなんだよなあ」


 部長は、顎に手を当てた。


「部員、ぎりぎりだしなあ」


 演劇部の部員は、三年生の部長と、二年生の女子が三人。一年生は、赤池だけ。

 総勢五人。俺は、あくまで助っ人。

 それで、役者と照明と音響をやらなくてはいけない。

 少し前までは三年生が何人かいたのだが、受験のために引退をしている。部長だけは、進学しないので、まだ現役でいられるのだった。

 ちなみに、この少女マンガのような脚本は、部長作だった。


「杉島辺りに、助っ人頼んでみるかあ?」


「先輩は、今追込みでしょう? 頼みづらいですよ」


「だよなあ」


 雪女役の女生徒に言われて、頭を抱える部長。


「いいじゃないですか、高倉先輩。この人数で頑張りましょうよ」


「…………」


 俺は、ふと思い当たった。

 少し考えてから――

 まずは赤池だけに、小さい声で提案した。


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