むかしがたり1

 散った紫苑しおんの花びらに、六つ数える言の葉乗せて

 破邪なる太刀の仮人は

 童子なぞるともがらと、万の朔望さくぼう踏んでゆき

 咲いた紫色ししょく雪華ゆきばなに、七つ数えぬ想いをいだく

 

 されど、七つはささやかぬ

 しかし、七つは差し伸べず

 

 あとひとつが、まだ足りぬ

 もうひとつが、未だ届かぬ

 

 七を数えて満つる日が、来るか来ぬかは皆知らず。




其の零

 

 ――まどろみにも似た茫漠から、俺の意識が浮上する。

 

 あいも変わらず、紅く染まる世界。

 周囲に生えるのは、立ち枯れた木々の群れ。不吉な影絵となり、黄昏色を不気味に彩る。

 赤黒く塗り固められたカラスが、死者の声で哭きながら、羽ばたいていく。

 ここは、外れた世界だ。

 人界より零れた、異界ゆえに。

 悪夢じみた光景は、それも当然だろう。

 小さな社の中に、俺はいた。

 いや、あったと言うべきか。

 祭壇に捧げられた、一振りの大太刀。

 それが、俺だった。


 人影が、近付いてくる。

 小さな、人影。

 まだ子供だろうか。紅く映えるつややかな黒髪を、肩まで垂らしていた。まるで宮司の巫女か神官を思わせる白い服に身をつつんでいた。

 それは、ひとりの少女だった。十を少し数えた……あどけない面立ちには、しかし、不釣合いな色があった。

 それは、決意の色だった。

 ゆるぎなき意思を帯びた色、だった。

 当然といえば、当然だ。

 ここに来る者は、限られた者だけ。

 俺の前に立つ者は、数少ない。

 この領域に届くだけの力を持ち、それに足る意思を持つ者だけなのだから。


「貴方の力を、貸してくれますか?」


 彼女は静かな声で、そう尋ねてきた。


「ああ、構わないぜ」


 ヒトの言葉で、俺は返す。ヒトではない俺が、ヒトの言葉を発する。


「あんたが、俺を扱えるならば……新しい主殿と認めよう」


「……ありがとう」

 

 そう言って、彼女は俺に手を伸ばしてきた。

 今はまだ、太刀の姿をとる俺へと。


        ◇


 小高い丘で、風が吹く。

 薄桃色の小さな花びらが、透き通る青空の中に、舞い躍る。

 

 ふと、意識を向けた。

 

 今までだったら、気にも留めなかったはずだ。

 瞳に映ろうとも、映らずとも違いない。関係ない。俺の心を揺らがせはしない。

 ずっと、そうだった。

 ずっと、そうしてきた。

 見過ごして、見逃して、見向きもしなかった。

 それでよかった。

 どうでもよかった。

 興味がない。嗜好の埒外。

 関わりなく。

 関わらず。

 ただ、俺を素通りしていく。

 しかし、そういったものを――


 綺麗だ、と彼女は言っていた。


 たとえば、夜空に瞬く星屑と、淡い弓月。

 たとえば、紅く萌え上がった、木々生い茂る山並み。

 たとえば、曇天から舞い落ちる粉雪。

 ささやかな人々の営みさえ。

 綺麗だと。

 美しいと、囁いたのだ。

 

「貴方は、そうは思わない?」

 

 茜色に世界が染まる、夕暮れ時。

 そこは、寂れた街道だった。

 遠く離れたすすき野原が、黄金色に染まってさあさあ、と風がそよいでいた……。

 

「変わっているな、主殿は?」


「そう?」


 あどけない、まだ幼子を残した顔立ち。澄み切った大きな瞳が、俺の姿を映していた。


「ああ、変わっている」


 

 今まで、幾人もの人間が俺を振るってきた。

 妖魅を滅す、破邪の太刀。蛇鬼を絶つ――破魔の刃。それが、俺。皆が皆、そのためだけに俺を求めて。そのためだけに、俺を振るってきた。

 それが、当然と思っていた。

 気がつけば生まれていた俺と言う意識は、そこに何の疑問も持たなかった。

 持ち手は、俺を振るう。

 俺は、持ち手の刃となる。

 ただ、それだけ。

 たった、それだけ。

 それが全て。


 

「それは、哀しいね」 


 そう言って、今の主殿は瞳を潤ませたのだ。


「哀しい?」


 聞き返す。

 知らない感情だった。そんな想いを、抱いたことはなかった。

 その時の俺は、まだ。


「うん、哀しいよ」


 瞳を逸らして遠くを見てから、また俺に向き直ってくる。


「それじゃ、ひとりでいるのと変わらないよ。貴方は破邪刀で、わたしは持ち手……でも、こうして言葉を交わせる。だから、色々と話したい。それとも、これは契約の外なのかな?」


 だが、俺は笑わなかった。


「いや、別に」


 そもそもそんなことを言ってくる人間は、初めてだった。


「そう、よかった」


 安堵したように微笑む仕草は、年相応の少女だった。

 不釣り合い過ぎて、むしろ滑稽だった。

 幼いながら、幾百の魔を絶ち、幾千の鬼を狩り、幾万の凶津モノを切り払ってきた退魔の戦士が……そのような顔をするのだ。


 静かな森の中。

 愛らしい横顔が、夕暮れの陽に染まる。血の色が覆い尽くすはずの逢魔ヶ時に、その表情はひどく不釣合い。

 だが、悪くないと思った。

 ……そんな感情すらも新鮮だった。

 

 つややかな黒髪の、十四歳の少女。

 幼いながら、破魔の術に長けた少女。

 それが、俺の六番目の主殿だった。

 

        ◇

 

「それが、君の主殿?」 


 俺の目の前で、そいつは言った。

 十に届くか、届かないか、質素な着物をまとった童子。ぱっと見、そこいらの村の子供といった感じか。

 だが、短い髪は薄っすらと白みがかっている。老いて、つやを失う白ではなく、つやのある銀にも近い。そんな奇妙な色合い。 

 気配でわかる。

 そいつは、俺と同類だ。ヒトの姿をしていようとも、ヒトではありえぬ生を受けた存在


 人外。妖魅。あるいは、鬼。そういった存在だ。

 ずっと、この場を動かなかった俺に近付いてきた。


『……なんだよ、あんた』


 気安い言葉に、気まぐれ程度に言葉を返すと、


『君と、お仲間かな?』


 そいつは、にっこりと微笑んだのだ。

 その調子に、毒気も抜かれてしまった。


 

 そうして、何時しか主殿のことを話している。


「ああ、変わった奴だったよ。本当に、変わっていた」


 

 ごめんなさい。

 ありがとう。

 

 ――最後の最期に、そんな言葉を残した持ち手を俺は知らない。


 

「話、続けてくれるかな?」


「まだ聞きたいのかよ」


「うん」


 屈託なく微笑むそいつ。


「とても興味深いからね」


「そうかい」


 断る理由もなかった。

 だから、続けることにする。

 長い、永い時間の中のほんの刹那。戯れとしては、悪くない。


      ◇

 

 たとえば――

 のっぺりとした面には、耳も鼻もない。全身を薄墨色にてかたどる、ねじくれまがったその巨漢。

 あるいは、たった一つの目玉を突き出し、そのたったひとつに悪意と害意を満たす、骨と皮だけのやせ細った矮躯(わいく)。

 頭ふたつ持つ女怪(にょかい)。闇色の黒髪を、逆巻かせてまとわりつかせる。

 百瀬までにひとつ届かぬ器物が、ヒトに恨みを持って這い出してくる。

 戦果で流れた血を啜った老木が、自らもって動き出す。

 無念を宿した骸が蠢き、寄り集まって、ありえぬ命が生まれ出る。

 人外にして、人害。ヒトに仇成す、外道の同胞(はらから)。



 その時代、この国は乱れていた。

 この小さな島国には、いくつもの小国が乱立し、それぞれの君主は覇を求めて争った。 

 誰も彼が、己が欲望の走狗(そうく)になることをいとわなかった。

 森は焼かれ、田畑は踏みしだかれ、ヒトの命はいとも容易く散り続けた。流れる血は怨念を呼び、大地に妄執を刻む。

 その苗床から、奴らは生まれ続けた。

 


 その全てを、


「はあっ」


 少女は、薙ぎ払う。


「四式、同源」


 まだ幼い主殿は、俺を振るい、己が術を駆りて。


「天を裂きて、大地を祓う……」


 人外あふれるこの大地を、駆けていく。


「破魔光陣・弐式!」


 印を結ぶ細い指先から、まばゆい光のつぶてがほとばしった。

 

       ◇

 

 夢を、見た。

 少女が、泣いている。

 まだ幼い少女が、たったひとりで泣いている。

 自身に覆いかぶさって事切れた母にすがりついて、泣きじゃくっている。

 あたりには、数え切れぬ骸が転がっている。原型すらとどめぬ肉塊と、千切れ散らばった四肢とともに。


 蹂躙の、跡だった。

 あるいは、宴の後だった。

 人家は破壊され尽くし、赤々と燃える炎の焚き木となっていた。

 小さな山村に、突如となだれ込んできた無数の人外。

 悪鬼羅刹の畜生外道の饗宴は、村人を虐殺に躍らせた。その肉をもって仮初めに飢えを満たし、その血を啜って一時の渇きを潤した。

 そうして、たったひとりの少女だけがそこに残った。


 

 意識が、切り替わる。

 一夜を明かした、無人の古寺の中。

 主殿が、俺を抱きかかえていた。俺をひっしと抱きしめて、その小さな身体を震わせていた。

 俺は、理解した。

 ああ……今の夢は、主殿の記憶だ。

 彼女の意識が、俺の中に流れ込んできたのだ。彼女の感情が本流となって、俺の意識へと注ぎ込まれてきたのだ。

 束の間、彼女の感情が俺に宿ったゆえか。

 その頭を、そっと撫でたいと思った。

 かなうならば、その身体を抱きしめたいと思った。

 初めて、そんなことを思った。

 この、俺が。

 だが。

 その時の俺には、そうする手も腕もなかった。

 俺は、まだその時は、無骨な太刀の姿だった。

 

 だから、ただ。

 主殿に、一方的に、抱きかかえられているだけだった……。

 

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