しきせんぱい2

「おい、あゆか?」


 ……ふと声をかけられて、我に返る。


「あ……和秋」


「何ぼーっとしてんだよ」


 また、怪訝そうな顔をする和秋。

 ここ数日で、何回くらいそんな顔を見ただろうか。それだけ、あたしの様子がおかしいってことなのだろう。


「次、移動だぜ?」


「ん……あ、そうだったね」


 教室を見回すと、また今度も、あたし達以外には誰もいない。思い出す。確か、二時限目は美術の授業だったかな……。


(えーと、確かそのはずだよね)


 自分に言い聞かせていると、


 

「あゆか?」


 また、彼の声が振り向かせる。


 

「え? ああ……何」


「何、って……」


 和秋は怪訝な表情に、不安そうな色を重ねた。


「あゆか、おまえ最近本当におかしいぜ? マジで病院行ったほうがよくねーか?」


 ……本当に、あたしを心配してくれる。それが、わかる。痛いくらいに、わかる。

 でも、それはあたしの欲しい気遣いじゃないから。

 彼の優しさは、ただの友達に対する感情だから。

 ……だから。

 きっと、あたしはイライラしてしまう。


「へーきだって!」


 あたしは殊更元気に立ち上がる。

 空元気で、強がりで、ごうじょっぱり。そのくらいの余裕はあったけれど――


「……だけどよ」


「平気だよ!」


 食い下がってくる和秋に、あっさり余裕はなくなってしまう。あたしはつい、険のある声で言ってしまった。しまった、と思うけれど、もう遅い。 

 彼の顔色が、少し変わる。それは、怒っているのか。ただ、戸惑っているだけなのか。

 ……それを、確認する前に。

 あたしはおどけた感じで、言葉を返す。


「あはは、ごめん。ごめん。最近、ちょっと寝不足なんですよ」


 本心を押し殺すための、都合のよい言い訳を探す。


「最近、台詞の暗記に手間取っててさ。ほら、あたしも頑張らないとね?」


 それは、とても理屈の通る言葉に思えた。

 公演を間近に控えて、役の台詞を暗記しなくてはならない。そのために少し寝不足で、だからイライラもしている。そのせいで当たってしまってゴメンネ……ほら、何て素敵な言い訳だろう。


 

 自分以外は、きっと誤魔化せる言い訳でしょう。


 

「それなら、いいけどさ」


 一応は納得の色を見せてくる和秋。あたしは、そこにたたみかける。


「ほらほら、早くいこー。遅刻しちゃいますですよ」


 あたしは小脇に教科書やらを抱えて、もう片方の手で和秋を押し出す。気安い幼友達に、気軽に触れるように――そんな、演技をする。


 

 さすが、演劇部員。惚れ惚れするほどの名演技だ。

 ほら、和秋は騙されている。だから、平気。こうやって、ずっとずっと演技をしていけばいい。

 心の痛みなんて、押し殺して。誤魔化して。やり過ごして。


 

 ずっと、ずっと。

 そんなことを、繰り返して。


 

 いつまで。

 いつまで?


 

 ――あたしは、いつまで……こんなことを繰り返していればいいのかな? 

 

       ◇

 

 放課後の校舎。

 あたしは、部室がある南校舎に向かっている。

 遠くに聞こえる楽器の音色、吹奏楽部の練習だろう。それが、何だかひどく物寂しい。

 踏みしめる廊下が、ひどく頼りなかった。油断すると、踏み外してしまいそうだ。

 そんなこと、あるわけがないのに。

 歩きなれたはずの部室への道のりも、うっかりすると迷ってしまいそうだった。


(……何だろう、この感覚って)


 となりに、和秋の姿はない。

 彼は生徒指導室に呼ばれているせいで、部活には少し遅れる。 

 残念に思う反面、どこかほっとしている自分がいた。

 彼のそばには、いたい。でも、そばにいると痛い。心が、軋んで。ずきずき、とうずいて……たまらない。


(ほんと……何時まで、こんなことをしていればいいんだろう?)

 自問する。自分自身に、問いかける。


 想いを殺して、何時まで笑っていればいいんだろう。

 いっそ、何もかもさらけ出してしまおうか……あたしは、あなたが好きだって。でも、その後はどうなるんだろう。

 きっと、和秋が困るだけ。

 そうして、気まずくなる。今の関係さえ、壊れてしまうはず……


(そんなのは、絶対にイヤだ……!)


 ああ。

 なあんだ。

 そこまで考えて、思い当たる。

 結局、考えてるのは自分のことじゃないか。自分が嫌なだけ。和秋を困らせたくないなんて、聞こえのいい誤魔化しの言葉でしかない。

 多分、こういうのを自己欺瞞と言うのだろう。続くの、きっと自己嫌悪。


 ……アハハ。


 溜め息か、乾いた笑いか……その、どちらかわからなかったけれども。それが、唇から漏れそうになった瞬間。あたしは、目の前の角を曲って姿を見せる男子生徒に気が付いた。

 背の高い二枚目。見覚えのある顔。卓也先輩だった。


「こんにちは、藤代君」


 向こうが気が付いて、声をかけてくる。あたしも挨拶を返す。


「あ、卓也先輩――」


 ちょうど彼に続いて、人影が視界に入ってくる。女生徒のセーラー服に、当然のように、


「――真姫先輩」


 そう思って、言葉にして。

 

「え?」

 

 その予想は、裏切られた。

 

       ◇

 

 部室に入る。


「あ、おはよう」


 台本に目を通していた先輩が、顔を上げて微笑みかけてくる。そこにいた『真姫』先輩が。そう、今あたしの目の前にいるのは真姫先輩だった。

 さっき、卓也先輩と一緒にいたのは『翔子先輩』だった。

 その事実が、あたしには面白くない。


「……どうしたの?」


 あたしの不機嫌に気が付いたのか、真姫先輩は小首を傾げた。


「真姫先輩……」


 あたしは、続ける言葉を探す。


「卓也先輩は?」


「ん? 途中ですれ違わなかった?」


「……はい」


 少し迷ってから、その先を続ける。


「翔子先輩と……一緒でした」


「ああ、うん」


 真姫先輩は小さく頷いた。


「機材の貸し出しのことで、生徒会室に……」


「それで、いいんですか……!」


 あたしは思わず、声を荒げていた。平然と返してくる真姫先輩に苛立ってしまったからだ。


「あゆかちゃん?」


 目を白黒させる真姫先輩に、あたしは言う。多分、責めるような口調で。きっと、見当違いな感情をぶつけてしまう。


「先輩は、卓也先輩と付き合っているんでしょう?」


「うん、そうだけど?」


「それが……このところ、ずっと卓也先輩は翔子先輩と一緒じゃないですか?」


 ――それで、本当にいいんですか?

 自分の好きな人が、他の誰かと一緒にいて。それで、全然まったく何とも思わないんですか?


「それは、仕方ないよ」


 真姫先輩は静かに言う。


「わたしは、そんなに顔が広くないから。そういうことは、翔子ちゃんの方が向いてるし。卓也は部長だもの」


「…………!」


 確かに、理屈としては当然だと思う。

 充分すぎるくらい、筋が通っている。

 控えめで、遠慮がちな真姫先輩。明るく社交的な翔子先輩。人手の足りない演劇部が、外に助けを求める。どちらが、そういった役割に向いているかなんて言うまでもないこと。

 だけど、そんな理屈だけで納得なんてできるの? あたしは……あたしだったら、きっと無理だ。


 だって、あたしがいる場所でも、和秋が真姫先輩と一緒にいるのは嫌なのに。少しでも仲良くしているみたいだと……心がもやもやしてしまうのに。

 それとも、それはあたしの心が狭いからだけ?

 あたしは先輩と違って嫉妬深いから……そんな風に思ってしまう? 先輩は、違うから。あたしなんかとは違って優しいから! だから、そうやって微笑んでいられるんですか?


「その……ごめんね」


 あたしは、どんな顔をしていたのか。先輩が椅子から立ち上がって、近付いてくる。心配そうに声をかけてくる。きっと、先輩にそんな声をさせる顔はしていたんだと思う。


「わたしのこと、心配してくれているのね」


 ――違う! 

 違います。そうじゃない! そんな、きれいなものじゃないんです。ただ、自分勝手なだけ。自分自身が、イライラしてしまっているだけ……!

 あたしは、そう叫びたかったのかもしれない。

 けれど、心の中にむなしく響くだけ。言葉にならなくて、空回るだけ。


 だから、結局。

 あたしは何も言えないままで、うつむいてしまう。

 先輩の細い指先が、そっと髪に触れる。そうして、静かにあたしの頭を撫でてくる。 

 あたしよりも少し低い先輩が、あたしをあやすみたいに――


「ありがとう……あゆかちゃん」


 見当違いな感謝の言葉が、突き刺さって痛かった。


 

 先輩は。

 先輩は、本当に。


 

 優しくて、きれいで、可愛くて……ほんと、かなわない。

 

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