九条真姫2

 「何を、言っているの?」


 「本当は」



『あなたも、死にたくなんてなかったんじゃないの?』


 その言葉が、引き金となったのでしょう。

 彼女の顔が、決定的に歪みました。

 声にならない絶叫。

 振り絞って、撒き散らして、死姫は飛び掛ってきました。

 渾身の力で、振り下ろされる大太刀。

 わたしは、難なく受け流す。


「っ!」


 すくいあげる、二撃目。

 少し下がって、身をかわす。


「…………っ!」


 憎悪に燃えて睨み付けてくる瞳を、わたしは見つめ返します。


「わたしはね、死にたくなんてなかったよ」


 唇から漏れる言葉は、きっと死姫を貫きました。


「わたしは、弱かったから」


 恋人に、裏切られて。そう思い込んで。

 友達に、罵られて。そう決めつけて。


「……本当に、弱かったから」


 辛くて、苦しくて、哀しくて、

 どうしようもなくて、

 囁く声に負けて、

 その一歩を、踏み出してしまったけれど。

 そのことを。


「ずっと、後悔しているよ」


 静かに、そっと、言葉をつむぐ。


 また三人で、笑いあえたかもしれない未来。

 きっとそこに、可愛い後輩たちも加わった。

 そんな光景を、自分の手で摘み取ってしまった。


「……つっ!」


 今一度、大きな一撃。

 今度は紫電が、それを受け止めてくれました。


「俺の主殿を、あまり侮辱するなよ?」


 姿を持って、わたしの前に立つ。


「確かに、似てるかもさ。あんたと主殿は、同じ色をしている。儚くて、弱々しくて、独りじゃとても生きていけない心の色さ。だけどな――ああ、全然違う。決定的に、違うんだよ!」


 力強く、死姫の大太刀を弾き返す。


「なあ、あんたの主は、俺の主殿とは違うんだよ!」

 

 彼女の太刀にも、姿を現す人影があった。どこか紫電に似た、長身の袴姿。

 だけど、紫電とはどこかが違っていました。

 死姫の肩に止まっていた黒い小鳥が、飛びかかってきます。ふくれあがって、恐ろしい人面の化け物となって。


「……!」


 それを、わたしの肩から飛んで、少年の姿を取る紫路が跳ね返しました。

 ぶつかりあった力が、飛沫となって飛び散ります。


「そういうことだね」


 紫路は、自分の頭上で静止する相手に、不敵そうに笑いかけます。


「僕も、紫電と同意見だ」


「伊津真天(いつまで)、貴様」


 しわがれた人間の声が、くちばしから聞こえてきました。


「我と同じく、死に群がるアヤカシの身で何をほざく」


「嗜好の違いじゃないかな?」


 紫路は、わたしのとなりに降り立つと、その妖鳥に言いました。


「ねえ、陰摩羅鬼(おんもらき)。君はさ、次から次へと死をついばむ浮気者みたいだけど……僕は、とっても一途なんだ」


 わたしに振り返ると、小さく微笑みました。


「それに、僕の名前は紫路だ。主様がつけてくれた名前でね、結構気に入っているんだよ」


 誰も彼もが、彼女の全てを跳ね除けてしまっていました。


 多分、これがただの勝負だったら、わたしの勝ちなのでしょう。

 わたし達の、勝ちなのでしょう。

 でも、わたしはそんなもの、欲しくはない。



「ねえ」


 一歩踏み出すと、

 死姫は、怯えたように後退りました。その手から、太刀を取り落とします。


「あたしは、違う」


 いやいやをするように、頭を振ります。まるで、駄々っ子。たった独り取り残されて、泣き喚く子供みたいでした。


「あたしは……間違ってなんていない。あたしは、死にたかった。死にたかったんだ! だから、同じ想いの人達を救ってきたんだ……!」


 だから――あたしは、間違ってなんていない。

 だって、そうじゃなかったら、


「……あたしは、あたしは!」



 死姫は、本当に救いのない存在となってしまう。

 本当は死にたくないのに、死んでしまった。

 そんな自分を肯定するために、たくさんの人間を巻き込み続けてきた。

 自分に嘘を吐き続けて、ずっとずっと繰り返してきた。

 それは、きっと罪でしょう。

 地獄に落ちるほどの、大罪なのでしょう。


 わたしは、それを、裁けばいいのでしょうか?

 彼女を、断罪すればいいのでしょうか?

 裁定者となって、高みから処断すればいいのでしょうか?


「……違う、よね」


 ぽつり、と零れ落ちる言葉。

 そんな資格も、つもりも、わたしにはありません。


「あたしは、間違ってなんていない……!」


 悲鳴を振り絞って、

 彼女が、わたしに飛びかかって来ます。


「あたしは……あたしは……!」


 わたしを押し倒して、そのまま馬乗りになってくる。のしかかって――その細い両手で、わたしの首をぐいぐいと締め付けてくる。


「間違ってなんてない!」


 その形相。


「間違ってなんて、イナイ……!」


 ひどくゆがんで、悪意に狂った表情なのでしょうか。

 そうなのかもしれないけれど――



(……やっぱり、わたしには)


 その瞳から、零れ落ちる涙がありました。


(とても、哀しく見えてしまうから……)


 気が付けば、わたしの頬も濡れています。


「……無理、だよ」


 わたしの漏らした言葉に、

 


 死姫が、不思議そうに、本当に不思議そうな顔をしました。



「あなたに、わたしを殺すなんてできないよ」


「…………!」

 

 わたしの静かな声が、彼女に突き刺さったのでしょう。腕の力が、緩みます。

 そっと撫でるだけで、その腕はわたしから離れました。


 ああ、そうなのです。

 自分を殺してしまうヒトは、

 他の誰かを殺すなんて、できません。


 踏み出そうとしているヒトの、手をそっと引くくらいはできても。

 ぎりぎりの背中を、軽く押すくらいのことは、できても。


 本当には、

 本気では、

 

 誰も殺せない。


 だから、


「誰も、悪くなんてない」


 あなたも、あなたが巻き込んだ人達も、

 あなた達を、わたしを追い詰めた世界も、全部全部……

 ただ、哀しかっただけ。

 すれ違って、噛み合わなくて、

 どうしようもなく、哀しかっただけです。


 だから、


 もう、終わりにしましょう。

 死姫と言う哀しみの連鎖を、紫姫であるわたしが、終わらせましょう。


 わたしは、静かに立ち上がる。

 

 わたしから離れて、へたり込んでしまう死姫。

 その顔には、もう悪意なんてありませんでした。。

 死姫として、たくさんのヒト達を引きずりこんできた表情なんかありませんでした。

 ただ、途方に暮れた泣き顔が、あるだけでした。


 心が、痛む。

 心で、悼む。


 ――だから、


「いいよね?」


 呼びかけると、紫電が肩をすくめました。仕方ない、って。

 視線を向けると、紫路が笑ってくれました。君らしいよ、って。


 わたしは、ふたりに微笑んで、

 それから、死姫にも微笑みかけて、


「――」

 

 死姫になる前の、彼女の名前を呼んで、



 太刀の姿を取る紫電を――振り下ろしました。


                      


                                                                              

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る