あわいのかたり~にせむらさきひめ5
暗い、暗い、どこまでも続く道。
鬱蒼とした森の、塗り固めた闇の壁。ねじれて続く一本道を、駆け続けた。
少しずつ、明るくなってきた。
立ち込めていた靄が、少しずつ晴れていく。
やがて視界に広がったのは、どこかの学校だった。夕暮れの時間帯に、どこか不気味に浮かび上がる校舎。
物悲しく、遠くでカラスが鳴いている。
見覚えがあった。
思い出す。
そこは、生前のあたしが通っていた学校だった。
中学二年生まで、通っていた中学校。
今更、こんな場所に辿りついて――何をしろと言うのだろう。何をすれば、いいのだろう。
行く当てもない。
やるべきこともない。
あたしは、しばらくの間そこに居つくことにした。
数日が過ぎた。
時間感覚はどこかあいまいで、体感にしてほんの数時間にも思えるし、一カ月以上にも感じられた。
今のあたしは、どんな状態なのだろう。
死んでいるはずだから、幽霊か。そうだとしたら、成仏できない地縛霊か。それとも、彷徨う浮遊霊というやつだろうか。
そんなあたしが何をしているかと言えば――何もしない。
ただ漫然と、学園生活を眺めているだけだ。
悪霊のように悪さをするわけでもなく、ただ無害にそこにいるだけ。時折勘の鋭い人間は、あたしの気配に気づくようだけど、そんな時は静かに去っていく。
無害で、無意味。
あたしは、そのような存在だった。
あたしが失った日常の光景。
目にしても、特に哀しいとも思わず、妬みのあまりよくない感情に駆られることもなかった。
ただただ、虚しいだけだった。
あたしは、空っぽなままだった。
◇
夜の校舎を、独り歩く。
昼間とは違って、誰もいない。
どうせ誰とも関わらないのだから、この方がせいせいする。
薄明りが差し込み、廊下を青白く照らしていた。
「…………?」
ふと、声が聞こえた。
向かってみる。
数人の人影が見えた。男子が四人と、女子が三人。こんな夜中に、何の用があるというのか。
様子を見てみる。
ひとり、気弱そうな女子生徒に視線が向かった。その他の面々は、どこかはしゃいでいる。どこか、遊び感覚だった。
「ねえ、本当にやるの?」
「当然だろ?」
髪の短い活発そうな女子に、そこそこ二枚目の――どこか軽薄そうだった――男子が応える。
「影子さん鬼ごっこ、やってみようぜ」
それで、理解した。
彼らの目的。
あたしは思わず溜息をつく。
昨日辺りに耳に入った噂話だ。よくある学校の怪談。都市伝説かもしれない。
頭の片隅で、かつて自分が関わったしきメールの都市伝説を思い出す。
変わらない。
影子さん、影子さんおいでください。
深夜十二時、学校の教室。
懐中電灯で自分の影を照らしながら呼びかける。
呼びかけに応えて、影子さんが、自分の影から姿を現す。
今となっても、その手の怪談は語られる。
飽きれるほどに。
呆れるほどに。
本当に、変わらない。
あたしが生きてきた頃と、変わらなかった。
たくさんの眉唾の中に、数少ない本物を紛れさせて。
影子さんの、怪談。
――そうして、それは本物だった。
ぞわり、と背中がそそけだった。
怪異が起こる、独特の感覚。
噂の通り、自分達の影がふくれあがり、化け物じみた姿となって――彼ら自身を呑みこんでしまう。
「…………!」
あたしは咄嗟に飛び出して、ひとりの女子を庇った。抱きかかえて、影から離れる。呑み込み損ねた影は、あっさりと引き下がった。
教室に残ったのは、あたしと――気弱そうな女子だけだった。
「……え? あ?」
へたりこんだ少女は、彼らの消えた跡と、あたしを交互に見比べる。
あたしが触れたせいかもしれない。
見えなかったはずのあたしが、今は見えていた。
「影子さん……本当に呼んだみたいだね」
「……わたし、どうして? ……貴方が、助けてくれたんですか?」
「まあね」
「どうして、わたしだけ……?」
「あんたは、無理矢理付き合わされたんでしょ?」
先ほどのやりとりで、わかった。
彼女だけが、浮いていた。乗り気ではなかったのだろう。
だから、気が向いて助けたのだ。
他の奴らは、助けるつもりにはなれなかった。
「さっさと帰りなよ」
「……そ、そんな」
彼女は、泣きそうな顔になる。
言葉にしなくても、言いたいことは伝わってきた。
「仕方ないわね」
あたしはもう一度、溜息をついた。
気は進まなかった。
けれども、確かに――
自分だけ助かって、それで満足できるわけもない。
教室の中にわだかまる夜闇。その中に、向こう側への入り口は――確かに、見えた。
「助けてきてあげるわよ」
あたしは、足を踏み入れた。
◇
ガラでもない。
そう思った。
頭のどこかで、冷めている。
怪異に引きずり込まれた子供達。
興味本位の怪談に面白半分に首を突っ込んで、自業自得。
それほど、本気でもなかった。
影子さんの鬼ごっこ。
呼び出した影子さんから逃げ切れば、ひとつだけ望みを叶えてもらえる。
(……くだらない)
あたしは、そのオチを知っている。
追ってくる影子さんは、自分自身の影法師。
だから、当然に逃げ切れるわけがない。
哀れな犠牲者は恐怖の中、へとへとになるまで追い掛け回されて、最期には喰われて死ぬ。
そんな救いのない結末が、待っている。
影子さんは実在した。
だったら――その光景が、現実のものとなるのだろう。
自分でも、わからない。
自分のことが、わからなかった。
それを考えると、頭が熱くなった。
闇の深さを増した、夜の校舎。
そこは、怪異の巣窟。
犠牲者を怖がらせて、嬲って、弄んで――殺していく怪異の胃袋。
「…………っ!」
自分でも、わからないれど。
その事実に――どうしてか、苛立っていたのだ。
気に入らなかった。
面白くなかった。
腹が立っていた。
気が付けば、あたしを突き動かす感情は――怒りだった。
滑稽だ。
かつて、死姫と呼ばれていた自分が。
誰かを引きずりこみ、殺そうとしていた自分が。
そんな自分が、今。
誰かを殺そうとする怪異を――赦せなかったのだ。
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