あわいのかたり~にせむらさきひめ6

 まとわりつく薄闇の中を、駆けていく。

 

 それにしても――

 頭の片隅で、思う。

 誰かを助けるために、あたしはここに踏み込んだ。

 まったく、ガラではない。

 苦笑が漏れた。

 そんな行動――あの子にこそ、相応しいのではないだろうか。

 あたしには、不釣り合いすぎる。


「……っ」


 そんな思考は無視されて、その光景に出くわした。

 影子さん。

 そう呼ばれる怪異。

 被害者の影自身が、凶悪な化け物と転じる。だから、逃げることは不可能。そんな前提の鬼ごっこ。

 廊下の片隅に追い詰められた犠牲者五人。それぞれの影が伸び上がり、化け物と転じて今にも襲い掛かろうとするところだった。

 泣き叫ぶ被害者の少年少女達。

 怯えて縮こまる様子を前に、そいつらは笑っていた。

 本当に、楽しそうに。

 怪異は、笑う。


 その光景に――はらわたが、煮えくり返った。


 怒り。

 激情。

 頭から全身を貫いたのは、そんな感情。


(そんなに、楽しいのか?)


 ――あんた達は。

 追い詰めて、追い込んで、嬲り、弄んで――殺す。それが、そんなに楽しいのか。

 ふと、頭の片隅で思い出す。

 生きていて、辛かった頃。

 まだ、あたしがヒトであった頃。

 苦しかった。

 心が、痛かった。

 毎日が息苦しくて、救いなんて見えなかった。

 だから、もう。

 死ぬしかないと思った。

 思い込んで、しまった。

 あたしも、あたしが手を引いてしまった人達も。

 それは、とても哀しいことだった。

 後悔している。

 今更、どうしようないことだけれど。


 ――だけど。


 それを、笑うことは赦せない。

 赦せる、ものか。

 いつかも笑っていたあいつを、思い出す。そいつは黒ずくめの、不吉そのものを塗り固めたような青年だった。

 そいつは、あたしに誘いかけて、死姫へと引きずり込んだ。

 そんなあいつも、笑っていたのだ。

 ヒトを殺す怪異。

 ヒトを見下し、心を嘲り、命さえも奪い取る。


 ああ……そんな怪異を――赦せるものか!



「…………あああっ!」


 あたしは、吠えた。

 そのまま、無謀にも突っ込んでいく。

 手近の一体。

 あたしは掴みかかった。ひとりの女子から引き離そうとする。その影子さんを始めとして――残り四体。

 全部で五体の彼女達が、あたしに意識を向けてきた。敵意の牙を、こちらに向く。

 今更ながらに、思い出した。


 今のあたしは、丸腰だ。

 かつてに手にしていた、黒い日本刀。

 あの子とは違い、一度たりとも名前で呼ぶことなんてありはしなかった。

 あの地獄に落ちた時より、手元になかった。

 迂闊だった。

 そんな状態で、『影子さん』に挑むつもりだったのか。

 あっさりと、当然に。

 影子さん達にまとわりつかれて、全身を乱暴に締め付けられる。なすすべもなく、影の泥に引きずり込まれていく。


「……あ、ぐう」


 意識が遠のいていく。

 泥沼の中に、沈んでいく。

 あたしは、このまま影子さんに食われていく。

 ……ちくしょう。

 そう思った矢先。


 背中が、爆発した。


 その瞬間、そうとしか思えなかった。


「……?」


 肩が、熱い。

 肩越しに、背後。


「…………」


 視界の片隅に、確かに見えた。

 それは、黒い翼だった。

 陰摩羅鬼と呼ばれた妖怪が、生やしていた羽根だった。

 それが、あたしの背中から生えていたのだ。影子さん達を吹き飛ばして、悠然と広がっていたのだ。


 そして、続く。

 頭上から、何かが降りてきた。

 鋭く舞い落ちて、あたしから引きはがされて、またも襲い掛かろうとしてきた影子さんを打ち払ったのは――

 足元に、刃(やいば)突き立つ一振りの日本刀。

 あたしはそれに、手を伸ばす。



 ――かつて、あたしが死姫だった頃。

 共に在ったふたりだった。

 紫姫(しき)と呼ばれたあの子に似て、けれども、決してそうでありえなかったあたし達。

 そうであっても。

 今この場においてまた、共に在るふたりだった。

 交わす言葉はなくとも、その名を知ることはなくても。

 確かに――ここに在ってくれたのだ。


 少し哀しくて、少し寂しくて、

 ――ほんの少しだけ、泣きたくなった。

 心の片隅に、ほんのりと温かい。

 あたしは、小さく笑っていた。


 右手に握りしめ、突きつける――黒塗りの刀身の、日本刀。

 これならば、立ち向かえる。



「せいっ」


 振り払う、一刀。

 銀の軌跡が衝撃となって、その女子から『影子さん』を吹き飛ばした。 

 被害者の影から切り離されて、あっさりと壁に叩き付けられた。

 まずは、一体。


「……え? あ」


 茫然とへたり込む、たった今あたしが救った女子を無視して、次に狙いを定める。

 黒い姿に、耳まで裂けた真っ赤な口。

 食い殺そうと別の男子に襲い掛かる『影子さん』。それもまた、薙ぎ払う。

 三体目、四体目。

 五体目。

 全ての影子さんを、撃退。

 これで、一安心。


「……ふう」


 軽く溜息をつく。

 まだ、終わりではなかった。


「……あ、ああ」


 ひとりの男子が、あたしの背後を振るえる指で示した。

 その先を、振り返る。

 薙ぎ払った影子さんの欠片が寄り集まり、うぞうぞと蠢きながら、不恰好な化け物を作り出していた。

 合体し五体が、それぞれ二本ずつ。手足を無茶苦茶に生やし、十個の血走った瞳で睨み付け、十の口で奇声の不協和音を上げていた。

 黒いヘドロの、醜く、禍々しい、おぞましき影細工。


「う、うわああっ!」


「きゃああっ!」


 たまらず悲鳴を上げる、彼らと彼女達。


「これで、懲りたでしょう? もう二度と馬鹿な真似しないことだね」


 あたしは、静かな声で言い放った。


「とりあえず、今回は助けてあげる」


 腰を落として、刀の切っ先を狙い澄まして――構える。



 巨大化した怪異の前に、あたしは立ちはだかった。

 

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