むかしがたり2
それは、何度目であったか。
幾度目の、対敵であったか。
崩れ落ちた武家屋敷。
その残骸を踏み砕いて、闘争を続ける。
数え切れぬほどに、切り捨ててきた人外。飽きるほどに屠ってきた魑魅魍魎。
今までの中で、最強の人外だった。
「来たれ、
紡がれる呪が、空気を震わせて、周囲を煉獄で焼き尽くす。
「躍れ、
渦巻く突風が、刃の渦となって襲い掛かって来る。
「
放ちて弾け散る、主殿の破魔の光。
「
俺が切り裂く、虚空の軌跡。
今の今まで、必滅となってきたその全てが、しのぎ合いの過程としかならない。
金色の長髪が、禍々しいほどにきらびやか。まとった衣は、漆黒そのもの。横長の瞳は、血の色を塗り固めかのような真紅。
人骨を思わすほどに、白すぎる肌色。長身痩躯の優男。かようなヒト型をとった、王たる人外であった。
紅の空を超えて、漆黒の闇夜を通りて。
新しき日の日差しが降り注ぐ。
それでも、決着を迎えぬままに、応酬は続く。
何時果てるともなく続く、剣戟。
終わりなく連なる、圏激。
人外。
ヒトの外にある戦いは、人智を超えて尚続く。
それでも。
仮初めにでも、この
さけえぬ終末が、訪れる。
二度の夜明けを数えて、ようやく。
この戦いにも、終わりがやって来る。
「
両の手をかざし、奴は放つ。渾身を込めた、最大の呪。自身を振り絞り、顕現させる。
迫ってくる圧倒的な瘴気。逆巻く漆黒。空が軋み、悲鳴を上げる。漆黒にて、真紅。血のように赤く、闇のように黒い。周囲の世界を、束の間蝕む。自身の世界にて、塗り替えるほどの呪法であった。
それを目前に、
(……ああ、俺は死ぬかな)
そう、思った。
確信で、予感だった。
これほどの呪法に、立ち会ったことはない。今までに、見たことはない。あまりの強大さに、むしろ感嘆するほどだった。
それほどのシロモノだ。
おそらく……俺は、死ぬ。
いや、違う。
そもそも、俺は生きてすらいない。
死とは、望む望まずにかかわらず、生あるものの特権だ。
ただ、俺の本体である刀はひび割れて、もしかしたら粉々に砕け散る。俺という意識も、一緒に消えてなくなる。
絶対的な喪失。不可逆的な、消失。多分、死に似てはいる。
怖くはない。
怖くは、なかったが、
(少し、寂しいか……)
そんなことを、少しだけ思った。
どうせならば、今少し。
あと少し。
この変わった主殿と、言葉を交わしたかったものだ。
これだけの呪法を放てば、敵の疲弊も尋常ではなかろう。その相手から逃げるくらいならば、主殿なら可能なはずだ。
だったら、それでいい。
安堵する自身に、失笑する。そんな感情、まるで……ヒトのそれではないか。まあ、悪くはない。こんな滅び方も、悪くはない。
(あばよ、主殿)
言葉にせずにそうささやいて、俺は衝撃に向き直った。そのまま俺は、それを受け止めるはずだった。
俺は、武器。持ち手の道具。だから、当然。
その、はずだった――
だが。
次の瞬間――俺の眼前には、剥き肌の地面。
混乱する意識で、理解する。
唐突に、当然に。主殿は、彼女は、俺の切っ先を足元に向けたのだ。つまり、その呪法の前から俺を遠ざけて。その矢面に、自分自身をさらしたのだった。
(な……!?)
ありえない。
馬鹿げている。
武器が受け止めるはずの、その一撃を……持ち手の主殿がその身体で受け止める?
意味が、通じない。理屈が、死んでいる。なんだって、どうして。
意識に突き刺さる音の波動。魂をひっかく音色の流動。
悲鳴か、絶叫か。
それとも、容赦なく主殿を喰らい尽くす軋みの音か。理(ことわり)を裏切って作られた世界が、彼女を喰らい尽くす。
俺は、多分。
その時。
「お……!」
俺という意識が、その刀に宿ってから初めて。
ヒトの言葉で語れば、生まれて初めてか。
「――あああああああっ!」
身を震わせて、甲高い軋みを張り上げていた。身体を打ち震わせて、絶叫する。そうする人間に似ていたはずだった。
怒り、という感情か。そのように語る激情だったのか。
突き動かすままに、俺は自らの意志で、己自身を跳ね上げる。我は、破邪の太刀。魔を滅し、妖を打つ刃なり。俺自身を、貴様という存在に斬りこんでやろう。
だが、
俺を振り上げなかった主殿は、俺を止めたのだ。
切っ先が、届く刹那にぴたりと止まる。
『……主殿?』
戸惑う俺を無視して、主殿は呆然と相手を見据えていた。
この上もなく無防備に。そのか細い身体を、相手にさらしているではないか。
満身創痍。半死の状。防護の術を施した衣は引き千切れ、その素肌をさらす。白雪のような肌は、あちこちが焼け焦げている。
俺は驚愕した。愚かすぎる。
死に値する、愚行。自害に等しい、振る舞い。
相手は好機と、その腕を振り上げた。その鋭い爪が、主殿を引き裂こうと迫り来る。
俺を動かそうとしない彼女に代わり、俺はまた俺自身を振るおうとした。
その瞬間、
何かを、彼女は囁いた。
動きが、不意に止まる。
まるで、緊縛の言霊にでもとらわれたかのように。そいつは、立ち尽くし、呆然と彼女を見ていた。
何が?
状況がわからない俺と、そいつを置き去りに。
「ああ……」
彼女は、そうつぶやいた。
わかった、と。
確かに、そう口にしたのだ。
そうして。
静かに、ゆっくりと。
俺を、振り上げて。
まるで、舞いでも踊るかのように。
流れるような動きで俺を、振り下ろした。
◇
「何が」
俺は、あおむけに倒れる主殿に問いかける。
「わかったんだ?」
「彼の……こと」
それが、誰を差すのか、その一瞬わからない。
「彼の、攻撃を受けて……彼の心が、流れ込んできたの……」
ようやく、たった今消し去った相手のことを言っているのだと理解する。今しがたまで滅ぼしあっていたはずの相手に敵意も害意もありはしない。
ゆえに、一瞬わからなかった。
何とも、あっけない幕切れであった。
あれだけの死闘は、たったの一刀。
主殿が振り下ろした一刀で、終ってしまった。
「そうしたら……鎖が、見えたの。彼を縛る……鎖。それを、切り払った……」
「もうひとつ、いいか?」
「……なに?」
「どうして、俺で受け止めなかった?」
あの一撃を受けようとした俺を、下ろした?
「だって……貴方が、死んでしまうと思ったから」
「あ?」
「あれを、喰らったら……貴方」
「馬鹿か? 主殿は……!」
「…………」
「俺は、武器だぞ? 主殿の道具だぞ? それを、どうして……!」
主殿は、俺を庇ったと言うのか。
俺が受けるはずだった一撃を、代わりに受けてしまった。そうして、俺の代わりに……いや、俺を代わる意味などありはしない。
俺は、武器で道具で、それ以上でもそれ以下でもない。
そんな俺を代わって……
こうやって、死んでいく。
愚かだ。
あまりにも、愚か過ぎる。
武器を庇う持ち手など、ありえない。
「……ごめんね」
彼女は、小さく微笑む。
今際のきわだというのに、この期に及んでまで、そうやって微笑んで。
微笑んでから、もうひとつ、言葉を残して。
彼女は、死んだ。
◇
そうして、いつものように。
俺は、消えるはずだった。
この世界は、俺の本来の居場所ではない。持ち手が俺を駆る間だけ、仮初めに在る世界。
俺の在るべき世界に、青空はなく。ただ夕暮れにも似た光景が、陰鬱にわだかまる場所。
意識が遠ざかり、そこに戻る。
そうして、次の主殿を待つ。
その繰り返し。また繰り返す。
そのはずだった。
それが、いつものことだった。
だが。
俺は、消えなかった。
いくら待っても、そこにいた。
どれほど経っても、ここにいた。
「……なぜ、だ?」
そして、思わずつぶやいて……俺は、俺自身の声を知ったのだ。今までとは違う声。それは、空気を振るわせるヒトの声だった。
「な、に?」
俺は、自分の両腕に視線を向けた。腕だ。それは、二本の腕だった。続いて、下を見る。そこには足があった。大地を踏みしめて立つ、二本の足だ。
少しずつ、理解していく。
驚きを、思考が塗りつぶしていく。
刀は、腕など持たない。不要だから。
刀は、足など持たない。無用だから。
だから、もう俺は――
腕がある。
足がある。
そう。
俺は、ヒトの姿を持ってそこに在ったのだ。
「……は」
気が付くと、声が漏れていた。
「は、はははははは」
気が付くと、それは笑いとなっていた。ひきつるような、かすれた笑いだった。笑っていた。わけもわからず。笑いたかった。理由も知らず。
「……ははは、はははは……!」
笑い続ける俺は、やがて気付く。頬を伝う熱い何かがあった。指先でぬぐうと、そこが濡れる。濡れている。濡れていたのだ。
俺は、泣いていた。
泣きながら、笑っていた。
笑いながら、泣いていたのだ。
◇
――それから。
どれだけの、時が流れただろうか。
戯れに、過ぎ行く夜を数えてみた。十には届いたか。気まぐれに、迎える朝陽を指折ってみた。六を超えて、飽きが来た。
気が付けば、桃色の花びらが踊り。
ふとすれば、星々が瞬いた。
ともすれば、枯葉が積もり。
何時の間にか、粉雪が舞っていた。
めぐる季節の中で、俺はずっとそこにいた。
人里離れた森の奥。
簡素な社の中に、俺はいた。
後ろには、座する丸石。俺が弔った、主殿の簡素な墓石。背を預けて、俺は座り続けていた。
まるで墓守のように。誰かに命じられたわけでもなく、ただ自分自身でそう決めて。
時折出会うのは、森に住む小動物だけだ。そいつらは、俺に関わることもなく、去っていく。鳥達は、はるか頭上を飛んでいく。
ヒトと言葉を交わすことは、なかった。
それまでは当たり前だったことが、今は、ひどく寂しく思えてならなかった。
そして。
幾度めかの春を迎えた、とある日のこと。
そいつは、俺の前に立っていた。子供の姿を取った、俺の同類。ヒト在らざる化生。
そいつは屈託なく微笑んで、
「こんにちは」
そう、声をかけてきたのだ。
◇
「……あんたも、おもしれーな?」
「そうかな?」
「ああ」
俺は頷く。
「主殿とはまた違った意味で、興味深い」
「それは、嬉しいな」
そいつは笑った。
「それで、これからどうするの?」
「さーな」
そいつは俺の背にある墓石をみやった。
「そこには、もう君の主殿の魂は残っていない。この大地を離れて、きちんと天に上ったんじゃないかな」
それは、すなわち。ヒトが言う、輪廻の流れに舞い戻ったということか。この大地に縛られることなく、成仏したということか。
ふと、思い出す。
主殿の言葉のかけら。縛る鎖が、見えたと。それを切り払った、と。
「せっかく足を持ったんだ。どうせならば、君の足で歩いてみたらどうだい? 今までとは違ったものが見えてくるかもしれないよ。そして、もしかしたら……」
「主殿の生まれ変わりとめぐり合えるかもしれないよ?」
「……かも、か」
「かも、だね」
確証はない。一度死んだ人間が、また再び生を受けることなどわからない。輪廻転生、そんなものはヒトの望む幻想かもしれない。そもそも、それほどまでに、また彼女に会いたいのかもわからない。
だが、
「まあ、悪くはねーか」
感情を言葉に、俺は立ち上がる。
悪くはない。
もしかしたら、また会えるかもしれない。そんな考えを持ったままで――
華が咲き乱れ、夜天には星が瞬く。
透ける青空は、限りなく高く。鮮やかに染まる茜色は、瞳を照らす。
――主殿が美しいと言ったこの世界。見回ってみてもいいだろう。
「どうせ、時間はありあまってるんだしな」
「僕も、付き合っていいかな?」
「あん?」
「何かの縁だと思うしね。ひとりさすらうのも、寂しいと思っていたんだよ」
「勝手にすればいいさ」
「じゃあ、そうさせてもらうよ」
言うなり、そいつは姿を変えた。一匹の小さな鳥の姿となって、俺の肩に止まりやがる。
「おい」
「少し、疲れていてね」
変わらないヒトの声で、言ってくる。
「しばらくは、ここで休ませてもらうね」
「そうかよ」
いきなりに、馴れ馴れしい奴だな。
まあ、別にいいさ。
俺はそれ以上咎めることもせず、歩き出す。
奇妙な出会い。
俺たちはそうやって、ともに連れ立つこととなった。
そうして。
それから。
――何百年かの時が、流れた。
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