九条沙姫2

 九条紗姫が、クラスメイトに意見した。

 そんな小さな事件。

 その日をきっかけに、俺の状況は大きく変わった。

 俺の意識も変わった。

 現状の不満。現在の鬱屈。

 流されるだけではなく、気持ちをぶつけることにした。

 織本と今の関係は嫌だった。そこまでして進学校になんぞ行きたくもない。織本と仲直りをして、一緒の高校に進学したい。


(……織本と話し合おう)


 そう、決めた。

 もっとも、その日の夜にもっと大きな事件が起こり、それどころではなくなった。

 織本が、行方不明になったのだ。

 夜の十時半頃、織本の母親から家に電話があった。

 いつもならば十時前には帰ってくるのに、まだ連絡もない。心配して携帯電話にかけてみても、つながらない。と、いうことだった。

 心当たりを訊かれたが、当然なかった。

 電話が切れたあと、織本の携帯電話に俺もかけてみた。呼び出し音が鳴るだけで、つながらない。


 嫌な予感がした。

 しきメール。

 昼間の、女子どもの話題がどうしてか――頭によぎる。


「母ちゃん、俺少し出てくる……!」


 夜の街に飛び出した。



 ゲームセンター。

 本屋。

 通学路。

 心当たりのありそう場所を、がむしゃらに回った。

 織本は、見つからない。


「くそっ」


 駅前で毒づく。

 その時だった。

 不意に近づいてくる車。俺の目の前で、止まった。


「えっと――城阪君?」


 助手席の窓を開けて身体を乗り出してくる、ひとりの少女。

 記憶を探る。どうにか、思い出す。確か、織本のクラスメイトで――水無瀬とか言ったはずだ。


「もしかして、こー君を捜してるの?」


 あだ名で呼ぶと言うのは、結構仲がいいのだろうか。

 俺自身、最近の織本との関係を思うと、少し複雑な気分だった。

 もっとも、今はそれどころじゃあない。


「……ああ」


 肩で息を整えながら、俺は頷く。


「とりあえず、君も乗れ」


 運転席に座っていた男の人が、声をかけてきた。大学生くらいだろうか。背が高くて、かっこいい。


「こんな時間に、中学生が出歩くのは感心できないぜ」


「すんません」


 言葉に従って、後部座席に乗り込む。携帯電話を取り出すと、時間は夜の十一時を回っていた。しかも、何度か着信の形跡があった。

 俺の家からだった。

 まあ、当然か。


「…………」


 少し迷ってから、かけ直す。

 ワンコールでつながった。

 同時に、電話口の向こうから大声が飛んでくる。


「うおう」


 咄嗟に耳を離す。しばらくお袋から怒鳴り散らされるのを、おざなりに頷き返す。


「あ、ああ……ごめん、ごめんって」


 ようやく落ち着いてきたようだ。


『それで、織本君見つかったの?』


 話題が、どうにかそこにたどりつく。その声には、確かに織本を心配する色があった。

 ほんの昨日も、織本相手に負けるなと俺に言っていたその口が。

 少しだけ、ほっとする。


「……いや、まだ見つからねえ」


『そう』


 俺の家にも、あれから連絡はなかったようだ。織本の親御さんも、捜しているのだろう。

 その現状に、胸が痛くなった。

 まるで、ああ――俺達が、織本を追い込んだ、追い込んでしまった、そんな構図が出来上がっていた。それは、ただの思い込みだったのだろうか。


「……一度、帰るよ」


 そう言って、電話を切った。

 軽く溜息をつく。

 顔を上げると、水無瀬と男の人がこっちを見ていた。


「あ、あの……騒いですいません」


「いや」


 男の人が頭を振った。


「気にするな」


 それから、傍らの水無瀬に、


「なつみ、お前も一度母さん達に連絡入れておけ」


「……兄ちゃん」


 物言いたげな、水無瀬。

 彼は、どうやら水無瀬の兄さんのようだった。


「もう一度、軽く近くを回る」


 その提案が、妥協らしい。


「そうしたら、お前は送っていく」


 そして、俺にも視線を向ける。


「君もだ」


 静かに、言い切られた。


「あとは、警察に任せよう」


 静かな目で、見据えられた。納得はできない。できないけれども、


「……わかりました」 


 結局は、そう頷くしかできなかった。


 織本が救急車で運ばれたと連絡があったのは、次の日の朝六時前だった。


 逸る気持ちを抑えて、次の日の放課後。

 織本が入院している病院へと、向かった。

 手前の自動販売機で買ったスポーツドリンク。

 それをみやげに、病室へ足を踏み入れた。

 

 その病室には、織本しかいなかった。

 ベッドの上で、時間を持て余しているみたいだった。


「よ、よう」


 思い切りバツが悪かったけれども、何とか声を振り絞る。


「城阪?」


 驚いたような織本の顔に、うまく言葉が見つからない。


「具合、どうだ?」


 どうにか、絞り出す。


「……うん、過労だってさ」


「そっか」


 微妙に視線を逸らしながら、手近な椅子に座る。背負っていたバックを足元に置いた。


「ほらよ」


「え?」


 俺が唐突に突きつけたスポーツドリンクに、織本はきょとんとした表情になった。


「しけてるけど、見舞いだ」


「あ、ありがとう」


 どこか戸惑いながらも、受け取ってくれた。

 織本が、俺ををまじまじと見てくる。


「……な、何だよ?」


 その視線に気が付いて、身体をふるわせた。


「いや……別に」


 会話が、たどたどしい。

 ぎこちない。

 本当に、居心地のいい言葉が出てこなかった。

 どうにかこうにか会話を続けて、俺は立ち上がる。


「そろそろ帰るわ」


「あ、うん」


 いや……まずい。

 このまま帰ってしまったら、意味がない。

 一番言わなくてはいけないことを、まだ言っていない。


「……なあ、織本」


 背中は向けたまままで、足を止めた。


「お互い、志望校変えねーか?」


「え?」


 織本の意外そうな声。

 俺は、頑張って続けた。

 このことだけは、言わなくてはならないと思った。


「いや……推薦めぐって、お互いぎすぎすしちまっただろ? なんかなーと、思ってよ」


 それだけは言うと、俺はカーテンを閉めて出て行った。



 それが、今回の顛末。

 それからは両親を説得して、担任に意志を告げて、志望校を変えた。

 織本と同じ学校に合格した。


 残念なことに、クラスは別々になってしまった。

 発表されたクラス割にがっくりしていた矢先――


「……あ」


 同じクラスに、彼女の名前を見つけたのだった。

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