九条沙姫4

 その日は、中間試験明けの放課後。


 俺と織本は連れ立って、学校の廊下を歩いていた。

 今日は軽く昼メシでも食ってから、カラオケにでも行こうと約束していた。

 食う場所は、お手軽ハンバーガーショップで、カラオケは美味いとは言い難いドリンクバー付きの格安店。

 そんなプランでも、上機嫌だった。

 何せ――


「ああ、素晴らしい」


 世界が輝いて見える。

 世界は、こんなにも美しかったのか。

 テスト期間という精神の牢獄から解放された俺は、まさしくこの世の春だった。足取りも軽い。調子付いて、階段を踏み外しそうになった、危ない危ない。

 ちなみに、試験の結果は気にしない。

 気にしないったら、気にしない。


 ――期末試験は、本気でやらないとヤバいな~。

 頭の片隅が、冷静に囁いた。


 まあ、今日くらいは忘れていたい。

 思えば、中学受験の頃は織本と競い合えたものだ。

 織本は、全教科問題なしのようだ。むしろ上位を狙えるくらいだ。

 俺はと言うと――赤点は逃れたものの、数学と英語が絶望的。言葉通り、本当に赤点(30点)はどうにかなるぎりぎりの一線であろう。

 優等生と劣等生、いったいどこで差が付いた。


(まあ、普段の勉強の違いだろうな)


 織本は真面目だ。予習復習も欠かさない。クラスは違うが、きっと授業もきちんと受けているのだろう。俺は睡魔と格闘したり、ぼんやりと空を眺めたり、ノートの片隅にパラパラ漫画を描いていたり、そんな感じ。

 たまの織本との勉強会も、気が付けばゲーム大会と化している。

 ん~、さすがに見直した方がいいな。

 またそんなことを思った矢先に、


「はて」


 何気なく制服の内ポケットをまさぐって、気が付く。スマフォがない。やべえ、教室に忘れた。


「悪い、織本。先に校門行ってて。俺、スマフォ取ってくる」



 織本と一旦別れて、教室に戻る。

 そこには、九条がいた。

 独りで、黙々と掃除をしていたのだ。


「……九条?」 


 おかしい。

 掃除当番は四班に分かれて、ローテーションとなっている。

 独りで掃除というのは、ありえない。

 ……これは、あれか。

 掃除当番を押し付けられて、帰ったという――漫画とかでよくある、陰湿なシチュエーションと言うやつか。


 おいおい。

 少し、頭に血が昇る。

 よくないだろう、こういうのは。

 担任に報告か?

 いやいや、すっぽかした奴らをとっつかまえて説教か?

 けれど、そもそも俺がそんなことをしても余計なことか。

 それより、九条に何か言葉をかけることが先決だ。

 しかし――


「え、えーと。あのな~」


 何か、上手い言葉が見つからない。床を掃く手を休めて、怪訝そうに俺を見つめてくる彼女。

 な、何か言わなくては――


「そ、そのな九条?」


 元気出せよ、とか。虐めには負けるな、とか。俺が味方になるぞ、とか。

 多分そんな感じのことを言いたかったのだと思う。


「あのね、城阪君」


 その前に、九条に口を開かれた。


「もしかして、妙な誤解してない?」


「は?」


「一応言っておくけど、無理矢理押し付けられたわけじゃないから。普通に、当番の子達に頼まれて、了解しただけだから」


「あ~、あ……そう」


 肩透かしを食らう。

 ちょっと、恥ずかしかった。


「だからって、ひとりってのは無理過ぎないか?」


「そうでもないよ」


 箒を動かしながら、九条。


「あとは、後ろ掃いて軽く雑巾がけで終わりだから」


 椅子を乗せられた机は、前に動かされている。教室の前の掃除は終わっているのだろう。


「何か、みんなは映画の時間があるらしくてね。途中までやっていって、残りを任されたってこと」


「そっか」


 まあ、苛めとかではなかったのか。

 それは、勘違いでよかった。

 けれども、


「あたしは、特に予定もないしね」


 他人事みたいに、九条。

 他の皆は予定があって、早帰り。九条は残って掃除を続ける。

 その光景は、あまり好ましくない。

 別に、これは俺の勘違いでもないだろう。


「仕方ないな」


 教室を歩いていき、自分の机から、スマートフォンを取り出す。この前買い替えたばかりの、真赤なデザイン。ささっとアプリを起動して、織本にメール。

『すまん、一五分ほど時間かかる。待っててくれ』

 それから、教室の片隅にあった雑巾をかけたバケツを手に取った。


「ん?」


 怪訝そうな九条に、


「手伝う」


 俺は言った。


「別にいいよ」


「いや……何か、落ち着かねえし。俺が勝手にするだけだから。気にしなくていい」


「……好きにすれば?」


「ああ、そうする」


 九条が掃いて、俺が雑巾がけ。終わってからは、前に片付けた机を戻して、上げていた椅子を下ろす。


「どうしたの?」


 二個目の椅子に手をかけたところで、声。

 見ると、入り口近くに織本が立っていた。


「あ、わりい。すぐに終わるから」


「んー、僕も手伝うよ」


 織本が教室に入ってくる。


「すまねえな」


 素直に厚意に甘えることにした。

 数分ほどで、掃除は終了。


「ねえ、城阪?」 


 意味ありげに、織本が目くばせしてくる。

 その様子に、気が付く九条。


「もしかして誤解されてるかもしれないけれど、別にいじめとかそういうのじゃないからね」


 二度目の説明。

 少し、呆れている様子だった。

 それから、後ろのロッカーに上に乗せていた鞄を、手に取る。


「君達、甘いのは好き?」


「ん? まあ、嫌いじゃないけど」


「僕も」


 答える俺と織本に、九条は鞄から取り出したものを放ってきた。小さな箱、一個ずつ。お菓子の箱だった。


『ねこさんのマーチ』


 猫のイラストが描かれたクッキーの中に、チョコレートが入っている。割と、好きなお菓子だ。


「こいつは?」


 尋ねる俺に、九条はもう一個鞄から同じお菓子を取り出して見せた。


「頼まれたって言ったでしょ? 他の当番の子達から、きちんとお礼はもらってるの」


「……あ、ああ。そうか」


 やっぱり、俺のしたことは的外れだったんだろうか。

 余計なお世話だったかもしれない。

 そう思うと、ちょっと複雑だった。


「でも、まあ。手伝ってもらったことは、ありがとう」


 ぶっきらぼうながら、九条はそう言った。

 言ってくれた。


「あー、どういたしまして」


「ん、じゃあね」


 軽く手を振って、帰ろうとする九条。

 俺は、思わず引き止めていた。


「あ、あのさ」


「何?」


「俺ら、これからメシ食ってカラオケ行くんだけど、おまえも行かない?」


「……え?」


 九条の顔に、戸惑いが走った。

 うわ、まずったか。

 さっきとは違う。

 これは、さすがに図々しいと言うか、唐突過ぎたかもしれない。

 うろたえる俺に――九条は、小さく笑って見せた。


「ごめん、カラオケとか……そういうのはあまり興味ないんだ」


「そ、そっか」


「誘ってもらえたのは、ありがと。それじゃ、またね」


 今度こそ、九条は帰って行った。


      ◇


「ねえ、城阪」


 学校を出て、織本と歩く。

 俺に訊いてきた。


「さっきの子と、仲いいの?」


「えあ?」


 突然の言葉に、思わず呻きが漏れた。


「あ、イヤだったら無理には訊かないけどさ」


 もしかしたら、俺はよくない感情を顔に出してしまったのか。織本は、口を濁す。


「んー」


 俺は腕を組んで、考え込む。


「そう言われてもなあ」


 改めて訊かれると、戸惑う。時々言葉を交わす程度だ。


「ん、あまり気にしないで。ただ……ちょっと思ったんだよ。人付き合いとか、苦手そうな子かなって……」


「ああ、それはあるかもな」


 言うまでもなく、九条は愛想がよくない。クラス内でも、いまいち馴染めていないようだった。ちょっと出会っただけで、織本も察したようだ。


 ……あまり、よくない傾向かもしれない。

 いや、別に小学生じゃあるまいし、みんな仲良くなんてノリは求めていないけれども――俺や赤池くらいとしか、九条は話さない。それもこちらが振った話題に、相づちを打つ程度だ。

 それは、よくない感じがした。


「なんか、面白い話題だねえ」


 その時、背中から声がかかった。

 俺と織本は振り返る。


「やはー」


 そこには、ひとりの女子が立っていた。長い黒髪を左右で縛った、小柄な女生徒。

 他校の女子校の制服。

 織本の彼女で、俺にとっては顔見知り。

 水無瀬なつみだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る