むらさきひめ1

其の壱 九条真姫

 

「真姫、あんたのせいなんだ。あんたが、きちんと卓也をつなぎとめていないから……だから、

卓也は、不安になって……本当に、あんたが自分を好きなのかって……!」


 ――だから、自分が彼をもらった。


「あたしだって……ずっと、卓也が好きだったんだよ? それを、あんたに譲ったのに……譲ってやったのに……!」

 

 だから。

 自分のせいじゃない。

 だから。

 自分は悪くない。

 だから。

 あんたが、悪い。

 

 悪いのは――わたし。

 わたし、九条真姫。

 

 親友だったはずの少女が投げつけてくる、悪意のこもった言葉。鋭い刃みたいに、わたしに突き刺さっていきます。

 ざくざく、ざくざく……!

 ざっくりと、心が切り裂かれて。

 心が、血を流します。

 

 でも――わたしは、それでも、精一杯に微笑んで。

 また、いつもみたいに笑って。

 

 その場から、逃げ出しました。 


       ◇


「翔子先輩と……一緒でした」


「ああ、うん」


 かわいい後輩の、あゆかちゃん。その言葉に、わたしは小さく頷きました。


「機材の貸し出しのことで、生徒会室に……」


「それで、いいんですか……!」


 あゆかちゃんが、声を荒げます。

 きっと、あたしの代わりに怒ってくれています。


「先輩は、卓也先輩と付き合っているんでしょう?」


「うん、そうだけど?」


「それが……このところ、ずっと卓也先輩は翔子先輩と一緒じゃないですか?」


 ――それで、本当にいいんですか?

 自分の好きな人が、他の誰かと一緒にいて。それで、まったく何とも思わないんですか?

 きっと、あゆかちゃんはそう言っているのでしょう。


「それは、仕方ないよ」


 胸をえぐった痛みを押し殺して、わたしは小さく微笑みました。また、いつもみたいに。いつものように。


「わたしは、そんなに顔が広くないから。そういうことは、翔子ちゃんの方が向いてるし。卓也は部長だもの」


「…………!」


 確かに、理屈としては当然です。

 控えめで、遠慮がちなわたし。明るく社交的な翔子。

 人手の足りない演劇部が、外に助けを求める。どちらが、そういった役割に向いているかなんて言うまでもないことです。

 充分すぎるくらい正論で、理屈が通っています。

 だから、きっと。

 わたしがふたりに嫉妬をするなんて、間違っているはずなのです。


「その……ごめんね」


 あたしは謝って、あゆかちゃんに近付きます。


「わたしのこと、心配してくれているのね」


 

 ありがとう……あゆかちゃん。

 

       ◇

 

 いつものこと。

 気が付けば、それがいつものことでした。

 小さな頃からずっと。

 わたしは、いつも静かに笑うだけでした。

 嫌なことがあっても、押し殺して。

 嬉しいことがあっても、かみ殺してしまって。

 ずっと。

 ずっと、そんな風に生きてました。


 

 だから――


「その……僕と付き合ってほしいんだ」


 密かに想いを寄せていた男の子から告白されて、どんなに嬉しかったか。どれだけ、喜んでいたのかも。

 いつものわたしだったから、きっと――彼に伝わらなかったのでしょう。


 

 それが、きっと。

 哀しみの始まり。


 

 誰も彼もが傷ついて、みんなみんな救われない――そんな哀しい物語の始まりだったのでしょう。


 

「貴方、かわいそうだね」


 そんな声が、聞こえます。


「さあ、こっちにおいで」


 優しそうに、わたしを呼ぶ声がします。

 それは、わたしの心をかき鳴らします。

 とても、わたしの心を引き寄せていきます。


「もう、哀しむことはないんだよ?」


 それは、とても甘い言葉でした。

 耐え難い誘惑となって、わたしの意識を包み込んでしまいます。

 ちょうど、わたしと同じくらいの年頃でしょうか。

 見慣れない学生服姿の女の子でした。そんな彼女が、わたしに手を差し伸ばしていました。


 その手を取れば、きっと。

 この哀しみからも、解放されるのだと。この苦しみも終わるのだと。そう思って、思ってしまって――

 わたしは、その手を取りました。

 その手を取って、踏み出してしまったのです。

 そうして、はるか地上に落ちていったのです。

 

 誰もいない閉鎖ビルからの、飛び降り自殺。

 それが、結果となりました。



 こうして――わたしの十四年間、九条真姫としての日々は終わりを告げました。

 

 


 

 

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