うたかた
風が吹く。
薄桃色の花びらが、透き通る青空の中で、舞い躍る。
星が瞬く。
薄墨の空で、きらきらと輝く。
木々が色づく。
茜色の空の中で、真っ赤に映える。
雪が舞う。
銀色の世界で、白い花が咲き誇る。
いつか見た光景。
そうして、いつか聞いた声。
どこかで聞いた、誰かの唄。
寂しいけれど、温かい、そんな唄でした。
◇
気が付くと、
また、風が吹き抜けました。
一瞬だけ、この灰色の世界にも、綺麗な色の花びらが舞い踊ったのは――わたしの気のせいだったのでしょうか。
何時の間にか、
積み上げた石が、わたしの背丈を少しだけ越えていました。
「赦されたみたいだね」
わたしのとなりで、少年の姿をした紫路が笑います。
「……赦された?」
わたしには、意味がわかりません。
だから、聞き返します。
「九条真姫を縛る鎖が、消えたってこと。紫姫っていう鎖がね」
「…………」
「その塔に触って、自分の名前を名乗ってみなよ。この川を渡る橋が、かかる。その橋を渡れば、来世の世界に旅立てるよ」
河原を流れる、浅い川。その向こうには、柔らかな霧が漂っていました。
それは、つまり――
「成仏、できるってこと?」
「ま、そうなるかな」
肩をすくめる紫路。
「でも、それは……」
わたしは、手にした紫電にも目を向ける。
彼とも、紫路とも、お別れになるってことじゃないの?
「僕は、仕方ないよ」
笑う紫路は、少しも哀しそうじゃない。
「そもそも僕は、死にとりつくアヤカシだよ? ろくなもんじゃない。さっさと縁を切った方がいい」
「…………」
「紫電は、大丈夫。君達だったら、生まれ変わってもまた出会えるだろうさ」
「そう……」
もう、充分苦しんだだろう?
紫路が、そう聞いてきます。
わたしの腕を見ると、青くにじんだ鎖の痕。それは、袖の中までずっと続いています。
わたし自身も、縛り付けていた鎖。それは、わたし自身にも食い込んでいました。
その痛みから。その辛さから、もう。
――わたしも、解放されていいのだと。
「どうする、主殿?」
わたしのとなりで、紫電が言いました。
「そうだね」
どのくらい、沈黙があったのでしょうか。
迷いは、長かったのでしょうか。
それとも、短かったでしょうか。
わたしは、石積みの塔に背中を向けます。
「ん?」
紫路の、つぶやき。
「ごめんなさい」
それは、誰に向けて謝った言葉なのでしょう。
わたしは、誰に謝りたかったのでしょう。
「今は、まだ行けないよ」
「どうして?」
「だって」
――まだ、生きていますから。
わたしを、九条真姫という少女を知っていた人達が。わたしの弱さで、きっと哀しみをばら撒いてしまった人達が――向こう側で、生きているから。
翔子ちゃんみたいに、あゆかちゃんみたいに。
それがきっかけとなって、踏み出そうとしてしまうかもしれないから。
わたしを知っていた人達、そのみんなが、生き終えるまで……
わたしに、見守らせてください。
◇
また、ひとつ。
声が、届く。
誰かの声が、わたしに届く。
数え切れないほどの名前を見て。
覚え切れないほどの名前を過ぎて。
いつものように。
いつかのように。
「それじゃあ、行こうか主殿」
そんな彼の言葉に、わたしは少し驚きました。
「あん、どうした?」
「あ、ううん……」
彼が、そんな風に言うのはとても珍しかったから。もっとめんどくさそうに、ぼやくのが彼でしたから……。
そのことを口にすると――
「まあ、たまにはそういうこともあるさ」
彼は肩をすくめました。
すぐとなりで、小さな少年がにこにこと笑っています。
ささやかなぬくもり。胸の疼きは、いつかに比べるとずっと静かにひっそりと。でも、確かにそこにあります。
「そう」
わたしも、小さく微笑みました。
わたしは、歩き出します。
むらさきひめではなく、九条真姫という少女として――
これからも、外れた世界で戦っていく。
「それじゃあ、行こうか」
彼らと、ともに。
歩いていきましょう。
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