あわいのかたり~にせむらさきひめ8

 ――ねえ、むらさきひめって知ってる?

 そんな噂話、どこかで誰かが囁いた。



 幸福の総量は、決まっている。

 誰かに多く配分されれば、他の誰かはそれだけ少なくなる。

 不公平じゃないか。

 だから、少しくらいいいじゃないか。

 あの子は、恵まれている。

 親友の少女。

 可愛らしく、頭もよく、クラスの人気者。

 羨ましかった。

 妬ましかったんだ。

 あれだけ幸せなのだから――ほんの少しくらい、自分に分けてくれてもいいじゃない。

 そんな身勝手な考え。

 真っ黒い少女の誘いに、わたしは乗ってしまったんだ。

 後悔しても、もう遅い。

 その報いを、受けるしかない。


 ――でも。


 それは、自分だけでいいじゃない?

 親友の彼女には、関係ないじゃないの?



「だあめ」


 耳まで裂ける口で、ぬらりと少女は笑った。

 助けなど来ない、真っ暗い絶望の路地裏。

 わたしと親友を追い詰めて、血塗れの少女がこの上もなく嬉しそうに笑っていた。


「ふた~りとも・コロスのよ。ふたりと~も、死んでもらうのよ」


 わたしは親友を抱きしめる。

 わたしの代わりに怪我を負って意識を失っていた。なんて、馬鹿なんだろう。こんなわたしを庇うなんて、大馬鹿だ。

 そして、わたしはそれ以上に大馬鹿で、救いようがない。

 こんなこと、望んでいなかったの。


「…………っ」


 ほんの少し、嫉妬しただけなの。

 死にたいなんて、死んでほしいなんて――思うわけがなかった。


「あ・な・た~が悪いのよ? えへえへえへえへえへ~」


 長く伸びた首をだらりと傾げて、


「さあ~、殺しましょう。ささあ~、死にましょう」


 壊れた笑顔で少女が笑う。

 けらけらけら、けたけたけた……と。



 ――お願い。

 こんなこと、今更願うのは虫がいい。

 けれども。

 ねえ、お願い。

 誰か、助けて。


(……助けて!)


 わたしは、どうなってもいいから。


「お願い! ねえ、わたしはいいから」


 わたしは、殺されてもいいから。

 だから、この子だけは。親友だけは――助けて!

「理紗だけもでいいから……誰か、誰か、助けてよ!」


 わたしの叫びに、


「悪いけど、お断りだね」


 答える声が、あったのだ。


      ◇


 自分はどうなってもいい。

 この子だけは助けてほしい。

 そんな悲痛な叫び。

 すげなく、あたし――柏崎橙子は否定で返す。

 受け入れるわけにはいかなかった。


「あんたが死んだら、その子はずっと苦しむよ?」


 背中に庇った茫然とする彼女に、あたしは続けた。


「それに、このきっかけはあんた自身でしょ? だったら生き延びて、巻き込んだその子にきちんと謝るんだね」


 陰摩羅鬼の羽根を広げ――

 それは、またもヒトを殺す怪異。

 楽しんで、嬉しがって、ヒトを殺す怪異。

 あたしの敵。

 ――あたしが決めた敵に、黒塗りの太刀を突きつける。


「ひとりだけじゃない。あんた達どっちも、あたしが助ける!」


 殺させない。

 死なせない。

 あいつらの好きになんて、させるものか。


 ――何時の頃からか、語られる噂話があった。

 刀を手にした、妖しの少女。

 ヒトを殺す怪異より、ヒトを護る人外の救い手。


 ……それは、きっと。

 あたしの呼び名じゃない。

 相応しいのは、あの子のはず。

 けれども、いつか。

 あの子に再会した時に――少しは、笑顔で向かい合えるだろうか。

 死姫と呼ばれた頃の自分ではなく、怪異と戦い続けてきた自分なら。


 吠えて、飛び出す。

 幸せ貸しの少女。

 そう呼ばれた怪異に、あたしは斬りかかる。



 ――ねえ、むらさきひめって知ってる?

 そんな噂話、貴方も聞いたことがありますか?

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