しきせんぱい6
目覚めは、不思議な感覚だった。
不快というわけでもないけれど、どこかすっきりしない。まだ夢でも見ているような感覚。
記憶はあいまいで、ぼんやりとしている。多分先輩に再会して、そして別れたはずだけど。その詳細は、はっきりと思い出せない。
たったひとつだけ、確かだったのは――
(先輩、相変わらずだったな……)
思わず微笑みがもれてしまう。ああ……死んでまで、変わっていない。幽霊になっていてまで……わざわざあたしの心を救ってくれた。
ありがとうって言ってくれて。ごめんなさい、と言っていて。
ほんと、悔しいけど。
(まったく、あの人は)
変わらずに、腹が立つほど、あたしの大好きな先輩のままだった。
「……まったくさあ」
ぼやきが、口を突いて出る。
「幽霊って、もう少しは怖いもんじゃないの?」
ほんの少しだけ、笑ってしまう。
笑ってしまってから……少しだけ。
本当に、少しだけ。
――あたしは、泣いた。
そうして、目覚めた意識は今一度。
眠るように溶けていった……。
◇
二度目の目覚め。
そこは、ベッドの上だった。
見知らぬ部屋、あたしの部屋じゃない。
(……あれ?)
起き上がって、見回す。
白いカーテンがベッドを囲んでいる。真っ先に頭に浮かんだのが、学校の保健室。
でも、おかしい。あたしがシキメールをやったのは深夜の自室のはず。記憶が確か……ならばだけれども。少し、自信がなかったりする。
「って」
無意識に動かした腕に、ちくりと痛みが走った。見ると、右腕がガーゼに包まれてそこから透明なチューブがはみ出している。
視線で追うと、あたしの頭上にぶら下がる点滴のガラス瓶。
そこでようやく、自分のいる場所を理解した。
(……病院?)
そう、そこはどうやら病院らしかった。でも……どうして自分がそんなとこにいるんだろう。考えをめぐらしていると、
不意にカーテンが開けられた。
「あ」
その向こうに立っていたのは、看護婦さんらしい白衣の女性と、
「和秋?」
となりに並んで立つ、ブレザー姿の和秋だった。
「あゆか!」
和秋は一声叫ぶと、いきなりがばっと抱きついてくる。
「よかった、本当よかった!」
「って、ちょ……! いきなり何なのよ?」
突然のことに、あたしはうろたえるだけ。
和秋は聞く耳持たずに、あたしに抱きついて離れない。
あたしはますます混乱してしまって……頭の中がごちゃごちゃになってしまう。
「和秋君、嬉しいのはわかるけど少し落ち着いてね」
その声に、ようやくあたし達は我に返った。
「あ、す……すまねえ、つい」
和秋は弾かれたように離れて、バツが悪そうに頭をかく。その顔が真っ赤になっているのは……多分あたしの気のせいじゃない。
きっと、あたしも真っ赤になっているんだろう。
看護婦さんはあたし達を見比べて、にこにこと笑っている。
「……は、恥ずかしいじゃないのよ! いきなりに」
照れ隠しにと、矛先を和秋に向けてやった。
彼の温かさが、妙に生々しく残っていて、胸がばくばくしている。
「だってよ」
口を尖らせる和秋。
「心配したんだぜ? ちったあ大目に見ろよ」
「大目ってね……心配?」
その言葉を聞きとがめる。問いたげな視線に、看護婦さんが気が付いて、
「あゆかちゃん、この数日寝たきりだったのよ」
「え?」
「朝になっても起きないままで、そのままずっと眠り続けていたの。原因不明でね」
「……そうなんですか」
多分、あたしが夢を見ている間だったんだろう。原因不明ではないけれど、そのことは黙っておく。下手をすれば、違う病室に移されかねない。
……それに。
「あん?」
ふと目が合った和秋が、眉をひそめた。
「え、あ……何でもない」
何となく、先輩のことを話題に出すのは気が引けたからでもあった。
◇
それからすぐにやってきたお母さんと合流してから、先生の診察を受けた。
もちろん問題なしということで、すぐに退院。お父さんと、心配していた友達達に連絡を一通り終えて……病院を出たのは二時過ぎだった。
遅めの昼食をファミレスでとってから、自宅に向かう。
歩道の脇を、車が通り過ぎていく。
あの夢の世界には、そんなものはなかった。今更ながらに、先ほどまでいた世界の異常さを実感していた。
「そういえばさ、和秋、今日はさぼったの?」
この日中に学校に行っていないのだとしたら、きっとそうだろうと思ったのだけど。
「失礼な奴だな、今日は日曜だっての」
「……日曜」
シキメールをやったのが、確か月曜日の深夜だったから。……そうか、一週間近くも寝たきりだったんだ。
「なんだ、学校さぼってまで来てくれたんじゃないんだ。少し残念」
「んだよー、ありがたみない奴だな」
「でもさ、タイミングよかったね?」
「ん?」
「ちょうどあたしが起きる時に、病室にいたじゃない」
なかなかの偶然だったんじゃないかな、と思う。
「あ、ま……まーな」
すると、和秋は少しだけ視線を逸らす。それから、鼻の頭など掻いてたから。
「?」
ちょっとだけ疑問を覚える。何かを隠しているような、そんな感じを受けた。
そう、まるで。
まるで、あたしが先輩と出会ったことを隠しているみたいに。
「あ」
思い当たって、思わず声をあげてしまうあたし。
「ん?」
気が付いて、今度は和秋が怪訝そうにあたしを見てきた。
「え? あ、あー何でもないない」
何となく微妙な空気が、あたし達を包む。
ちらり、と後ろをついてくるお母さんを見ると……いかにも微笑ましそうな、そんな感じの表情をしているみたいだった。
「じゃあな」
「うん、まあ心配かけてごめんね」
「別にいいって」
あたしの家の前で、和秋と別れる。てっきりそのまま和秋も自宅に帰るのかと思ったけれど……
「あれ?」
素通りして行こうとするから、声をかける。
「どっか行くの?」
「ん。あー、まあ、ちょっとな」
振り返って、煮え切らない返事。あたしは、思うところがあって。
多分、半分くらいは予想していたからかもしれない。
「あたしもついてっていい?」
◇
和秋の向かう先は、先輩の所だった。
三年前に、十四歳のまま時を止めてしまった真姫先輩が眠る場所。
「どうして、急に?」
「まあ、気が向いたからさ」
それ以上、追求はしなかった。
さっきよりもずっと微妙な空気のまま、お互いそれ以上の会話もないままで。三十分と少しの道を歩いていく。
段々と家が少なくなり、森に近くなる道のり。木々を抜けた先に、古びたお寺が見えてきた。
そうして――
先輩の眠る墓標の前で。
あたし達は、再会した。
「……あ」
と、たったそれだけ。
頭が真っ白になってしまって、続ける言葉は出てこない。
それは……あたし達と向かい合うふたりも同じみたいだった。
最後に出会ってから、もう二年近く立つけれども。
間違いない。間違えるはずなんてない。面影はそのままに、ずっと大人らしくなった卓也先輩と、ずっと綺麗になった翔子先輩に間違いなかった。
「その……」
重い空気を破って、言葉をつむいだのは、
「元気でやってるかい?」
卓也先輩だった。
無難で、あまりにも無難すぎる言葉。だったから、どういう反応をすればいいかわからなかった。
となりの和秋を、窺うように見る。
横顔は、凍り付いて、むしろ無表情だった。無感情じゃなくて、こみ上げてくる感情を押し殺しているからこその、無表情。
あたしは、少しだけ。怖いと思ってしまった。
「先輩のこと」
静かな声で、和秋が口を開いた。
「忘れていないんですね」
むしろ優しげにすら聞こえる、そんな不思議で静かな声だった。ふたりは、そんな和秋の声をどう思ったんだろう。どう聞こえたんだろう。
ふたりは、しばらくの間を置いて。
……ただ、大きく頷いた。
それだけだった。
それ以上、言葉はなくて。
あたし達四人は、それぞれに別れていった。
突然の再会は。
あまりにも、静かな終わり方だった。その事情を思えば、不自然なくらいに。
あたしは、もしかしたら――
「よく、殴りかからなかったね?」
そうしていたかも、しれない。
ふたりでしばらく帰り道を歩いてから、訊いてみる。
思ったことを、口にしていた。
「おまえだって、おとなしかったじゃないか」
「……そうだけど」
あたしは、うつむく。
「でも、あたしはただ真っ白になっちゃっただけだし……」
だから、別におとなしかったわけでもなくて。自分でも、どうしていいかわからなかっただけ。何も言えずに、何もできなかった。
下手にそうしたら、何かがくずれてしまいそうだったし。ただわけもわからずに、感情が爆発してしまっただけだろう。だから、何もしないだけだったのに。
でも、和秋は――
「きちんと言えてたし、すごいかなと思ったよ」
発した言葉が、引き金にならずに。ただ静かに手を合わせて、静かなままに先輩達と別れた。
ただどうしようもなかったあたしに比べて、彼はすごいと……純粋に、そう思えてしまった。
視線を戻して瞳に移す和秋の顔は、なんだかとても大人びて見える。いつの間にか、追い抜かれてしまったみたいに。
「別に、大したことねーよ」
和秋はそっぽを向く。
「たださ……先輩の前でごたごたしたくなかっただけだよ。そんなことしたって、きっとあの人は喜ばねえだろうしな」
「うん、きっとそうだね」
絶対に、そう思う。
あの人は、そういう人だ。
そういう人だから、和秋が好きになって。
あたしも、好きになったんだ。
もしかして、
真姫先輩の夢を見たのは、あたしだけじゃなくて。他に、和秋だけが見たわけじゃなくて。
卓也先輩と翔子先輩も見たのかもしれない。真姫先輩と、会ったのかもしれない。
それとも――
会いに来てくれたんだろうか?
あたし達に。
死んでまで……ううん、死んだからこそ、会いに来てくれたのだろうか。あたし達のために。あたし達のことを心配して。
(……ほんと、まったくさあ)
さっきも病院で思ったことを。
もう一度、しみじみと思ってしまう。
(先輩は……変わってないですね)
あのふたりなんかは……むしろ恨んだっていいのに。憎んでも仕方ないのかもしれないに。
見守ってくれているんですね。あたしを、あたし達を。
これからも、きっと。
この世界で生きていくあたし達を。
真姫先輩は、見守ってくれている。
いつの間にか、夕暮れになりつつあった。
伸びる影が長くなって、茜色の光があたしと和秋に降り注いでくる。
左手には、立ち並ぶ木々。右手には道路だけれど、過ぎていく車はなかった。
今はこの場に、あたしと和秋だけだった。
ふと、思い出す。
あの日のこと。少しの郷愁と、胸の疼きと一緒に。
「ねえ、和秋」
「あん?」
立ち止まるあたしに、一歩先で振り返る和秋。
「疲れた」
「はあ?」
「負ぶってってよ」
精一杯、悪戯っぽく笑うあたし。顔が少し赤いのは、夕日のせいだとしておこう。
「まだ病み上がりなのよ、あたしは」
「しゃあねーな」
和秋は肩をすくめると、あたしに背中を向けてしゃがみ込む。
「それでは、失礼します」
あたしは、その背中に身体を預けた。
そうして。
「それじゃあ、行くぜ」
あたしを背負って立ち上がる和秋。
茜色に染まる世界で――
ためらいがちに、問いかける。
「お、重くない?」
「あん? バカにすんなよ。俺だって男だ。女の子のひとりくらい背負えるぜ」
(……そうだね)
あたしは心の中でそっとささやいて、和秋の背中に顔をうずめる。
(あたしは、女の子だからね)
貴方をずっと好きだった……そして、これからもずっと好きな女の子だからね。
今は、まだ言えないけれど。
心の中で、つぶやくだけれど。
いつかきっと、言うから。
絶対に伝えるから。
(いつか、和秋に言いますから)
……真姫、先輩。
そう呼びかけて、あたしは瞳を閉じた。
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