あわいのかたり~にせむらさきひめ7

 一際大きな奇声を上げて、影子さんが十本の腕を伸ばしてきた。

 右に跳んでかわし、かわしきれなかったものを、振り上げた一閃で斬り捨てる。


「……はあっ!」


 身体をひねり、振り下ろす。

 叩き付けるような一刀。

 影子さんの正面に、斬りかかる。

 けれど。


 ――浅い。

 手応えが、足りなかった。

 必殺には届かず、あたしの一刀を加えこんだまま、無事だった手をぐにゃりと伸ばしながら、背中から掴みかかろうとしてきた。


「…………っ!」


 舐めるな。

 あたしは、黒い翼を大きく広げる。轟、と羽ばたかせて。

 その勢いがあたし自身を前方に、押し出した。刀の切っ先を見据えて、その一点に意識を集中。

 加速して、疾走する。

 相手のうねる腕の群れを薙ぎ払い――

 その先に、影子さんを貫いた。


      ◇


 怪異の元凶を倒したからか。

 引きずり込まれた被害者達は、元の教室に戻った。

 取り残されていた気弱な少女は、半泣きになりながらひとりの少女に抱きついた。

 抱きつかれた彼女もまた泣きだし、男子達は喚きはしなかったものの、大声で互いの無事を喜び合っていた。

 そんな光景を――


 あたしは今、外から眺めている。

 陰摩羅鬼の羽根で空中に停止しながら、眺めていた。

 それ以上関わるのは、気が乗らなかった。

 助かったのだから、それでいい。


「…………!」


 全員の無事を確認して、とりあえず安心すると――そのまま上空に飛んでいく。

 そして、向かう先は屋上。

 そこに、感じ取る気配があったのだ。

 どこか懐かしく、けれども、不愉快な気配。

 それは、ひとりの少年の姿を取っていた。


「今夜は、月がきれいだね」


 そいつは、馴れ馴れしげに声をかけてきやがった。

 青ざめた月の光。

 あたしは、すぐに視線を背けた。

 射抜くのは、その凶津(まがつ)。

 黒いスーツ。外見は、二十ほどの青年。やせ気味の長身で、なかなかの二枚目。けれども、不吉そのものを孕んだ――禍々しい存在だった。


「あんたか?」


「何が?」


 あたしの敵意を込めた声を、あっさりと受け流す。どこか愉しそうな様子。それがまた、癇に障る。


「さっきの怪異……あんたの仕業か」


「濡れ衣だな」


 そいつは、笑う。

 見下したように、笑う。


「俺は、少し形を与えただけだ。そこに関わって、完成させたのは彼ら自身だぜ」


 悪びれもせずに、言い放つ。

 相も変わらず。

 以前出会ったそのままだった。

 そいつは、そういう存在だった。

 怪異を生み出し、放置し、そこに関わるのは――被害者自身の愚かさだと言い捨てる。

 犠牲者任せの、気紛れな悪意。

 悪意とも言えない、ただのお遊び。

 かつて、死姫の始まりを撒き散らしたことも――そいつにとっては、そんな程度だったはずだ。

 あたしの苦悩も、あたし達の哀しみも、何もかも、そいつにとってはその程度だったはずだ。

 それが、我慢ならない。


「……ふんっ!」


 距離を詰めて、斬りかかる。

 いとも簡単に、切り裂かれて。

 そいつは、溶けるように掻き消えた。



「――いきなりだな」


 そして、あたしの背後に何食わぬ顔で立っている。


「無駄だぜ? 今の俺は、ただの影。いくら攻撃しても、無意味なだけだ」 


 その挑発に、あたしは乗らない。

 予想の範疇であったからだ。

 ただ、そいつの姿が気に入らなかったら薙ぎ払っただけのこと。

 あたしの無言をどう解釈したのか――そいつは、言葉を続ける。


「それにしても、意外だったね。柏崎橙子。死姫と化して、地獄と言う想念の渦に取り込まれたはずの君が……またこうして、現世に戻ってくるなんてね。しかも、正義の味方をするなんてね」


「正義の味方?」


「違うのか? 無慈悲な怪異から、被害者を颯爽(さっそう)と助ける――かっこいい正義の味方じゃないか」


 亀裂のように、笑った。


「まるで、彼女みたいだったぜ」


「そんなつもりもないわ」


 誰かを護ろうとか、助けようとか……そんな感情、あたしには似合わない。

 こいつらのような怪異の、思うとおりにさせることは――我慢ならなかっただけだ。



 ――彼女。

 そいつが言ったのは、あの子のことだったのだろうか。

 本当に優しくて、愚かなほど甘くて、あたしなんかの為に涙を流した……紫の姫。


 あたしはとても、あの子にはなれない。

 あたしなんかでは、届かない。

 あたしでは、きっと。

 ……あの子の、にせものだ。



「何だよ? 黙ったままか。つまらねえの」


 だんまりのあたしを前に、そいつは顔をしかめた。

 少しだけ、溜飲が下がる。

 あの子への感情。

 あたしの中の、紫姫への感情。

 そいつなんかの前で、少しだって言葉にはしたくなかったのだ。


 あたしは、背中を向ける。

 もう、そいつに用はない。

 とりあえず今夜は、これ以上は無害のはずだ。

 そもそも、そいつはただの影。

 本体に、あたしの刃は届かない。

 これ以上、言葉を交わすつもりなかった。


 ――陰摩羅鬼の残してくれた黒い翼で、あたしは夜空に舞い上がった。


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