むらさきひめ3
そうして。
ひとつの物語は、終わりを迎えます。
束の間に、脳裏によぎったその光景。
今ではない時代。
ここより外れたどこかで、わたしは彼と一緒でした。
まだヒトではなかった彼と、確かに一緒でした。
だから、もう。
恐れることは、ありません。
「……護法防壁・
ひるがえる白刃が、光の軌跡をなぞる。
襲い掛かってくる彼女の黒髪を、あっさりと切り払った。
たたずむわたしの手には、一振りの大太刀。
紫電、と呼ぶ彼が姿を変えたのは、白刃きらめく、抜き身の一刀。
目の前には、うずくまる彼女の姿。
化けものじみた口裂けの姿から、ヒトの形に戻った彼女がいます。
視線を外すと、へたりこんだ翔子ちゃんの前に、見慣れない男の子が立っていました。
十歳くらいでしょうか。白いパーカーを着込んだ、可愛らしい男の子です。
「このお姉ちゃんは、まかせてよ」
ありがとう、とわたしは頷いて。
もう一度、向き直ります。
起き上がろうとしながら、わたしを睨み付けてくる彼女。その様子は、もう少しも怖くなくて……ただ、哀しいだけでした。
『――』
と、ようやく知った彼女の名前を呼びます。彼女が、まだヒトであった頃の名前を。
鎖が、見えました。彼女の全身にまとわりついた、錆付いた鎖です。
それは……彼女を縛る鎖だったのでしょう。
ずっとずっと、苦しみと哀しみに、彼女を縛り続けてきた鎖だったのでしょう。
「……もう、終わりにしようよ」
わたしは、歩み寄りながら。
太刀を、掲げて。
「静かに、眠って」
その鎖を、
――彼を振り下ろして、切り払いました。
◇
「……真姫」
わたしを呼ぶ声。
振り向くと、翔子ちゃんが立っていました。
今にも泣き出しそうな、そんな顔です。
彼女が消えて、そこにはわたしと、その手にした太刀と、名前も知らない男の子と、翔子ちゃんが残っています。
誰もが押し黙って。
男の子だけが、にこにこと笑っています。
そこへ、勢いよくドアが開く音。階段に続くドアの向こうに、ひとりの少年が立っていました。
「翔子!」
聞き慣れた少年の声でした。忘れるわけがありません。わたしの、恋人だった少年なのですから。
卓也は状況が飲み込めないみたいで、わたし達を見回していましたが……
「うっ?」
短く息を呑むと、翔子ちゃんの前に飛び込んできます。
その目が、わたしの手にした太刀に注がれています。そうして、まるで翔子ちゃんを庇うように、わたしの前に立ちました。
「……ま、真姫?」
怯えたような表情も、その声も、わたしには辛いです。多分、その誤解も。でも、わたしは静かにたたずむだけで……
「ち、違うのよ。卓也!」
翔子ちゃんが叫びます。
「卓也、違うの。真姫は、あたしを助けてくれたの」
「え?」
卓也は翔子ちゃんに振り返り、それからわたしを見ます。
「真姫は、あたしを化け物から守ってくれただけなんだよ……!」
化け物、と。
彼女のことを思い出して、わたしは哀しくなりました。
そうなのか? と卓也が瞳で訪ねて来ます。
でも、わたしは答えませんでした。
踵を返します。
「真姫!」
わたしを呼ぶ、翔子ちゃんの声。
呼び止める声。
後ろ髪を引かれる思いを、わたしは振り払います。
「追って来ないでね」
振り向かないままで、わたしは言います。静かに。
「……もう、わたしと貴方達は世界が違うから」
――だから。
もう、きっと。会うことなんてない。会ってはいけない。
こちら側と、向こう側。遠く、遠く隔たってしまった世界のわたし達は、もうこれ以上一緒にいてはいけない。
けれど。
でも……せめて、もう少し。
最後に、ほんの少しだけ。
「卓也」
名前を呼ぶと、息を呑む音がしました。彼は、どんな顔をしているのでしょう。どんな表情で、わたしを見ているのでしょうか。
恋人だった彼に。
振り返りたい。振り返って、彼の顔を見たい。もっと言葉を交わしたい。その腕に触れて、抱きしめてもらいたい。
でも、それはもう望んではいけないこと。思ってはならないこと。
もう、遅いから。全てが、手遅れだから。
だから、飲み込もう。
全部、飲み込んで。
こんな、言葉を吐きましょう。
「……わたし、貴方が嫌いだから」
ついで、親友だった彼女にも。
「翔子ちゃん、貴方も大嫌い」
ふたりに残すのは、拒絶の言葉。
「だから、絶対こっちに来ないでね?」
別離の言葉。
ああ、きっと相応しい。もう死んでいるわたしから、まだ生きている彼らに送るには……これ以上ない言葉でしょう。
わたしはもう振り向かずに、こみ上げてくるどんな想いも押し殺して。
ふたりの前から、姿を消しました。
そして、また。
時は流れます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます